銀座線開業90周年!パンダ、アメ横…じゃない方の“上野”旅|旅人:井門宗之

2017-03-31

ある日のKIKI-TABI会議にて。



親分「今年は銀座線100周年だからさ!(ドヤァ)

上野の辺りをぶらりしながら取材するのも良いんじゃないかな?」


全員「おぉ~!!100周年ですか!

それは良いフックになりますね!!さすが親分、良いネタ持ってるなぁ~!」


親分「へへ(ドヤァ)



上野ロケ当日。



吉武「だからどこを探しても銀座線100周年ってワードが出てこないんだよ!

調べてみたらさ、今年銀座線90周年なのね!90周年!」


空の上の親分「ショボボボーン」





 




という訳で日本で最初の地下鉄が開業して今年で90周年(笑)


その地下鉄とは前述の通り銀座線であります。

1927年に上野―浅草間で開通した日本初の地下鉄、銀座線。

日本には無数の地下鉄が通ってますが、この1本から日本の地下鉄は始まった訳です。


しかもこの銀座線を通す工事はなんと当時人力で行われました。

およそ2年の歳月をかけて、上野―浅草間を人の力で掘り進めたんです!凄い!



主任「はーい、皆さんちゅうも~く!

本日はお集り頂き有り難うございます。

今日という日は我が国の地下鉄の歴史の記念すべき日です。

皆さんには上野と浅草を地下で結ぶ工事に携わっていただきます!

この工事が成功すれば、間違いなく我が国の交通事情は激変するでしょう。

その第一歩を担うのが、本日お集り頂いた皆さんなのです!」


皆さん「おおぉ~~!!!」


主任「はい、それではここから掘っていきましょう。

お~い、山田君、皆さんに例のもの配ってください!」


山田君「はい!かしこまりました!」


主任「はい、行き渡りましたね?

ではそのツルハシを使って、じゃんじゃん掘り進んでいってください!

よろしく~~!」


皆さん「えぇぇえ~~!!?じ…じ…人力~~!?」



はい、ひょっとしたら90年前にそんなやり取りがあったかもしれません。

何にせよ2年の歳月をかけて、無事に上野―浅草間を地下鉄が通る様になったのです。

その距離約2.2km、時間にしてものの5分です。

開業当時はその5分の為に2時間もの行列が出来たとか、

上野から乗るのに上野広小路まで行列が出来たとか、色々言われております。


兎にも角にも、それから90年です。

今や東京は世界有数の地下鉄大国にまで成長を遂げました。

都内だけでも東京メトロと都営地下鉄を合わせて13路線が走り、

一日の利用客数は3000万人以上と言われています。


当然ですが地下鉄の駅のある町はそこを中心にして栄えていきました。

銀座線の上野―浅草の間には稲荷町、田原町という駅がありますが、

地下鉄の駅が出来た事で新たな人も集まり、商売が生まれ、町が活気づいたのです。



はい、そこで今回の旅です!(主旨までが長い)

銀座線という歴史的な地下鉄が通るその町にフォーカスしてみようじゃないか、と。

上野といえば動物園や博物館、美術館にアメ横に西郷さんだけど、

敢えてそこじゃなく、銀座線が通る町並みをぶらりしてみようじゃないかと。

ですので今回の旅には、いわゆる上野の観光地は一切登場しません!

そうではなく、人の営みが「音として伝わる」場所を巡っていきます。





 

 

 

 

吉武「ってな訳で、久しぶりのぶらりロケでゲスな。へへへ。」


横山「既に駅を観光地とは反対に来てるね。

おっ、あんな所に○○○にそっくりな人がいる!!」


吉武「一番大人が言っちゃいけない事を率先して言わない!」


横山「へへへ。」


井門「住所で言ったら“東上野”なんですけど、

こちら側はほとんど地元の人しかいらっしゃらないエリアですね。」



上野駅を上空から眺め、寛永寺とは間逆の方に歩いていくと、

ものの10分で確かな人の営みを感じる事が出来ます。

町工場があったり、路地の中に会員制のスナックがあったり、

自転車をこぐ中学生の姿があったり。

ここにはアメ横の方には無い、旧き良き下町・上野の姿があるのです。

そんな風景の中を歩いていると…。



吉武「あっ、ここ!ここ!

東京でもここだけなんでゲスよ、地下鉄の踏切があるの!」





 

 

 

 

井門「おぉっ!東京メトロの看板もあるのに、地上に踏み切りが!?」


地下武「奥に車両基地が見えるでゲスか?

ここが銀座線の車両基地へ向かう地上で唯一の地下鉄の踏切なんでゲス!」


井門「本当だ!奥に銀座線の車両が何両か見えますね!

でもこの踏切がタイミングよく締まって、目の前を銀座線が通るなんてことは…」


――カンカンカンカン――


地下武「ほら!きたでゲス!!

では午前10時10分頃に車両基地に地下鉄が戻るって言われてたんでゲス!」


横山「噂って?」


地下武「ネット!(ゴンッ!!←ゲンコツされた)


井門「おぉっ!今ちょうど10時5分頃ですもんね!

という事はまさかこれから地上を走る銀座線が見られ…」


横山「きたよ!!」





 

 

 

 

全員「すっげー!!!!



良い年のおっさん達の顔が全員少年になった瞬間でした(笑)

普段乗っている黄色い車体の銀座線が、太陽の光を浴びて地上を走っている…。

因みにいまの黄色い車体はかつての銀座線の復刻カラー。

いや、本当に綺麗なんです。


地下武「良いタイミングで本当に見られるとは思わなかったでゲスな!」


横山「今日のロケはきっと良い事があるんじゃない?」


井門「ラッキーメトロだね、ラッキーメトロ!」


慧「(ニヤリ)←不敵な笑み」



奇跡的に銀座線が車両基地に入る瞬間に遭遇したKIKI-TABI一行。

何だろう、もうロケが終わった達成感がある。

ロンドン五輪の開会式のヘイジュード後の「終わった感」に似ている。



井門「とは言え、朝だし何だかお腹も空いたし、

吉武さん、この辺りにオススメの喫茶店があるんでしょ?」


吉武「下町ならではの喫茶店、その路地の辺りだと思うんだけどなぁ…。」





 

 

 

 

人の営みが感じられる東上野の路地の中、

何とも言えない味わい深い看板が出て来ました。


お店の名前は『珈琲店 桂』です。

その看板には“since1967”と記されていて、

50年前からここで営業を続けている事を語っているのです。

一見して常連さんを大切にされている雰囲気が伝わってくるんだけど、

でも決して一見さんに厳しい雰囲気も感じない。

その謎…って言うか答えは御主人のお話しで納得する事が出来ました。


お店のマスターは桂田靖男さん、笑顔がとても優しい方です。

実は桂田さん、お店を始める前にサラリーマンをされていた事があるそうで…。



桂田「営業職をやっていたんです。

すると喫茶店を利用する機会が多くて。

そうやって喫茶店に通う内に“もっと温かいお店、喫茶店があったら良いな”って、

そんなことを思ってこのお店を作ったんです。」



取材が終わった後に横山Dも言ってたっけ。

『もっと温かいお店があったら良いなって、なんか素敵だよね。』って。

お店に入った瞬間に感じた居心地の良さは、きっとそういう理由なんでしょうね。

そして御客さんの誰も、他の人の時間を邪魔しない。

自分達の居心地を良くする為に、静かな気遣いがちゃんとあるんです。

それはきっと最近流行のお店には無い気遣い。

それを感じた瞬間に、少しだけ背筋が伸びました。

ここで暮らす方々は今もちゃんとハイカラで、ちゃんと大人なんだと。



桂田「昔に比べると御客さんも変わりましたけど、

下町の人はハイカラな人が多くてね。

昔は家族連れでいらっしゃる方も多かったんですよ。」



本格的な珈琲の薫りと煙草の煙、

JAZZが流れる店内には人の心地良さを邪魔しない大人達の姿。

ここで育った子供は、きっとちゃんとした大人になってそうだなぁ(笑)



井門「メニューにもあったんですけど、

こちらで人気のエッグサンドを頂けますか?」


桂田「はい、少々お待ち下さい。」



手元のメニュー表には食べ物のメニューも豊富に載せられていて、

中でも“エッグサンド(アツアツの卵焼き 510円)”が人気だと言います。

簡単に書いちゃったけど、510円って…。

他にも“野菜サンド(トマトとレタス 510円)”、

“チーズサンド(プロセスチーズ 510円)”“ピラフセット サラダセット870円”など、

どれもこれもザ・喫茶店メニュー!!しかも美味しそう!



桂田「はい、お待たせしました~。」





 

 

 

 

!!!!!!!


なんですかこの美味しそうなサンドイッチは!?

薄めのパンに挟まれた卵焼きはパンの5倍くらいの厚さがあって、

手に持つともうアツアツで(メニューの通りだった)!



井門「では頂きます!うわ、本当に熱々だ…(パクッ…)

これは…美味しいですねぇ…本当に美味しい。

今までに食べた事のない食感なんですけど、じんわり卵の甘みがあって、美味しい。」





 

 

 

 

口に入れた途端に広がる優しい甘さ。

薄めのトーストと合わさると、まるでフレンチトーストを食べてるかの様な味わいなんです。

更にサンドイッチと共に頂く珈琲の味わい深さ…。

桂田さんの話ではエッグサンドは創業当時から作り方を変えていないし、

珈琲も焙煎業者としっかり話し合って納得の物を提供しているとか。

そしてセットに付いている娘さん手作りのケーキの美味しいこと…。

変わりゆく町の中で、変わらずに守られている時間。

ここで出会えた全てに感謝します。桂田さん、御馳走さまでした。





 

 

 

 

井門「なんだか良い時間だったね。」


珈琲武「時間によって御客さんで一杯なんだって。

この取材の時間も“この時間だったら…”って特別にOKを貰ったんだもん。」


横山「東上野の方も面白いねぇ。」



今回の主旨の通り、上野駅方面を華麗にスルーする一行(笑)

少し歩いていくと風景がまたガラッと変化します。

看板にハングルや“焼肉”の文字が並ぶここは都内で最も古いコリアンタウン。

「キムチ横丁」とも言われるこのエリアは、戦後間もなく出来上がったと言われています。

今ではキムチも韓国食材も簡単に手に入りますが、

ほんの15年前まではこういった専門街でしか手に入らない物も沢山あり。

僕も昔はここで大量の粉唐辛子を買ったり、キムチを買いに来たりしました。

あの頃の風景とは少し変わってしまったけど、

まだまだここには韓国食材の専門店が多く建ち並び、

上野の町の個性の一端を守っているように感じます。





 

 

 

 

井門「昔は粉唐辛子1kgとか普通のスーパーでは買えなかったもんね。

韓国料理屋さんのオモニに唐辛子味噌の作り方を教えて貰ってさ、

15年近く前だったんだけどハマって。粉唐辛子もよく買いにきてたんですよ。」


キム武「そうなんだ、わざわざ買いに来るってのも随分ハマったね。

当時はだって一人暮らしでしょう?」

井門「うん、しかもその韓国料理のお店に取材に一緒に行ったの、永尾さんだから(笑)」



まだ若かりし頃、ヒルサイドアヴェニューのレポーターをやってた頃のお話しです。

その時、ヒルアヴェの木曜Dが永尾さんで、よく取材に連れて行ってくれました。

ヴォージョレの解禁日に銀座のお店に連れて行ってくれたり、

僕がカラオケで歌った花鳥風月を録音してOAで流したり(笑)

色んな巡り合わせで、またこうして一緒に番組を作っているかと思うと感慨深いなぁ。

あっ、突然お邪魔した第一物産さん、御対応有り難うございました!

僕が死ぬほど好きだと話したケジャン、最高でした!!

 

 

 

 

 

 

 

 

横山「こっちの方は仏壇屋さんが多いねぇ…。」


吉武「プププ…仏の横山が仏壇とか言ってるでゲス…。」


井門「やめなさいよ、一番の先輩に向かって!」



コリアンタウンを過ぎ、稲荷町の駅へ向かう一行。

まさに横山さんの言う通りで、この辺りは道の両側に仏壇屋さんが並びます。

この辺りにはお寺も多いので仏壇屋さんが増えたんでしょうけど、

通称・浅草仏壇通り、なんて言われていたり。

そんな通りをフイッと曲がると、いきなり現れるのは大きな鳥居。



井門「僕の地元の札幌にも町の真ん中に北海道神宮の鳥居があるけど、

この鳥居もかなり立派ですね!!」

吉武「ここが下谷神社の鳥居だよ。

あれ??あそこにいるのアヒルだよね??えっ?お昼寝してるの?」


阿部「あのアヒルはウチで飼っているガーちゃんです(笑)

小さな頃から境内で飼っているので、逆に水に入るのが嫌みたいで。」





 

 

 

 

朗らかに笑う宮司の阿部明徳さん

阿部さん、語り口調がはっきりしていて、何とも江戸っ子な印象。粋だなぁ…。

元々の創建は奈良時代という下谷神社。

そもそもは上野公園にその敷地があったそうですが、

江戸時代に入り徳川の菩提寺である寛永寺を上野の山に作る事になって、

場所を移転する事になったそうです。しかしその場所も関東大震災で焼失。

今の場所に移ったのが昭和9年のことだったとか。



阿部「この辺は東京大空襲で全部焼けちゃったんだけどね、

この神社はなんとか残ったんですよ。だから見てください、社殿も木造のままでしょう。

建物自体はですから、昭和9年に造られたままなんですよ。」





 

 

 

 

歴史のある神社だけに、下谷神社には色々な逸話が残されてまして。

例えばこちらにある「寄席発祥の碑」もそんな逸話によるもの。



阿部「寛政10年にこの神社の境内で山生亭楽(後の三笑亭可楽)が木戸銭を取って、

人々に落語を聴かせたんです。これより前の落語ってのは、

身分の高い人に1対1で聴かせるようなものだった。

ところが“寄席”の定義ってのは、一般の人を相手に木戸銭を取って落語をやること。

それをこの境内で初めてやったので、ここが“寄席発祥の地”と言われているんです。」





 

 

 

 

そうかと思えば、この辺りの町名に関しても…。



阿部「この辺りの地名が稲荷町と呼ばれたのも、

元々ウチが下谷稲荷社と呼ばれていたからなんですよ。

こちらに御祀りしているのが都内で最も古い稲荷神社になります。」





 

 

 

 

う~ん、阿部さんのお話しが立て板に水って感じなのも手伝って、

お話しにグイグイ引き込まれてしまいます(笑)

しかし下谷神社の目玉と言えば、本殿の天井画に纏わるエピソード。



阿部「中に入って頂いて、天井を見上げてみてください。

竜の目玉がギョロっと光る雲竜図が描かれているでしょう?

こちらが横山大観の手によるものです。その端に号が入ってますよ。」


井門「うわぁ…物凄い迫力ですね…。」


阿部「関東大震災で社殿を焼失してしまって、それから建て直す時に、

氏子一同と先々代の宮司が“新しい社殿に立派な絵を!”と考えまして。

当時上野に住んでいらっしゃった横山大観に天井画を御願いしたんです。

大観は依頼を受けて何度も下絵を描き、それを自宅の天井に貼って眺めたそうです。

“天井画は実際に天井に貼って見ないと分からない”と言って。」


井門「しかし横山大観の作でこの大きさですから…とんでもない額でしょうねぇ(下世話)

御礼はどうされたんですか?(だから下世話だって)」


阿部「えぇ、勿論謝礼をお持ちしたそうですが、

“社殿を作るのに御金が掛るだろう。

神様のことだから、お金はいらないよ。だったら大勢でお酒を持ってきなさい。”と。

大観は無類の酒好きだったそうですから、

その通りにお酒を持って行って大宴会だったそうです(笑)」





 

 

 

 

う~ん…なんて洒落た話なんでしょ。

御礼を受け取らず、さりとて相手の気持ちを損ねることもなく。

すっとそこに関わる全ての人を満たしてしまう、その器の大きさ。

そしてその稀代の天才が描き上げた天井画を、こんなに近くで拝む事が出来るなんて!

何よりも宮司の阿部さんのお話しが本当に面白く…。

阿部宮司、貴重なお話しとお時間、有り難うございました!





 

 

 

 


 

 

 

 

東京で暮らして20年。

色んな町に遊びに行きました。

色んな町を取材しました。

長く暮らしていると、どの町にもそれなりに思い出があって、

ぶらりをするとその思い出が鮮明に蘇ってくるんだなぁ、と言うのが今回の素直な感想。

東京はいつだって速度が早くて、それは僕が上京した時も今も変わりません。

だからこそ、たまにはこの町を“歩かなきゃ”いけないんだと思います。

思い出に浸る為ではなくて、この町の良さを再確認する為に。

キラキラしたものはまだ沢山東京には残っていて、

それはこの町の速度に慣れてしまうと、きっと見過ごしてしまうものだから。


僕らは普段、きっと見過ごしているんです。

この町の良さと、ここに古くから暮らす方々の格好良さを。

“ぶらり”はそれを思い出させてくれる、素敵な旅の手段。


点を繋げば線になる。

線を繋げば面になる。

表と裏が面にはあって、面になるから面白くなっていくんです。


“東京は面白い”


新生活がスタートする4月に、今回の企画が出来て良かったなぁ…。

東京で新たなスタートを切る皆さん、思いっきり町をブラブラしてください。

東京の色んな所に、思いっきり遊びに行ってください。

あなたの速度で、あなたの歩幅で。

この町で始める新たな生活が、素晴らしいものとなりますように。心からの、願いを込めて。