アートを楽しめ! 青森市内めぐり|旅人:井門宗之

2016-04-22

 

中学の時、美術の評価は「2」でした。

なんと言いましょうか、私の前衛的な作風に義務教育の枠組みが馴染まなかった、と。

まぁ、そういう訳でございますなぁ(絶対に違う)。

高校に入り美術と音楽は選択科目になりまして、迷わず音楽に行きました。

それから自分で何かを描いたり、何かを作ったりって事が少なくなっていったなぁ。

むしろ音楽に夢中になっていき、音楽こそわが命みた…(ゴンッ!!!←そろそろだとは思っていた。

 

はいはい、井門Pですよっと。

母親は道立近代美術館でボランティア解説員を務めていた事もありますよっと。

海外や国内旅行では、必ず美術館に立ち寄るほど美術好きですよっと。

 

という訳で今回は「アートを楽しめ!青森市内めぐり」と題して旅をしていきます。

前回が北海道新幹線開業に湧く青森、でしたけど、

今回はその青森で「アートを楽しんじゃおう!」という訳です。

青森県と言えば、数多くのアーティストや作家を輩出した土地。

ぱっと思いつくだけでも太宰治、寺山修二、棟方志功、奈良美智、ナンシー関…などなど。

更には青森市内にも数多くの美術館、資料館、博物館があり、

市内ではいつだって一流のアートに触れる事が出来る訳ですな。

今回のメンバー、どの顔を見ても「アート顔」!!

ゴルちゃんは前衛アートっぽいし、カメラマンの橋本君はツルンとした弥生土器っぽい。

作家の親分に関しては中国の神様って感じもしないでもない。

このアートな面々でまず向かったのが、天才・棟方志功の功績を展示する、

棟方志功記念館であります。

 

 

 


 

 

 


昭和50年に開館したこちらの施設は棟方氏本人の意向により、

「限られたスペースで作品をじっくり見て欲しい」をしっかり体現している展示室があり、

入口には生前の棟方志功を記録したドキュメンタリー映像が流れています。

そんなに広くないスペースですので、展示室の入口で作品を見ていると、

映像から棟方先生の声が聞こえてくるのが面白い。

まるで御本人のアトリエにお邪魔したかの様な錯覚に陥ります。

こちらでお話しをお伺いしたのは館長補佐の武田公平さん

物腰も柔らかく棟方志功という人について様々な事を教えてくださいました。

 

 

 


 

 

 

 

 

武田「棟方先生は子供の頃、空を飛んでいる飛行機を追っかけて転んでしまったんです。

ただその転んだ先に白い花が咲いていた。

その美しさに魅せられた事が、御自身が画家を目指した原点かもしれないと仰ってますね。」

 

 

このエピソードである。

天才の「内から溢れる衝動」はこういったきっかけがなくっちゃ。

えっ!?井門がDJを目指したきっかけ?

ん~、中学校の国語の先生に「井門、声が良いな!」と言われた事?(普通か)

 

 

棟方志功と言えば「版画」のイメージが強いかもしれないけど、

そもそもは画家を目指した所から始まっている。

 

 

武田「しかし、油絵はそもそも西洋の物。

西洋人には敵わないのでは…と思い至るんですね。

じゃあ、日本には何があるだろう?そうだ、日本には浮世絵がある。

日本人なら版画なのではないだろうか?…と、こうして版画の道に進むんです。

ただ本当は棟方先生は眼が悪かったので、西洋画にはデッサンが必要ですから、

それが出来ないという事で、御本人にとっては挫折だったのかもしれませんね…。」

 

 

館内には棟方志功が魅せられた「ゴッホのひまわり」に影響されたひまわりの油絵が並ぶ。

棟方志功という人は、生涯をかけてゴッホになろうとした人なのかもしれない。

そう、あの有名な言葉…わだば、ゴッホになる。…であります。

 

 

展示室にかけられた年譜の最後には棟方志功の墓についての記載があるのだが、

その墓はゴッホの墓に模した物を建てたそうですよ。

やはり生涯、いや、死してなおゴッホが心にあったという事なのかもしれません。

 

外の映像ではゴッホの画集を食い入る様に眺める棟方先生の映像も流れていた。

 

 

棟方「(ゴッホの自画像を眺めながら)ゴッホはねぇ~、こういうねぇ、悲しい目をしているんだ。

僕の父親にそっくりなんですよねぇ~、こういう悲しい目をしていてねぇ~…。」

 

 

言葉からも制作現場の映像からも、

“語る”のではなく“自らと対話”する様に見える棟方志功。

まさに湧いてくるエネルギーを、自らの内に溜め込んで一気に爆発させる人なのだ。

その姿は先日諏訪でそのエピソードを聞いた、岡本太郎氏に似ている。

 

 

橋本「いや、この作品を観ていたら、確実に内面を爆発させて創作していますよね…。」

 

井門「こんな魂を剥き出しにした作品は、フェイクじゃ作れないよ。」

 

 

すっかり初っ端から巨人の凄まじさに魂を吸い取られた一行()

武田さん、貴重なお話し有り難うございました!

 

 

 


 

 

 

 

井門P「興が乗るとゴルッチはぴ~やぴ~や言いながら編集を始めるのだ!」

 

ゴル「ここのねぇ、編集点をねぇ、こうやってねぇ、ぴ~やぴ~やしてねぇ…。」

 

井門P「キャッキャッキャッ」

 

ゴル「キャッキャッキャッ」

 

 

という謎のドキュメンタリー映像ごっこで、館を出てからしばらく盛り上がった一行。

とにもかくにも棟方志功先生の個性の凄まじさは、筆舌に尽くしがたい。

映像や作品を見ただけでそう思ってしまうのだから、

実際間近で創作風景を見たとしたら一体どうなってしまうのだろう…。

物凄い芸術家とは、物凄いエネルギーを放っているのだと思うが、

そのエネルギー自体が人を動かす力になってしまうのだ。

そして、棟方志功自身を動かした天才のエネルギーはきっと、ゴッホだったのだと思う。

さぁ、次の俺達を突き動かすエネルギーは何だ!?

 

 

親分「井門君には芸術的な“丼”を作ってもらおうかな?」

 

井門「ん??どういう事ですか??」

 

 

という事で訪れたのは青森魚菜センターであります。

 

 

 


 

 

 


実は5年前のYAJIKITA時代、工藤さんが旅人でここを訪れています。

市場に並ぶ好きな具材を選んで、丼によそったご飯の上に乗っける…、

のっけ丼が名物の市場がこちら!

はいはいはい、工藤さんの当時の旅日記を拝見しましたよ。

なるほど、工藤さんは当時「丼で青森らしさを表現する!」がテーマだったんですね。

えぇ、えぇ、おっ!写真のゴルちゃんも若いじゃないの!5年前でも随分変わるねぇ…。

ほほぅ、ねぶた漬なんかものっけちゃって、はいはいそうね、そうくるのね。

 

 

…。

……。

………。

…………やべぇ。

 

 

おらぁ、空腹に身を任せ、青森らしさとか全然考えてなかったYO

だってどのお店も美味しそうな具材だらけなんですもの!

まずはチケットカウンターで10枚綴り(1,080円)のチケットを買うでしょ、

んで1枚チケットを使って丼にほかほかの白米をのっけて貰ったら、

後は市場を気の向くままに進むのよ!

 

 

 


 

 

 


折角だから今回は井門Pだけじゃなく、ゴルちゃんと橋本君、それに親分ものっけ丼!

井門Pが作ったのっけ丼の内訳は、

大ぶりのサーモンとブリ、トビッコ、ぼたん海老、コッコ付の帆立、大間のマグロのトロ!

これだけのっけて1,080円ですもの!!これはかなりお得感がありますよ!

 

 

 


 

 

 

 

しかしアレですな、我がKIKI-TABI一行は皆、王道を攻めていきますな。

井門もそうですけど、ゴルちゃんも見栄えのする王道海鮮丼だし、

橋本君もかなり真ん中を進む海鮮丼で、勿論、最年長の親分も…、ん??

えっと…親分、その海鮮丼の中身は??

 

 

親分「俺はね、井門君がレポートで回っている時に、

目を付けておいたんだよ、色々と。ほら、シャコに子持ち昆布に…。」

 

 

こうして出来た親分ののっけ丼は、なんと言うか…丼界枯山水

我々の丼が色とりどりの花束だとしたら、親分のそれは観葉植物

そこには既に宇宙があり、禅の境地なのである。そう、この丼はZENなのだ!

 

 

 


 

 

 


全員から「酒のつまみじゃねぇか!」と突っ込みを受けながら、

その丼を頬張る姿はとても幸せそうで、なんならその笑顔がアートじゃねぇかと思ったくらい。

実はもう一つ5枚綴りのチケットを購入し、それぞれが1枚ずつ使ってお味噌汁まで堪能。

取材したのは12時にならない時間帯でしたが、市場の中は観光客でかなり賑わってました。

それぞれのお店の方との会話も楽しく、新鮮な魚介を眺めていると、

“あぁ、青森にやってきたんだなぁ”という旅情も増します。

 

 

親分「次は縄文時代の遺跡へ向かうよ。」

 

井門P「キターーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

 

 

何を隠そう、井門Pは無類の縄文好き。(初めて聞いた)

これまでも日本各地に残る縄文遺跡を取材してきたが、

結論から言って、日本の長い歴史の中で最も面白そうなのが縄文時代なのだ。

だってそりゃそうですよ、紙の資料も残っていなくて、

出てくるのはたまに土器や土偶ばかり。出土する物から想像するしかないんですよ!

これぞ男のロマンじゃないですか!?

しかもここ青森には日本最大の縄文集落:三内丸山遺跡があるのです!

 

三内丸山遺跡保存活用推進室の文化財保護主査である、

岩田安之さんにお話しをお伺いしました。

 

 

 


 

 

 


岩田「三内丸山遺跡はおよそ5500年前~4000年前の縄文集落です。

館内には遺跡から出土した物を展示するミュージアムなどもありますよ!」

 

 

もう館内に入った瞬間から縄文の風が流れている…。

至る所に縄文時代を想起させるオブジェが並び、気分は既に縄文人。

きっと皆さんの脳内でも【狩りから稲作へ】が流れている事だろうと思う。

何故にここまで縄文時代に魅せられたかと言えば、

やはりこの時代が継続した長さに他ならない。

縄文時代の初期から晩期まで、およそ1万2千年も続いたのであります。

これだけ長く続いた時代というのは、日本の歴史上無いわけで。

それだけ縄文時代は完成された時代だったと言っても過言ではないわけです。

流石は日本最大級の縄文遺跡という事もあって、ミュージアムには多彩な出土品が!

 

 

 


 

 

 


はっきり言って時間が足りない

岩田さんの軽妙な語り口から出てくる縄文あれこれがまた面白くて…。

はっきり言いましょう、時間がいくらあっても足りない!!

 

館内だけでも時間が足りないのだから、外に出て集落の遺跡なんかを見た日にゃ、あなた…。

 

 

 


 

 

 


中でも象徴的な物が復元された6本柱建物(大型掘立柱建物)。

 

 

 


 

 

 


これは実際にこの大きさの柱が埋まっていた跡が発見され、

その土の穴の深さや大きさから、当時どれ位の大きさの柱が建っていたのか計算し、

復元して柱を表に建てた物なのだ!!って…なんとなくニュアンスは伝わりますか???

これは本当に凄いことなんです、だってここは5500年前~4000年前の遺跡群。

その当時にこれだけの大きさの建物を作る事が出来た、その技術があったってことですから。

 

 

岩田「ただこの建物も、一体なんの為に作られた物かは分からないんです…。」

 

井門P「柱を建てるって事は神様と近くなるって事にリンクすると聞いた事がありますが。」

 

岩田「諏訪の御柱祭もそうでしたよね。

ただこれを見て皆さん仰るのは、出雲の神殿の話なんです。」

 

井門P「確かにこの大きさの柱を建てる事が出来るのなら…って思いますよね。

であればやはり、この建物自体も神様との関係性が…。」

 

岩田「そうですね、もしかしたら集落の呪術を司る人間の為に建てられたものかもしれません。」

 

 

この柱跡が発見された時は新聞の一面に載ったそうだ。

岩田さん曰く「当時は縄文フィーバーだった」ようで()

でもそれこそ今この瞬間だって、縄文研究をひっくり返すような新たな何かが出てくるかも?

想像の域を出なかった出土品の使用方法が、ひょんな事から分かる事だってあるのだ。

 

 

井門P「岩田さん、あの大きな建物は…なんですか?」

 

岩田「あれは大型の竪穴式住居です。」

 

井門P「えぇぇぇえぇぇええええええ!!!!!!

あんなに大きな竪穴式住居ってあるんですか!?」

 

岩田「あれも復元ではありますが、長さ32mで幅が10mほどもあるんですよ!」

 

 

 


 

 

 

 

岩田「ここはもう個人の住まいという訳では無かったでしょうけど、

それこそ集まって何かをするとか、そういう集会所の様な場所だったと考えられます。」

 

井門P「これだけの広さと高さがある竪穴式住居なんて初めて見ました!」

 

岩田「縄文のこの時代、実はお酒の様なものも飲んでいたのではないか?と言われております。

この場所で人が集まって、お酒を飲みながら…なんて事もあったかも知れませんね()

 

井門P「良いなぁ…縄文人楽しそう()

 

 

以前、奥松島の縄文村歴史資料館を取材した時に聞いたのが、

“縄文時代には争いは無かった”という衝撃的な言葉だったが、

だからこそ縄文時代が1万2千年以上も続いたと言えるわけで。

食生活も集団生活も、法律なんかは無いけど秩序があり、

自然と共に共生していた大いなる時代が縄文時代なのであります。

もしも、もしもですよ、縄文人が今の現代人を見たとしたら何を感じるだろう?

そんな風にもちょっとだけ思うのです。

この縄文時代を研究し続ける岩田さんは、最後にこんな事を仰った。

 

 

岩田「自然と共生して、まさに持続可能な社会ですよね。

これからも研究していきたいです。」

 

 

ある日、突然、何かのタイミングでピースが嵌まるパズルの様に、

今は断片的な絵も、いつか大きな額縁に掛けられる絵に変わる事もある。

そうしていくのが研究であり、そうなるのが研究者の夢なのかもしれない。

岩田さん、またプライベートで来ますので、新たな成果を期待しています!

 

 

 


 

 

 

 

青森市内でアートを楽しむ旅も、いよいよ最後の地点。

青森県内の中でも新しく2006年に開館し、今年の3月にリニューアルした、

青森県立美術館

 

 

 


 

 

 


僕は2度目の訪問なのだけど、モダンな外観は近未来を彷彿させ、何かワクワク感を覚える。

そのワクワク感は館内に入ると更に増す仕組みになっていて、

展示ブースまでエレベーターで降りていく仕組みなのだ。

こちらの高橋しげみさんにお話しを伺いながら、館内を御案内頂きました。

 

 

高橋「ここの設計は三内丸山遺跡の発掘現場を意識しているんです。

エレベーターで降りて発掘現場に行くイメージですね。

縄文からの精神風土を大切に、三内丸山遺跡であれば出土品との出会いがあって、

こちらの美術館ではアートとの出会いがあるんです。」

 

 

その中でも青森という土地に根差したアーティストの作品を多く展示する。

特徴的なのは、奈良美智さんの作品だろう。

 

 

 


 

 

 

 

 

リニューアルして展示作品も少し変わったが、

こちらの美術館を象徴する物の一つと言っても過言ではない、

あおもり犬は健在でございました()

 

 

 

 

 

 


その他にもアレコホールに掛けられているシャガールの絵は圧巻です。

1942年にシャガールが手掛けたバレエ「アレコ」の背景画ですが、

その大きさが縦約9m、横約15mという、日本にあるシャガールの作品としては最大の物です。

このホールに立って、この巨大なシャガールの作品を眺めているだけでも、時間を忘れてしまう。

偉大な芸術家の残した作品というのは、それだけでもパワーがあるのだけど、

長い年月を掛けて人の目に触れてきた事によって、より神聖さが増す様な気がするのです。

人の目によって、作品は完成する…というか。

 

青森県立美術館もゆっくりとアートに触れていたい空間。

奈良さんの初期の作品やポートレートなども展示してあって、

奈良美智ファンならずとも、青森に遊びに行った際はぜひ訪れて欲しい場所です!

 

 


 


 

 

 

 

冬になると雪も多く降り、寒さが厳しさを増す青森。

だからこそ人は外での活動ではなく、内に秘めた自らとの時間と向き合うのかもしれない。

そしてそんな作業が、この土地に芸術家や作家を多く輩出した要因になったのかもしれない。

冬は内に力を溜め込みながら己と向き合い、夏は祭りでエネルギーを外へ向け放つ。

そしてそんな作用の一端が、アートとして具現化されたのかもしれない。

青森県にはアートがそこかしこに広がっている。

 

しかし実は全てのアートは縄文時代の遺跡にも繋がっているのだ!

どうだ、この壮大なスケール感!!()

青森でアートを楽しんだ旅は、

終わってみれば青森のスケールの大きさに改めて気付かされた旅でした!

今度は夏の祭りの時期にも来てみたいなぁ…。その時を楽しみに!