分かりやすく解説!世界遺産~神宿る島「沖ノ島・宗像」|旅人:上野紋

2017-12-14

こんにちは!旅人の上野紋です。

 


今回のテーマは【分かりやすく解説!世界遺産~神宿る島「沖ノ島・宗像」】。

7月に世界文化遺産に登録された

「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群を辿ります。

 

とはいうものの、沖ノ島と「関連遺産群」って一体何

宗像といえば宗像大社じゃないの?と、概要をあまり理解していなかった私。

 

そこで今回は、旅の心強い助っ人・

宗像歴史観光ボランティアガイドの江藤進之さん

沖ノ島のこと、宗像のことを解説していただきながらの旅となりました!

 

旅のスタート地点は宗像大社・辺津宮。

大きな鳥居の脇にある広い駐車場は参拝者の車でいっぱいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

大分出身の江藤さんは、仕事の関係で引っ越した宗像の魅力に引き込まれ、

定年後も宗像に暮らして、ボランティアガイドの活動をしているそう。

宗像大社の世界遺産登録に向けた運動にも6〜7年携わったそうで、

「世界遺産登録が決まった日は涙が出るほど嬉しかったですよ!」とおっしゃる。

登録は地元の方々の悲願でもあり、長年にわたる活動の賜物だったんですね。

 

そんな江藤さんたちが特に重要としていたのが

沖ノ島だけでなく関連遺産が全て(!!)世界遺産に登録されること。

 

何故か。

 

そもそも宗像大社は、天照大神の子どもたちである3姉妹の姫神が祀られた

3つの宮から構成されています。

 

私たちが普段「宗像大社」と呼ぶ「宗像大社辺津宮(へつぐう)」には

三姉妹の末っ子、市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)が祀られています。

本土から沖合11kmの島・大島にある「宗像大社中津宮(なかつぐう)」には

次女の湍津姫神(たぎつひめのかみ)が、

大島からさらに49km、沖ノ島にある「宗像大社沖津宮(おきつぐう)」には

長女・田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られているのです。

この3つの宮を合わせて「宗像大社」なんですね。

 

今年5月にはユネスコの関係諮問機関から

「沖ノ島と、周りにある3つの岩礁に限りましょうよ」と勧告を受けるも

「宗像大社は3つでひとつ!3ヶ所のお宮で同じ祭事が行われていたんだから

沖ノ島の考古学的な価値だけじゃなくて、周辺の祭事や信仰も評価してください!」と、地元の皆さんが中心となって粘り強く訴え続けます。


 

結果、

 

1、沖ノ島

2〜4、沖ノ島そばにある3つの岩礁「小屋島」「御門柱」「天狗岩」

5、中津宮

6、辺津宮

7、大島にある沖津宮遥拝所(ようはいじょ)

8、新原・奴山古墳群

 


という8つの構成資産が一括登録されることが決まったのでした。

関係各位、あらためて、おめでとうございます…。

 

登録直後から観光客も激増!

特に、パワースポットとしても注目を集めるようになったのが

宗像市本土にある
辺津宮の「高宮(たかみや)祭場」

宗像三女神が降臨したところと伝えられています。

 

境内の神殿からさらに奥へ奥へと山道を歩くと、林の中に広場のようなスペースが。

石がいくつか並べられているだけで、奥の木にはしめ縄が見えます。

 

奈良時代以前の神社には社殿がなくて、

森や山、島などの自然物を祭場として神事が行われていたのだそうです。

この高宮祭場も沖ノ島も、その頃からの「古代祭場」なんですね。

 

特に高宮祭場は、間近で直接見ることができる、全国的にも貴重な場所。

社殿から高宮祭場までは、山の奥へ続く長い坂道を歩くんですが、

森の空気に触れて祭場を前にすると、背筋がしゃんと伸びました。

ああパワースポット…

 

続いて、辺津宮の敷地内にある神宝館へ。

沖ノ島の祭祀跡から出土した、8万点(!)の国宝などが展示されています。

朝鮮半島製純金指輪や武器、土器などなど。これ全部国宝なのか…

さすが、人呼んで「海の正倉院」です。

 

辺津宮の次は中津宮。大島へ渡ろうと乗ったフェリーは朝から満員!

大島は韓国発祥のトレッキング「九州オルレ」のコースに認定されて

最近はオルレを楽しむ方もたくさん渡っているとか。

確かにスポーティーな服装の方が多かった気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

それにしても。

登録が決定した7月以降は、観光客がこれまでの6倍に激増したそう。

短期間に大勢が押し寄せると、地元の受け入れ態勢も大変なんじゃないかな…

と思わず気になって江藤さんに尋ねると、

 

「確かにね、悲願かなって世界遺産に登録されたし観光客も増えたんですけど、

トイレも飲食店、おみやげ屋さんも、全然整備が追いついていないんです。

ただ来てもらえばいいというものじゃなくて、来た方をどう受け入れるか。

登録直後の今だけでなく、継続的に人が訪れるにはどうしたらいいか。

そこを考えることが、宗像の課題なんだと思います」

 

と江藤さん。

 

登録はゴールではなく、地元にとってはスタート地点。

それから先、大勢の人を受け入れるために必要なこともたくさんある。

世界遺産登録が持つ影響力の大きさを、あらためて感じました。

 

中津宮の鳥居は、大島の渡船ターミナルのすぐ近くにあります。目の前には港!

本土の辺津宮からまっすぐ北東に位置していて鳥居も向かい合わせです。

…辺津宮の鳥居は見えないけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

鳥居をくぐって右手に、牽牛神社と書かれた小さな社があって

中津宮の境内には、小川と赤い欄干。

さらに左手の小高いところには、織女神社と書かれた小さな社がありました。

牽牛と織女といえば彦星と織姫。大島は、七夕伝説発祥の地なんだそうです!

知らなかった!ふたりを隔てる天の川もしっかり流れていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

急勾配の長い石段を登って、拝殿でお参り。

しんと静まり返った境内には私たちしかいませんでした。

フェリーに乗っていた皆さんはどこへ行ったのかな。やっぱりオルレか…

 

 

 

 

 

 

 

 

お参りのあと、湧き出るご神水「天真名井(あまのまない)」へ。

沢へ降りる道を少し歩くと、天の川の水音が聴こえてきます。

1年経っても腐らないご神水を飲むと、延命長寿が叶うと伝えられているうえ、

この水を使って書道などの習い事をすると上達するとも言われているそうです。

ミネラルをしっかり含んだなめらかな水。

しっかりいただいたので、口のまわりがよくなりますように…

 

 

 

 

 

 

 

 

中津宮へのお参りを終えて、大島の北東へ。

「砲台跡」に向かいます。

日本陸軍が4門整備した砲台のうち一つのコンクリートでできた基礎や

敵艦の距離や速度を図るための観測所として使われた建物が残されています。

 

先には沖ノ島が望めるという位置関係。

ただし、大島からから沖ノ島が望める日は年間60日くらいだそう。

365日中60日…6分の1か…意外と見えませんね…

考えてみたら、大島と沖ノ島って50km近く離れてるしね…

でもこの快晴と澄んだ空気だったら見えるんじゃない?

見えるといいな…さあ見えるかな…

 

 

見えたよーーーーーーー!

 

ぼんやりした霞の向こうに輪郭が見えたらラッキー、なんだそうですが

目をこらすと、沖ノ島の岩肌まで!こんなにくっきり見えるなんて!!

キキタビスタッフ一同、静かに感動。

「こんなに見えるのも珍しいです。素晴らしいときにいらっしゃいましたねえ」

とニコニコの江藤さん。ありがとうございますっ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに砲台跡の近くには、日本海海戦の戦死者慰霊碑がありました。

 

日露戦争でバルチック艦隊と日本海軍が衝突した日本海海戦は

沖ノ島のすぐ近くの海域で起こっていました。

当時沖津宮で働いていた16歳の少年が、海戦を偶然見ていて

その話を聞いた神職が様子を記した日誌は、今も残されています。

中津宮の境内にコピーが貼り出されていて、じっくり読んでしまった。

時間の経過と眼の前で繰り広げられる出来事が細やかに書かれていました。

 

日露戦争勝利を記念した祭事は、本土の辺津宮で行われていましたが

その後沖ノ島で、ロシア兵も含めた戦没者慰霊の祭事が始まります。

毎年5月27日、200人ほどの男性が沖ノ島に上陸できる現地大祭です。

…慰霊のための祭事だったんだ。

世界遺産登録を受けて、来年から現地大祭は行わないことになりました。

 

島は、歴史の目撃者でもあったんだな。

太平洋戦争の頃には、沖ノ島にも砲台が置かれていたんだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

沖ノ島が見えた感動冷めやらぬまま、島の南側にある大島交流館へ。

ここは島の歴史を紹介する資料館で、

中津宮と沖津宮遥拝所を紹介する展示や、沖ノ島についての映像を観られます。

 

沖ノ島は女人禁制。今でも神職が一人ずつ交代制勤務で守ります。

上陸の際には首まで海に浸かる「禊」をしなければならないほか

島内にある木の枝1本、石ころ一つ持ち帰ることも許されない、

島で見聞きした事を漏らしてはいけない「お言わずさま」というしきたりがあるなど

厳しいタブーが今でも残っている島です。

 

「そんな沖ノ島へ行ったことがある人がいるから話聴いてって!」

と、交流館職員の方が紹介してくれた遠藤美千代さんは昭和12年生まれ。

旦那さんと一緒に、島のすぐ近くで建て網漁をしていたとのこと。

沖ノ島の近くにある小屋島という岩礁は特にいい漁場で、

船で網を引き回しただけで、いろんな魚が獲れたのだそう。

 

さらに!

子どもの頃、お父さんが小屋島にいる鵜の卵をゆでて持ち帰り、

家族で食べたこともあるとか。

鵜のゆでたまごが漁のお土産…どんな味がするんだろう…

 

「潮が引く時間帯に沖ノ島の近くまで出かけると、

水面にウニや貝がたくさん上がっているのが船から見えたんですよ。

持ち帰っちゃいけないから、沖ノ島の周りは獲りませんでしたけど」

と、笑って話してくれました。

 

もちろん、漁の安全を沖ノ島に祈ることも日常的なこと。

祈りの場であったと同時に、生活を支える恵みの場でもあったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな沖ノ島の祈りの象徴である「沖津宮遥拝所(ようはいしょ)」

島の北側、黒瀬海岸のそばにありました。

遥かに望んで拝む場所、という名のとおり、

誰も入ることができない沖ノ島・沖津宮に向かって参拝する場所です。

砲台跡とはまた少し違う表情の沖ノ島が見られます。

 

その昔は漁師の家族が、夫や息子たちの漁の安全や大量を祈っていた場所。

 

遥拝所の鳥居には「沖津宮」の文字が!

…ん?大島にあるのは中津宮でしたよね?さっきお参りしましたよね?

沖津宮は沖ノ島にあるはずじゃ…?と思う私に

「ここが大事なところなんです」と江藤さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

人の自由な立ち入りを許さない沖津宮。

その敷地はこの遥拝所の鳥居から始まっていて、

目の前の玄界灘が境内、沖ノ島そのものが御神体と考えられていたそう。

つまり、遥拝所から遠くの沖津宮を望むのではなく

私たちが立っていた遥拝所も沖津宮の一部だということですね。

 

大海原の境内と、およそ50km先の御神体…スケールが大きい…

 

この島の人々は、昔からこうやって沖ノ島を眺め、祈っていたんだなあ。

日常の中に自然への信仰があったことが、ストンと腑に落ちました。

それにしても、遥か彼方の御神体がしっかり見られて嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

フェリーで本土へ戻ってきて、8つの構成遺産の最後のひとつへ。

宗像のお隣・福津市にある新原・奴山(しんばる・ぬやま)古墳群です。

 

小高い展望所に着くと、左手前方に、円墳!方墳!前方後円墳!

海外との交流や沖ノ島祭祀を担った古代豪族・宗像氏が

5世紀から6世紀にかけて築いたとされる古墳群です。

昔の入り江そばに、合計41基もの古墳が残されているんだそうです。

内訳は前方後円墳5基、円墳35基、方墳1基。

古墳好きですが、こんなにたくさん見たことないよ…まさに群れ。

 

台地からは大島が見えます。さらに見えないずっと先には沖ノ島、朝鮮半島が。

その昔からこの場所で、沖ノ島を信仰して海の外と関わった人がいたんですね。

 

「昔の伝統的なまつりごとが、今まで変わらず続いているんですよね。

さらに地元の人の生活の中に信仰が根付いている。

ここが宗像の一番いいところかもしれませんね。

世界遺産に登録されたこれからは、いかに世界遺産を守るかが大事です。

おもてなしの心で誠心誠意、これからもお客さんをお迎えしたいです」

と、江藤さんも語ってくださいました。

 

確かに世界遺産に登録された途端、注目も集まって観光客が増えます。

けれど注目が集まる前から、そこで生活を営む人たちがいたことが大事で。

 

宗像の方々が、生活をひとつひとつ積み重ねてきた隣には

ずっと3人の神様がいて、沖ノ島や宗像大社があった。

自分たちがわかればいいから余所の人に伝える必要はなく

神聖であるぶん禁忌が多いから、その土地以外には広がらない。

 

世界遺産登録を機に宗像のことを知った私たちが

「え、どういうこと!?」と思うのも、そりゃ当然ですよね。

 

わかりやすさとは別の、その土地の深くにある魅力は

掘り下げる楽しみにつながります。

宗像は、知れば知るほど積み重ねた歴史の厚みが伝わる土地です。

あなたも、人々の生活や自然への敬意が脈々と受け継がれるさまを

ぜひご自身で辿りにいらして下さい。

 

私は…次来たときは、じっくり古墳巡りと大島散歩かな。

次も沖ノ島、見られるといいな…。

 

先週放送の朝倉編に続き、2週にわたって旅人を担当しましたが

お聴きいただいた皆さんのタビゴコロを刺激できたでしょうか。

心強いガイドの皆さんや、キキタビスタッフの皆さんのおかげさまで

私自身にとっても実りの多い旅でした。

では、またどこかでお会いしましょう♪ありがとうございました!