五感で楽しむ、大分県・竹田の旅!|旅人:井門宗之

2018-08-01

 

城下町には少しの雨が似合う。

この雨はまさに天からの演出…決して作家が河合(*雨降らし)さんだからではない。

江戸の風情を残すこの町をしっとりと濡らす雨は、

「現在」という時間の輪郭をぼやかせ、より濃く「江戸」を感じさせてくれるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回我々がお邪魔したのは大分県南西部に位置する竹田市。

どうでしょうファンであれば『姫だるまの…』と言えば「お~っ!」となる場所です(笑)

しかし、竹田は姫だるまのみにあらず!(当たり前)

城下町の風情、水の美しさ、温泉、城跡から眺める風景の雄大さなど、

魅力を挙げていけばキリがないのです。

今回はそんな竹田市の魅力を五感いっぱいに感じる旅!

久々にタイトルも書きますか??

 

『五感で楽しむ、大分県竹田の旅!』

 

という訳で、まずは江戸時代から続く温泉へGO~!!

 

竹田市と由布市のちょうど間くらいでしょうか。

江戸時代から続く…と書きましたが「湯原温泉」と呼ばれていた時代まで遡ると、

なんとその歴史は8世紀半ばから続くとも言われております。まさに1000年の湯。

その歴史ある温泉の名は長湯温泉。

お邪魔したのは長湯温泉療養文化館 御前湯です。

 

 

 

 

写真提供:竹田市直入支所

 

 

 

 

 

建物の外観も内装もどことなく欧風の佇まい。

聞けばドイツのカルルスバードで温泉治療学を学んだ松尾武幸氏が、

日本でもドイツの様な温泉療養のスタイルを…と広める為にこうした佇まいになったとか。

 

 

 

 

写真提供:竹田市直入支所

 

 

 

 

安達「歴史はとても古いですが温泉の入湯施設として整えられたのは江戸時代です。

岡藩主である中川候の為の施設として作られたところが始まりと言われています。」

 

 

 

 

 

 

 

 

長湯温泉の歴史を教えてくれたのは、館長の安達敬一さん。

なるほど、お殿様のお湯だから“御前湯”ですか!

でも今は多くの方の憩いと癒しの温泉施設になっているわけですね。

お殿様の様な高貴な身分でなくとも大丈夫(笑)

今回は取材の為、我々も特別に家族風呂に入れて頂きました!

皆さん、当然ですが貴重な入浴シーン、聴いてくださいましたよね!?

えっ??聴いてない??おっさんの入浴シーン、聴いてないの?

ポッと出の喋り手ではなかなか出来ない、いぶし銀の入浴レポートを聴いてないと?

よし、分かった!音声コンテンツで聴いてからまたおいで!!

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

はいっ、おかえり!

聴いた??えっ?聴いてみたけどそんなに気持ちの良いもんじゃなかった??

はぁ?そんなのそうに決まっておろうがっ!!(←逆ギレ)

41歳のおじさんの温泉レポートじゃぞっ!!(「じゃぞ」?)

いえいえ、僕のレポートはさておき、温泉は本当に気持ち良かったんです。

なんせ入る前の打ち合わせの時に…

 

 

河合「あの…私も入っても良いですか?(テレッ)」

 

安達「あっ、えっ、ああ、もちろんですよ!

他の家族風呂も取材で押さえてありますから、お好きな家族風呂にどうぞ!」

 

河合「わぁ~、うっれしいなぁ~♪

じゃあ、井門さん達が収録している間、私も奥の家族風呂に入らせていただこうっと!」

 

井門「あんたも入る気満々かいっ!(笑)」

 

河合「だって折角の温泉だし…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

という訳で河合さんも含めて、僕らもすっかり温まった御前湯の家族風呂。

目の前を流れる川の音を聴きながらゆったりと長湯温泉に浸かるひと時。

お殿様も愛したお湯は含鉄炭酸泉で、飲むと鉄の味もふわっと広がります。

でもこの泉質のお陰で冬場でも湯冷めしないんだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

確かに取材で少し入っただけなのに、上がってもしばらく汗が止まりませんでした!

平成29年に厚生労働省から「温泉利用型健康増進施設」に認定された長湯温泉。

それもその筈、古くからこちらのお湯は、

「飲んで効き、長湯して利く長湯のお湯は、心臓胃腸に血の薬」と謳われるほど。

是非竹田を巡った際は旅の疲れを長湯温泉で癒してくださいませ!

 

 

五感で楽しむ…と銘打って、いきなり身体全身で癒されてしまった一行。

 

 

井門「なんかアレですね、温泉入ったあとはもう何もしたくなくなるなぁ…」

 

橋本「はい、黒丸~!(前回の旅日記参照)」

 

河合「はいはい、次は身体全身じゃなくて“アタマ”ですから。」

 

井門「えっ?“アタマ”ですか?」

 

河合「郷土料理の“頭料理”を食べに行きます!」

 

 

その聞き慣れない料理は竹田市の郷土料理とのこと。

今もその“頭料理”を由緒正しき形式で食べさせてくれる、御宿 割烹一竹へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

女将の後藤美保さんにお話しを伺いました。

 

 

井門「頭料理ってのはそもそもどんな料理なんですか??」

 

後藤「魚の本来は食べない部分、エラや皮、浮袋に胃袋なんかをそれぞれ塩して、

湯引きして、そして竹田の名水でしめるんです。

それを三杯酢に生のかぼすをギュッとたっぷり搾ったタレにつけて、

もみじおろしや針生姜などの薬味と一緒に頂く料理なんですよ。」

 

井門「どういう経緯で頭料理は始まったんですか?」

 

後藤「そもそも竹田は内陸の町ですから塩をしていない魚が大変贅沢品だったんです。

冷蔵技術の無い時代は沿岸からここまで、小さい魚だと運んでくる間に悪くなってしまいます。

なので大型の魚を運んできたんですね。

こちらの頭料理に使う魚も、大体20kg~50kgの魚を使います。」

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「え~!しかも使う魚はハタとかクエとかの高級魚なんですよね!

それの20kg~50kgなんて、贅沢な料理だなぁ…。」

 

後藤「ですから祝いの席の料理だったんですよ。

そしてこちらが調理をする前の魚の写真になります。」

 

井門「お~!!これは大きい!凄いですね!」

 

後藤「この大きな“頭”を外して、

頭に付いた内臓を調理するから“頭料理”って言うんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

貴重な魚をなんとか余すことなく調理しよう、という知恵から生まれた頭料理。

そもそもは竹田に暮らす方だけの料理だったものを、

一竹の先々代が“頭料理”として広めたのだとか。

そう、頭料理は内陸の竹田においてハレの日の料理なのであります。

 

 

井門「綺麗に盛り付けられていますねぇ…。

早速頂いてもよろしいでしょうか。どれにしようかな??」

 

後藤「かぼすはたっぷり搾って入れてください。

それに薬味も沢山使って召し上がってくださいね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

後藤さんに勧められるままに頂いた“頭料理”。

どの部位をどの程度の時間湯引きするのかは料理人の腕と経験。

魚の種類によっても違うそうだが、絶妙なタイミングで仕上げていくのだとか。

土地の特徴が色濃く表れた“頭料理”、

人生で初めて味わった触感の数々は忘れられない味となりました!

後藤さん、貴重な郷土料理を御馳走様でした!

 

 

身体で感じて舌で味わって、そしてその次は耳です!

まさに耳で感じる旅番組(これはYAJIKITA時代のフレーズですね)!

実は竹田で青年時代を過ごしたあの作曲家の記念館があるという事で、

続いてはその稀代の作曲家、瀧廉太郎記念館です。

路地裏に佇む趣のあるお屋敷こそ、瀧廉太郎が暮らした旧宅。

こちらはその旧宅を改装した、記念館です。

ご案内は竹田市商工観光課の後藤紫織さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「瀧廉太郎は何歳から何歳までを竹田で過ごしたんですか?」

 

後藤「はい、父の吉弘が直入郡長に任命されたのをきっかけにしてなので、

12歳から14歳までをこの竹田で過ごしました。」

 

井門「まさに多感な時期を竹田で過ごしたわけですから影響も大きかったでしょうね…。」

 

 

瀧廉太郎は23歳という若さでその生涯を終える訳で、

そう考えると本当に大切な時代をここ竹田の家で過ごしたことになります。

館内の庭は廉太郎が当時聴いていた筈の「音」を体感出来るように設えてあり、

少しだけ雨が降っていた取材時はなんとも言えぬ風情を味わわせてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

瀧廉太郎の名曲は数々ありますが、ご存知『荒城の月』は竹田で生まれた曲なんだとか。

 

 

後藤「竹田の岡城を想いながら作った曲と言われています。

実はあの曲は公募で選ばれた曲なんですよ!」

 

一行「えっ!!それは知りませんでした!」

 

後藤「土井晩翠の作詞に公募で曲を募ったんですが、

その中から廉太郎の曲が選ばれたんです。」

 

井門「それは知らなかったなぁ。」

 

後藤「廉太郎はその賞金で妹にかんざしを、お母さんに丸髷型を、

そして友人にはおしるこを御馳走したそうです。」

 

井門「友人におしるこって、なんか可愛いですね(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

館内にはその土井晩翠が書いた「荒城の月」の額が飾られている。

この曲の作曲を手掛けたのがわずか21歳の時だというから…まさに天才。

庭には蔵もあり、2階に上がると遠くに岡城が見える。

ひょっとするとここから、廉太郎も同じ景色を見ていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

竹田にいた時に音楽の道に進む事を決心した廉太郎。

時間があれば岡城などで尺八を吹き、その音色で同級生を魅了していたとか。

 

 

後藤「短い人生その中で人を魅了する曲を沢山作り、

誰もが口ずさめる曲を作ったのが凄いですよね。

瀧廉太郎は竹田の人にとっても自慢です。」

 

 

後藤さんに館内をご案内頂き、我々は城下町をぶらりすることに。

…なったのだけど、引き続き後藤さんと町を巡ることにしました!(後藤さん、感謝です!)

旧宅のすぐ近くには廉太郎トンネルがあり、この中を歩くと…。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「あっ…荒城の月が流れてきますね~…。」

 

後藤「昭和62年にメロディトンネルとして整備されまして、

瀧廉太郎作曲の曲が3曲流れるようになってます。」

 

井門「という事は、竹田の街並みを歩いて目抜き通りを抜けて、

このトンネルを通ってから瀧廉太郎記念館に向かうとより膨らむかもしれませんね!」

 

後藤「はい、トンネルを抜けるともうすぐ記念館なので、ぜひ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も後藤さんの御案内で城下町をぶらりした一行。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

竹田は流石に城下町、石垣や武家屋敷なども当時の姿のまま残り、

その色彩が町になんとも言えない輪郭を与えてくれている。

これから電柱の地中化も行われるということで、町の雰囲気もまた変化していくんだろうなぁ。

そうそう、御案内頂いた後藤さん御自身、

「竹田は地元だけどまだまだ知らない事が沢山あって面白い」と仰ってました。

武家屋敷のほど近くには『キリシタン洞窟礼拝堂』もあり、

どうやら宣教師たちは禁教令の後もここで布教活動を行っていたとか…。

 

 

 

 

 

 

 

 

後で調べて分かったのですが、竹田は日本でも有数のキリスト教の布教地なんですね。

初代藩主の中川秀成氏もキリシタンには寛大だったとか。

では一体何故竹田で…??という謎は次回訪れた時の楽しみにとっておいて。

後藤さん、また竹田を訪れた際は御案内、よろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

五感で楽しむ竹田の旅、その最後は岡城跡。

岡城の歴史は古く、築城は文治元年(1185年)とも言われています。

中川のお殿様が治めた歴史はなんと277年。

勿論、瀧廉太郎が遊んだのは城跡で…となりますが、

本丸や三の丸、西の丸などなど、山の上に浮かぶ様に建つ岡城は、

当時はとても雄大で幻想的に見えたことでしょうね…。

今でも山の緑と空に囲まれた城跡は、天空の城と呼べるほどに神秘的です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳を澄ませば瀧廉太郎の名曲が聴こえ、

目を凝らせば雄大な岡城の神秘的な佇まいが見えてくる。

長湯温泉の湯の香りと肌触りに癒され、

伝統の郷土料理はその歴史と共にきっとその舌を満足させてくれる。

何より五感をフルに働かせれば、竹田の風情に心がホッと癒されるのです。

 

今回初めて訪れた大分県竹田市。

町を流れる空気や時間が、なんとも言えず好きになりました。

また必ずお邪魔することを誓って!

お世話になった皆さん、本当に有り難うございました!