がんばらんば!福岡のオアシス、朝倉巡り|旅人:上野紋

2017-12-07

こんにちは!

KIKI-TABIでは初めまして。旅人の上野紋です。

 

思い起こせば4年前、奄美群島が日本復帰60周年の節目を迎えた2013年。

当時、私は奄美大島に暮らしながらラジオ番組を作っていて、

KIKI-TABIの前身番組「YAJIKITA ON THE ROAD」奄美編で旅人を担当しました。

それから月日は流れ、今は福岡市に住んでいて

KIKI-TABI、福岡に行くよ!」とお声がけいただいたんです。

 

2度目とはいえ4年ぶり、今回のロケスタッフの皆さんとも初めまして。

実質初参加の心持ちですどうぞよろしくお願いします!

 

今回の旅のテーマは「がんばらんば!福岡のオアシス、朝倉めぐり」

舞台である福岡県朝倉市は、

今年75日から6日にかけての「九州北部豪雨」

大きな被害を受けた地域のひとつです。

 

短時間の集中豪雨で山崩れが起き、木や土砂が一気に下流へ押し寄せました。

土砂になぎ倒された杉の木は、濁流の摩擦で樹皮が剥がれて表面がツルツルに。

災害直後にニュースなどで観た、平野に流れ着く杉の木や土砂が、今でも目に焼きついています。

 

ただ、朝倉という街はもともと福岡県有数の観光地なんです。

黒田藩ゆかりの秋月城下町原鶴温泉田んぼに果物に養蜂と、

魅力がたくさんあるところ。

九州北部豪雨災害からの足取りをたどるのはもちろん、

今回の旅では、もともと朝倉が持っている魅力も知りたいなあ。

そう思いながら、まずは菱野三連水車へ出かけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

水車の前で出迎えてくれたのは、

旅の案内人・あさくら観光協会専務理事の庄崎茂さんです。

 

350年くらい昔から干ばつに悩まされていた朝倉地域の人々は、

安定的に農地を潤せるように、川や用水を整備したそう。

さらに1800年代になると、筑後川の水を山手の田んぼへ送ろうと

堀川用水の水を引いた、自動回転式の重連水車を設置します。

これが菱野三連水車。

 

日本最古の実働水車として全国的にも知られています。

 

 

 

 

 

 

 

 

水車を23つと連ねることで、より多くの水を大きな力で送り出せるんですね。

朝倉市内には三連水車のほか、三島と久重に二連水車があるそうです。

 

これらの重連水車が水を送り出すのは

例年、田植えが始まる6月中旬から稲刈りを行う10月中旬まで。

ということは、

今年は、田植え直後のいちばん大事な時期に大雨が降ったということです。

 

豪雨の1ヶ月後、地元の皆さんが用水にたまった土砂や流木を取り除き、

再び水を送り始めた三連水車。

力強く回るその姿は「災害復興のシンボル」と呼ばれました。

 

毎年稲作が終わったら、水門を閉じ、水車の部材も外されて外枠だけが残ります。

私たちが出かけたときは、すでに冬支度が完了したあと。

回っていない水車を見るのも珍しいですよね

今年は特に、お疲れさまでした。

 

水車と田園風景を眺めながら、庄崎さんに朝倉の現状を尋ねます。

「いや土砂を除いた大きな道路は通れるようになったんですけど、

そこから1本奥に入ると、まだまだ手付かずですよ。

復興どころか、まだ何も始まってないんじゃないかな。

民家も道も、片付けが終わっていないところが多いですし、

何より、田んぼには上流から粘土質の泥が流れ込んで干上がってる。

これじゃ、しばらくは何も作れないでしょうね。田畑の処理も課題です」

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言われて初めて、目の前の田んぼに目を向けました。

のどかな田園風景と思っていた水田は、泥と土砂で覆われた上、

干上がって深くひび割れています。

よく見る田んぼの土とは、色も質感も明らかに違いました。

 

さらに道すがら「ちょっとあの辺りにも寄りましょうか」と庄崎さん。

朝倉インターチェンジのすぐ近くにある比良松中学校に立ち寄りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

隣を流れる桂川が決壊して護岸がえぐり取られ、

川沿いに建つ校舎の、コンクリートでできた土台が見えてしまっている。

この様子も、ニュースで何度となく見た光景ですね。

45ヶ月経った今でも、復旧作業は始まったばかり。

私たちが立っていた、学校の対岸は少しずつ護岸の補修が始まっていましたが、

向こう岸は削れ、土台は変わらずむき出しで、校舎そのものも変形したままでした。

 

「校舎を直す前に民家の片付けもあるし、畑や田んぼや、日々のこともあるしね、やらなきゃいけないことが多すぎて、どこも手が回らないんですよ」

と庄崎さん。

 

「復興」の前段階である「復旧」さえも、

簡単に進むものではないのだと思い知らされます。

 

続いては、朝倉市中心部から北へおよそ7km筑前の小京都・秋月城下町へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋月城は、800年以上前、

中世・鎌倉時代に秋月氏が開いた山城から始まったと言われます。

その後、秀吉の九州平定により秋月氏が去り、

江戸時代初めには黒田官兵衛の弟・黒田直之が秋月城と周辺を治めました。

 

その後、官兵衛の息子で福岡藩初代藩主・黒田長政

の、三男・黒田長興が初代藩主となり、秋月黒田藩の歴史が始まります。

んー、ややこしいな。

つまり、初代秋月藩主の長興は、官兵衛の孫にあたります。

ここ秋月は、福岡の歴史にも深く関わりのある土地だったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

秋月は、三方を山に囲まれているため攻め込まれにくかった半面

明治時代以降は、近代化や開発から取り残されてしまいました。

このため、江戸時代に秋月黒田藩が整備した区割りと町並みが

当時の姿・道幅のままで残されています。

 

私たちが出かけた日も、たくさんの方が観光していましたが、

街全体がしっとりとした雰囲気なんです。いやあ落ち着くわ

 

そんな歴史ある秋月城下町のなかで最も古い史跡が、

中世の秋月氏16代と黒田氏12代の歴史を見つめてきた「黒門」です。

江戸時代には、秋月城の大手門として使われていたそうで

設置場所や役割の変遷を経て、現在は垂裕(すいよう)神社の門になっています。

真っ黒い黒門をくぐり、長い石段を登って、お参りしてきましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

お堀を渡って秋月城の大手門へ向かうための橋「瓦坂」は

横から見ると一見オーソドックスな石垣づくりですが、

土砂の流出を防ぐために、縦に瓦が埋め込まれているユニークな作り。

瓦が埋め込まれた土塀は見たことがあるけど、

橋に埋まっているのは初めて見た気がしますしかも坂道の橋。

 

江戸時代はこの橋を渡った先に、大手門こと黒門が待ち構えていたんです。

現在、この橋の向こう側には秋月中学校があります。

お城に通学なんて、ちょっとロマンありますよね

城好き男子や歴史好き女子、多いのかな。

こんなに身近すぎるとそうでもないかな。

 

そんなことを思いながら、黒門からお堀沿いの道「杉の馬場」を歩いていると、

今年1021日にオープンしたばかりの秋月博物館に着きました!

 

 

 

 

 

 

 

 

ここには、中世秋月氏や秋月黒田藩の貴重な資料が収められています。

秋月博物館の職員・福田正さんからは

歴史や秋月藩の成り立ち、黒田家とキリシタンの関わりについて教わりました。

ここ秋月も、福岡県有数のキリシタン信仰の中心だったそうです。

しかしその後、天草四郎時貞が率いたキリシタン一揆「島原の乱」では、

秋月藩から多数の兵が「鎮圧軍」として参加したというなんの因果でしょうか。

島原の乱で実際に使われたとされる鎧兜の実物や、

その鎧兜で出兵する様子が描かれた屏風絵など、

貴重な資料も見せていただきましたよ。

 

驚いたのは、

秋月出身の医師・故土岐勝人さんが

「地域の子どもたちに見てほしい」と朝倉市に寄贈した土岐コレクションの数々!

まさか、城下町の落ち着いた雰囲気を散策して、歴史をたどった直後に

ピカソ、ロダン、シャガールなどの西洋美術に出合うことになるなんて

思いもしませんでした時代も洋の東西すらも超える贅沢。

 

さて、歴史の次は民俗。土地の暮らしと「食」です!

「秋月に来たら郷土料理の蒸し雑煮をぜひ食べて!」と庄崎さんに勧めてもらって

「蕎麦処 秋月池田屋へ向かいました。

 

そう、「蒸し雑煮」。ご存知ですか。

初めてこの料理の名前を聞いたときは、

オーソドックスなお雑煮の、汁なし&蒸し野菜バージョンを想像していた私。

皆さんも想像してみてください

器のフタを開けたら、だし汁はなくて、

出汁の味がしっかりしみた、蒸しエビ、蒸し餅、蒸し野菜が

これはこれでおいしそう。

 

実際登場したのは茶碗蒸し状お雑煮!意外でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

お店を切り盛りする田中修さん、安子さんご夫妻によれば

蒸し雑煮の始まりは江戸時代中期にさかのぼります。

外国から長崎に伝わった卓袱(しっぽく)料理や茶碗蒸しが、

長崎警備に出かけた福岡藩の人々に伝わったのが始まりとのこと。

 

福岡は筑前煮や水炊きなど、養鶏や鶏料理が身近な土地。

特に貴重な卵を使った茶碗蒸しは、お雑煮に並ぶご馳走だったでしょうね。

そんな贅沢な料理二つが合わさって、蒸し雑煮が生まれたようです。

江戸時代後期になると、秋月藩からも長崎警備に出かけるようになって

朝倉にも伝わったそうです。

 

そこまで聞いて次に気になるのが

「朝倉市民は皆知ってるの?日常的に食べてるの?」ということ。

 

去年、小学56年生を対象に

「あなたの家で食べるお雑煮の種類は?」というアンケートを行ったところ

「蒸し雑煮を食べている」という回答は

朝倉市の秋月地域と三奈木地域の子どもたちに集中していたんだそうです!

秋月藩のお膝元である秋月と、黒田家の養子が治めた三奈木地区。

蒸し雑煮は武士が暮らした地域で受け継がれていたんですね。

 

「秋月池田屋」さんの蒸し雑煮も、地元秋月の皆さんに確認して考案したレシピ。

しっかり濾したたまご液に秋月特産の葛を入れ、

底に敷いた大根、おもち、かつお菜、人参、鶏、しいたけ、かまぼこ、エビ、昆布。

ゆずの皮で香りづけをするという贅沢さ。手間暇、愛情、かけてます!

 

出来上がりまで15分、蒸気を上げる蒸し器を眺めながら

修さん、安子さんとおしゃべりするのもまた楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

「熱いよ!気をつけて!」と声をかけてもらいながら

しっかりフーフーして、いただきまーす!

 

 

 

 

 

 

 

 

トゥルン、と口に滑り込んでくる葛入りたまご液。お出汁が優しい沁みる

一口サイズの具材を探し当てる前に、差し込んだスプーンが丸餅に当たります。


「お餅もね、こだわってるのよ。

直接お餅屋さんに頼んで、もち米を杵でついてもらって、瞬間冷凍してもらうの!

お客さんからお出汁も美味しいって褒められるんだけどね、

特にお餅が美味しいってお客さんからもよく言われるの」


という安子さんの解説にうなづきつつ、お餅を一口大に切ろうと上に伸ばしていたら

切れるどころかどこまでも伸びる伸びる。

ようやく口に運んだら、お餅の味がしっかりしました。

これは、安子さんが熱っぽく語りたくなるのも分かる。おいしい。

大きさも伸びも、味も食感も食べ応えも、圧倒的な存在感。

このお餅の贅沢さは確かに「お雑煮」でした。

 

蒸し雑煮は現在、朝倉市19の飲食店や旅館などで提供されています。

イタリアンやフカヒレ入りの中華風など、お店のオリジナリティも全開。

食べ比べて歩くのも楽しそうですね。修さん、安子さん、ごちそうさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

お腹が満たされた私たちは、原鶴温泉の六峰館へ。

九州一の筑後川、そして耳納(みのう)連山を眺めながら足湯に浸かりました。

原鶴温泉の源泉は「ダブル美肌の湯」といって、

柔らかなアルカリ泉と美白効果が期待される硫黄泉が混ざっているんだそうです。

つるっとした柔らかなお湯が気持ちいい。

今原鶴温泉では、15軒の旅館が営業しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

朝倉の1年間の楽しみ方について庄崎さんに尋ねてみると、

春先は桜の季節。

520日に筑後川のアユ漁が解禁されると鵜飼がスタートします。

夏休みはプールのある宿で楽しめるほか、

秋にかけてはフルーツ天国!

ブドウや梨、いちじくや富有柿などの収穫期です。

さらに秋月は紅葉の名所。

冬場はもちろん温泉!

季節ごとに遊びに来たくなっちゃうな。

 

ただ、今年の豪雨災害で失われたものも多くあります。

 

「やはり今年は、7月の水害が忘れられないんです。

ただ、被災地を旅行で見ていただくのも、一つの観光の形だと考えています。

今の街の様子や、直売所で働く皆さんの元気な姿を見にいらしてください」

という庄崎さんのことばが心に残りました。

 

朝倉市を巡った今回の「KIKI-TABI」。

7月の豪雨災害から半年足らずの今を、少しだけ見せてもらった旅。

そして、朝倉の歴史と暮らし、文化に引き込まれた旅でした。

 

しかしもちろん、これだけで満足はしていないのです。

 

次来たときは、

今回足湯オンリーだった原鶴温泉にゆっくり浸かりたいし、

蒸し雑煮もまた食べたいし、食べ比べもしたい、

秋月城の武家屋敷も町割りも、朝倉の人が暮らしているあたりも

それぞれじっくり歩きたい!

と、次回やりたいことばっかり増えてしまったのでした。

ただ、それは次に出かける理由ができたってことですよね。

いい旅させていただきました!

 

案内してくださった庄崎さん、旅先でお話してくださった皆さん、

お世話になりました!ありがとうございました。

 

番組をお聴きいただいたあなたも、

気になった朝倉の魅力を巡りに、一度足を運んでみてください。

福岡でお待ちしています!