堺のライバル!?酒田湊町さんぽ with 酒田まつり|旅人:井門宗之
2016-06-04
江戸時代から途切れる事なく続くお祭りがある。
それを楽しみにする人達にとって、まさに“全て”と言っても過言ではないお祭り。
そう…、ヤマザキ春のパ(ゴンッ!!!!!!←何か硬い物が当てられた。
いててて…、気を取り直して。
400年以上も、この地の人達にとって欠かす事の出来ないお祭り。
5月に行われるそれは、この地域の人達に初夏の訪れを告げる…。
そう…、酒田まつりであります。わっしょーーーいっ!(©安田美香)
ミラクル「へへ、久しぶりに祭りの音も聴いてみたいでゲスな。へへへ。」
ミラクル氏の至極真っ当な提案を受け入れた一行は、久しぶりにお祭りの取材に伺う事に!
そのお祭りとは、江戸時代から続けられている日枝神社山王例大祭「酒田まつり」であります。
この酒田まつり、酒田市のHPを見てみると次の様に書かれています。
――庄内三大まつりのひとつ。上下日枝神社の例大祭「山王まつり」として、慶長14年(1609年)から一度も休むことなく続いている祭で、酒田大火復興記念となった昭和54年から「酒田まつり」として開催しています。19日は宵祭り、20日の本祭りには大獅子や仔獅子、傘鉾など約50台の山車行列があります。立て山鉾も必見です。(酒田市のHPより引用)
1609年から続いている祭り!!
しかもちょうど取材日が本祭りの日と重なっている!!
ミラクル「へへへ、乗っかったでゲスよ!へへ。」
さすがこの番組に10年以上携わる生き字引、ミラクル氏。
『何かに乗っかる力』はそれこそどこかの出版社から本として出せる程である。
「乗っかる力 ミラクル吉武」
という書籍がいつか書店に並んだら是非お求めください(ないない)。
そんなこんなで本祭りが行われる5月20日に酒田市へGO!!
まずは今回の旅のメンバーを発表しよう!作家、ミラクル吉武!
ディレクター、仏の横山!カメラマン、初の地方ロケ、K!そして旅人は井門でございます。
一見すると何をしている人達かさっぱり分からない一行。
横山DのマイクとKのカメラだけが頼りだ。
今回は酒田まつりを取材しつつ、商人の町として栄えた酒田をぶらりする旅。
まずは中心部で山車や神輿のパレードを見物することに。
井門P「あら!子供たちが獅子頭を被って可愛らしい!」
仏「子供たちが着物を着ていて可愛いねぇ~!」
ミラクル「人力車にも綺麗な女性が乗ってるでゲスなぁ~!」
K「どうして吉武さんは“ちゃんまん”って呼ばれているんですか?」
井門P「おぉ!今度は勇壮なお神輿だね!」
仏「日本の夏って感じがして良いねぇ~!」
ミラクル「5月の祭りも良いもんでゲスなぁ!!」
K「だからどうして吉武さんは“ちゃんまん”って呼ば(ゴンッ!!!!!!!」
中心部は人で溢れ、パレードを見学する方の数もどんどん増えていく。
*車を停める場所がない位でした!
荒生「こんなに快晴のお祭りも、なかなか経験ありませんよ!はっはっはっ!」
そう豪快に笑うのは酒田観光物産協会の常務理事、荒生満さんだ。
荒生「もともとは日枝神社の山王例大祭として始まったんですけど、
こういった形になったのは昭和54年からになります。」
実は酒田市は昭和51年の酒田大火によって甚大な被害を受けた歴史を持つ。
昭和54年に名称を「酒田まつり」としたのは、
この祭りを大火からの復興のシンボルとしたからである。
そしてその昭和54年から始まり、今や酒田まつりに欠かせないものが…。
荒生「大きさが2mほどの獅子頭ですね!
この獅子頭の中に子供を入れて、パクっとやるんです!
えぇ、通称獅子パックンです(笑)」
ミラクル「これ、井門Pもやるんでゲスよね?」
仏「そうそう、大獅子にパクッとやられてさぁ。」
井門P「いや、だってこれ子供の為のものですよね?」
荒生「えぇ、まぁ…大人がやると、白い眼で見られるでしょうね(笑)」
ミラクル「そこを男らしく行くんだろうなぁ…。列に並ぶ子供を差し置いて、
“マスコミですっ!!”なんて言っちゃって、へへへ。」
井門P「絶対にやらないわっ!」
いやぁ…実際に目の前にするとかなりの迫力ですなぁ…。
完全に「思ってたんと違う」です(笑)
およそ2mの獅子頭の中(というか奥?)に大人が2人ほど入っていて、
獅子の顎をパカッと開けると、丁度「舌」の部分に子供が2人くらい座れるスペースがある。
そこに子供を乗せて声を合わせると「よいしょー!」の声と共に、
外にいる大人達が獅子の顎を持ち上げて口を閉じる訳です。回数にすると3回くらいかな。
子供達は何が起こったか分かりません、気付いたら獅子の口の中に入れられて、
気付いたら口がパックンパックンしている訳ですから(笑)
しかもこの獅子パックン、大人気ですので、当然行列しますわな。
すると子供達は分かるんだ、すなわち「自分がこれからどうなるのか」が…。
えぇ、えぇ、そうです、順番が近づくにつれて分かる自らの運命。
その運命を素直に受け入れる者、
受け入れられずに獅子の前で号泣する者、
なんのこっちゃ分からないくらいの赤ん坊…(笑)
快晴の酒田の空の下に響く、よいしょーの声と子供の泣き声。
いやいや、なんだかとても平和な気持ちになったのです。
あぁ、きっとウチの子だったら絶対に泣いてただろうな、とか考えたりして。
荒生「この獅子パックンは子供の健やかな成長を祈願すると共に、
酒田は大火を経験していますので、火の用心や家内安全も祈願するものなんです。」
井門P「ちなみにパレードは地域の小学校が参加していたりしますけど、
今日は平日の金曜日ですよね?学校はどうなるんですか?」
荒生「ははは(笑) 酒田市の小学校はこの日は休みですよ!」
今年は神社の神輿など、合わせて54団体がパレードに参加。
一周約2kmを周回し、集まったお客さんを楽しませた。
荒生「昔は4月の第二申の日に行われたそうです。
ちょうど農家の方の種蒔きが終わる時期ですね。
今年も露店が約350店舗出てますし、本当に賑やかですよ!」
井門P「山形は食べ物もお酒も美味しいですし、
こういったお祭りでまた地域が一つになるのは良いですよね!」
荒生「山形は空気も水も美味いです!
食べ物で言えば、庄内米が自慢です。“つや姫”は全国的なブランドですしね!」
実は取材中に振舞い酒を立て続けに3杯飲んだ、酒バカ井門P。
初夏の日差しの中で、キリっと冷えた山形の銘酒を樽から頂く幸せよ…(←バカ)
この時ばかりはバカ正直なレポートしか出来なかったよ、母ちゃん。
ごめんね、みんな…何を飲んでも「旨いっ!」しか言えなくて…。
日本酒にお米に祭り…、とは言え、酒田の夏はこれからだ!
荒生さん、お忙しい中にも関わらず本当に有り難うございました!
初夏の日差しの中、祭り囃をBGMに酒田の町をぶらり。
山居倉庫の裏の欅並木は…もう思わずカメラを向けたくなる景色。
今も現役のお米の集積倉庫であり、その風情は恐らく作られた往時のまま。
この欅並木もよく出来ていて、景観を良くする為に植えられたのでは当然なく。
夏の高温から倉庫内のお米を守る為に、日除けの意味もあって、ちゃんと機能しているのだとか。
しかし100年も前にこんなに立派なお米の倉庫が建てられていたとは…。
いやいや、もともと酒田は江戸時代、北前船が往き来する町として大変栄えた場所。
江戸時代は『西の堺に東の酒田』と並び称された程だとか。
商船に沢山の積み荷を積んだ商人たちが、この地で商売をする。
そんな積み荷の管理や、商人に食事を提供する場所として財を成したのが、旧鐙屋だ。
酒田の街並みに溶け込む江戸の情緒。
こちらでお話しを伺ったのは館長の小松麻美さんです。
小松「かつてはこういった廻船問屋が本町通りに左右100軒ほどあったそうですよ!」
井門「酒田は酒田三十六人衆が商人の代表格ですが、こちらも…?」
小松「えぇ、その筆頭格として海運を担っていたんです。」
酒田まつりの日は無料開放していた事もあり、
邸内も多くの観光客で賑わっていたのだけど、当時の鐙屋の賑わいも凄かったのだろう。
小松「井原西鶴がその評判を聞き付け、
日本永代蔵に当時の鐙屋が記されているんです。」
その部分をパネルにしたものが展示してあったのだが、
商人たちが鐙屋で商談をして食事をする様子が描かれている。
鯛の尾頭付きや刺身、お酒など、それはそれは豪華な食事が並び、
多くの使用人たちが一生懸命働く姿は当時の活気がそのまま伝わってくるかのようだ。
井門P「やはり酒田は交易の要だっただけに文化も少し違うんですか?」
小松「えぇ、料亭文化や花柳界があった事もあり、
京都の文化に似ているのかもしれません。」
井門P「言葉なんかも??」
小松「海の近くなので言葉は多少荒いんですけど(笑)
でも慣れてくると人に温かみあって良いところですよ!」
「鐙屋」という名前は1608年から続くという。
家屋自体は1845年の大火の後に再建されたものというが、建物全体の情緒が素晴らしい。
国指定の史跡でもあり、珍しい「石置杉皮茅葺屋根」を今に見る事が出来る旧鐙屋。
酒田の町歩きの際には必ず訪れたい場所であります!
続いて訪れたのは、こちらも酒田三十六人衆の筆頭格、本間家の邸宅です。
本間家旧本邸は200坪の広さに大小23の部屋を持つ。
邸内で佐藤久美さんにお話しを伺いました。
佐藤「本間家は地主、商人、金融と様々な事で財を成し、地域の発展に大変貢献されたお家です。
後にお殿様に認められ、武士の身分を授けられました。」
井門P「こちらの建物の特徴は?」
佐藤「はい、武家造りと商家造りの二つの様式で建てられているという点です。
元々こちらの建物は本間家の三代光丘が、江戸からの視察…巡見使をお迎えする為に建てたもの。
それを藩主に献上したのですが、その後、藩主から拝領されたものなんです。」
井門P「なるほど!それで武家造りの様式が必要になって来るんですね!」
佐藤「入口を入って左側が武家造り、右側が商家造りです。
こちらの建物には昭和20年まで実際に本間家が暮らしていたんですよ。」
聞けば修繕は施しながらとは言うものの、
248年前に建てられた当時のまま残っているとか!
武家造りの方は欄間の細工が細やかだったり(橋の欄干をモチーフにしていたり)。
ちゃんと南側を向いていたりするのだ。
火事が多い酒田の町にあって、しっかりと防火対策もされていた本間家。
過去のいくつかの大火も乗り越え、今にその姿を残しているのです。
佐藤「武家造りの方には材木も檜や欅を使用していますが、
商家造りの方は杉や松を使用しています。
あくまでも自分達は商人の身分なんだという事を大切にしていた様です。」
それが証拠に、本間家の御主人の部屋は建物の奥の奥、一番北側の隅にある。
しかもその広さも5畳程度の広さ。本間家の心がよく伝わってくる。
江戸時代だけではなく、昭和20年以降も本間家旧本邸は地域の為に使われた。
昭和24年から昭和51年までは公民館として開かれたそうです。
佐藤「結婚式も行われましたし、地域の子供達の予防接種もここで行われました。
昔から変わらず本間家は地域貢献の為に…という思いが強いんですね。」
やはり財を成す人は心も真っすぐなのだ!!
ミラクル「あの調度品はお幾ら位なんでしょうなぁ…へへへ。」
などと言う心を持っていてはダメなのだ!!卑しい、卑しいよ、ミラクル!!
因みに邸内の展示品も季節によって変えているとの事で、
また違う季節にお伺いしてみたいです。
御案内頂いた佐藤さん、本間家の皆さん、有り難うございました!
ミラクル「最後は…横山さんにも少し関係がある場所…かもしれないでゲスよ。」
仏「えっ!?僕にも関係がある…??」
ミラクル「仏の横山…と呼ばれた横山さん、即身仏は知ってるでゲスな?」
即身仏…現代では禁止されている、修行の究極の形と言ってもいいのかもしれない。
実は庄内地方は即身仏の数が日本一なのであります…。
我々一行はその即身仏に会いに海向寺へと向かった。
海向寺は、今から1150年前に真言宗の開祖空海が開いたと伝えられる。
そして全国でも珍しい2体の即身仏がいらっしゃるお寺でもあるのです。
――即身仏に会えるのだろうか…。
いや、そんな簡単に会う事は出来ないだろう。
取材前もミラクル氏は“撮影はNGでお願いします”と言われたと説明する。
カメラ担当のKも機材を車に置いて、
何故か自身も「僕、石段とか撮ってるんで!」と言って結局来なかった(ゆとり世代め)。
今までに経験のない緊張感を抱きつつ、ミラクル、横山、井門の3人は石段を登る。
案内して頂いたのは伊藤りつ子さん。
即身仏についての概要を丁寧に教えてくださった。
伊藤「このお寺ではお二人の即身仏を安置しております。
一人は初代の忠海上人、もうお一人は九代目の円明海上人です。」
伊藤さんのお話しによると、即身仏とはやはり修行の究極の形なのだ。
人々を救う為に、教えを自らの姿を以て未来へと伝える為の修行なのだ。
しかしこれは生半可な厳しさではない。いや、凄まじい修行方法なのだ。
まず即身仏になる為に心身をそこに近づける準備が必要だ。
山に籠り、千日を超える(時には二千日を超える)千日行をし、
その間は五穀を断ち、十穀を断ち、木の皮や木の実だけを食べる「木食」の苦行を行う。
中にはそのあまりの厳しさの中で、途中で亡くなってしまう方も多かったそうだ。
断食に近い事を行い、身体を骨と皮だけに近くするのは、肉体が腐らない様にだ。
そしてそれを乗り越えた者のみが、最後に土中入定をする。
土の中に棺を作り、その中で座禅を組んで鉦を鳴らしながら念仏を唱える。
棺には僅かに空気を通す為の竹筒のみが通され、鉦の音がしなくなったら入定となる。
鉦の音がしなくなった後は竹筒を抜いて、しばらく経ってから土から掘り起こすのだが、
その時に肉体が朽ちていれば即身仏にはなれなかった…となる。
えぇ…なんと言いましょうか…物凄い!!
伊藤「皆さんにはこれからお二方の即身仏にお会い頂きます。」
全員「!??」
この瞬間、全員が心の中で想った。
「えっ?そんなに簡単にお会い出来るの?」と…。
即身堂に安置された二体の即身仏に、なんと我々は実際会う事が出来てしまったのである!!
画像をお見せ出来ないのが残念ですが、これは皆さん、実際に足を運んで頂きたいです。
綺麗なお着物に身を包まれた即身仏のお二人。
間近でお顔を拝見し手を合わせてきましたが、怖いとかそんな気持ちは全く起こりません。
自らの身を以て、未来へと祈りを繋ぐその姿は神々しくもあり。
丁度取材している時、18歳の女の子が2人僕らと一緒になったのですが、
彼女達も「怖さとか、そういうのは全然ありません。」と話してくれました。
どうしてここに来たんですか?と聞いてみると、
一人は酒田出身で以前即身仏を見た事があったそうです。
二人は現在新潟にある看護学校で勉強しているそうですが、
「友達をぜひここに連れて来たかったんです」と話してくれました。
伊藤「お若い方も多くいらっしゃるんですよ。
中には涙を流していく方や、対話をしていく方もいらっしゃいます。」
取材を終えて境内から酒田の街並みを見下ろすと、なんだかとても清々しい気持ちになりました。
江戸時代から続く酒田のお祭りと、江戸から現代まで祈りを続ける即身仏の姿。
その二つに触れる事が出来た今回の旅。
やはり伝統を重んじる町には、良い力が宿っている気がします。
美味しいお米に美味しいお酒、豊かな自然と町の人達の活気。
酒田の皆さん、良い旅を本当に有り難うございました!