東京発どこ行くツアー!「御茶ノ水編!」|旅人:井門宗之

2016-02-12

「なんだか最終回みたいですけど、

次週は再び井門P想い出の町、御茶ノ水です!(笑)

いや、なんだか終わるみたいなラインナップだけど、終わらないからね!!」

で締め括られた前回の旅日記。

改めて読み返してみると、やっぱり最終回へのカウントダウンみたいだ。

安心してくださいKIKI-TABI4月以降もありますよ!

 

 

おぉ…聴こえる、聴こえてくるよ…KIKI-TABIを愛してやまない方々の歓喜の声が…。

全国各地で響いている、喜びの歌声が…、2、3人から…。

大丈夫です、まだまだ探したい音風景はいくつもあります。

東日本大震災の被災地の声もまだまだ届けたいですし。

何だか最終回っぽくなって皆さんを不安にさせたくなかったので、

ここで便乗して宣言してしまいました(笑)はい、とにかく続きます。

 

 

…とは言え今週もロケ先は井門Pの想い出の土地御茶ノ水

想い出の土地ってのはどういう事かと言うと、母校が御茶ノ水にあるからで。

今回のDである仏の横山Dも同大学同学部の大先輩(20歳違うのです)。

だもんだから会議で「御茶ノ水ロケ」が決まった時から、

「○○はまだあるのかなぁ」「あの店は行っておきたいなぁ」

という「愛着のある場所ロケあるある」をいかんなく発揮していた訳です。

KIKI-TABIの取材先は担当の構成作家さんが決めるので、

今回の担当でもある河合さん(雨女)がそんな我々のキャッキャぶりを聴きながら、

「はいはい、じゃここはやめてこっちが良いですね。はいはい」なんて冷静に話していました。

 

 

そんな会議から数週間。

いよいよロケ当日でございます。

駅前に集まった我々に河合さんから衝撃の一言が!!

 

 

河合「懐かしいですね~。駅前のこの建物の並びとか変わってないし。

ここって前パチンコ屋さんでしたよね?」

 

井門P&仏「あれ?やたら詳しいじゃないの?」

 

河合「ええ、私も明治だったんで~♪

 

仏&井門P「早く言えやっ!

 

 

なんと言うことでしょう!?

会議では仏と井門Pが同窓トーク全開で御茶ノ水愛を語っていたというのに、

この人も同窓の筈なのに、まるで別大学卒業であるかの様な冷静さ!(笑)

 

 

河合「言ったこと無かったでしたっけ~?

おっかし~な~?

 

 

いやね、このあと取材に向かった阿久悠記念館の村松さんも仰ってましたよ。

「明大卒は最後の最後で自分が明大卒だという事を明かすんです。」って。

お…奥ゆかしい…。奥ゆかし過ぎるだろ明大生!

もっともっと言っていこうぜ!俺は明大卒だぜ!ゴキゲンだぜ!って。

 

 

という訳で今回のロケでは積極的に明大OBアピールをしまくりました(笑)

明大生達が闊歩する御茶ノ水で、先輩風を風速50m位吹かせてきましたとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ結論から言いますよ?それぞれの卒業年度違うから、

懐かしさの共有全然出来なかった(笑)

だって僕の卒業からだって14年経っているわけで。

そうなると校舎も新しいのが増えていてですね。

僕の世代はリバティタワーがギリギリだったんですが、

僕が卒業した後にアカデミーコモンなんつーのが出来まして。

これがガラス張りの近未来的な建物。2004年に完成したそうですが、

こちらの地下に僕も学生時代に1度だけ足を運んだことのある博物館がございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

かつての刑事博物館も含め、商品博物館。考古博物館の3つの博物館が一つになった、

明治大学博物館がそれであります。

僕が学生だった頃、刑事博物館は好奇心から1度だけ入った記憶があります。

ここには中世の処刑道具とされた「鉄の処女」のレプリカが展示してあるから…というのが、

当時足を運んだ理由だった様な気がしますが、

今回の取材でその「鉄の処女」に関する情報が僕の認識と違う事が明らかになるのです!

 

 

 

 

 

 

 

 

館内を案内してくださったのは刑事部門の学芸員日比佳代子さん

入口に展示してある構内の敷地からの出土品の説明から、立て板に水!

やはり博物館は学芸員の方にお話しを伺うのが面白いのです。

しかしそもそも何故、刑事部門の展示があるのでしょう?

 

 

日比「明治大学は元々*法律の学校として設立されました。

なので法律の歴史を学ぶために実物を展示してあるんです。」

*前身の明治法律学校は1881年に岸本辰雄、宮城浩蔵、矢代操が中心となって設立。

 

 

 

 

 

 

 

 

刑事部門の展示には実際に江戸時代に掲げられた髙札や、

歴史で勉強した武家諸法度や御成敗式目などが並びます。

髙札なんかはアレなのね、例えば密告者には褒美をとらすなんて事も書いてあって、

地域の目が犯罪を許しませんよって姿勢を根付かせたんですね。

法令書や髙札だけじゃありません。

実際江戸時代の捕り物で使用された刺又などの道具も展示してあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門P「おぉ…この棒の先端のトゲトゲは…かなり痛そうですね…。(フルフルフル…)」

 

日比「実はこの先端のトゲトゲは相手に取られない様にする為なんです。

殺傷能力は低かったようですよ。」

 

 

そ…そうだったんですか!?

では江戸時代の警察組織ってどうなっていたんでしょう??

 

 

日比「奉行所が警察と裁きの両方を兼ねていました。

よくドラマ等で出てくる岡っ引きは、与力や同心が探りを入れる為に私的に雇っていたんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日比「“見懲らし”という罰があるんですけど、

これは打ち首になる前に、地面に穴を掘って顔だけ晒されるという刑罰です。

親を殺したなど非常に重い罪を犯した者に科せられる刑です。

見せしめという側面と組織の権力を示す為だったとも考えられています。」

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそして話は中世ヨーロッパの刑罰道具へ。

ギロチンが人道的な処刑道具だった…とか、医師が発明した…とか、

それだけでも「へぇ~」が沢山詰まっていたのですが、

何よりKIKI-TABI一行がある意味ホッとしたのがコレです。

 

 

 

 

 

 

 

 

おぉ…見た目のインパクトが凄まじい…。

人型をした鋼鉄の棺とでも言いましょうか。

しかも内部に向けて鉄の針が無数に付いている。

どうですか、皆さん?中世が生んだ残虐な処刑道具、それが「鉄の処女」!

…そう思ってますよね?えぇ、えぇ、そうですよね?

中には「魔女狩りに使ったんだよね!?」とか「処女をこれで処刑したんでしょ!?」とか、

なんだか話に尾ひれが付いた状態で認識している方も多いでしょう。

僕もそうでした。

 

 

日比「実はこの鉄の処女、処刑道具では無かったようなんです。

現存する鉄の処女自体が18世紀以降に複製されたもののみで、

実際に中世で使用されていた物は存在しないんです。」

 

井門P「じゃ、じゃ、じゃあ、この鉄の棘は…?」

 

日比「後から付けられた物という事になります。」

 

井門P「だとするとこの道具は何のために使われていたんでしょう?」

 

日比「元々は木製だったと言われています。勿論中には棘もありません。

一種の辱めを与える為の刑罰道具だったと言われているんです。」

 

河合「良かったぁ~~。なんか、ホッとしたぁ~~。

 

 

いや、河合さんの気持ちはよ~~く分かります。

こんな道具が使われていた事実がもしあるとすれば、それは恐ろしい事。

実際は想像の域を出ないという事を改めて知り、僕もホッとしました。

 

 

大学が研究の為に揃えた資料の数々、それが展示されたここは、はまさに智の殿堂。

年間入館者数は約7万人ですが、常設展示は入館無料ですからね。

ほらほら明治の学生諸君!今すぐ足を運びなさい!(先輩風びゅーん)

 

 

 

 

 

 

 

 

同じくアカデミーコモン内には明治の大先輩の記念館があります。

それが阿久悠記念館

20世紀を代表する大作詞家、阿久悠先生もまた明大OBなんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

村松「意外と知られていないんですよね。

ここにいらっしゃって初めて知る方も少なくないんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

明治大学史資料センターの村松玄太さんに館内を御案内頂きました。

(村松さんも明大OB)

館内は著作権の関係で映像が撮影出来なかったのですが、見所満載。

館内は1~7のコーナーに分かれ、阿久悠先生の足跡を辿れる様になっています。

こちらの記念館は阿久悠先生の御遺族からの、

先生が亡くなられた後、母校に全ての資料を寄贈したいとの意向で作られました。

ですからレコ大の盾もしっかりと展示されていますし、

入口には先生が手掛けたシングル(LP)のジャケットがずらっと並びます。

飾られた99点のジャケットも定期的に入れ替えがあるそうで、

それもそのはず、生前に先生が手掛けた楽曲は5000と言います。

 

 

村松「同時に様々な楽曲を生みだしていたんですよね。

演歌、歌謡曲、ポップス、プロ野球の応援歌まで。」

 

井門P「それだけじゃなくて、他にも執筆活動も精力的にこなされていたんですね?」

 

村松「そうなんですよ、意外に知られていないんですが、

直木賞候補にも3度挙げられているんです。」

 

 

1937年淡路島で生まれた阿久悠先生。

18歳で明治大学文学部に入学します。

教員志望だったそうですが、教職員に空きが出ず広告代理店へと入社。

放送作家のアルバイトをしながら、29歳で本格的に放送作家の道へと進まれます。

そして1971年、「また逢う日まで」で第13回日本レコード大賞を受賞。

2007年でお亡くなりになるまで、阿久先生の音楽業界での功績は図り知れません。

 

 

村松「館内には伊豆の宇佐美にあった御自宅の作業部屋を再現した場所があるんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

広さは4畳半。書棚の本も、机周りもかなり整頓されてます。

阿久先生は几帳面な方だったらしいですね。

例えば広告を切り取って集めてスクラップにして、創作のヒントにされていたとか。

 

 

村松「小林亜星さんは最初に阿久悠先生にお会いした時に、

最初は怖い人だと思った…なんて仰っていますが、実際はとても優しい人だったそうです。」

 

 

うん、それは何となく分かる気がします。

以前岩崎宏美さんから聴いたエピソードも本当に優しいものでしたし。

生涯で6800万枚もの売り上げを記録した大作詞家、阿久悠先生。

そんな阿久先生の大学時代も垣間見る事が出来る記念館に、ぜひ足を運んでみてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、御茶ノ水と言えば学生街である事は間違いないのですが、

同時に世界的にも有名なある物の街でもあるんです。それは…楽器!

明大通りを挟むように沢山の楽器店が並ぶ御茶ノ水。

中古ギターや金管楽器の専門店、バイオリンやピアノ、ウクレレ専門店などなど、

通りを歩けば様々な楽器の音が聞こえてくるのも、この街の特徴。

そんな中にあってとても興味深い楽器の専門店が谷口楽器です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

河津「はい、ウチはレフティギター(左利き用ギター)専門店です。」

 

そう!そうなんです!全国的にも珍しいレフティギター専門店が谷口楽器さん。

約15年前から置き始め、10年前に専門店になったそうですが、当初は色々と大変だったとか。

 

 

河津「始めは特徴を出すために打ち出したんですけど、

左利き用のギターって受注生産なので大量に注文しないとメーカーが作ってくれないんです。

最初はメーカーから50本くらい借りて、売り出しましたね。」

 

井門P「という事は、何が珍しいとかではなく、

“これの左利き用があるんだっ!!”みたいな感じなんですかね?」

 

河津「そうですね~。」

 

 

 

 

 

 

 

 

お話しは河津伸彦さん

いかにも“ギター弾きますよ!”という感じの方。

という事はお店のスタッフは皆さん左利きで?

 

 

河津「いいえ?

 

 

-(ノ゚Д゚)八(゚Д゚ )ノイエーイ

って違うの!?みんな左利きじゃないの!?

 

 

河津「4人いますけど、1人だけ左利きです(笑)

昔はレフティ専門店ではなかったもので…。」

 

 

あ、安心してください!商品知識と品揃えは屈指ですので!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

谷口楽器はレフティギターだけではなく、

4階に上がるとアコーディオンとハーモニカが並びます。

元々は1937年に「アコーディオン・ハーモニカ専門店」として創業したのがその成り立ち。

岩田浩さんにお話しを伺いながら、アコーディオンの音色も聴かせて頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岩田「アコーディオンは値段によってやっぱり音色が違います。

10万円以下の物もありますが、大体50万円以上の物が中心です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

鍵盤式とボタン式の物があり、僕もコンサーティーナという6角形の楽器を鳴らしてみましたが、

慣れるまでが大変そうだけど、かなり面白い!!

最近は外国人観光客も多いようで、アコーディオンは大きいからそうでもないにしても、

コンサーティーナやハーモニカ等は買われていく方も多いみたいです。

岩田さんの奏でる音色に聴き惚れながら、一行は谷口楽器を後に。

 

 

 

 

 

 

 

 

河合「井門さん、学生時代によく通ったお店はどこですか?」

 

井門P「カレーだったらエチオピアでしょ…。

あと洋食のキッチンカロリー!!ジャンボ鉄板焼きよく食べたなぁ…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

明大生ならずとも、御茶ノ水の学生なら一度は行った事があるはず。

明治大学リバティタワーのお隣にあって、学生のお腹を満たし続ける洋食屋さん。

それが…キッチンカロリー!!

 

 

ちょっとレトロな店構えに、ガラスケースのサンプル達。

店の前を通ると香ばしい匂いについつい歩く速度を緩めてしまう。

それが…キッチンカロリー!!

 

 

エチオピアと共に学生が食べるにはちょっとだけハードルが上がるが、

しかしそのハードルを越えてここで食べられた時の多幸感たるや…。

それが…キッチンカロリー!!

 

 

――ここの脂にまみれたい…。

と何万人もの大学生に思わしめたこちらを、今回取材させて頂きました!

お話しを伺ったのは…おぉ…僕が通ってた頃の、あのおじさん(失礼)じゃないか!

 

 

 

 

 

 

 

 

腹から響く大きな声、でも優しい瞳。

僕が大学生の頃、カロリーと言えばこの方でした。

そしてこの方こそ、キッチンカロリーの2代目、江本篤哉さんなのです。

 

 

江本「よく声の事は言われるんですよ(笑)

友達なんて、三省堂の角を曲がったら江本の声が聞こえた…なんてね。」

 

 

小さい頃から大学まで能の謡をやられていたそうで、

この声の大きさにはそんな秘密がありました。

え?あぁ、分かってます、分かってますとも。

何しろお店の名前でしょ?(笑)

キッチンカロリーって名前はインパクトあり過ぎますもんね~!

 

 

江本「お店自体は63年目で、店は先代が始めました。

最初はそこの三省堂の横に店を構えたんです。ここは昔、帽子屋さんだった場所で。

昭和20年~30年代は大学生がまだ学生帽をかぶっていたでしょ?

帽子屋さんも繁盛していたんだけど、段々と学生帽をかぶらなくなって。

で、帽子屋さんの店跡にお店を移転してきたんです。」

 

井門P「キッチンカロリーってのは衝撃的な名前ですよね(笑)」

 

江本「オープンが昭和28年なんだけど、

先代の想いが込められているんですよ。当時は終戦してから8年。

お肉のある食事ってのが特別で、カロリーのある食事が夢!

お腹一杯食べてもらおうと、この名前にしたそうです。

それにこの名前だと一発で名前を覚えちゃうでしょ?」

 

 

そんなお店の看板メニューが「カロリー焼き」です。

 

 

江本「健康志向の世の中で“カロリー”だからね(笑)

女の子は嫌がっちゃうね。」

 

 

でもこのカロリー焼きが物凄く、物凄く美味しいんだ。

屋号が付いたこの名物料理は豚肉の薄切りと玉ネギをニンニク、白ワイン、醤油で味付けしたもの。

熱々の鉄板の上に炒めたパスタが乗って、その上にカロリー焼きをどーんと!

 

 

江本「この玉ネギもさ、有機肥料。無農薬で育てた玉ネギ。

ニンニクも国産、醤油だってワインだって物凄くこだわってるんですよ。

安くしようと思えば、大手メーカーの醤油で良いし、ワインだって安くても良い。

でもそうしちゃうと、この味が絶対に出せないんですよ!」

 

井門P「僕は学生時代、ジャンボ鉄板焼きが大好きでそればっかり食べてました。

お腹に余裕がある時はカツジャンボね(笑)」

 

 

ジャンボ鉄板焼きはカロリー焼きにハンバーグとクリームコロッケが付いて890円。

カツジャンボは大きなカツレツが乗って890円。

ここにライスと豚汁がついてくるんだけど、学生時代はご飯は当然大盛り。

振り返ってみると、若かったんだなぁ…胃袋が(笑)

 

 

江本「皆さんそう仰いますよ(笑)

卒業してからまたお店に来てくれる方も多いんですけど、

皆仰いますね“若い頃は食べられたのに…”って。」

 

井門P「あの時の味を頂いてもよろしいですか?」

 

江本「はい、ジャンボ鉄板焼きね!」

 

 

江本さんの声がお店に響くと、学生時代にタイムスリップしたかのようだ。

確か卒業式の日もカロリーで友達とランチを食べた。

卒業生の為の特別メニューが一日だけ出るんだよね。

懐かしいあの日を思い出しながら、ジャンボ鉄板焼きを待つ。

お店の雰囲気はあの頃のまま。

――あぁ、あの席に座ってサークルの仲間と飯食ったっけなぁ。

――ゼミのあいつは今頃何やってんだろうなぁ。

 

 

江本「はい!お待たせしました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

気をつけて!夜中にこの旅日記を読んでいる人は、特に気をつけて!

これぞ飯テロ!まごうことなき飯テロです!

鉄板から上がってくる香りも、美味しそうな見た目も、あの頃のまま。

早速ひと口いっただっきまーす!!

 

 

井門P「旨いっ!!すぐ旨いっ!!

間違いないっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

夢中で食べる僕に、まるで学生を見つめる様に優しく微笑む江本さん。

 

 

江本「卒業式のランチ、あれは1日だけの限定なんですよね。ビールまで付けちゃう。

卒業式の日はね、例え10人だろうが15人だろうが、

同じグループだったら同じ席にしてあげるんだ。

だって学生時代最後のランチカロリーにしてくれたんだもん。

こっちからしたら、それだけでも鳥肌が立つくらい嬉しいんだよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

今ではおじいちゃんが明大に入学する孫にカロリーを勧めるんだそうだ(笑)

63年目だもの、そうなりますよね。

 

 

江本「ウチがあるのは学生の皆さんのお陰です!」

 

 

きっぱりそう言いきる江本さん、なんだかとても格好良かった。

学生時代に通った味は、今も変わらずあり続けました。

どうか僕の息子が大きくなるまで、ここで変わらず味を守り続けてください!

もしも息子が同じ大学に入ったら、カロリーの味を勧めておきますから(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

カロリーを出て、この旅もあと少し。

小川町へ向けて歩き出した一行だったが、この方のテンションが高い。

 

 

河合「ほらほら、天気はそんなに良くないけど、

雨降らなかったでしょう~~!?」

 

テツヤ「いや、本当っスね!凄いっす!」

 

井門P「天気だけが心配だったんだけど、大丈夫みたいですね!」

 

仏「あっ!デモだ!!

*説明しよう!河合さんがロケに出て雨の力を封じ込めた場合、

その反動で、ロケの天敵“デモ”に遭遇する事があるのだ!!

 

 

――ここで過去の永田町編の旅日記をご覧ください。

 

 

さて取材日。
今回の作家さんは『雨雲をペットにする』あの人、
そう、お馴染の構成作家:河合さんでございます。
メンバーはD:永尾さん、作家:河合さん、カメラ:テツヤ、旅人:井門Pなのですが、
河合さん以外は当日になるまでハラハラしっぱなし。
みんなの脳裏によぎるのは、
――国会議事堂に雷でも落ちるんじゃ…。
――国会図書館が暴風雨にやられてしまうんじゃ…。


ところが、ところがです、ロケ当日は奇跡的春の陽気!!
あまりの天気の良さに、井門Pは鼻歌交じりで半蔵門から歩いて向かったほどなんだから。
(半蔵門から永田町まで徒歩10分程度)
「こりゃ、現場に着いたら河合さんを労わないと。」そんな事を考えながらテクテク。
(中略)
勿論この辺りは普段から警察官の数が多いんですけど…はて?今日は格段に多い気がする。
と、何やら遠くで拡声器の音が…。

 

 

――○○~反対~!!
――○○は~○○を許すな~!!
――○○の~○○は~××で~○○~!!
――○×~!!

 

 

そうなのです、天気は快晴、最高のロケ日和と油断していたら…。


まさかの、デモ。
*説明しようっ!我々の様な外ロケ取材班の天敵は、
デモや街頭演説などの「思想がたっぷり詰まった音」なのだ!

 

「むむぅ…」と頭を抱えながらデモの隣を通り過ぎると、
遠くには無邪気な笑顔で元気いっぱい手を振る河合さんの姿。まるで女子マネージャーの如し!

 

 

河合「おはようございますぅ~!いやぁ、天気は最高ですねっ!」

 

井門「でも、デモですね・・・。」

 

テツヤ「デモですね・・・。」

 

河合「でも、晴れたでしょう?(^^)」

 

井門「もう、河合さんは雨女じゃないです。」

 

テツヤ「デモ女ですね、へへへ(ボソッ)

 

 

――――――――――――――――――――――――――「永田町編」の旅日記より抜粋

 

 

そんなこんなで再びデモと遭遇しながらも、テクテクと小川町までぶらり。

靖国通りは右も左もスポーツ用品店が軒を連ねる。

 

 

 

 

 

 

 

 

学生時代に歩いた町並みは、少しだけ様変わりしたけれど、

この街を歩く学生の表情はあまり変わらない気がする。

きっと大小様々な夢を背負い、日々を悩みながらも歩いているんだろうなと思う。

最後は後輩達へのメッセージだ。

 

念ずれば花開く、

だったら誰よりも綺麗な花を咲かそうぜ!

 

あの日の自分に今の学生の姿を重ねながら、

そんな事を想った井門Pだったとさ。

奇しくも自分のルーツを追った2週でしたが、たまにはそんな旅も良いのかなって。

今の自分を作った場所へ、感謝を込めながら。