五所川原発、ストーブ列車に乗ろう!|旅人:井門宗之

2018-02-22

一度は見てみたいと思っていた立佞武多!

一度は乗ってみたいと思っていたストーブ列車!

ついに、ついに、その両方の願いが叶ったのが今回の旅です。

個人的にはカレーハンバーグみたいな…うん、ちょっと例えが違うな。

あっ、そうだ!高校時代の学食で毎日の様に食べていたカツミートの様な(例え下手か)。

いや、皆さんカツミートって凄いんですよ。

白いパスタにミートソースがたっぷりかけられて、その上にチキンカツがどーんと乗る。

そこに味噌汁と山もりご飯が付いて400円くらいの定食。

学生達の人気メニューで、カウンターでは誰しも「カツミート!カツミート!」と叫ぶほど。

 

ん??

カツミートの思い出じゃない?

誰も札幌光星高校のカツミートの思い出が聞きたいんじゃない、と?

もしこの旅日記を読んで共感して頂けた光星高校の卒業生がいたら、ご連絡ください(笑)

はい、相当話しがズレましたが…。

立佞武多にストーブ列車、皆さんご存知ありませんか?

共に青森県五所川原市の名物であり、

立佞武多は夏の、ストーブ列車は冬の五所川原の風物詩であります。

今回はそこに津軽金山焼きも併せて(焼き物大好きKIKI-TABI一行)、

冬の五所川原を満喫しにやってきたのでありました~!

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「ところで立佞武多ってどれくらい大きいんですかね?」

 

親分「ほら、あそこにひと際大きな建物があるでしょ?

あれが立佞武多の館っていってこれからお伺いする場所なんだけど、

あの中に立佞武多を格納しているんだよ。だからあれだけ大きいんだって。」

 

井門「うへぇ!!(感嘆詞が昭和の漫画みたいだね)

建物があれだけ大きくないと立佞武多がしまえないって事でしょ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

見上げると首がポキっと鳴る程の建物が『立佞武多の館』でございます。

こちらは観光と市民交流の拠点施設にもなっていて、

だからでしょう、入口を入るとすぐに喫茶スペースやお土産屋さんが並び、

お店の方が「しじみ汁」を試飲させてくれるのです。

そんな館内でお話しを伺ったのはマネージャーの石川マミ子さん

 

 

 

 

 

 

 

 

石川「私、井門さんがまだレポーターの頃からずっと聴いてます。

この番組もYAJIKITAの頃から聴いていますよ!

うへぇ、生の井門さんだ!!YEAH!」

 

 

と、お会いして2秒でテンションがMAXの素敵な方です(笑)

なんせお話しも面白くてあっと言う間に時間は過ぎていくのですが、

お話しの勢いは勿論、ここで圧倒されたのはやはり立佞武多の現物。

館内の展示室に入ると、その迫力に全員が息を飲みました。

なかなか写真では伝わりにくいかもしれませんが、

立佞武多の画像をどうぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「いやぁ…凄いなこれは…凄いとしか言いようがないです。

僕はバチカンのシスティーナ礼拝堂で天井画を見た時も見上げたまましばらく動けなかったけど、

ここもしばらく動けなくなりますね…。」

 

石川「そんな風に言っていただけて光栄です!

この立佞武多、今はここに3基展示してあるんですけど、

1基がおよそ23mで重さが19tあるんですよ。

青森のねぶたや弘前のねぷたは1基が大体2500万円で、立佞武多が1基1200万円ほど。

どうです?お安いでしょう?井門さん、是非買ってってください(笑)」

 

井門「こんな大迫力の立佞武多が1基1200万円ですか!?

それはお安…い訳ないでしょ!!買えるか!」

 

 

そんなやり取りをしながら、エレベーターに乗って立佞武多の頂点の方へ。

近くに来るとその細工の素晴らしさが分かるのと、いかに高い場所まで来たか分かります。

それが証拠に高所恐怖症の横山Dが少しだけプルプルしておる。

 

 

石川「これだけの大きさの立佞武多、どうやって出すのか気になりますよね?」

 

井門「勿論です。こんなに大きな物を組み上げて、また分解して出すんですか?」

 

石川「へへへ、違います。違うんですよ。

こちらの壁をご覧ください。立佞武多がそのままここから出せる様に、

建物自体の側面がお祭りの時になるとグワーっと開くんです!」

 

井門「うへぇ!!壁全体が開いて、ここからそのまま出ていくんですか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

ここでちょっとお祭りの歴史を紐解いていきましょう。

五所川原の立佞武多はなかなかに面白い歴史を辿っているのです。

かつて明治・大正と続いた立佞武多。

その頃から立佞武多の大きさは20mを超えていたと言います。

ところが昭和に入り電気が普及すると、町に電線が張り巡らされる様になるんですね。

そうするとそこまでの高さの立佞武多が動けなくなってしまう。

なので電線の架設と共に一時なくなってしまったお祭りが立佞武多だったのです。

加えて昭和19年、昭和20年に五所川原市を大火が襲います。

この大火によって市の紙資料がほとんど焼失してしまったそうです。

戦後、お祭りを復活させようにも巨大な立佞武多の設計図が失われてしまっている…。

まさに幻のお祭りになってしまったのですね。

 

ところが平成の時代に入り、焼失していたと思われた設計図が奇跡的に出てきた!

これは復活させねば!!という事で市民団体の皆さんが設計図を基に立佞武多を作り、

見事に80年ぶりに五所川原に立佞武多が復活したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

復活してからは行政も動きが早く、

電線も地中化し、施設そのものも五所川原市が作り、

お祭り自体が五所川原市の全面バックアップで行われる様になったのです!

凄いぞ、立佞武多!凄いぞ、五所川原市!

ですから立佞武多を作る職人さんも五所川原市の役所の職員さん。

匠の技術を持つ職人さんは五所川原市の職員でもあるのです。

いやぁ、青森のねぶたもそうだけど、東北の人のお祭りにかける情熱が凄いや。

 

 

石川「いや、何が凄いって、他の地域のお祭りって大体神事じゃないですか?

五穀豊穣を願って、とか基本は神様に捧げるものですよね?

青森のお祭りってそうじゃないんです。神様に捧げるんじゃなくって、

完全に人が『よし、やるぞぉ!!』って言って作り上げているので、

モチベーションが違うんです(笑)」

 

 

青森の長い冬は寒くて雪も多い。

だからこそ雪で閉ざされたおよそ半年間のパワーを爆発させるべく、夏の祭りはあるのです!

 

 

 

 

 

 

 

 

石川「そもそも明治時代にあれだけの高さがあった理由だって面白くて、

当時五所川原って青森県で一番お金持ちの町だったんです。

だからそのお金持ち、例えば井門さんがお金を投じて立佞武多を作るでしょ?

そうすると私が『井門さんの所が5mの立佞武多ならうちは10mだ!』って言って、

それがいつしか競争になって、こんだけ大きくなっていったんですって(笑)」

 

 

いや、それでも20mを超えるって凄いことだから!

これだけの大きさの立佞武多を作るのだって大変な労力。

それぞれ大まかに50~60のパーツがあって1基、大体1年かけて作るそうです。

僕らは新しい立佞武多を作っている工房も見せて頂いたんだけど、

大きな舞台の大道具を作る部屋のようで、

しかも新しいものを作ると旧いものは保管せず廃棄してしまうとか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだか勿体ない気もするけど、これだけの大きさだと保管も安全面からも大変だとの事。

いやぁ、しかし展示室でもライトアップされて綺麗ですが、

お祭りの時はさぞかし綺麗なんでしょうねぇ…想像しただけでうっとりします。

 

 

石川「夜の五所川原市を、この立佞武多がライトアップされて曳かれる姿、

本当に迫力がありますし、美しいですよ。井門さん、来てくださいよ!」

 

井門「いやめちゃくちゃ見に来たいですけど、シーズン中は宿泊も大変でしょう??」

 

石川「150万人くらいのお客さんが集まりますからね~!

団体のお客さんでいっぱいになりますよ。

宿なら私の家に泊まってください♪」

 

井門「いや、なに言ってんだ!(笑)」

 

石川「でも絶対に見に来てください、本当に素晴らしいんですから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

石川さんのお話しの後は1階で行われるお囃子の実演を!

五所川原の企業の方々が笛、手振り鉦、太鼓、そして掛け声でお祭りの雰囲気を再現します。

実演する皆さんの左右には20mを超える立佞武多。

夏のお祭りに想いを馳せると、自然と掛け声も出て来ます。

 

『やってまれー!やってまれー!』

 

『やってまれー!やってまれー!』

 

 

 

 

 

 

 

 

立佞武多の館を出るとこの季節には珍しい位の温かな気候。

見上げた空からはこれでもかって程のお日様の光が注いでいます。

外まで見送りに来てくれた石川さんも「この時期なのに珍しいですねぇ!」と。

でもこの空の高さ、たまらなく綺麗だなぁ…。空気も凛としていて。

 

そんな五所川原の空に魅かれて、この地に移り住んだ方がいらっしゃいます。

勿論理由はそれだけではないけど。

 

五所川原駅前から車でおよそ15分~20分。

津軽金山焼きの展示館と体験工房『ギャラリー和土 WANDO』があります。

展示館の入口にはそこかしこに焼き物が置かれ、

なんとも言えず不思議な空間を醸し出しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

津軽に産地を作る会理事で陶芸教室の講師もされる中鉢徹さん

ギャラリーで色々なお話しを伺いました。

 

 

井門「中鉢さんはそもそも地元が津軽なんですか?」

 

中鉢「いえいえ、妻の実家がこっちなんです。

前は下北沢にいて下北で陶芸教室もやっていたんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

中鉢さんが初めて五所川原に来た時、

東京とは違う空の広さと高さに感動したそうです。

雲間から太陽の光が差し込んでくる、その一筋の美しさ。

シンプルなこと、シンプルなものの美しさ。

それは中鉢さん達が作る津軽金山焼きにも通ずるところがあって。

 

 

中鉢「津軽金山焼きはこの近くの大溜池から採れる赤土の粘土を使って作ります。

これが鉄分を含んだ粘土になるんですが、釉薬を使わずに薪の窯を使って、

炎だけで焼きしめて作り上げるのが津軽金山焼きの特徴の一つです。

なんでしょうね、日本料理と似ていると思います。」

 

井門「日本料理ですか?」

 

中鉢「はい。足し算ではなく、どちらかというと引き算。

素材の味を活かすのが日本料理だと思うんです。

津軽金山焼きも同じで、釉薬を使うのではなく、地の焼き色で個性が出てくる。

だけどそこに様々な表情が出てくるんです。」

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも津軽金山焼きの歴史はまだ30年ほど。

窯元である社長が一人で始めたのが津軽金山焼きのルーツなのです。

 

 

中鉢「窯元が物凄く熱い人で、巻き込まれちゃうと言いますか(笑)

僕も妻の実家がこっちなので、窯元の所にも来ていたんですけど、

世界薪釜大会ってのがありまして。」

 

井門「薪釜大会??」

 

中鉢「焼き物の世界には“かまぐれ”って言葉があるんです。

日本には様々な焼き物の産地がありますよね?

その産地に違う産地の職人が行く…お互いの産地を行き来するんです。

そうやって勉強したり文化交流をしたりするんですけど、

窯元がそれを世界中の産地で出来ないかって(笑)」

 

井門「それで世界薪釜大会が生まれたんですか?」

 

中鉢「いつの間にか僕が日本代表みたいになって(笑)

9年で終わったんですけど、そういう縁もあってこっちに移り住んで来ました。」

 

 

 

 

 

 

 

 

窯元の想いは『津軽に産業を作り、人の流出を防ぐ』こと。

その為に、産業となる為に生まれたのが『津軽金山焼き』だったのです。

 

 

中鉢「まだ30年しか歴史もないので、

知名度を上げるのは勿論なんですけど、

産業なので(津軽金山焼きに携わる)皆が食べていける為に頑張らなきゃいけないです。」

 

 

中鉢さんは窯元の熱さに巻き込まれたって仰ってましたけど、

いえいえ、中鉢さんもしっかり熱さを持った方ですよ。

そんな中鉢さんの熱血指導(!?)のもと、

こちらの工房で津軽金山焼き作りの体験をさせていただく事に!

 

 

 

 

 

 

 

 

ソワソワしている僕に中鉢さんが、

「大丈夫ですよ、僕、教えるの上手ですから(笑)」と声を掛けてくださる。

 

 

親分「井門君はさ、こういう体験だと張り切っちゃうタイプだからね(笑)」

 

井門「そりゃ頑張るでしょ!」

 

親分「結局良い物作りたくなっちゃうんだよ。面白くしろよ!」

 

井門「なんだよ!良い物作るのが悪いのかよ!シャー!!」

 

親分「作ってる途中で本気になってレポートしないで黙っちゃうだろ!シャー!!」

 

 

 

 

 

インタビューより真剣な井門巨匠、、、

 

 

 

 

色々な選択肢の中で僕は大皿を作ることにしたのですが、

こねこね、こねこね、粘土を触るのってやっぱり楽しくて…黙っちゃうよね~!

 

 

中鉢「井門さん、喋ってないですよ!(笑)」

 

井門「うへぇ~!」

 

 

という訳で大皿の形は完成。

後は窯に入れて焼きしめていく訳ですが、

多くの方が体験に訪れるという事で焼きの工程も順番待ちになる事があるとか。

ここから出来上がりまで2~3カ月という事でしたので、

オリジナルの完成を楽しみに待ちたいと思います。

でもこうして“先々の楽しみを待つ”ってのも良いものですよね。

今度は子供を連れて来たいなぁ。

中鉢さん、その時はまた教えてくださいね。

きっと子供と一緒に黙っちゃうと思いますけど(笑)

 

 

親分「おぉ~、この猪口良い表情だなぁ。

おっ、こっちも良いじゃない。」

 

井門「コバヤシさん、気にいったのありました?」

 

親分「うん、これを買っていくよ。」

 

 

親分はギャラリーにてお猪口を購入。

実はその夜、居酒屋で日本酒を飲む時に鞄から徐にその猪口を取り出し、

一人だけ青森の地酒を美味しそうに津軽金山焼きの猪口で飲んでいたとさ(笑)

さすがだぜ、親分!!

 

僕らがロケに来た時の五所川原は真冬だというのに意外と温かかったんだけど、

それでも東京から来た僕らにとっては十分寒くて。

津軽鉄道のホームで今か今かとストーブ列車を待っていました。

津軽鉄道五所川原駅でストーブ列車券400円と金木行きの乗車券550円を買って、

ついにストーブ列車に乗る時がやってきたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりと入線してくるストーブ列車。

2色のレトロな車体は昭和23年製の車両だそうで、1両にだるまストーブが2つ付いています。

僕らが陣取ったのはその内の1つのストーブの前。

既に石炭がくべられていてコートを脱がないと暑いくらいです。

徐々にお客さんで埋められていく車両。

やっぱり外国人観光客の団体さんが多く、この日も車内は外国語が飛び交っていました。

そんな中、僕らはストーブ列車を楽しむ正しいスタイルである、

『日本海のスルメ』(500円)と『津軽鉄道ストーブ酒』(350円)を買い込み、

いよいよ出発進行なのであります!

 

 

 

 

 

 

 

 

車内でスルメを焼いたり外の景色をご案内いただいたのは、

津軽半島観光アテンダント推進協議会の松山千恵子さん

青森の言葉のイントネーションがなんとも良い味わいを出してくれます。

やっぱりその土地の言葉は旅を豊かにしてくれる。

車窓からは見える景色も素晴らしく、遠くは岩木山、そして目の前は一面の津軽平野です。

今は雪で覆われて真っ白ですが、これは全てが田んぼ。

それを考えると、勿論ストーブ列車の季節も風情があって良いですけど、

四季折々で美しい表情を見せてくれるんだろうなぁ。

 

 

松山「ストーブ列車の期間は12月1日~3月31日までですけど、

年によりますが立佞武多の期間にも“真夏のストーブ列車”を走らせることもあるんですよ!」

 

井門「それは暑そうですね(笑)」

 

松山「皆さん片手にビール、片手にお水で水分補給してます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

松山さんはお客さんのスルメを上手にストーブの上で焼いて、

それを割いて袋に詰めて渡してくれます。

ストーブの上で焼かれたスルメはなんとも香ばしくて、そして肉厚で、旨い。

車内も良い感じに磯の香りがしてくるので、

その香りも楽しみながらストーブ酒をひと口、ゴクリ。

 

 

井門「ぷはぁ~!これはたまりませんなぁ…。」

 

松山「どうぞ、沢山飲んでってください(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

ストーブ列車に揺られておよそ25分。

そう、この『揺られて』って感覚が都内の電車に乗っていると無いのです。

本当に体感で『揺られて』25分の列車旅。

あっと言う間に金木の駅に到着しました。

 

ここに来なきゃ味わえない空間、ここでしか味わえない時間、

どんな旅でもきっとそれを楽しむのが、旅の原点なのだろうと思います。

旅情を誘うには列車での移動ってのは物凄くいいドラマツルギーで。

夏の立佞武多に想いを馳せて、

この地のシンプルな魅力に魅せられた中鉢さんのお話しを聞いて、

全てが豊かな時間だったストーブ列車で移動して。

 

なんだ、今回の旅の完璧な流れは!(笑)

番組を作ってて言うのもアレなんですけど、本当に素晴らしい時間を過ごせました。

ストーブ列車の期間は今年ももう少しで終わりますが、

冬が明けて、春、そして夏になれば立佞武多の季節がやってきます!

今年は五所川原の人と同じ気持ちで、立佞武多の季節を待ってみたいと思います。

そしてシーズンになったら…実際に行けたら良いなぁ。行けるかなぁ。呼んで欲しいなぁ(笑)

青森の皆さんがいったい夏にどれだけ熱くなるのか!?

 

冬の厳しさを知るからこそ、

夏を思い切り楽しむ事が出来る。

 

やってまれー!やってまれー!

やってまれー!やってまれー!