東京のど真ん中! 発展し続ける街「立川」|旅人:井門宗之

2017-06-30

23・26・5・8。

さてこれは何の数字を表しているでしょうか?

え?デムーロのトータル重賞成績?違う、違う!(誰も言ってない)

正解は東京都の自治体の数なんです。

23区26市5町8村。

東京23区ってのは皆さんもご存知かと思いますが、

26市5町8村、いかがでしょう?

はい、今回の旅はそんな26市の中の立川市を巡る旅でございます。

立川市は地図で言うと東京都のほぼ真ん中に位置しておりまして、

人口はおよそ18万人の大きな都市であります。

都内を巡る時の物差しのひとつ!

東京都民が選んだ「住みたい街ランキング」(リクルート住まいカンパニー調べ)では6位。

ここ数年で大きく発展を遂げる街が立川なのです。今回はそんな立川を巡るロケ。

えぇ、梅雨時のロケで…しかも構成作家は雨女:河合さん。

ロケの数日前、我が家でボソっと、

「今度の立川のロケ、作家は河合さんなんだよなぁ…」と言うと、すかさず妻が、

「あぁ、あの雨女の?(笑)」という高速キャッチボールが成立するくらいのパワーの持ち主。

ある意味諦めながら迎えた当日…集合場所の駅前には満面の笑みを浮かべた河合さんが。

 

 

河合「ほら~!快晴ですよね!私はもう変わったんです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、当日は汗ばむ陽気の中でのロケとなったのです!有り得ない!!(笑)

雲マーク一つ出てない日のロケですら雨を降らした河合さんだというのに…。

長岡の花火大会でもすぐ近くまで雨雲を呼び寄せた河合さんだというのに…。

 

 

ゴル「いや、まだ分かりませんよ。午後が土砂降りの可能性もある。」

 

 

最近色々な物事をまず疑う所からスタートするゴルちゃんのツッコミが入る。

 

 

河合「奈良に行ってから変わったんです!」

 

 

ロケが晴れたら必ず出てくるキーワードがこれだ。

当時旅人だった英子ちゃん共々、かなりのパワーを貰ってきたらしい。

取り敢えずはその御利益を信じて、ロケは立川駅前からスタートしたのであります!

*ロケが始まってすぐにゴルちゃんの「噂の現場ごっこ」が冴え渡りましたが割愛します(笑)

 

立川を巡るには立川の達人と共に!

という訳で今回の助っ人は立川観光協会、

「たちかわまちの案内人」ボランティアの会の酒井京子さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

立川生まれの立川育ち!「立川以外を知りませんから」という酒井さん。

ぶらり歩きながらも伊勢丹の前を通ると…、

 

 

酒井「この伊勢丹は昭和27年に開業したんです。

新宿の次に古いんですよ。基地があったんで購買力があったんでしょうね。」

 

一行「へぇ~~!!( ・O・)」

 

酒井「諸説ありますが、立川という名前の由来は鎌倉時代まで遡るんですよ。

当時ここを治めていたのが立川氏という豪族だったんです。」

 

一行「へぇ~~!!!( ・O・)」

 

酒井「明治22年にいまの中央線が開業したんですけど、

中央線って真っすぐですよね?(中野から立川まで)

当時は甲州街道沿いに線路を作る予定もあったそうですが、

地域の反対もあって、地図の上に定規で真っすぐ線を引いた所に立川があった…、

そんな説もあるんですよ(笑)」

 

一行「へぇ~~!!!!( ・O・)」

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとぶらりする間にもうんちくが止まらない。

そしてその全てが面白い。

今の景色とかつての立川の姿が、酒井さんのお話しでグラデーションしていくかの様だ。

そもそもこの立川という街は、基地の街でありました。

第2次世界大戦後から1977年までアメリカ軍の基地が立川にあったのです。

 

 

酒井「一説によると大正天皇の御言葉から飛行場が出来たんだそうです。

大正10年に立川に大正天皇が演習に来られて、

“ここは良い風が吹いているから飛行場を作ってはどうか?”と。

忖度したのかどうか(笑)翌年に立川に飛行場が出来ました。」

 

 

大戦後に米軍に接収され、前述の通り1977年まで米軍基地があった立川。

 

 

酒井「私が子供の頃は米軍の方が沢山歩いている印象でした。」

 

 

酒井さんのお話しは当時を偲ぶ歌碑の前で伺ったのだが、

この歌碑のある場所が当時の飛行場の正門だったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

酒井「この歌碑にある立川小唄、残念ながら私達も歌えないんです(笑)

かつて立川が花街だった時の御座敷歌で、27番まであるんですよ!

立川から花街が無くなってしまって、この歌も絶えてしまったんですけど、

当時八王子の花街から御座敷に来ていたという芸者さんがこの小唄を覚えてらっしゃって。

それで現在、立川小唄が復活したんです。私達も早く覚えないと(笑)」

 

 

歌碑のある広場には大きな樅の木が2本。

この樅の木も米軍基地があった時の名残り。

クリスマスシーズンになるとこの樅の木に飾り付けをしてクリスマスツリーにしていたとか。

こうしてガイドの方と街を歩くと、何気ない樹にも実は歴史があって、

それを知れるのがなんとも楽しい。

 

 

酒井「ほら、あそこの階段の外側に円が描かれているでしょ?

真正面から見ても綺麗な円には見えないんですけど、

実はここ(道路に小さく刻まれた丸を指差して)に立ってあの円を見ると…」

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「あっ!ちゃんとまん丸に見えますね!

そしてその丸の中から人が出てくるように見える!」

 

酒井「駅前の再開発エリアは“ファーレ立川”といってアートが点在しているんです。

立川の街には美術館は無いんですが、街の人に自由にアートを楽しんで貰おうと、

アート作品が36カ国から109集まっています。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

酒井「あのベンチなんかはカラフルな蛇がデザインされていますが、

座るところが横並びではなくて、交互になっているでしょ?」

 

井門「二人で座ると反対方向を向く形になりますよね…。」

 

酒井「でも恋人同士あの椅子に座ると、絶妙の距離感で向き合う事が出来るんです!

ちょっと座ってみましょうか?」

 

井門「(渋々)え、えぇ、座ってみましょう。」

 

酒井「(座って)どうです?ね♪」

 

井門「(渋々)そ、そうですね…ははは。」

 

 

 

 

 

 

 

 

アートは人の距離を縮める!(おい、説得力!)

こうしたアートが点在する事で、何気ない風景も楽しくなっていく。

何も無いより、笑顔のある街。それが立川の街並みなのだ。

 

そしてそんな立川を象徴する様な通りがサンサンロード。

多摩モノレールの下を通る広い通りは東京都の道でありながら、車が通れない。

 

 

ゴル「この通りは良いですねぇ…。車を通さない様にしたのは大正解だなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

立川の駅からズドーンと真っすぐ伸びるこの道。

道の先には北欧の家具メーカーIKEAの文字も飛び込んでくる。

 

 

酒井「立川は“IKEA”もあれば“ら・ら・ぽーと”もあって、

基地があった街なので広い土地が沢山あるんです。

目の前の広い土地は“立飛ホールディングス”の管理地なんですけど、

立飛ホールディングスは大戦中に戦闘機を作っていた会社です。

ゼロ戦は海軍の戦闘機ですけど、ここでは陸軍の戦闘機“隼”を作っていました。

隼戦闘機の半分は立川で作られていたんですよ。」

 

 

かつて大戦では戦闘機を作り、飛ばしていた場所。

そこは現在、広い空き地になりその横の通りを赤ちゃん連れの家族が歩いている。

 

そして…ヤギ。

 

は??ヤギ???

 

 

酒井「この空き地には雑草を綺麗にして貰う為に、ヤギが飼われています(笑)

このヤギ達はマザー牧場から出張してくれているんですよ!

夏の間はここにいて、シーズンが終わるとマザー牧場に帰ります。」

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとも長閑な風景であります(笑)

そしてロケが始まってから1時間しか経っていないのに、この濃厚さ。

既に酒井さんのお話しで立川に魅了されてしまった一行。

酒井さん、素敵なお話しを有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

河合「良い街ですよねぇ、緑も多いですし。」

 

ゴル「大きな公園があるって言うのが本当に良い。

ウチの近所では絶対に無理だもんなぁ。」

 

井門「ここに住んだら他の街に行かなくても完結出来るもんね。」

 

 

駅前には数多くの百貨店が建ち並び、少し歩けば緑も多く、

都内でも有数の広さを持つ国営昭和記念公園を有する立川。

その立川で立川産の果実を使った地ビールを展開しているお店があるのです。

 

駅から歩く事15分。東京の焼酎・地酒を専門に販売する浅見酒店

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御主人の浅見忠義さん、立川の地ビールについて熱くお話ししてくださいました。

そもそも立川産の果物で地ビールを作る構想が生まれたのが飲みの席だったとか。

 

 

浅見「お隣の福生で地ビールを作っていた石川酒造さんという会社の社長と飲んでいて、

立川産の果物で地ビールを作れないか、という話からどんどん進んでいったんです(笑)」

 

 

まさに地産地消であります。5年前に構想が出来、

それから、あれよあれよという間に様々な果物の地ビールを作り出してきた浅見さん。

ブルーベリーの他にもトマト、続いて女性をターゲットにした桃、

レモン、そしてミカン…。全てが立川の農家の方が作っている果物なのです。

 

 

浅見「このミカンも面白くて、最初レモンを使って作っていたんですけど、

去年大雪でレモンがダメになってしまった、さぁどうする?となった時に、

レモンがダメならミカンがあるじゃないか、と(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして様々な果物のビールが作られていった経緯の一つに、

噂を聞いた農家の方々からの売り込みというのもあったそうです。

それも浅見さんが生産者の方と築き上げてきた信頼関係があってこそ。

立川を盛り上げる…その想いがこのビールを作っていったのです。

ラベルのデザインもネーミングも一般公募で選ばれた地ビール。

 

立川ブルーベリーHAPPY 立川産果実のエール

 

 

 

 

 

 

 

 

私もミカンのビールと、ブルーベリーのビールはなんと生ビールで頂きました!

 

 

 

 

 

 

 

 

ミカンの方は少し白く濁っていて、

口に入れるとその果実の渋味とビールの旨味がマッチしてなんとも言えない旨さ!

柑橘類特有の渋味を上手にビールの旨味と合わせた、脱帽する味わいなのです。

ブルーベリーの生ビールもふわっとフルーティでありながら、

その中にあるふくよかな旨味が口いっぱいに広がっていきます。

 

 

浅見「最初に作った時は少し甘めにしてしまったんです。

女性にも飲んで欲しかったんですけど、するとこれが不評で(笑)

お客様はジュースの様なビールが飲みたい訳じゃ無くて、

しっかりとしたビールの味わいの中にある果実の旨味みたいなものを求めていたと。

だから次に作った時はしっかりとした苦味を大切にしました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

ひと口飲めば、立川の男達の夢の様に広がっていく、ビールの旨味。

ワインのブドウの様に、この地ビールも果物の出来・不出来に委ねていると言います。

でもそうする事によって、いずれ立川でテロワールが語られる日が来るのでは??

旨い地ビールとお話し、浅見さん、有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴル「あぁ…。」

 

河合「どうしたんですか?佐々木さん?」

 

ゴル「酒井さんも浅見さんも、お話しが面白くてどこも切れない…。」

 

井門「大丈夫だよ、なんなら2週に渡ってやれば良いんだから!(笑)」

 

ゴル「そっか!じゃあ、録れ高を稼ぐ為にぶらりも収録しておきますか?」

 

井門「あっ!ダメだ、もう番宣出しちゃった。へへへ。」

 

ゴル「あぁ…。」

 

 

こうして項垂れるゴルちゃんを宥めながら向かったのは和菓子屋さんであります。

店先には『うどまんじゅう』『うどパイ』の文字。

実は立川の名産は「うど」。そのシェアは全国生産の6割というから相当です。

 

そのうどを使った和菓子を作っているのがこちらの立川伊勢屋

ゴルちゃん泣かせの面白エピソードが満載でした(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも和菓子に立川産のうどを使う様になったのは、

立川の観光協会の依頼があったからだそうで…。

 

 

小林「私の親父の代ですから、20年前になりますかね。

観光協会の方から“うど”を使った和菓子が作れないかと…。

親父も相当苦労して色々試作したんですけど、なかなかダメで。

作った物を味見したんですけど、どうにも美味しくないんですよね(笑)

それからしばらく作るのを止めていたら、

10年前にまた観光協会からお願いがきまして(笑)」

 

井門「随分と長い宿題だったんですね(笑)」

 

 

うどとの20年を教えてくださったのは、今の御主人小林毅成さん

御本人の代になり様々な試行錯誤を経てうど饅頭は出来上がったと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

小林「せっかく作るんだったら美味しい物、そしてちゃんとうどを入れたいですもんね。」

 

 

こうして作られたうど饅頭は餡にうどを加えた一品。

様々な試行錯誤の末に饅頭に辿りついたんだろうなぁ…と思いきや!

 

 

小林「いや、立川を舞台にしたアニメがありまして。

その中にうど饅頭が出てくるんですよ。それでまた“伊勢屋さん出来ない?”って(笑)」

 

 

これを世間では丸投げと言うんじゃないだろうか(笑)

とにもかくにも確かな技術が無いと作れない訳で、

そこは伊勢屋さんの技術が信頼されたということでしょう。

あれ??でももう一つのうどパイはどんな試行錯誤で出来上がったんでしょ??

 

 

 

 

 

 

 

 

小林「かつてうどを使った和菓子を作るお店が他にもあったんです。

うどのどら焼きなんてのもあったんですよ。

で、うどパイを作っている和菓子屋さんが廃業する事になりまして。

和菓子の業界ってのはお店が廃業しても、

そこで作られたオリジナルのお菓子を職人さんは残していきたいと思う。

うどパイも同じで、そこのお店…≪やな瀬≫さんっていうんですけど、

うどパイの作り方を受け継いでくれるお店を探していたんです。

そこでウチでやろうという事になりまして。」

 

 

その背景もあり、うどパイのパッケージには≪やな瀬≫の文字も印字されている。

まさに和菓子のバトン、ウドが繋ぐバトンを伊勢屋さんが引き継いだのだ。

 

 

井門P「折角ですから2つとも頂きます!

まずはお饅頭…あっ、皮が真っ白で上品ですね…頂きます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お饅頭もパイも間違いなく旨い。

パイに使われるうどは甘露煮にしたものを餡で包んで、パイ生地で包み焼いたもの。

こちらは饅頭よりもうどの食感が楽しめる一品。

 

 

井門P「長い宿題の答えが出せましたね(笑)」

 

小林「はい、有り難うございます(笑)」

 

 

そもそも立川でうどが作られる様になった理由は簡単で、

近隣の街で作っていたのが徐々に立川でも作られるようになっていったというだけの事。

養蚕が衰退していった後に、立川の土地にうどが合っていたので、

徐々に生産量も増えていったのであります。

そんな立川産のうどを上手に和菓子に昇華した伊勢屋さん。

爽やかなうどの香りは、まさに立川の香り。

小林さん、美味しい和菓子を有り難うございました!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴル「あぁ…。

 

河合「あっ…(察し)」

 

ゴル「小林さんも、お話しが面白くてどこも切れない…。」

 

 

と言う訳で(サラっといったね)最後の取材場所は極地であります!

実は立川には国立極地研究所がありまして、

もちろんここは南極や北極の研究をする施設なのでありますが、

その情報発信基地として作られた南極・北極科学館に向かったのです。

 

駅から歩くこと約20分。

行政の研究機関が建ち並ぶ場所にあるのが南極・北極科学館。

なんと言いましょうか、ゾンビ映画で主人公達が逃げ込む研究施設の敷地内…みたいな(笑)

そしてこちらでのお話しがまた…面白いのなんのって(ゴルちゃん泣かせ)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お話しは御自身も越冬隊員だった村山治太さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

村山「こちらの施設は現在南極でどんな研究が行われているかを展示する場所です。

昔の資料なども展示していますが、メインは今の南極での研究なんですよ。」

 

 

そう教えてくださった村山さん。

僕が生まれるよりも前に、

このまま地球の二酸化炭素濃度が増えていったらどうなるんだろう…という研究をしに、

南極に向かった方です。しかも日本の越冬隊で2度、ニュージーランドの越冬隊で1度。

 

 

村山「越冬隊は4カ月と16カ月の2つの期間で観測に出掛けるんですが、

私はどちらも16カ月、置き去りにされました(笑)」

 

 

科学館の入口の床には南極大陸の地図が描かれています。

そこには世界各国の基地の印が…。

僕は初めて知りました。あの有名な昭和基地は南極大陸の沿岸に作られているんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

村山「大体どこの国の基地も沿岸に作られています。

船で物資を運ぶので、基地は沿岸に作られる事が多いんですが、

日本は昭和基地の他に3つ、合計4つの基地を持っているんですよ。」

 

 

南極の面積は日本列島の約37倍。

昭和基地から南極点のアムンゼン・スコット基地まで約2500kmだと言います。

しかもそのアムンゼン・スコット基地には人が常駐してるっていうんですから、あなた!

 

 

村山「第9次越冬隊の村山さんがその南極点まで5カ月かけて行きました。

その時の雪上車があそこに展示してあるんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

村山さんによるとこの雪上車、時速5km/hから7km/hで、

燃費もなんと1km進むのに4L必要とのこと!!

中を見せて頂いたのだけど、バスと同じくらいの横幅の中に運転席と助手席、

後部には調理の出来るコンロスペースと吊り下がったベッドと収納。

天井も低く、お世辞にも快適とは良い難い空間で5カ月であります。

そもそも第一次観測隊が南極に昭和基地を建設してから今年で60年。

いまの日本の観測隊はなんの研究に力を入れているのでしょうか??

 

 

村山「いま日本は何故オーロラが出来るのかの研究に力を入れています。

ここに南極にある物と同じレーダーがあるんですが、

これが昭和基地に約1000本設置されていて、オーロラの研究をしているんです。

南極昭和基地大型大気レーダーと言いますが、これが電気を食うやつで(笑)

基地の約半分位の電力をこれで消費しているといっても良いくらいなんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

また館内には昭和基地のリアルタイムが映像で流れている。

その映像の前には昭和基地での隊員が暮らす部屋が再現されていて、

以外と快適そうな様子…。

 

 

 

 

 

 

 

 

村山「南極の氷に触ってみますか!?」

 

井門P「おお!!ぜひぜひ!!」

 

実は館内には観測隊が持ち帰った南極の氷(本物)があり、

誰でも触ることが出来るのです。その名も≪南極の氷に触ってみよう!≫まんまや!(笑)

 

 

村山「南極の氷は、まず雪が降ってそれが積もっていきます。

空気を含んだ雪が徐々に押し固められて氷になっていくので、

氷の中に沢山の気泡が出来るんですね。

なので、氷が溶ける時に中の空気が出てくるんです。

そしてその空気は何千年も前の空気なんですよ!」

 

南極を知る男の話は、どこまでもロマンチックだ。

確かに氷に耳を近付けてみると…。

 

 

井門「本当だ、小さくぱちぱちぱちぱち…っていう音が聞こえてきますね!」

 

村山「それが何千年前かの音なんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

村山さんにはその他にも色々な展示物を御案内頂きました。

海には生物が沢山いるけど、雪と氷に覆われた大陸に生物は存在しない、とか。

3000m下の氷は72万年前の氷で、そこから地球の気候変動が分かる、とか。

昭和基地の組み立て式住居はプレハブ住宅の第1号だとか、昭和基地との時差は6時間だとか。

なんとも南極を魅力的に語る村山さんに、改めて聞いてみました。

 

 

井門P「村山さん、南極に行って良かったですか?」

 

村山「行って良かった。また行きたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

立川には夢とロマンが詰まっていた。

住みたい街ランキングは6位かもしれないが、

俺達の中でロマンチックな街ランキングがあれば第1位に選んでも良いくらいだ(えっ?)。

今回の旅は立川駅の北口からのスタートだったが、

ぜひまた立川第二弾の旅をしてみたい。そしてその時のスタートは南口だ。

極地にも南極と北極があるように、立川にも南口と北口があるのだ!(当たり前だ)

今回ロケでお世話になった皆さん、楽しい旅を有り難うございました!

よし、また来るぞ立川!!

 

 

ゴル「あぁ…。

 

皆「あっ…(察し)」

 

ゴル「村山さんも、お話しが面白くてどこ(ry」