伝統と文化が息づく街! 信州・諏訪!|旅人:井門宗之

2016-01-15

 

 

昨年ある日の会議での事である。

 

 

井門P「諏訪に行きたいんだよなぁ。」

 

一同「(出た、また雰囲気で何か言い始めたぞ…)」

 

井門P「知ってる?岡本太郎が愛した宿とかさ、千人風呂とかさ、

この時期は寒いだろうけど、でも空気が澄んでて良いと思うんだぁ…。(気持ちは既に諏訪)。」

 

河合「良いですねぇ!温泉!行ってみたい!」

 

井門P「(お…雨女が食いついてきた)う…うん、良いですよね…ゴニョゴニョ」

 

横山「良いね!温泉!岡本太郎!!爆発だ!」

 

井門P「(極楽トラベラーズのコンビが食いついてきた…)で…ですよね!」

 

横山・河合「行きましょう!

レッツ、極楽!トラベラーズ!!

*説明しよう!『極楽トラベラーズ』とは、番組名を変更する際に仏の横山が出してきた、

いかにも昭和テイストなタイトル案であり、他のスタッフも妙に気に入ってしまった為に、

最後まで候補として残った名前である。

 

 

 

 

 

 

 

 

河合「ねぇねぇ、晴れてますよねぇ!!

 

井門P「いやぁ…確かに良い天気ですけど。」

 

橋本「これ、午後から土砂降りなんじゃないですか?」

 

河合「私は天川村に行ってから変わったんです!

もう雨女卒業したのっ!!」

*説明しよう!作家の河合さんは『雨雲がペット』と呼ばれる程の雨女であり、降水確率0%の日でも雨を降らす強烈なパワーを持っているのだ!

 

横山「確かにみなとみらいに行った時も綺麗に晴れてたもんねぇ!」

 

河合「でしょ!?広報の方が今日は景色が素晴らしい!って言ってたんだもん!」

*説明しよう!みなとみらいのロケの際は素晴らしい晴天で、

初旅人の村田綾ちゃんも感動する程の景色を見る事が出来たのだ!

 

井門P「そうかぁ、河合さん変わったんだね!良かった!」

 

河合「もう雨女なんて言わせない!

*結論から言おう!ロケ2日目は雨でした。

 

河合「おっかし~な~!

 

 

と言う訳で、初日は良い天気でスタートした諏訪取材。

今回の旅のテーマは『伝統と文化が息づく街!信州・諏訪!』であります。

長野県諏訪市。人口およそ5万人、美しい山々に囲まれ、更に諏訪湖の風景と合わせ、

東洋のスイス!と呼ばれる事もあるとか。

…ん?風景だけでスイス推し?

 

 

河合「実は諏訪は精密機械の街としても有名なんですよ!

ホラ諏訪湖の周りにも精密機械にまつわるオブジェがあったでしょ?」

 

 

そうなのであります。

ここ諏訪市は世界的にも有名なメーカー「セイコーエプソン」の本社がある街。

今回お邪魔した「諏訪湖 時の科学館 儀象堂」の宮坂さんも元セイコーの方でしたし。おすし。

諏訪湖の畔に立ち、遠くは白馬の景色を眺めていると、

不器用な井門Pですら米粒に写経出来てしまう気分になってしまう南無。

 

 

河合「この諏訪湖の目の前にあるのが、千人風呂で有名な片倉館です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪の景色を更に雰囲気あるものに変えているのが、間違いなくこの建物でしょう。

昭和3年に完成し、今も当時のままの姿で残っている片倉館は、

現代で言うところのスーパー銭湯とも呼べる場所。

お風呂から設備まで、訪れる方をとことんリラックスさせようという工夫でいっぱいなのだ。

 

 

山﨑「片倉館についてお話ししようと思うと、いくら時間があっても足りませんよ(笑)」

 

 

そう話してくださったのが片倉館の館長、山﨑茂さん

今回は山﨑さんに片倉館をご案内頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

山﨑「まず片倉館を作った人物ですが、当時製糸業で財を築いていた片倉組の2代目、

シルクエンペラーと呼ばれた片倉兼太郎です。

大正末期にヨーロッパなどを回った際、ドイツのカルルスバードの温泉施設を見たんです。

その時にその充実ぶりに感銘を受けまして、日本にもこういう施設を作りたい!と。

まぁ、地元に貢献する意味合いが大きかったと思いますが、

日本に帰国し片倉館を完成させたんです。」

 

 

片倉氏がヨーロッパで受けた衝撃は相当大きかった。

それが証拠に片倉館は外観から内装まで、欧風建築としてまとめられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和3年に浴場施設としてこのスタイルはかなり珍しかった筈だ。

しかも当時の入浴料はなんと無料!!

 

 

山﨑「勿論、そのままだと大衆浴場として立ちゆかなくなりますから、

下足料として当時2銭、今ですと400円くらいは戴いていた様です。」

 

今では国指定の重要文化財に登録されている片倉館は、

当時も今も地元の方々にとっての憩いの場であり誇りでもあるのだ。

 

 

山﨑「2階は休憩スペースになっていて、3階にはバルコニーがあります。

お風呂の利用料を一度頂けば、一日中こちらにいて戴いて構いません。

出来れば3階のバルコニーにも上がって戴きたいんですけど、

そこまで上がってくる方が少なくて(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

その自慢のバルコニーの窓を開けると素晴らしい景色が広がっていた。

まさに諏訪湖ビューな眺め。山﨑さん曰く、ここが諏訪湖の中心だと言う。

 

 

山﨑「目の前に人口の初島があるでしょう?

夏、8月15日と9月の第一土曜日にここから四万発の花火が打ち上がるんです。

ここのバルコニーも開放しているんですけど、

丁度ここから見ると花火真正面に打ち上がるんです!」

 

 

観客の数が50万人にも膨れ上がる花火大会。

その一番の見物席が片倉館のバルコニーなのです。

重要文化財から眺める夏の花火…風情があって良いだろうなぁ。

 

 

山﨑「ここの設備はまだまだありますよ。

例えば大広間って聞くとどのくらいを想像しますか?」

 

井門P「えぇっと、そこそこ広めですか?(笑)」

 

山﨑「今からご案内する大広間は、その想像を軽く超えていくと思いますよ(笑)」

 

井門「(そんなに広いって…どれくらいなんだろう…。)」

 

山﨑「はい!こちらが204畳大広間です!

 

 

 

 

 

 

 

 

…すっげ―――――!

もうね、妖怪ウォッチ的に言うと「もんげー!」ですよ!コマさんですよ!

欧風の建物の中にあって、204畳もの畳の圧倒的な存在感!

部屋の奥の窓からは美しい諏訪湖を望む事が出来る。

当時ここは結婚式の会場や式典の会場として使われていたそうだ。

 

 

山﨑「片倉館は交流キーワードなんです。

お風呂で裸の付き合いをする。

休憩室で情報交換をする。

大広間で地域交流をする。」

 

 

昭和3年に完成してから、きっと片倉館は地域の絆を強くする為の場所なのだ。

実は取材が終わった日の夜、KIKI-TABI一行、千人風呂に入りに行きました(笑)

深さが1mほどもある玉砂利が敷き詰められたお風呂は、それはそれは気持ち良く。

温泉ってのはあれですね、旅情を更に増してくれますね。旅に来ている感。

千人風呂で汗を流し、諏訪のお酒を求めて夜の街へ繰り出す…。

やっぱり諏訪、最高でした!(←旅日記の最初に戻る、笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、最初にも書きましたが、諏訪はセイコーエプソンの本社がある街。

それもあって、「時の科学館」という施設があります。

正式には「諏訪湖 時の科学館 儀象堂」。

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪らしく建物入口には足湯がありまして、観光客がまさに足を休めている。

これも諏訪の街の当たり前の風景なんですね。なんだか和みます。

ま、雨は降ってたんですけどねっ!

 

 

河合「おっかし~なぁ~?

 

 

あーコホン、それはさておき、

こちら儀象堂にはなんと900年前の時計『水運儀象台』を復元したものがあるそうで。

って…900年前!?

 

 

宮坂「中国の北宋時代の物ですけどね。

当時“時を司る”というのは権力の象徴でもあったんですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

優しくそう教えてくださったのは、こちらの展示室長、宮坂護さん

元セイコーの方で、聞くと腕時計の文字盤にカレンダー機能ってありますよね?

それを発明した方なんですってよ、奥さん!

その時計のスペシャリストが我々を儀象台に案内してくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

朱色に塗られたその姿、まさに中華の香り漂う立派なもの。

時計って言うから壁掛け時計くらいのサイズかと想像していたら…

でっかい!!!

軽く3階建ての建物くらいの大きさはあるんじゃないでしょうか?

これが全体で時計だっていうんだから、スケールが違います…。

 

宮坂「皇帝の仕事は、人々に暦を作り時を知らせ

占星術を行う事でした。

この儀象台には最上階に天球儀がありまして、それで占星術も行っていたんです。」

 

 

儀象台はその大きさ、仕掛も凄いのだけど、

宮坂さん曰く「脱進機」が凄いのだと仰います。

脱進機ってのはアレですね、時計が規則正しく動く為の装置。

カチコチカチコチと鳴るのはこの脱進機が機能しているからです。

 

宮坂「この時計は水車の原理を利用して動いているんですけど、

一定の速さで正確に進んでいく仕組みは凄いと思います。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水運儀象台の面白いのは、時が来ると人形が鐘を鳴らし音楽を奏でるという、

今も続く仕掛時計の顔も持ち合わせているという点かもしれません。

巨大な仕掛け時計は、ただ時を知らせるだけじゃなく、人々を楽しませる要素も持っていたのだ。

思えば宋の時代はとても豊かな時代。

こんなにも美しく巨大な時計が、彼方の時代の中で時を刻んでいたのかと思うと、

心がふわっと軽くなる。目を閉じると、あっと言う間にタイムスリップ出来てしまうかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮坂さんには最上階の天球儀も見せて頂きました。

皇帝はこの天球儀を使い、国同士がどう対峙していくのか、

相手国が攻めてきたらどうするのか、どう動くのが最善か、などを占っていたと言います。

 

 

井門P「えっと、今日の皇帝の恋愛運とか。。。

 

 

現存する水運儀象台で動く物としては唯一の諏訪市の水運儀象台。

「時計の仕組みの元祖が、この時計に全て詰まっている!」

という900年前の技術に、実際に触れてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪の伝統文化を探る旅。

この辺で食べ物の伝統にも触れなきゃなりません!(食いしん坊万歳!)

お邪魔したのは諏訪大社下社秋宮のすぐ近く、

創業明治六年の「新鶴本店」さんです。

甲州街道の終点がすぐ近くにあり、街道沿い、大社沿いのこちらのお店は、

交通の便が電車や車になる前の時代、大変な交通量の場所にあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

河西「下諏訪に駅が出来て、この辺にあったお店も場所を替えたりしまして。

いつの間にかここに取り残されてしまいました(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

そう穏やかに笑うのはこちらの5代目河西正一さんです。

建物自体は立て替えたりしたそうですが、場所は創業当時からこの場所のまま。

大社へお参りに来られる方の舌を、こちらの伝統の和菓子で楽しませてきたのです。

取材でお邪魔した日も、一階の店舗にはお客さんがひっきり無し。

それもその筈、カウンターケースの中に並ぶ和菓子の美味しそうなこと、美しいこと…。

 

 

 

 

 

 

 

 

河西「ウチの一番人気は塩羊羹です。」

 

井門P「えっ!?羊羹で…塩ですか?」

 

河西「えぇ、驚かれる方も多いですが、

より甘さを際立たせるように塩を入れているんです。どうぞ、召し上がってみてください。」

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして出して頂いた塩羊羹。

見た目も美しい一見すると通常の羊羹と変わらないなのだが…。

ひと口…パクッ(モグモグモグモグ)

 

 

井門P「んっ!甘じょっぱい!!

でもほんのり塩味で甘さが際立ってて…これは旨いですねぇ!!」

 

 

新鶴本店の名物塩羊羹は初代が考案した和菓子。

塩の馴染み具合に苦心し、工夫を重ねて出来上がったのがこちらの商品なのです。

 

 

河西「なかなか日持ちのするものでは無いので、

基本は店頭でのみの販売になってしまうのですが…。」

 

井門P「いえ、この塩羊羹だけを目指して下諏訪に来る価値ありです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

旅の空も徐々に終わりに近づいてきた頃。

ふと思い出したのは諏訪を愛した芸術家の事であります。

瞬間瞬間に命を賭け、「芸術は爆発だ!」とまで言ったアートの巨人、岡本太郎氏

実は岡本先生はこの諏訪を非常に愛し、足繁く通ったそうで。

ここ下諏訪では定宿がありました。更に言うとその宿は、名だたる文人、知識人に愛された宿で、

その名をみなとや旅館と言います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

客室数わずか5室

あの永六輔さんをして「諏訪湖に氷が張ると行きたい宿」と言わしめる宿。

 

 

 

 

 

 

 

 

御主人の小口惣三郎さんが岡本先生とのエピソードを語ってくださいました。

更にそのお話しは、宿を訪れた沢山の文人たちとの想い出の品を展示する風雅舎で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小口「岡本先生は御柱祭がお気に入りで、

一度取材でいらっしゃった時に気付いたら先生、どこにもいない。

慌てて探したんですけど見つからなくてね。

そしたら岡本先生、柱の上に乗ってるんですよ(笑)

皆で必死になって止めてね(笑)

“先生!危ないですから降りてください!”って。

でもなかなか降りてこなくて…全員で引きずりおろしました。」

 

 

 

流石世界の岡本太郎先生(笑)

しかしその岡本先生を引きずりおろすってのも凄い!

 

 

小口「いやぁ、その夜の岡本先生は拗ねちゃってね(笑)

だいぶ機嫌が悪かったですねぇ。」

 

 

そんな岡本先生との会話の中から、小口さんは岡本語録を作っていました。

その語録がまたなんとも凄い。いくつかご紹介しましょう!

 

 

死んだっていい、それが祭りだ。

 

○御柱祭は縄文人が満ち満ちている。

 

○諏訪で御柱に血が騒ぐころは、僕も爆発するんだ。

 

 

小口「岡本先生は御柱祭縄文の祭りだって仰ってましたね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的には永六輔さんと岡本太郎さんのエピソードが好き。

 

 

諏訪湖に氷が張ると行きたい宿がみなとや。

ここで岡本太郎さんと偶然二度も逢っている。

“御無沙汰しました。”と言ったら、“俺には過去が無い”と言われた事が忘れられない。

 

 

あの永さんも、岡本太郎先生には敵わない。

そんな岡本先生が御柱祭に並ぶほど血が騒いだものがあるのです。

 

 

小口「万治の石仏って言いまして。昔からあった石仏なんですけど、

特に整備もされてなくて畑の中に置かれたままだったんです。

それを岡本先生が見つけまして。物凄く興奮されてましたね。

顔を真っ赤にして、汗びっしょりになって。

これは凄い!これは凄い!と仰って。」

 

こうしてそれまでは注目を浴びる事も無かった万治の石仏が、

芸術家・岡本太郎によって一躍脚光を浴びる事になる。

 

 

小口「岡本先生の影響で数多くの方が石仏を見にいらっしゃいました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

万治の石仏と出会って心の底から興奮している写真がある。

その写真は小口さんが撮影したものだそうだ。

風雅舎にはその他にもみなとやを愛した文化人達の写真や縁の品が並んでいる。

旧中山道69宿の中で唯一の温泉があった宿場町。

そこにひっそりと佇む客室数わずか5室のみなとやさんに、

多くの文化人達が惹き付けられる理由はなんだろう?

間違いなく言える事は、このインタビューのわずかな時間がとても心地良かったという事。

小口さんの雰囲気、語りの優しさなどが全てを表している様にも思う。

これが全て、みなとやの心を表しているのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

取材を終えると旅館の方が「ちょっとだけでもお風呂に入ってってください!」

と有り難いお声を掛けてくださいました。

利用時間外にも関わらず、気さくにそう話してくださる事が有り難く。

取材時間の都合でお風呂に入る事は叶わなかったのですが、

優しさに満ちたこの宿に、今度は大切な家族を連れて来ようと、そう思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

諏訪の旅の最後は岡本太郎が愛した万治の石仏へ。

驚いた事に本当に畑の真ん中にあるんです!

周りは住宅に囲まれていて、更に石仏の後ろは小山の様になっているんですが、そこにも住宅が。

石仏を見下ろす様に家が建っているってのも面白いなぁ。

そして何よりも石仏のお顔、その姿がなんとも言えず愛らしい。

通常の石仏や仏像をイメージしてここに来ると衝撃を受けると思います(笑)

でも、だからこそ芸術家・岡本太郎も興奮したんだろうな。

凛としてここにある、その存在感。

周りが住宅街だろうが畑だろうが、そこに“ただある事”で放つ圧倒的な空気感。

万治とは「全てを治める」との意。

石仏の周りを願掛けをしながら回ると、ちゃんと治まるそうで。

KIKI-TABI一行もしっかり願掛けして参りました!

 

 

 

 

 

 

 

 

穏やかだけど情熱的。

特別なものでは無いのに、圧倒的な存在感。

これは諏訪の街そのものに当て嵌まる事なのかもしれません。

普段は穏やかに過ごすこの街も、7年目に1度、物凄い熱量で御柱祭が行われる。

なんせ世界の岡本太郎を魅了した程です(笑)

今年いよいよ行われる御柱祭を見に行かれる方は、

その情熱や熱量だけではなく、この街にしっかりと息づく伝統文化にも目を向けてみてください。

多くの人がこの街に惹き付けられた理由が、きっと見つかると思いますよ!