女帝の時代・飛鳥時代!~奈良県明日香村~|旅人:松本英子

2015-11-19

 

皆さんこんにちは!歴女の松本英子です★

と、言いたい所なのですが、歴史がとっても苦手な私。。。

いつも(本物の)歴女旅人•吉村民ちゃんのレポートを聴いては凄いなぁ!!と感心するばかり、、、

 

しかし、YAJIKITA時代から各地の歴史スポットをご紹介する度にどんどん興味が湧いて来まして、、最近ではプライベートの旅でも歴史的な場所を巡るようになってきた所に、今回の旅企画が舞い込んで来たわけです!《ヤッターーー!!!》

 

とうわけで、今回は奈良県高市郡明日香村を訪れます。

 

 

 

 

 

 

 

 

明日香村といえば? そう、飛鳥時代!!!

しかし、飛鳥時代って一体どんな時代だったのか、、、

社会の授業で習った年号や人物を振り返ってみても、

「聖徳太子」しか思い出せない自分が悲しいのですが。。。

飛鳥の時代こそ、まだまだ謎に包まれていることも多く、ロマンに満ちているのです!

聖徳太子が摂政として手腕を振るっていた時代の天皇は、推古天皇•女帝でした。

そして、皇極天皇や持統天皇など他にも女帝が活躍したのが飛鳥時代。

謎多きこの時代に、女帝たちはどんな風に過ごしていたのか、昔ながらの原風景が残る明日香村で飛鳥時代へタイムトリップです!!

 

まず訪れたのは、飛鳥駅から車で10分の飛鳥寺

 

 

 

 

 

 

 

 

ご住職の植島寳照さんにお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

596年に創建された日本最古のお寺である飛鳥寺。

まず一番に会いに行きたかったのが、ご本尊の「飛鳥大仏」

こちらも日本最古!の仏像です。お年は、1407歳!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

その美しいお姿にすっかりみとれてしまいましたが、、よく見ると、お堂の正面に身体が向いておらず、少し斜めに座られているんです。

その理由ははっきりしていないけれども、聖徳太子がお生まれになったお寺である橘寺の方角に少しずつ動いて行ったのではないかと言われているのだそうです。

これもまたロマンですよね~!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

また、現在では当たり前に見る、お寺の瓦屋根。

これも飛鳥寺が最初だったんだそうです!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

お寺としても日本最古なわけですが、、、日本で最初の女帝•推古天皇も関わり作られているいう所でも大和の国の始まり、日本の始まりの場所といっても良いお寺なのだと改めて知る事が出来ました。

 

現在は田んぼに囲まれ、長閑な村の一角に佇む飛鳥寺。

かつては東西約200m 南北約300mという非常に広い敷地の大寺院であったそうです。

お別れに、また飛鳥寺に来られますようにと願いを込め、当時の推古天皇を想いながら鐘をついてきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、、、

次なる目的地は、飛鳥時代の女帝たちも食していたであろう「古代食」の頂ける「飛鳥の宿、祝戸荘」

 

 

 

 

 

 

 

 

飛鳥時代の食べ物、、、確かに謎です。

 

お話を伺ったのは、辰己考司さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ご用意頂いたのは、「万葉あすか 葉盛御膳」







 

 

 

 

当時も葉っぱの上に食材を乗せて食べられていたとのことから、その様子も再現されているのですが、、まず驚いたのは、種類の豊富さ。

さすがにこの全てを当時の女帝たちが食べていた訳ではないだろうとの事ですが、、、、、

それにしても川魚や鴨肉、帆立に鮑に甘海老、にごり酒まで、全28品!!!彩りも鮮やかで豪勢ですよね。

藤原京の遺跡から出土した木簡に書かれていた記録から食材が分かったというくらいで、残されている文献等はほぼない為、お味も、想像を加えて復元しているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

お米や麺などもすでにあったようですが、一番気になったのが、「蘇(そ)」という古代のチーズのようなもの。牛乳を煮詰めて作られているそうなのですが、頂いてみると甘くて美味しいお菓子の「ミルクセーキ」の柔らかい版のような優し~いお味でした!!

これならホールで食べられちゃいます(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、すっかり胃袋も女帝気分w

続いては、祝戸荘から車で10分「奈良県立万葉文化会館」へ。

古代衣装バージョンの「せんとくん」が迎えてくれました❤

 

 

 

 

 

 

 

 

そして万葉文化会館エントランスでは、これまた美しい飛鳥時代を思わせる衣装を纏った女性たちがお琴を前に座ってスタンバイ。

お琴の演奏会が始まるという事で、聴かせて頂きました♫

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは演奏の前に曲目の紹介があり、和歌も詠まれ、演奏が始まりました。

小学生中学生も含めた16人の女性たちが、一斉に息を合わせ琴をつま弾く。

その姿に、飛鳥時代の女帝たちの姿が重なりました。

 

演奏されていたのは、「八雲琴」と言われる、たった二弦で出来ているお琴です。

明日香村付近の古墳から出土されてから、この八雲琴を伝承しようとご尽力されているのが、明日香村伝承芸能保存会 明日香の響保存会の脇田初枝さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

演奏会の後に毎回開催しているという体験会に参加させて頂きました♫

 

まず、八雲琴は右手人差し指に爪を付け弦を弾き、さらに左手にはスチールギターで使うボトルネックのようなもので弦を押さえて音階を変えて行きます。

しかも、その楽譜が、ドレミファソのような音符で書かれてあるのではなく、全てカタカナ。音階を低音部分から高音へ向かって読み進めて行くと、和歌になっているんです!!!

 

早速初心者でも演奏しやすいという「さくらさくら」に挑戦させて頂きました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

一応音楽業界16年の松本英子(笑)根性を見せようとなんとか頑張ってみたのですが、

実際やってみると、思うようには演奏出来ず、、、先程の演奏会で優雅に30分以上もノーミスで演奏していた小学生がいかに凄いかというのを感じずにはいられませんでした!!

とはいえ、演奏自体はとっても楽しく、時間を忘れる程。

まずは楽譜を読む為の和歌から覚えるというのも素敵ですし、、、何よりお琴を奏でている時間は無心になり、姿勢や振る舞いなど、女性らしさも意識出来るんですよね。

飛鳥時代の女帝たちも恐らく、こうして八雲琴を嗜み、日々過ごしていたのでしょう。。。

 

 

 

 

 

 

 

優雅で美しい八雲琴の音色に包まれた後は、、、

古墳巡り!!!

 

蘇我馬子のお墓ではないかと言われている「石舞台古墳」や、

「天武天皇」、「持統天皇皇陵」などに立寄りながら、

万葉文化館から車で10分の「高松塚古墳」へと向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

高松塚古墳というと、壁画が発掘されたというニュースの記憶が残っている方も多いと思うのですが、、、、

飛鳥時代の様子が分かる文献や出土品が非常に少ない中、色鮮やかなままの状態で壁画が残されていたのは本当に凄い事で、その壁画に描かれていた人物たちの衣装を見てみると、当時の服装や階級、文化までもが見えて来るんです!!

その凄さを詳しく教えて下さったのは、学芸員の泉 武さん。






 

 

 

 

まずは、壁画の全体像を再現し紹介している「高松塚壁画館」をご案内頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

赤や黄色、青に緑と、実に色鮮やかな衣装を纏った人々。こういった絵の具となるような染料は飛鳥の時代もあったそうで、この絵を描いたのは、恐らくお寺などの襖や天井、壁の絵などを描いていた絵師に寄るものではないかということです。そして、この石室の石を組み合わせて行った最後に石室を閉じる前に実際中に入って絵師が短時間で描ききったという所まで分かっているそうです!!!よく絵を見ていくと、描かれている人々の顔つきがみんな同じ。ということは、写し絵のように下書きしてあるものを次々判をするようにして書いて行ったのではないかとのこと。面白いですよね。そして絵師さん、頭が良いです。。。

 

さらに、天井部分に描かれていたのが、星座☆

 

 

 

 

 

 

 

 

季節に関係なく描かれていたこの星座の絵には一体どんな意味が込められていたのか、、、

当時は政治的な話にも星座が深く関わっていた時代。

とてもロマンのある発見です。

 

また、この高松塚古墳は恐らく天武天皇の皇子が眠っていたであろうとされていますが、

壁画に描かれている人々の持ち物から、身分の高い方のお付きの者たちであろうという事ですが、そのような位の高い人物のお墓であったというのも頷けるエピソードとして、、、

鎌倉時代に泥棒が穴を空けて侵入したという事件について泉さんが教えて下さいました。

壁画には金箔や銀箔も多く使われており、それを狙ったものだったのではないかと言われているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

華やかに着飾った盛装、実際に飛鳥時代に着ていたものかどうかというのは、まだまだはっきり分かってはいない部分が多いようなのですが、女帝たちはもしかするともっと豪華な衣装を纏っていたのかも知れませんね★

 

 

 

 

 

 

 

 

最後は、推古天皇の後一代おいて天皇になられた女帝、皇極天皇の宮廷であった

「伝飛鳥板葺宮跡」へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここも広い田園に囲まれた跡地。

稲穂が風に揺れ、どこまでも青空が続いていて、大きく息を吸い込んだら、飛鳥時代の女帝たちが目の前に現れてくれそうなくらいに明日香村の景色は美しく凛としています。

 

遠い昔の時代の事だから、現代とはかけ離れている事ばかりなのかと最初は想像していましたが、食べ物も、着るものも、音楽も、どこか今に通づるものを感じた旅でした。

そして、その飛鳥の美しき時代を今もそのままに残そうと受け継いでいる明日香村の皆さんの想いがたくさん伝わって来て、胸が熱くなった旅でもありました。

 

まだまだ謎の多い飛鳥時代。だからこそロマンと魅力に溢れているんです!!

歴史を知るには京都だけじゃ駄目ですよ!

そこから足を伸ばして魅力的な奈良県明日香村に是非❤

 

 

 

 

※おまけ

 

途中で立ち寄った田園で、一句詠んでしまいましたが(笑)

写真におさめたくなる景色にもいっぱい出会いましたよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに帰りには、聖徳太子様の生誕の地、橘寺に立ち寄った所、

ちょうど百味飯食(ひゃくみおんじき)という聖徳太子さまに50種類1対の自然の食べ物をお供えして日常生活に感謝をするという法要が始まるタイミングにあたり、KIKI-TABIスタッフ一同急遽参加させて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

旅の始まりは、聖徳太子ゆかりの飛鳥寺から。そして旅のおしまいには聖徳太子に関わる場所でお供えもさせて頂き、これもまた明日香村でのご縁を感じる思い出の時間となりました。

 

 

KIKI-TABI、次の旅は、どの場所とのご縁が繋がるでしょうか。

どうぞお楽しみに!!!