キキタビ的 たてもの探訪|旅人:井門宗之
2016-06-30
井門P「ある時は東北!ある時は九州!
予算が厳しくなったら…都内!!(ゴスッ!!!!←何かしらの罰を受けた」
冗談はさておき(笑)
東京都内の知られざる魅力を訪ねるのもKIKI-TABIの大きな役目であります。
実際に町をぶらりする事で、モザイク柄の東京がはっきりとした輪郭を表すのです。
その輪郭をはっきりさせてこそ、東京がより素敵に見えてくる!
しかも今回の旅はいつもの町ぶらりではない!!
井門Pが密かにこれからシリーズ化させたいと目論む、その名も…。
『キキタビ的たてもの探訪』!!
井門P「うわぁ~、これは素晴らしいリビングですねぇ~…。
ここに御主人のこだわりが詰まっているわけですね?」
みたいなのをいつかやりたい!渡辺篤史さんみたいなやつ、やりたい!!
と思っていたのですが、それは本家にお任せするとして。
キキタビ的には東京に数多ある歴史的建造物を探訪しようじゃないかと。
建物の歴史に触れ、往時の東京を想う。
その流れを現代に引き寄せ、ラジオで表現する事に面白さがあるのではないか…。
そんな事を考えての(それほど深く考えてない)、今回の旅となったのであります。
ロケの日の朝に本家「建物探訪」を観てテンションが上がる作家の親分。
今回の取材先のセレクトのテーマは「旬」であります。
まずは今年の4月から通年で一般開放される様になった…
迎賓館赤坂離宮!!
続いて5月に国の重要文化財の指定を受けたばかり…
三越日本橋本店!!
そして世界文化遺産の登録勧告を受けた…
国立西洋美術館!!
そう、まさに全てが「旬」なネタでございます!!
東京の近代建築の雄と言っても過言ではないそれぞれですが、
いやいや東京にはまだまだ沢山の歴史的近代建築が残っている。
しかしいかに歴史的価値が高くても、重要文化財や世界遺産などに登録されないと、
建物の老朽化などによって取り壊されてしまう事もあるのです…。
だからこそ、この番組でその姿が残っている内に色々巡りたいというのもあり、
井門が不定期レギュラー企画でやりたい理由もそこにあったりするのです。
はいはい、という訳で最初は迎賓館赤坂離宮。
おぉ…まさに白亜の宮殿…。
迎賓館ってなぐらいですから、お客様をおもてなしする建物でございます。
「おもてなし」と言ってもそのレベルが違う。
なんせここに宿泊するのは海外の要人(大統領とか国王とか)クラスですから、
おいそれと普通の人が立ち入る事は今まで出来なかったのです。
それが今年の4月から通年で一般開放!!これは嬉しい!!
館内の御案内は春山勝さんにお願い致しました。
春山「かつて紀州徳川家の江戸屋敷があった敷地に、
1909年に東宮御所として建設されたのがそもそもの成り立ちです。
現在は正門、本館、主庭噴水池等が国宝指定されています。」
それだけ当時の技術の粋を集めたという事でしょう。
一般開放しているだけあって(料金は大人1000円)この日も大勢の見物客が訪れています。
迎賓館内では4つの部屋が開放されているのですが、
まず真っ白な廊下の壁、これ、触っちゃいけません。手垢で汚すなどもってのほか。
「なかなかに厳しいなぁ…」と思いながら通された「彩鸞の間」に入り納得です。
この豪華絢爛さ!!!!!!もはや想像を超えてレポートの言葉が出てこない!(笑)
廊下から続く白壁はこの部屋に入ると圧倒的にスケールが増します。
なんせ眼に入る色がほとんど「白」と「金」しかないんだから…。
『白い天井と壁は金箔が施された石膏の浮き彫りで…』と書かれてますが、
この部屋は何をする部屋なんでしょうか??
春山「条約などの調印式に使われたりする部屋になります。」
国の大切な決めごとをする部屋ですから、これぐらいはしないと(何を?)
更に鏡が非常に有効に活かされているんですよねぇ。
この鏡がある事によって、部屋に奥行きを出している。
もともと広い部屋ではあるんですが、鏡の効果でそれが何倍にも感じられる。
この豪華な部屋が何倍にも広く感じるんですから、もう無敵です(言葉が粗い)。
最初の部屋に衝撃を与えられながら、続いて入った「花鳥の間」。
全体的にウッディな造りで彩鸞の間とは一味違います。
春山「ここは公式晩餐会などが開かれる大食堂になります。」
ほほぉ、なるほどだからこそ落ち着いた作りになるのか。
しかし天井にも壁の楕円の絵にも花や鳥が見事に描かれていますなぁ。
春山「えぇ、ですからこの部屋は花鳥の間なんです。
そして壁に掛けられているのは七宝焼きですね。
下絵を渡辺省亭先生が描き、涛川惣助先生が焼かれた七宝焼きです。」
親分「これは現在では作る事が出来ないもの、ですよね…?」
春山「えぇ、現在の技術では作る事は不可能と言われています。」
親分「噂で聞いたんですけど、もし迎賓館が火事になったら、
どの職員がどの七宝焼きを持って避難するか決まっている…とか??」
春山「それは…そういった決まりはありませんが…(笑)
しかしまぁ、それぐらい貴重品という事は間違いありません。」
続いて「朝日の間」。
この部屋がテレビなどで皆さんが最も目にする部屋…かもしれません。
首脳会談が行われるのがこの部屋なんです。
天井を見上げると大きな天井画が描かれているのですが、これがこの部屋の名前の由来。
朝日を背にして女神が香車を走らせる姿が描かれています。
この絵の効果もあるのでしょうが、部屋を満たすのは何とも荘厳な雰囲気。
そして最後の部屋が「羽衣の間」。
この部屋のシャンデリアが最も豪華な造りだそうで…。
聞けば1基に7000個もの部品が使われているとか。
更に1つのシャンデリアの重さが約800kg。それが3基備わっているのです。
春山「ここはそもそもダンスホールとして作られたものなんです。
壁際の中二階部分を観てください。オーケストラボックスが張り出しています。
しかし実際にダンスホールとして使われたという記録は残っていないんです。」
井門「勿体ない!なんなら僕が踊っていきますけど!?」
春山「(苦笑)」
東京のど真ん中にあってこれだけの歴史と威厳を漂わせる建物。
流石は迎賓館としか言いようがありませんが、JR四ツ谷駅からも徒歩圏内ですし、
せっかくの一般開放です!その豪華さに、驚かされてください。
親分「俺かなり昔に、夜中にこのライオン像に跨った事があるんだよ(笑)」
井門P「飲んでたんでしょ?(笑)」
親分「へへへ、飲んでた(笑)」
というやり取りで始まるのは三越日本橋本店前。
三越と言えばライオン像、ライオン像と言えば三越。
入口に堂々たる大きさで2頭のライオン像が鎮座しているのだが、
“夜中に誰にも気付かれずにこれに跨る事が出来れば、受験に合格出来る!”
そんな噂が囁かれ、今ではライオン像のレリーフにしっかり書かれています(笑)
三越伊勢丹ホールディングスの森正弘さんに御案内頂きました。
森「三越は越後屋として創業が始まりまして、それが1673年の事になります。
今の建物は大正3年に建設されたものですので、築102年ですね。」
井門「建物だけを見に来る方も多いのではないですか?」
森「はい、ツアーなんかもいらっしゃいますね。
完成した大正3年当時は国会議事堂、丸ビルに次ぐ大建築と言われたほどですから。」
館内も至る所に見所が…。
中央ホールには三越と言えば、の巨大な像が聳えている。
それが「天女像」なのだが、この天女像こそが三越のお客様に対する基本概念、
まごころを表現する像なのだ。
森「これは京都のお寺で10年かけて作られまして。
それを一度バラして当時の国鉄の貨車に載せて、
東京に持ってきて、ここで再び組み上げたそうです。」
そして天女像の後ろ、丁度2階のバルコニー部分にはパイプオルガンが。
昭和5年に輸入され、昭和10年にここに設置された劇場用パイプオルガン。
今も水・金・土・日の午前10時半、正午、午後3時にその音色を館内に響かせている。
丁度取材時間に演奏時間が重なった為、我々もその音色を聞く事が出来た。
歴史ある百貨店に響く、パイプオルガンの音色。
館内をショッピングで楽しむお客さん達も、足を止めてその音色に聞きいっていました。
また館内の大理石には実は色んな所にアンモナイトの化石が埋まっています(笑)
僕らもそれを見つけて大興奮!!三越日本橋を訪れた際はぜひ探してみてください!
今はもう少なくなってしまったエレベーターガールの乗るエレベーターで屋上へ。
この屋上にも金字塔や神社、漱石の碑など様々なものが…。
そしてそれらがビアガーデンの準備がされた屋上の雰囲気と相まって、とても良いのです。
森「今は周りに高い建物が出来ましたけど、
完成当時はこの界隈で最も高い建物が三越でした。
日本で初めての百貨店という事で、重要文化財に指定された事もそうですが、
先輩達が遺してくれた物を大切に守り続けなくてはと思います。」
国の重要文化財の中で買い物が出来てしまうというお得感(?)
日本橋は街全体が見所いっぱいな場所ですが、
三越も間違いなくその中の一つです。
「おもてなし」と「歴史」を感じに、いざ日本橋へ!
今回が第一回のたてもの探訪。
そのラストを飾るのに相応しい建物が…国立西洋美術館!
館長の馬渕明子さんにお話しを伺いました。
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この西洋美術館を語る上で重要な人物がいる。
松方幸次郎だ。
松方幸次郎は川崎造船所(現在の川崎重工)の社長を務めた人物で、
20世紀の初頭ロンドンに渡り西洋美術品の収集を始めた。
目的は当時海外に渡航出来ない美術好きな日本人の為に、
本物の西洋美術を見せる為だったという。
馬渕「数千点を買い集めたんですが、いざ持って帰るとなると莫大な関税がかかる。
その為に已む無くロンドンの倉庫やパリのロダン美術館に預けたんです。」
しかしロンドンの倉庫に預けた美術品の数々は、倉庫の火災で失われてしまう。
馬渕「倉庫の美術品のリストも探しているんですけど、
中にどんな物があったのかは残念ながら分かっていません。」
更に追い打ちをかける様に第二次世界大戦が勃発。
ロダン美術館に置いてあった松方コレクションはフランス政府に接収されてしまう。
馬渕「戦後1951年にサンフランシスコ平和条約が結ばれて、
ようやくフランス政府に松方コレクションの返還を要請したんですけど、
様々な条件がフランスから提示されたんです。その中の一つが、西洋美術館の設立でした。」
こうして設立された国立西洋美術館。
設計は近代建築の父、ル・コルビュジエであり、
その弟子である3人の日本人、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正もそこに加わった。
日本初の本格的な西洋美術館、そしてそれを設計したのが世界的な大建築家。
そこに豪華な収蔵作品も相まって…
馬渕「完成した1959年はまさに熱狂の年でした。」
極めてモダンな建物である国立西洋美術館のクールさと、当時の日本人の熱狂。
一見すると相反するようでもあるが、
そんな人のうねりをもまとめてしまうのがコルビュジエの建築なのかもしれない。
館内は「モデュロール」というルールに則って作られている。
これは「寸法」という意味のフランス語と、
「黄金比」という意味のフランス語を合わせたコルビュジエの造語で、
建築の寸法を決める際に人体のサイズを基準とするルールだ。
⇒183cmの成人男性が手を伸ばした時226cmになる。それを天井の高さとするルール。
段差のある天井や柱の位置にも、コルビュジエの計算がある |
馬渕「このモデュロールのお陰で視点が変化します。
それが作品の見え方にも影響しているんです。」
確かに天井の高さが違う事によって視界が一気に開ける錯覚に陥り、
結果的に一定の高さを持つ部屋に展示するよりも、作品の奥行きに幅が出るのだ。
館内はそうしたコルビュジエの計算され尽くした設計の元、
美術品の絶妙な配置で見る者を決して飽きさせる事はない。
1階の19世紀ホールをぐるり囲む様な作り、そこからコルビュジエ独特のスロープを登り…。
2階に上がるとモデュロールの天井。
ホールの周りを回廊式に巡る様な作りになっており、
中には美術館には珍しく大きな窓があったり、今は使われない階段があったり。
バルコニーも作品を楽しみためのコルビュジエの計算 |
馬渕「コルビュジェの建築は美術館というよりは家なんです。
窓があったり、階段があったり、バルコニーがあったり。
残念ながら今は危険という事で階段も遣う事はないのですが…。
いずれこうした物も含めて展示展開出来ればと考えています。」
屋上庭園からの採光、バランス、そして美術館らしくない設計。
そのどれもがコルビュジエの精神を端的に表す芸術品そのものなのだ。
館長の馬渕さんは世界遺産登録の勧告を受けるに当たり、
その“ならでは”の悩みも抱えていると話してくださった。
だからこそ、これからも様々な変化を楽しませてくれるに違いない国立西洋美術館。
馬渕「無料観覧出来る日もあるんですよ!」
そうなのです!毎月第2、第4土曜日と文化の日は無料観覧出来る日!
これだけ素晴らしい美術品を、無料で!!
それこそが松方幸次郎の精神の根幹。こうして受け継がれていくのです。
この国立西洋美術館の目の前には、東京文化会館という建物があります。
ここはコルビュジエの弟子の一人、前川國男の設計による彼の代表作。
師匠が作った日本で唯一の国立西洋美術館の前に、彼の弟子の代表作が並ぶ…。
建物には、物語がある。
そこに行けば、そして注意深く歴史に耳を傾けてみれば、その物語が聞こえてくる。
東京にはね、そんな物語を刻んだ建物が数多く残っているのです。
今回初めて行った、キキタビ的たてもの探訪。
これ、間違いなく第二弾、あるね!?ね!?あるよね!?
…という訳で、第二弾をお楽しみに!!(断言)
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