家康、天下統一の足がかり!出世の街―浜松|旅人:小日向えり

2017-02-11

ひすとり〜っす!


歴史をオモシロクわかりやすく伝える歴史の伝道師、


歴ドルの小日向えりです。


今回のキキタビのテーマは


『家康、天下統一の足がかり!出世の街浜松』


徳川家康という天下人を生み出しただけじゃなく、ホンダ、ヤマハ、スズキ等のグローバル企業発祥の地! トヨタも浜名湖のほとりで誕生しました。


浜松は、“出世の街”として注目されています。


さらに、今年の大河ドラマの舞台でもあり、今日本一盛り上がっているといっても過言ではありません!


浜松といえば浜松餃子に、うなぎに、みかん(*^^*)♪るんるん。


実は、私、食べるのが大好き!


今回スタッフさん含めて、チームKIKI-TABIちょうど食いしん坊が集まっていました。


お昼ごはんを食べ終わった矢先に、「晩ごはん何食べよう!?」と、真剣に悩み、みかんの無人販売所を見かけては、「みかん食べたいな〜」と言い合い、移動中の会話の大半を、食べ物の話が占めていた気がします(笑)



さて、まずは先週から、恒例(!?)となっている歴史の偉人モノマネでスタート!


家康「我らはこれより伊賀を超えて三河へ帰る。伊賀越じゃ〜!いが、出陣!わああああああ!」


はい。似ているかどうかは誰にもわかりません。(お決まり)

 

 

 

 

 

 

 

 

最初にやってきたのは浜松城です。私の好きな野面積みの石垣!


案内してくださるのは、やらまいか大使の秋元健一さんです。


なんと、家康公が好きすぎて、浜松に移り住んでこられたという、生粋の家康好きです。


「勇猛な武将たちが命をかけて守り抜きたいと思った、たくさんの家臣たちが惚れ込んだ人間・家康公。苦労を乗り越えて大きくなっていく。そんなところが大好きです。」


と家康公の魅力を熱く語ってくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

浜松城入り口を入ると、家康の3D人形がお出迎え!


様々な文献をもとに、若かりし頃の家康公が再現されています。


身長は159cm、目は薄く、どんぐり眼家康公は爪を噛む癖があったことから、爪は深爪になっています。そして手相は天下人の手相といわれるますかけ線。


肌や毛穴、リアルすぎて今にも動き出しそうです。


一般的にイメージされているタヌキおやじ・家康とはかけ離れています。


爪を噛む癖からもわかるのですが、実は家康って若い頃は意外と短気だったんだそう。


晩年は我慢強いイメージのある家康ですが、若かりし頃は、野心家で、イケイケだったんですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

浜松城は家康公が城主だったころは、天守はなかったと言われていて、その後に城代を務めた堀尾吉晴が天守を築きました


浜松城は、別名「出世城」と言われているのですが、城主になる人がどんどん出世していったんです!


天守閣に登ってその景色を見ているとまるで天下人になったようです。この日は富士山も見えたので、ますますラッキーな気分。出世運もアップしそう〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

次にやってきたのは浜松城から歩いてこれる距離の引間城(東照宮)


引間城は浜松城の前進となった小さなお城です。で、今は神社(東照宮)になっています。


本丸と二の丸をつくっている間に1570年から家康公が住んでいた場所で、日光東照宮や、久能山東照宮、全国に東照宮たくさんあれど、家康公が住んでいたのはここだけだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

引間城から武田信玄が三方ヶ原の戦いで陣をしいた場所が見えました。


けっこう近い!

秋元さん曰く


「徳川軍は半分以下の兵数で、ここで作戦を練っていました。この場所で苦難を経験し、乗り越えていきました。家臣たちを何百もなくして、人の大切さに気づいた場所なんです。」


それだけじゃありません。


秀吉が松下家で仕えたいた頃、引間城を訪れ、皆の前で猿まねをし、城主の家族を笑わせたとの逸話も残っているそうです。


2人の天下人ゆかりのお城ということで、出世運が上がるスポットとして、当時の家康と秀吉(15歳)を再現した銅像が建てられています。


真ん中の出生しに立って、記念写真を撮りました!

出世運、アゲアゲ〜!

 

 

 

 

 

 

 

 

に訪れたのは「犀ヶ崖資料館」です。


ここでは、山田卓司さんの精巧なジオラマを見ることができます。


三方ヶ原の戦いでは、徳川軍は武田軍に大敗してしまいますが、犀ヶ崖では一矢報いた場所です。

 

 

 

 

 

 

 

 

徳川軍は崖に布で橋を渡し、武田軍に奇襲をかけました。


土地勘のない武田軍の兵士らは、その橋が布だと気づかず崖に落ち、多数の死者を出したと言われています。


この日は珍しく浜松は吹雪に見舞われていたのですが、元亀3年12月22日、その日も雪が降っていたそうです。


家康は信長に「浜松は捨てて三河へ帰れ」と命令されますが


「浜松城を捨てるくらいなら、刀を踏み折って、武士をやめる。」と自分の意志で初めて信長に反抗をしたそうです。それくらい浜松の地が大切だったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかみ像」の像のジオラマもありました。私はこの逸話が大好きです。


しかみ像とは、武田信玄率いる武田軍と戦った「三方ヶ原の合戦」でコテンパンに敗れて、命からがら浜松城に逃げ帰り、そこで絵師に自分の姿を描かせたものです。


大将たる者がおもらしするまでの恐怖に追い詰められたみっともない姿を、自戒のために描かせたわけです。普通ならば一刻も早く忘れたいところ。


最近では三方ヶ原の戦いのときに描かれたものではないという説もありますが、家康公の人間の深を感じるエピソードです。


秋山さんは「自分の醜いところを表現した。こんな武将はいない!」とおっしゃっていて、二人で、家康公がいかにすごい人物かと、家康トークがヒートアップしました。


浜松駅の方にもどって、最近できた話題のスポットへ行ってみましょう。


「浜松出世の館」


大河ドラマ館は浜松駅から少し離れた場所にあるので、気軽に浜松の歴史を知ってお土産を買って帰る場所として「浜松出世の館」は、今年オープンしたばかり。

 

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、浜松が出世の街なのか?がよく分かる場所です。


ご案内して頂いたのは浜松市観光・シティプロモーション課の原田憲治さん。


浜松はものづくりの街。たくさんの起業家を創出し、グローバル企業、ヤマハ、ホンダ、スズキ、楽器の河合など誕生しました。


そんな浜松が生んだ偉人の名言集がパネル展示されていました。


私が気になったのは、テレビの父といわれる高柳健次郎さんの名言。


「幸運の女神には前髪があるが、後髪がない」


幸運は後ろから追いかけて捕まえようとしても捕まえられない。前から待ち構えて前髪をつかめば捕まえることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

うーん、いい言葉! こういう偉人の名言を見るの、好きなんですよね〜。


原田さん曰く「高柳さんのおかげでテレビ放送は東京オリンピックに間に合った」そうです。諦めず、チャレンジを続けてチャンスをつかむ、浜松の気質が伝わってきました!


奥には、出世大名家康くんと、出世法師直虎ちゃん出世運うなぎのぼり祈願所があります。


うなぎの形をした絵馬に願いを書いて祈願します。


私は、歴ドルの野望「天下統一」と書いて手を合わせます。


家康君が「これで出世運うなぎ昇りじゃ〜!」と太鼓判を推してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋元さんのご案内で、急遽訪れることになったのは「平和のクランク」


秋元さん曰く「家康の人生を変えた場所」


一見、なんてことないクランクですが、これが、ただのクランクではないんです!


なんとこの場所で、徳川家康と井伊直政が出会った〜〜〜〜〜〜〜。(世界ウルルン滞在記風)

 

 

 

 

 

 

 

 

秋元さんによると「お城の枡形虎口の跡」だそうです。お城を攻めにくくするための縄張りの遺構ですね!


家康公が初鷹野の帰りに、絶対にここを通ってお城へ帰ると予測した井伊直虎、息子の直政を連れて、ひれ伏し、家康公の出待ちをしたそうです。


家康は「何者ぞ」と声をかけます。直政を一見して、只者ではないと、すっかり気に入り、家臣に召し抱えたといわれています。


それを手引した松下家の屋敷が近くにありました。


直政は徳川四天王として家康公を支え、それから、家康公の平和の世をつくるための快進撃が始まった。


そういうわけで秋元さんは「平和のクランク」と呼んでいるそうです。


いいお話を聞かせていただきました!


最後に訪れたのは浜松城の天守がすぐ近くに見える「鎧掛けの松」


三方原の合戦で満身創痍の状態の家康公が、鎧をかけて一息ついて、休憩した場所と伝わります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私達も、家康公の大好物のみかんを食べながら、休憩することにします。


実はこのみかんも歴史に関わりがあるんだとか。


家康公が同盟を組んでいた北条さんにみかんを送ったら、北条家は地元のみかんをお返ししてきたそうです。


普通、地元の特産品を送っていただいたときに、同じものを返さないですよね。


その空気の読めなさに「北条も終わりだな」と北条の未来を悟り、同盟を破棄する気持ちを強くしたそうです。


これからは、みかんを食べるたびに、徳川と北条の同盟破棄を思い出すことになりそうです。


浜松は、家康のちょっと情けない逸話も残っているのですが、天下人家康にも苦労してたときがあったんだな〜という勇気がもらえて、「人間 徳川家康」を感じられる場所です。


是非、みなさんも今、出世の街として盛り上がっている浜松へお越しになって、家康公の「出世運」にあやかりましょう!