水の里、天領の町、魅力あふれる大分県・日田の旅!|旅人:井門宗之
2018-07-26
今回の旅は大分県日田市であります。
唐突に書き始めましたが、実は今回の取材は色々と各方面にご尽力頂き、
その上で本当に素晴らしい出会いと取材が出来たことにまずは感謝致します。
ご協力頂いた皆さん、特に日田市観光協会の黒木陽介さん、
日田市商工観光部観光課の三苫真依子さん、本当に有り難うございました。
我々が旅をした大分県日田市は緑と川に囲まれた豊かな土地です。
しかし昨年の九州北部豪雨の影響で街は甚大な被害を受けました。
あれから1年、元気な姿を取り戻した日田の魅力を改めて探ろうというのがこの旅のテーマ。
結果的に我々は全員この土地が好きになり、また帰ってくることを約束したのです。
冒頭でも書きましたが今回の旅で物凄くお世話になった、
一般社団法人 日田市観光協会の黒木陽介さん。
その黒木さんの案内で我々はまず豆田町をぶらりすることに。
この豆田町が本当に素晴らしかったんです!
日田市は江戸時代に天領だった土地で、豆田町はその頃の雰囲気を色濃く残す場所。
(天領=幕府の直轄地)
「うつくしいまちなみ大賞」、
「重要伝統的建造物群保存地区」にも選定され、
まさに町を歩けば江戸時代にタイムスリップしたかの様な感覚に。
黒木「日田市は水が豊かな土地でもありまして、
“水郷(すいきょう)ひた”とも呼ばれています。」
井門「“水郷(すいごう)”じゃなくて“水郷(すいきょう)”なんですね!」
黒木「それほど濁りのない、清らかな水が豊かに流れる…という意味なんです。」
なるほど“すいきょう”…確かに響きが美しい。
そして日田市が豊かなのは水資源だけではありません。
様々な産業の中でも林業が盛んで、
特に“日田杉”を使った“日田下駄”は名産。
市内には10軒程の下駄屋さんがあるんだとか。
黒木「日田の下駄は日本三大産地の一つとも言われています。
日田の杉が非常に良質ということもありまして、
それで作られた下駄も履き心地が良いんですよ。」
確かに豆田町を歩いていると下駄屋さんもちらほら。
その中でふらっとお邪魔したのが『天領日田はきもの資料館』。
こちらのお店には数々の日田下駄は勿論、とんでもないサイズの下駄が!!
井門「黒木さん!!デカいですっ!(笑)」
黒木「はい、デカいんです(笑)」
井門「えっと、高さ4mで幅が2m以上…重さが1トン!!」
店内に入ってまず驚かされるのがこの巨大下駄。
なんでも杉の下駄としては日本一の大きさを誇る超巨大下駄だとか…。
これを見た外国人観光客も「Wao~!」の声(笑) そりゃ驚くわ!
同じエリアにこれだけの下駄職人がいるのは全国でも日田だけだと言います。
かつては下駄神輿や下駄供養なんてことをやっていた時代もあったそうですが、
現在はこの伝統的な履物を様々な世代に発信しているのだとか。
黒木「最近は洋服に似合う下駄なんかも作っている所もありますからね!」
あぁ、でも豆田の町並みを下駄を履きながら歩くのは素敵だろうなぁ。
今の時期なら浴衣を着て下駄を履いて、カランコロンなんて。
黒木「着物や浴衣をレンタルしてくれるお店もありますから、
観光の際は浴衣姿で町を歩くのもオススメですよ。」
むむむ、さすが押さえる所はしっかり押さえている!
だって絶対楽しいですもんね、着物や浴衣を着たぶらり。
そんな和装で気になったお店に「こんにちわー!」して、
「あら素敵な浴衣姿ですね!どこからいらしたの?」なんて会話が生まれて。
黒木「井門さん、こちら日田のソウルフードなんですけどいかがですか?」
井門「ん??精肉店で鶏肉を売ってますね…ソウルフードって?」
黒木「この“もみじ”ってやつなんですけど。」
井門「こ…これは、鶏の足…??」
黒木「はい、それを甘辛く煮付けたのがもみじなんです!」
大分はなんといっても鶏肉の消費量が多い県として有名だ。
嘘かまことか中津市からはかつて○ンタッ○―が撤退した歴史もあるそうで、
それだけ鶏肉を愛する県民性ということなのでしょう。
(中津は唐揚げがとにかく有名で旨い)
その鶏の中でも足の部分である“もみじ”を美味しく頂けるということで、
鳥市本店さんで「こんにちわー!」をした私(笑)
ひとパック250円という安さと量に驚きながらも、
そしてその一つの大きさに驚きながらも(握手出来るよ)、
恐る恐る“もみじ”をパクリ…もぐもぐもぐ。
井門「うめーっ!!!!」
黒木「(笑)そうでしょう?
観光バスで来たお客さんにこれを1本と缶ビールをまず渡した事があるくらいですもん。」
井門「あ、これをビールと合わせると永久運動ですね!」
黒木「子供のオヤツにもなりますし、これ1本で結構な食べ応えですからね。」
井門「まさにソウルフードなんですねぇ…。」
しょっぱい物を食べていると、今度は甘い物が食べたくなる…ってんで、
続いてふら~っと入ったお店が『赤司日田羊羹本舗』。
店構えがなんとも凛としていて、豆田町にビシっと収まっている。
黒木「ここの羊羹は本当に美味しいですよ!」
井門「羊羹の美味しいのって、なんとなく味は想像出来ますからねぇ(半信半疑)。
ちょっと試食させて頂いてもよろしいですか??」
店「どうぞ~!(笑顔)」
井門「この一枚流しってどんな羊羹なんですか??」
店「木箱に流し込んで作る羊羹のことです。
端の方に砂糖の結晶が出来てガリっとした食感になるんですよ。」
井門「ほほう、では頂きます。パクリ…もぐもぐもぐ。
うめーーーっ!!!!!!
なんですか、この味のバランス!甘さと爽やかさのマッチング!!
ミスター味っ子だったら“旨いぞー”って言いながら町をダッシュしてますよ!」
地元のお母さん「美味しいでしょ?
ここの羊羹がなんてったって一番美味しいの。
私も何かあるとここの羊羹を贈るのよ。あっ、今日は3本頂きます。」
という訳で羊羹が美味し過ぎてスタッフ全員買いました(笑)
家に帰って妻と息子に食べさせたところ、目をキラキラさせて感動してたもんなぁ。
黒木「井門さん、お酒は好きですか?」
井門「僕の体の構成要素のほとんどが酒です。」
黒木「ではあちらの酒蔵に参りましょう!(笑)」
豆田町、なんて素敵なところなんでしょう!
甘い物もソウルフードも、更には酒蔵まで揃っているなんて!!
という事でこちらも突然お邪魔したのが『薫長酒造』。
なんでも最も古い蔵で1702年に建てられたものもある老舗の酒蔵。
お店の奥には町のシンボルにもなっている煉瓦造りの煙突が立っているのですが、
やはり酒蔵ならではの芳しいお酒の香りで満ち溢れています。(幸せのアロマ)
井門「あっ、試飲コーナーがありますね!」
店「いらっしゃいませ~!(笑顔)」
井門「こちらでは何が飲めるんですか?」
店「本醸造、純米酒、あとにごり酒です。」
井門「全部ください!」
店「わかりました~(笑)」
左党は甘い物が苦手なんて言いますけど、僕は全くそんなことがなくて。
羊羹を食べたあとでも喜んで日本酒を飲めてしまう。
しかも味の感想が細か過ぎて、
お店の方に「本当にお酒が好きなんですね!」なんて言われてしまう。
それには全力で「はいっ!!」って答えました(笑)
黒木「薫長酒造さんにはカフェもありまして、
お酒が飲めない方でも美味しいアイスクリームが味わえるんですよ。」
井門「え??何やら“吟醸アイスクリーム”って書かれてますが…」
店「はい、大吟醸の酒粕に生酒が入ったアイスクリームになります。」
井門「一つお幾らですか?」
店「350円になります!」
井門「ください!」
このアイスも絶品でした!
大吟醸の酒粕に生酒、更に赤米も混ぜ込んだ逸品。
お酒の味わいはほとんど気にならなく、赤米の食感もプチプチと楽しい。
美味しいお酒に美味しいスイーツ、有り難うございました!
黒木「あ、そこの“おはぎ”も美味しいんですよ~。」
井門「へぇ…おはぎですか?」
黒木「注文すると出来たてを作ってくれ」井門「食べましょう。」
止まらない、この男の買い食い欲はとどまる事を知らない。
こうして買い食いをしまくって、お酒も試飲した井門P。
大満足でスタート地点に戻ってきました。
井門「豆田町の空気感、凄く良いですね。
なんか観光地特有のセカセカした雰囲気は全くなくて、
自分の速度でちゃんと町を歩くことが出来る気がします。」
黒木「日田の人の気質なのかもしれませんね。
よく“優しい”とは言われます。」
井門「確かに!日田市に来て間もないですけど、人の優しさにしか触れてない!(笑)
また家族を連れて、必ず日田に遊びにきます!」
黒木「はい、また是非いらしてください!お待ちしています!」
実は黒木さんとは取材以外でもお酒を御一緒させていただいたのです。
日田の魅力を発信する為に奮闘されている方で、
黒木さんのお陰で僕らは日田のファンになってしまいました。
黒木さん、一品香の餃子も最高でした。またお会い出来る日を楽しみにしています。
僕らが日田市を訪れたのは7月6日金曜日。
そうです、まさに平成30年7月豪雨と名付けられたあの大雨が、
九州から徐々に中部四国へとその被害地域を広げていた、そんな時でした。
実はいくつか取材をお願いしていた場所にも避難勧告が出てしまい、
取材の中断を余儀なくされたのです。
その内の一つが『久大本線全線復旧ウォーキング』。
昨年の九州北部豪雨の影響で久大本線の日田駅と光岡駅の間にあった花月川橋梁が流出。
およそ1年間不通となっていた久大本線に新たな橋が架けられ、
全線復旧を前にウォーキングをしようというイベントだったのですが、大雨の影響で中止に。
それでも完成した花月川橋梁を観ることが出来ました! |
我々は急遽、日田駅長の森山益行さんにお話しを伺いに行きました。
お話しを伺ったのは1週間後に復旧を控えた7月7日だったのですが、
これまでを振り返り森山駅長も安堵の表情といった雰囲気。
天領日田の駅を守る駅長としての想いも相当だったと思います。
勿論、イベントの中止等で複雑な想いもあったと思いますが、
現在はシンボルでもあった「ゆふいんの森号」も通常ルートで走っています。
森山駅長は電車が復旧したら車窓からの風景も楽しんで頂きたいとのこと。
既に新しい花月川橋梁の上を走る電車に乗ったリスナーさんもいらっしゃる…かな。
今度お伺いする時はゆっくりと電車の旅もしてみたいなぁ。
JR日田駅を出ると割と近くに緑の濃くなった山々が迫ってきます。
豊かな水と美しい山々、そして風情のある街並み。
そんな日田で貴重なタンパク源とされたのが川魚です。
そしてその川魚の中でも“日田鮎”と名前が付けられる程、鮎の味は絶品だとか。
町の中心を流れる三隅川で伝統の“やな漁”を行っている場所があると聞き向かいました。
お話しは“ひた鮎やな場”の相楽和敏さん。
井門「そもそも“やな”って何ですか?」
相楽「あぁ、竹を組んで作る仕掛けのことを“やな”って言うんです。
その“やな”を使って鮎を捕まえるのが“やな漁”。
本当だったらそろそろやな場を組んで漁を始める所なんだけど、
この大雨でまだ組めていないんですよ(苦笑)」
7月1日~11月4日がやな漁のシーズン。
まさに今がその最盛期とも言えるのです。
井門「日田の鮎はどんな特徴があるんですか?」
相楽「日田鮎の味わいは特別だから、
これを求めて日本中からお客さんがやって来るんです。
天然遡上の鮎を獲ってそれを調理するんだけど、
シーズンになると500gとかそれぐらいの鮎も獲れるんです。
大きさでいったら鯖みたいなもんだね(笑)」
写真提供:日田市観光協会 |
ひた鮎やな場さんでは平成元年から“やな漁”を行っているそうですが、
相楽さん曰く「自分はいま68歳ですけど、親の世代から行っています。」とのこと。
100年以上の歴史がある、まさに伝統漁法なのです。
井門「ちなみに今日は鮎料理をいただくことは出来るんでしょうか…??」
相楽「勿論ですよ!天然物をちゃんと用意して、ここで串打ちして焼いてます!」
という訳で出して頂いた日田鮎の塩焼きがこちら!
一緒に鮎を炊き込んだ御飯で作ったおにぎりまで!
井門「では頂きます!パク…もぐもぐもぐ…。
うめーーーーっっ!!!!」
ごめんね、今回の旅日記の食レポ(笑)
でも鮎の旨味がぎゅっと濃厚で、川魚とは思えない程のしっかりとした味わい!
身がふっくらと柔らかくて、僕はもう頭からバリバリいってしまいました。
お店では他にも鮎のお刺身なんかも頂けるみたいですので、
ここから11月4日までこちらにお邪魔すれば、絶品の日田鮎が頂けますよ!
相楽さん、美味しい日田鮎、御馳走さまでした!
日田に来てからまだ1日程度。
黒木さんにも話したけれど、優しい人にしか会ってない(笑)
この精神性は何か教育によるものなのだろうか…。
実は日田市には江戸時代、当時国内最大規模の私塾があったそうな。
その名は咸宜園。現在は国の史跡にも指定されている咸宜園にお邪魔しました。
写真提供:日田市観光協会 |
お話しは咸宜園の溝田直己さん。
井門「そもそも咸宜園とは誰が建てたんですか?」
溝田「はい、江戸後期の儒学者・廣瀬淡窓先生が開いた私塾になります。」
井門「淡窓先生の教えってのは独特だったんですか?」
溝田「そもそも咸宜園は入門すると身分がゼロ、何もない状態になります。
そこから日々の研鑽で階級が上がるシステムなんです。」
井門「入学すると平等になるんですか!」
溝田「そうですね、身分・年齢・学歴を奪う三奪法と呼ばれるものがありました。
これは皆が平等に教育を受けられるようにするためだったと言われています。」
江戸時代後期は日本全国に私塾が誕生した時期です。
郷土の若者が中央で活躍出来る様にする為、
教育がとても大切に考えられていたんですね。
淡窓先生もそのようにして教育というものを大切にされていた。
24歳で咸宜園の前身を開いてから75歳でその人生を終えるまで、
淡窓先生の教育への情熱は消えることはなかったのです。
溝田「淡窓先生の後も咸宜園は続きました。
塾の主は10代まで続き、咸宜園自体1897年まで続いたんです。
開塾以来、その塾生の数は5000人とも言われています。」
井門「ご・ご・ご・5000人!!」
お話しを伺った部屋には咸宜園を訪れた子供達の為のクイズBOXが並べられていて、
日田の子供達にとっての淡窓先生の身近さを感じずにはいられませんでした。
井門「淡窓先生の凄い所ってのはどんな部分なんでしょうか?」
溝田「万善簿というのがありまして、一万の善を積む事を目標に書かれたんですね。
善い行いをしたら白丸、悪い行いなら黒丸を付けるというふうに。」
井門「それで淡窓先生は一万の白丸を付けたんですか??」
溝田「はい、実は2回程失敗するんですけど、
54歳からまたチャレンジし始めて、成功したのは67歳の時だったと言います。」
井門「足かけ13年ですか!?」
溝田「色々な行いについて白丸や黒丸が付いているんですけど、
例えばお酒を飲み過ぎたら黒丸、でもその誘いを断らなかったことは白丸…みたいな。」
井門「俺なんかどうしたって真っ黒だわ!」
橋本「これからは井門さんが何かやった時にすぐ言いますからね!
はい黒丸~って!」
井門「俺の万善簿、真っ黒だわ!俺の万善簿!」
橋本「あんた、“俺の万善簿”って言いたいだけだろ!」
井門「てへへへ。」
橋本「はい、黒丸~っ!」
淡窓先生はその他にも咸宜園の塾生たちに『月旦評』という評価表を作りました。
そうして門下生たちの能力を知り、それぞれに職任といって仕事を与えたのです。
溝田「こちらにその月旦評がありますけど、
無級から九級まで書かれていますでしょ?
名前のところに“釈”って書かれているのは浄土宗の御坊さんです。
経典を読むのに漢詩が読めなくてはいけなかったので、ここで学んでいたんですね。」
井門「咸宜園を卒業した有名人というと…??」
溝田「はい、最も有名なのは大村益次郎でしょうか。
他にも沢山いらっしゃいますが、
この月旦評の三級、左から二番目に“釈普寂”と書かれていますよね?
この方は後の第23代内閣総理大臣・清浦圭吾です。」
井門「お~~!!!」
溝田「この人も色々と評価が分かれる人ですが、
最終学歴に“咸宜園”と書いて咸宜園の事を大切に思ってくれた人なんですよ。」
なんでも淡窓先生は咸宜園を塾生にとって“つなぎ”でもよい、と考えていたとか。
ここで学んで、どこか目指す場所や行きたい学校が出来たら、
自由に巣立っていきなさい、と。
まぁ逆に、そんな淡窓先生の学校だからこそ、広く人が集まったのかもしれません。
廣瀬淡窓の思想は『敬天』といって、正しいことをすれば天に報われるというものです。
日田の人たちが優しく穏やかなのは、
今でもこの淡窓先生の思想が根付いているからかもしれませんね。
風景も、街並みも、食べ物も、もちろん人も。
日田の魅力をたっぷりと感じた今回の旅。
残念ながら大雨の影響でお伺い出来なかったエリアもいくつかあります。
黒木さんが別れ際に「あそこは良いですよ~、絶対にオススメです」と、
笑顔で仰られていたので(笑) 次回は必ず家族を連れて遊びにいきます。
個人的に大分は大好きな土地なんですが、
その大分でまた大好きな場所が出来た今回の旅。楽しかったなぁ…。
でもまだ天瀬も行ってないですし、お祭りも気になる!
あっ、そう言えば日田焼きそば食ってねぇ!!
…うん、結構忘れ物あるね(笑)
今度は着物でも着ながら、のんびりと町を歩いてみましょうかね。
お世話になった皆さん、本当に有り難うございました!