生誕450年 仙台の伊達文化|旅人:井門宗之

2017-07-27

100万都市仙台を、夏の日差しがキラキラと照らしている。

かつてこの地に伊達政宗公が城を築き始めた時、

その人口は僅か300人程度だったといいます。

今のこの発展を遂げた仙台を見て、伊達政宗公は何を想うのだろうか。

さすがに「いかがですか?」とは聴けないから、

ブロンズ像の前で想いを馳せるしかないのだけど(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

ゴル「意外とこの像の前って初めて来たかもしれませんねぇ。」

 

 

 

仙台城跡に建てられた政宗公のブロンズ像の前には、

沢山の観光客の方が集まり写真を撮っている。やはり政宗人気は健在なのです。

恐らく人に「仙台と言えば?」と聞けば、

「伊達政宗、笹かまぼこ、七夕祭り」とTOP3に名前が挙がりそうな伊達政宗公。


そんな政宗公が生まれて、実は今年で450年なのであります。

調べてみると、今も仙台のそこかしこに政宗公の遺した文化が息づいている!

今回の旅はそんな仙台に残る伊達文化を探る旅。

あまりの暑さに『ずんだシェイク』で一息ついて、旅のスタートです。

*あっ、ずんだシェイク、物凄く美味しかった(笑)

 


政宗公の足跡を調べるべく青葉城資料展示館へ。

まずは仙台城をCGで再現した映像をCGシアターで鑑賞。

火災や戦災によってほとんどを失った仙台城ですが、

CGで再現された物を見ると…いやこれが本当に凄いのです。

中は豪華絢爛でありながら、周囲を天然の要害に守られた計算され尽くした山城。

日本でも有数の堅固な城とされた様ですが、

徳川幕府に二心なしを表す為にもついに天守は設けず、仙台に泰平をもたらした城です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

田中「仙台の人が政宗公について知らない事も多いので、

こうしたシアターで知って頂ければと思います。」

 

 

 

お話しは館長の田中於莵彦さんです。

 

 

 

田中「戦国時代トーナメント戦ですから。

生き残ったと同時に街づくり、国づくりをしたのが政宗公なんです。

あの時代に文化と治世を定着させたのは政宗公しかいません。」

 

 

 

1601年に仙台城の築城を始めた政宗公。

15年かけて城を完成させるのですが、

「仙台」という名前にも「千代⇒仙臺⇒仙台」と、変遷があったそうな。

 

 

 

田中「“仙臺”という漢字には、

“仙人に喜んで暮らしてもらいたい”という想いが込められているんです。」

 

 

 

豊かな街づくりは、まず名付けから。

そこから政宗公は様々な事業に着手していきます。

 

 

 

田中「まずは治水ですね。北上川の改修を行ったり、

石巻の治水を行ってそこで米を作ったんです。

米にいかに対応するか?そこを考えたんですね。

結果的に宮城は米どころになりましたよね?これも政宗公のお陰なんです。

治水を行ったお陰で米を大量に作れる様になりました。

当時江戸の米の半分以上が仙台米だったんです。」

 

 

治水で言えば、仙台城を作りながら、

城の水回りと同じくらい町民の為に治水も行った政宗公。

北上川を改修し、運河を作り、城を作り、街並みを作った。

まっさらな場所に街を作り上げていったのが伊達政宗公なのであります!

 

 

 

田中「政宗公は食べ物にも興味を示したり、

ファッションにしても飽き足らずに口を出しました。

家光公を江戸の伊達屋敷に招待した際も、

その日のメニューに自らチェックをいれる位ですから。」

 

 

 

また海外との交易に目を向けた点も特筆すべきところでしょう。

当時国内で造った船でヨーロッパまで使節を派遣したのは政宗の凄さの一つ。

 

 

 

田中「その時の支倉常長の衣装が物凄い派手だった。

度を越してるんだもの(笑)でもヨーロッパに行ったって、派手な方が好まれるでしょ?」

 

 

 

外国人が何を好み、彼らに受け入れられるにはどうすれば良いのかを知っていた政宗公。

常に未来を見据え、仙台を豊かな土地へと作り上げた彼は偉大なる東北の雄なのです。

田中館長のお話しを伺っていると、政宗公がどんどん好きになってくる。

インタビューが終わる頃には生誕450年を素直に祝いたくなる自分がいる(笑)

田中館長、貴重なお話しを有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

政治だけでなく、ファッションや食にもこだわりを持った政宗公。

続いてはその『食』でございます。

料理の基本の「さしすせそ」の「そ」、味噌です!


仙台で味噌と言えば…そう、仙台味噌!


文久元年から続く亀兵商店の7代目、

亀田治さんにお話しを伺いました。

亀田さんは石州流のお茶を嗜む風流人でございます。

 

 

 

井門P「いま我々がいるこの場所は…?」

 

亀田「味噌の発酵室です。この場所で半年くらい味噌を寝かせるんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

発酵室の中はふんわりと味噌の良い香りがします。

味見をしたい逸る気持ちを抑えて(笑)、仙台味噌の特徴から教えて頂きました。

 

 

 

亀田「仙台味噌は赤味噌(米味噌)です。

豆の味が濃いのが特徴で、魚を漬け込むのにも適しているんですよ。」

 

 

 

政宗公は味噌も重要な食料と捉え、

江戸の屋敷の中でも味噌を作っていたと言われています。

 

 

 

亀田「ですから“仙台屋敷”は“味噌屋敷”なんて呼ばれていたんです(笑)」

 

 

 

そんな仙台味噌の作り方は400年前から根本的な部分は変わっていないそうです。

材料は米麹、大豆、塩のみ。米どころなので米の割合が多いのだとか。

こうした特徴にしたって、政宗公が治水事業を行い米の生産量を増やしたからこそ。

仙台の方にとっては仙台味噌は朝食に欠かせない食材なのだとか。

 

 

 

亀田「実は洋風でもいけるんです(笑)

バターと合わせてトーストに塗っても美味しいですし、

ホワイトシチューにひと匙入れるとこれも美味しいんですよ~!」

 

 

 

ん~~!想像しただけでも間違いなく美味しさが伝わります!

そして僕らの目の前には寝かせている途中の仙台味噌ちゃん達が今か今かと…。

 

 

 

亀田「では何種類か味見してみてください!」

 

井門P「待ってました!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

味見させて頂いたのは仕込んだ時期が違う3種類の仙台味噌。

仕込んで半月、仕込んで2カ月、仕込んで3カ月。

仕込んで半月の物は色も普通の信州味噌の様な…色も明るめの茶色。

 

 

 

井門P「あ~、味は味噌ですけど塩気が強いですね…。」

 

亀田「まだこの位ですと熟成が進んでいないので、角が残ってますね。

続いては2カ月ほど経った味噌をどうぞ。」

 

井門P「おっ!色がぐっと濃くなりました。

味は…おぉ~!!かなり味噌の味わいが出てきて、美味しいです!」

 

亀田「それでは仕込んで3カ月ほどの物をどうぞ。」

 

井門P「あぁ…ここまで来ると仙台味噌って感じですねぇ。

頂きます…うん、これは美味しい。ちゃんと塩気の角が取れて甘味もあります。」

 

亀田「時間が経つと麹菌の力で味噌が糖化して、麹の甘さが残るんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

亀田「政宗公は食べる事も文化と考えていました。

とすると、やはり政宗公は一流の文化人だったのではないでしょうか?」

 

 

 

400年を経てなお仙台の方に愛される仙台味噌。

これだけ長い年月、仙台市民に欠かせない味として残るものを作るとは…、

やはり政宗公、凄い人物なのであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

親分「井門くん、今回もお酒の取材を用意してるよ、へへへ。」

 

井門P「お~~!さすが親分、ちなみになんて言う酒蔵ですか?」

 

親分「勝山酒造っていう酒蔵なんだけど、飲んだ事ある?」

 

井門P「う~ん、なんとなく名前は聞いた事あるような気がするんですけど、

飲んだ事はないですね…。」

 

 

 

それもその筈。

こちら勝山酒造の醸すお酒はなかなか小売店でお目にかかれない貴重なお酒。

その貴重なお酒を…高級なお酒を…試飲させて頂いたのです!!(歓喜)


まずはお話しを代表の伊澤平蔵さんにお伺いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

伊澤「そもそも仙台で清酒の酒造りが始まったのは、政宗公がきっかけなんです。

政宗公は出羽国出身で向こうには清酒を造る技術があったんでしょうね。

ところが仙台に来てみると、当時はどぶろくを造る酒屋しかなかった。

そこで政宗公は奈良からわざわざ杜氏を呼んで、仙台で酒造りを始めたんです。」

 

 

 

食にも大変なこだわりを持っていた政宗公。

やはり飲み食いするのがお好きだったようです。一気に親近感が増した(笑)

でもこうして清酒造りが盛んになると、町内の酒屋から人が働きに行く様になりました。

結果としてそこで清酒造りの技術を獲得した人が、様々な場所で酒造りをする様に。

こうして仙台、いやさ宮城県は日本でも有数の酒どころとなっていったのです。

 

 

実はこちらの勝山酒造さん、伊達家御用蔵でもありまして。

 

 

伊澤「1857年からなんですが、伊達家にお酒を納める蔵になりました。

実は今でも伊達家18代目の当主にお酒を納めているんですよ(笑)

その時は私は“殿!”なんて呼んで、向こうは“御用酒屋!”なんて呼び合います(笑)」

 

 

 

伊達家にお酒を納める蔵だから御用蔵…と簡単に仰ったけど、

酒造りに関して領内一の技術を持ち、

他の蔵に指導も行っていたからこそ御用蔵となったのです。

そして御用蔵になると身分は商人から士分へ。

 

 

 

伊澤「そうなると名字帯刀を許されるんですけど、

武士と言っても下級武士ですから。しかも2本差しではなく、脇差だけ。

住居も仙台城があるのが街の西側なんですが、

下級武士なので城下町の端になりました。でもその後、鉄道が通りまして。

仙台駅からだと、たまたま街の中心部にここがなった次第です(笑)」

 

 

 

どうして街の中心部の一等地に酒蔵が!?なんて聞かれる事も多いそうで、

勝山酒造の創業は1688年ですから、そりゃ長い歴史の中での変遷もあるわなと。

そして歴史の中で醸してきた酒の味も、当然磨かれていくのです。

なんてったって伊達家御用蔵だもん!!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

伊澤「よく友人にも言われるんですけど、

おい、お前の所の酒、全然見かけないけど大丈夫なのか?って(笑)

そうなんです、なかなか店頭では見ないお酒なんですよね…。

実はウチで扱うお酒は高品質酒のみなので、値段も安くないんです。

ただ宮城県というのは県の9割が高級酒で1割が普通酒なんですよ。」

 

 

 

各地の酒蔵や日本酒に携わる方に話を聞くと必ず出てくるのが普通酒の問題。

普通酒が売れないと嘆くところが多い中で、伊澤さんの話は衝撃でした。

そして現在、勝山は国内のみならず海外にも出荷しているそうで…。

 

 

 

伊澤「現在世界18カ国に出荷しています。

ウチの蔵の出荷量の12~13%は海外に向けてですね。」

 

 

 

伊澤さんから滲み出るバイタリティ、そして圧倒的な品質への自信。

そりゃ“勝山”が美味しい訳だわ…ってまだ飲んだこと無いですけど。

 

 

 

伊澤「ではウチの純米吟醸

純米大吟醸“暁”を試飲してみてください!」

 

 

 

 

 

 

 

 

ち…因みにの方はなんと1万円!!!!

酒バカにとっての至福の時間がやって参りました!

それでは飲み比べを…。

 

 

はぁ…(うっとり)

もうね…何と言うか、たまらない香りとふくよかさですよ。

口に含んでからクッと飲んで、しばらく経ってもその香りは鮮烈なまま。

口の中がずっと酒蔵!!(笑) いつまでも綺麗な香りが残るんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

伊澤「暁は“新しい酒”を目指しました。

あのロバート・パーカーが100点満点で95点を付けたんですよ。

こうしたお酒ですから、例えばNYのTOP50の店の7割に勝山は置いてあります。」

 

 

 

因みに伊澤さん曰く『献』はオードリー・ヘップバーンで、

『暁』はマリリン・モンローだとか(笑)でも物凄くよく分かります。

そんな伊澤さんのお話しと勝山の旨味が相まって、

なんとも心地良い時間が過ぎていきます。

今の勝山を伊達政宗公が飲んだら何て言うでしょう?

いやぁ、これは朝までコースかな…。

歴史と伝統を守りつつ、勝山を進化させ続ける伊澤さん。

貴重なお酒とお話しを有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて、『酒』ときたら『祭り』であります(強引か!)


仙台で祭りと言えばあなた、仙台七夕まつりでございましょう!

僕も子供の頃に見た事があって、30年近く前のことなのによく覚えているんです。

それだけあの七夕飾りが美しく、印象的だったんだろうなぁ。

今回はなんと!その七夕飾りの飾り付けをお手伝いさせて頂いたのです!


しかも2年連続金賞受賞大正園さんの七夕飾り!

お話しと指導を取締役の佐藤英久子さんにお伺いしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐藤「そもそも仙台七夕まつりが今の時期に行われる様になったのは、

終戦の翌年に昭和天皇が仙台を訪れた時期に関係しているんです。

1946年の8月6日に昭和天皇がいらした時、

天皇陛下をお迎えするのに殺風景じゃちょっと…という事で、

商店街に飾りを付けたんですね。それがきっかけなんです。」

 

 

 

大正園は創業100年を迎える老舗のお茶屋さんなのだが、

実際に七夕飾りを造り出したのが70年ほど前からだと言います。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐藤「元々は母が作っていたんですけど、

10年前から私が作る様になりました。

毎年だいたい年明けから飾りの構想を練り始めて、6月から作り始めます。

去年の飾りは作り直しなんかがあって、当日に仕上がったんです!

一家総出で作るんですよ~!」

 

 

井門P「相当大変ですよね…もう辞めたい!!って思わないんですか?」

 

佐藤「思いますよ!!

毎年6月くらいになると“間に合わない!”って夢を見るんだから(笑)

でもね“大正園さんの七夕飾りを見に、新幹線に乗ってきました。”

ってお客さんがいるんです。“親子で楽しみにきました!”とかね。

そんなこと言われたら涙が出ますよね。

また来年悪夢を見ても良いかなって思うんです(笑)」

 

 

 

全ては仙台七夕まつりへの愛情、地元への愛情なのです。

続けていくことの大変さ、地元の方の関心度、お金の問題…。

様々な問題はありながらも、それでも佐藤さんは、

日本文化を次の世代に伝えたいという想いで作っているのです。

そんな熱い想いの詰まった大正園さんの七夕飾り、

今年の物の飾り付けを我々KIKI-TABI一行もお手伝いさせていただくことに!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大正園さんの七夕飾りは商店街の入口に吊るされる物です。

ひょっとしたら映像でも映るかもしれません!

今年の仙台七夕まつり、果たして大正園さんの飾り付けは金賞なるのか!?

皆さんもぜひご期待ください!

 

 

仙台城跡から始まった旅は、広瀬川のせせらぎを聞きながら終わろうとしています。

ちょうど伊達政宗公生誕450年、仙台七夕まつりのプレイベントとして、

広瀬川では伊達な川床というイベントも行われていました。

川床ではイタリアンを楽しんだり、河川敷にタープを張ったり、

川遊びをする子供たちも涼しげで楽しそう。

およそ400年前、伊達政宗公が仙台城を築き始めた時も、

きっとこの広瀬川にはこうした心地良い風が吹いていたんだろうなぁ…。

その時に政宗公が撒いた沢山の種が、こうして400年後の未来に沢山の実をつけている。

東北の英雄、伊達政宗公が命の炎を燃やして作り上げた仙台の街。

是非みなさんも、その情熱に想いを馳せながら仙台の街を歩いてみてください。

歴史と重ねた先で、きっと新しい仙台に出会える筈です!