偉人伝シリーズ!太宰治の素顔を探す旅!|旅人:村田綾

2016-05-26

 

普段から、出掛ける時は駅ナカにある書店で文庫本を買うのが好きなので
いつも、鞄の中に一冊の文庫本が入っている♪
旅人の村田綾です!

 

 

 

 

 

 

 

 

自宅には、本棚いっぱいに文庫本が置かれていて
何度読んでも面白い作品もあるから、たまに読み返したくなるんだけど!
なかなか本棚から見つからず…
また本屋さんへ。
それの繰り返し。
その為、同じタイトルの物もチラホラ。


映画化されるような新しい作品も好きだけど!
やっぱり面白いのは、今は亡き有名な作家さんの作品です。

昔から、お勉強は苦手だったけど…
唯一!国語の授業が自習になった時の読書の時間が大好きだった私が、
「偉人伝シリーズ!太宰治の素顔を探す旅!」に行ってきました。

太宰治と言えば!

私も大好きな【走れメロス】【人間失格】等の素晴らしい作品を生み出し、

今でも受け継がれている作家。

お顔もイケメンだし!

作品はもちろん!どんな方だったかの非常に気になるところ…

 

 

 

 

 

 

まず最初に訪れたのは、東京は三鷹市にあるJR三鷹駅

元々、太宰治は青森県北津軽郡出身なので、青森のイメージが強いけど…
29歳の時にお見合い結婚をしてから!
30歳の9月に三鷹に引っ越しをしているんです。

疎開した時期を除いて、およそ7年半は三鷹で過ごし、39歳の時に玉川上水で入水。
そんな三鷹の街には、今でも!太宰治が生活をしていた場所や思い出が、地元の方々の手によって残されています。

と言っても…

私が想像する、太宰治の勝手なイメージと言えば…
いつも難しい顔をしていて、取っつきにくそうで、お酒が大好きで女好き…

恋愛体質だけど暗い性格。

えっ?

イメージが酷すぎますか!?(笑)

まぁ、だけど…

一緒にロケに行った作家の河合さんは、太宰治が好き過ぎて
ダメな部分とか、かまってちゃんなとことか「そ~ゆ~とこも好き!全部カッコイイ!」と大興奮していたので!
今でも、女性に人気があるのは確か。

ディレクターの永尾さんとカメラマンの橋本くんに至っては…

そんな河合さんに「ねぇ、どこが?」と明らかに温度差の違う雰囲気。

 

と言う事で…

この旅では、そんな太宰治のネガティブなイメージから…
本当の素顔を探るべく!
三鷹の街を巡ってみました。


三鷹駅から向かったのは…

4分ほど歩いた、住宅街にある「太宰治文学サロン」

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰治文学サロンは、平成20年に歿後60年と翌年の生誕100年を記念してオープン!
実はサロンが立っている場所は、太宰治の【十二月八日】に登場する伊勢元酒店の跡地なんです。
しかも、作品に登場するだけではなく、普段から太宰治が通っていたと言うから驚き!
やっぱり、お酒は好きだったんだな…うん。うん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

館内には、太宰治の人生年表が飾られ!
生い立ちや、いつ、どんな作品を書いたのか等…
分かりやすくまとめられていました。

他にも、直筆の原稿の複製や初版本まで展示され、
作品を読むだけではわからない、太宰治の人柄に触れられたような気がします。

そんな中、お話をお伺いしたのは

「太宰治文学サロン 学芸員の吉永麻美さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

吉永さんは、館内の展示物について、とにかくわかりやすく教えてくださり♪
女子同士という事もあって、太宰治の写真を見ながら「カッコイイ」ですよねぇ。
と盛り上がりました!

中でも、館内の壁に展示してあった、三鷹の昭和22年の街の航空写真!

 

 

 

 

 

 

 

 

これに関しては、どこを住まいにしていたのか、行きつけのお店の場所や仕事部屋の位置もわかり!
本当に、この場所に住んでいたんだなぁ…と、改めて実感。
太宰治の生前の写真も、本当にカッコ良かったなぁ。

 

 

 


 

 

 

 

あの有名な!銀座のルパンで撮影された椅子に座って笑ってる写真。
素敵過ぎる~♡

そんな太宰治のゆかりの地を巡るため!
案内をお願いしたのは、

「みたか観光ガイド協会 代表 小谷野芳文さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

小谷野さんが、本当に優しかったなぁ…
太宰治についても、物凄く詳しくて!
愛をもって接してくださるから、昭和の情景も浮かびやすく!
タイムスリップしたみたいに、楽しむ事が出来ました。

そんな小谷野さんが、最初に案内してくださったのは…
中央線に架かる「三鷹跨線人道橋」

 

 

 

 

 

 

 

 

太宰治がお気に入りだった場所で、お友達や編集者の人を連れてくる事もあったとか。
マント姿で撮った写真でも知られている陸橋。

私も、同じポジション!同じポーズで記念写真を撮りましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和4年に造られてから、今もそのまま使われていて!
歴史を感じる事が出来、三鷹の街並みも見渡せる素敵な場所。

ちなみに…小谷野さんのお話によると!
この跨線橋は、外国から輸入された電車のレール(廃材)で造られていて、
よく見ると、レールに外国の名前が彫られているんです。
私達が見つけたのは「COLORADO」の文字。

 

 

 

 


読めますか?「COLORADO」の文字!

 

 

 

 

目を凝らしてみないと、見つけられないので!

跨線橋を渡る際には探してみて欲しいポイント。

 

高いビルが立ち並ぶ前の、太宰治が生活していた時代には、跨線橋から夕日が綺麗に見えたんだろうなぁ…

なんて思いながら…

続いて向かったのは「井心亭」


 

 

 

 

ここには、太宰治が実際に住んでいた自宅の庭にあった百日紅の木が植えられているんです。

 

井心亭から、道路を挟んで斜め向いには!

実際に太宰治の自宅か立っていたという敷地もあり、今は新しいご家族が住んでいますが、

 

当時は、奥様と一緒にお家から近くの道をお散歩される事もあったと、小谷野さんが教えてくれました。

奥さんと仲良しだったんだなぁ…って、住宅街を歩きながら、なんだかほっこり。

 

井心亭は、執筆をしている時とは違い!家庭での太宰治の想像を広げてくれる温かい場所でした。

 

 

 

さぁ!

その後は…

いよいよ!

執筆をしていた仕事部屋や、打ち合わせに使っていたというお店があった場所へ。

 

 

現在は、高いマンションが建っている入り口付近に「中鉢家跡」と言う看板を発見!

当時は、昔懐かしい木造2階建てのお家があって、

元々、若い女性が1人で住んでいた2階の部屋を、昼間だけ仕事場として利用していたみたいです。

 

ちなみに映画化もされた【ヴィヨンの妻】は、中鉢家で執筆されたもの。

文庫本はもちろん!映画も観た私としては…かなり興奮♪♪♪

街並みは変わってしまっているけど、ヴィヨンの妻での景色描写を思い出しながら、昭和の頃が蘇るようでした。

 

そこから、すぐ近くで見つけたのは「うなぎ若松屋跡」の看板。

 

小谷野さん曰く、仕事部屋に人をいれる事を嫌った太宰治は、編集者の方との打ち合わせを「うなぎ若松屋」でしていたそうなんです。

昔は、この辺りに品川用水が流れていて周りには屋台がズラリと並んでいたみたい!

そんなお話を聞いただけで、うなぎの匂いを思い出してお腹が空いてしまいましたが…

今は、用水も屋台も見当たらず…駐車場の入り口となり、看板も見落としてしまいそうな雰囲気でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

三鷹駅前には、太宰治がお酒を飲みに出かけていた「太宰横丁」があり!

そこには、三鷹に越してから初めて訪れたと言われている「菊屋」

そして!その近くには、亡くなる直前まで深い親交のあった「千草」と言う小料理屋さんの跡地が…。

毎晩のように遅くまで飲み歩き、お酒も強かったみたい。

やっぱり、お酒が好きだったんだね!!

私としては、酒癖が悪いイメージがあったんだけど…

それに関しては、逆で!

いつも楽しそうに、友達や仕事仲間とワイワイ過ごすのが好きだったみたいです。

 

 

家族ぐるみのお付き合いがあった「千草」のお店から、歩いて30メートル程の場所には「野川家跡」

 

ここは、太宰治が一緒に入水した山崎富栄の下宿先でもあり、最後の作品「グッド・バイ」を執筆していた場所でもあると言われているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

この場所から、2人が歩いた道を辿り…私達も玉川上水へと向かいました。

玉川上水で入水した2人が、川に落ちたと思われる場所には!

現在は、太宰治の故郷である青森県特産・金木町の玉鹿石が置かれています。

今でも、大勢の方が訪れて手を合わせていると小谷野さんが教えてくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

2人が行方不明になったのが、1948年6月13日。

紐で結ばれた2人が発見されたのは、太宰治の誕生日でもある6月19日。

身近な人にとっても、ファンの方にとっても、忘れられない日となっているんですね。

 

 

玉川上水の横を歩きながら…本当は、どんな人だったのだろうかと、私の中でいくつかの疑問も。

あまりいいイメージを持っていなかった私に、小谷野さんが驚きの情報を話してくれました。

 

太宰治は、毎日朝から午後3時まで執筆の仕事をしていて、締め切りに間に合わない!という事は無かったそうです。

仕事が終わってから飲みに出歩き、みんなとコミュニケーションを取り、お店の方々にも愛されていたと。

 

残された作品から、暗いイメージを想像されがちだけど…本当は違ったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

小谷野さんに案内されて、最後に向かったのは「禅林寺」

ここには、太宰治のお墓があり!

命日が近くなると、全国各地から大勢の方が訪れるそうです。

 

森鴎外を尊敬していた太宰治の為に、森鴎外の墓石の向かい側にお墓が作られたとの事。

 

私がお墓に行った時にも、3人組の女性の方々や男性1人、ご夫婦で来た方も墓に手を合わせていらっしゃいました。

 

私達もお線香をあげて手を合わせ…

 

今まで知らなかった太宰治の素顔を知った事もあってか、なんだか会った事がある人のお墓を訪れたような、不思議な感覚でした。

 

とっても親切に案内をしてくださった、小谷野さんとお別れをし…

向かったのは、新宿にあるお店「風紋」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

創業50年以上の歴史を持つ、このお店のママの「林聖子さん」は・・・

実は!太宰治の短編【メリイクリスマス】に登場する「シズエ子」のモデルになった方

 

 

 

 

 

 

 

 

作品のモデルになった方にお会い出来るなんて!

こんな素敵な機会が訪れるとは、本当に幸せ。

と、ドキドキしながら「風紋」の扉を開けると!!

 

出迎えてくださったのは、綺麗なお召し物が良く似合う、とっても優しい笑顔の聖子さん。

 

さっそく!聖子さんに太宰治さんと出会った時のお話から、聖子さんの前で見せる太宰治の素顔、

さらには!【メリイクリスマス】が執筆され、渡された時のお話まで!

色々とお伺いする事が出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

聖子さんから聞くお話は、どれもビックリする事ばかりで…

 

太宰治は、笑顔の絶えなかった人。

人を楽しませる事が好きだった人。

お酒を飲むのも飲ませるのも上手だった人。

 

 

「それ、本当ですか!?」と聞き返しても…

 

皆さんが想像しているようなイメージは、全くないですね。と、明るくて楽しいお話しか返って来なかったです。

 

元々、聖子さんのお母様の秋田富子さんが太宰治と仲が良かった事もあり、聖子さん自身も太宰治が入水し、遺体が発見された時は複雑な思いがあったようです。

 

聖子さんのお話から浮かび上がる太宰治は、私が思っていた人物像とは真逆で、

作品を読むと、悲惨な生活を送っていたのかなとか…悲しい事が沢山ある人生だったのかな…と思っていたけど、

本当の素顔を知る事で、驚くと共に!なんだか温かい気持ちになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、太宰治のゆかりのある場所や、実際に親交のあったら方々のお話を聞く事が出来て!

偉人の秘密を知るみたいで、とても楽しかった。

 

 

さらには親近感も湧いて、最終的にはスタッフさんと「治ちゃんはね…♡」と、言うまでになってました。

人柄を知った上で、改めて!作品を全て読み直したい。

 

 

この旅をした事で…

作家の河合さんの太宰治への愛が深くなったのと♡

永尾さんと橋本くんが、治ちゃんにかなり興味を持ってくれたみたいなので♪

皆さんにも、それが伝わるといいなぁ。

 

よ~し!

 

本棚から太宰治の作品を掻き集めよっ。