第81回 ハービー山口さん①

2017-04-16

ゲストは、写真家のハービー山口さんです。

ハービーさんは、1950年、東京生まれ。

大学卒業後の1973年にロンドンへ渡り、

写真家としての活動をスタート!

帰国後も、国内外のアーティストや町、

人々を撮りながら、エッセイストとしても活動されています。

 

これまで、吉川晃司さん、山崎まさよしさん、BOOWYなど

数多くの著名人を撮影しているハービー山口さん。

作品はどれも、自然な表情が切り取られたものです。

「半分は著名な方、半分は一般の方を撮ってきました。

著名な方は、一般の方のように自然に撮る。

一般の方は、著名な方のようにカッコよく撮る。

これを一緒に飾ると丁度いいんです。」

 

福山雅治さんにカメラを教えたというエピソードもお持ちです。

さらに、2冊の写真集、ツアーへの同行や、

エイズの子供たちへプレゼントを渡すという、

プライベートなルーマニアへ旅にも一緒に行かれています。

「ある時福山さんが、ツアー同行中に、楽屋で僕に、

“ハービーさんがそこにいると、ファンの人が間違ってここに

入ってきちゃったように思うんだよね”って言われたんですけど、

まさにその通りで、僕はファンの方を代表して、カメラをもって、

福山さんの近くに居させて頂いてるから。リスペクトして、

その心の中をすくい取るというのが、一番僕には合ってるんじゃないかな」

モノクロで撮られている事も、ハービー山口さんの作品の特徴です。

「大理石の彫刻とか、水墨画のように、

光の当たり方や表情を強調できると思うんですね。

目の奥の表情を撮る時に、

ふと、Tシャツの色は無くてもいいのかな、って思っていて。」

 

ハービー山口さんは、大学卒業後にロンドンへ渡りますが、

そのきっかけは、”どの会社からも内定を貰えなかった事”でした。

「写真家になる事ばっかり考えていて、勉強をあんまりしてなくて(笑)

それで入社試験1社も受からず、どうしようって思った時に、

半年くらいなら観光ビザで入れるし、大好きな音楽家たちがいる

ロンドン行って写真撮れるだけ撮って帰ってこよう、と思ってたら、、、

一度も帰らず、結局は10年も居ましたね。

失敗は成功の元で、よく落としてくれた!って今は感謝感激ですよ(笑)」

ロンドン滞在時には、偶然でダイアナ妃の撮影に成功されています。

これは、友人から、

”同じアパートに住んでいる女の子がパパラッチに追われている”

“彼女いつか有名になる”、

“明日の朝7時半ごろ赤い車で仕事へ向かうわ”と、

アドバイスを受け、待っていたところ、見事撮影に成功したものです。

「まだマスコミを敵視していない、19歳の女性ですし、

純粋な瞳が写っていますね。」

 

今回の選曲は、Clush の 『London Calling』でした。

 

ハービーさんは、東日本大震災の翌年2012年に、

被災地の人や街を撮影した写真集『HOPE 311』を発売されています。

“この状況でちゃんと、人の写真を撮れるのはハービーさんしかいない”

と、震災3週間たったころ、小山薫堂さんから連絡をもらったのだとか。

「大変なご不幸を背負っているのに、逆に感謝されたりして、

元気になる自分がどっかにいたんですよね。

僕は写真家としてこの状況を撮って、記録して、

何か支援に結びつけなければいけないな、と思いましたね。」

そんな中、岩手県大槌町では、ジョニーロットンのTシャツを着た、

若者に出会います。彼は、漁師の息子でした。

「僕はジョニーロットンの家にも行き、たくさん写真を撮ってました。

って話すと、ぜひ撮ってくださいって言ってくれた。」

 

ハービー山口さんは、ロンドンで生活していた時に

Clushのボーカル、ジョー・ストラマーさんと地下鉄で偶然乗り合わせます。

それはプライベートであったため、撮影を躊躇し、声をかけたのだとか。

「写真とってもよろしいですか?って聞いたら、もちろん、撮りなさいって言われて、

車内で何枚か撮ったんです。彼は降り際に、僕に振り返って、

『君な、撮りたいもんは、全部、撮れよ。それがパンクだぞ!』って。

それが僕の座右の銘になりました。」

この言葉が、被災地を撮影するという事にもつながりました。

 

さらに、4月14日には、平成28年熊本地震から1年が経ちました。

「私ができる事は、現場に行って写真を撮る事、

そしてプリントしてファンの方々に買っていただいて、

そのお金をお届けする。熊本とはご縁もあって。」

 

来週も、お話伺います。