本当の“ふるさと”はココだった…長野県中野市へ|旅人:柴田幸子
2018-09-07
KIKI-TABI、先週に引き続きお耳にかかります!シバサチこと柴田幸子です。
いやぁ、、、先週はスタッフ全員ぐったり!まさかのサイコロを振るバラエティ企画での旅でしたが、ワタクシ柴田、けしてバラエティ班ではないんですよ!
まじめな旅だって、、、できるんです!
今週は、しっかりとその辺りを証明せねば!!!
ということで今回の旅は…「ふるさと」、「春が来た」、「朧月夜」・・・
誰もが歌ったことがある「あの歌」のゆかりの地、長野県中野市の永江地区を巡りますよ。
日本を代表する名曲の生みの親は、高野辰之さんという方!
そして高野さんの生まれ育った風景が、、、歌詞のモデルとなっています。
ということで今週の旅のテーマはコチラ!
『本当の“ふるさと”はココだった…長野県中野市へ』
ワタクシの美声、ならぬ微声と共に、、、いや、長野少年少女合唱団の歌声と共に
お楽しみくださいませ♪
高野辰之さんは、日本の文学者であり、作詞家として名を馳せた方で
今の長野県中野市に生まれです。
そして高野さんが生まれ育ったこの地の風景が、歌詞のモデルとなっています。
今回、ガイドをしてくださった小林雅美さんは、実は高野さんの妹さんのお孫さんにあたる方。つまり、小林さんの大叔父にあたるのが高野さんなんですね。
ビックリしたことに、その誰もがなじみのある唱歌を大叔父である高野さんが作ったと小林さんが知ったのは、、、昭和48年のことだったそう。
そんな小林さんに連れられて、まずは「高野辰之記念館」からお邪魔しました。
館内では、作詞した歌の数々や国文学者でもあった彼の歴史について展示して
います。
幼少期のコーナーには、小学校の時の卒業証書。
高野さんは4歳11か月で小学校に入ってしまったそうですよ!
そして16歳で師範学校、今の信大の教育学部に入学します。
専門は国語と書道。
正式な母校小学校の教員になったあと、ご結婚。高野さんが22歳の時でした。
さらに上の師範学校の教員免許をとるため、7月結婚して9月には1人で東京へ。奥様を残したまま、1年半経っても帰ってこない高野さんに、お母さまは早く帰ってくるように、、というお手紙を書きます。
そのお手紙のやり取りなども展示されていましたよ。
新婚さんなのに!奥様はかなり忍耐力がおありの方だったのですね。
私なら、、持たないわ、、、。
上京した高野さんは国語・国文学の研究に没頭。
東京に出てまずやったのは「国語の教科書作り」だったそうです。
音楽ではないんですよね~。
それもそのはず!本業は国文学ということで、自分が作詞家だとは高野さんご自身は全く思っていなかったそうです。
で、まず(小学)3年生用の教科書に「春が来た」が掲載されます。
が、、、今の私たちが親しんでいる「春が来た」の歌詞とは若干違うのです。
始めは国語の教科用として作られていますから朗読調。
そこに音符が付くことになると歌えなければいけないわけですから、歌詞が少し入れ替わったり細かい所が微妙に変わっていたりする、ということなんですね。これもビックリ!!!知らなかった~!!!
これも、み~んな歌える唱歌ですよね。
3年生が「春が来た」でわりとやさしい歌詞なのに、2年生が「もみじ」でとても難しい歌詞、というのも不思議な気がしませんか?
そして4年生が「春の小川」。
のちに3年生の教科書に変更になった時、すこし歌詞も変わったそうです。
そして「朧月夜」と「ふるさと」が6年生の教科書に登場。
どちらも高野さんの心情を唄っている曲で、今は教科書に手話も載っているんですよね。みんなで一緒に!ということもあって手話も載っているんです。
さらに「ふるさと」は小学校だけでなく高校の教科書にも載っているそう。
こうやってみると、日本人なら誰でも歌えるというのが頷けますよね!
達筆な字でかかれたお手紙や掛け軸などが沢山展示をされていた他、
高野さんの足跡がわかるような映像も見ることができますよ。
上京した高野さんは文部省国語教科書編纂委員に選ばれ、「ふるさと」「朧月夜」「春が来た」「もみじ」などの作詞に携わるのですが、、、実は文部省唱歌は当初、作詞・作曲者が伏せられていたそうなんですね。
知っていましたか?私はかなりビックリしたのですが、、、。
記念館のお庭には「ふるさと」の歌碑があり、昭和49年の日付になっています。近年の研究により、昭和49年にこの曲に纏わる詳細が新聞に載り、高野辰之さん、岡野貞一さんが作詞者、作曲者であることが広く知られるようになったということで、小林さんも知ったのは、その新聞記事だったようです!
それまでは一切知らなかったって!!!
これだけの歌を生み出しておきながら、その事実を自分の中だけに秘めておくことが出来た高野さん、心の底から尊敬します!
私だったら、、、言っちゃうな。。うん。。
記念館をあとにした私たちは、ガイドの小林さんと一緒に、歌詞の舞台となっている場所をめぐってみる事にしました。
歌詞の舞台になっている中野市永江地区は、斜面に棚田や畑が広がり、昔ながらの日本家屋も残る地元の方々が生活しています。
その中には高野さんの生家もありました。
高野さんはね、品行方正な優等生化と思いきや、、、なんとガキ大将だったそう!
その一方で本を読むのも好きな文武両道の少年だったようですね。
でも「ホラ辰」と呼ばれていた!なんて話もあるとかないとか。
立派なお庭のある大きな生家にお邪魔すると、、、そこには辰之さんのひ孫にあたるヨシユキさんがいらっしゃいました。
会話の中にちょこちょこ駄洒落を挟んでくる、なんとも陽気なヨシユキさん。
歴史のある生家を「不便だよ!」と言い放ちましたが、辰之さんに関して尋ねてみるとその答えは、、、。
「身内だから辰之は大したもんだ!なんてあんまり言わないけど、あれだけのことは普通出来ないよな、えらいとおもう。」
そんな本音もぽろっと出ていましたね。
ただ「歌詞をかこうと思ったことは?」の問いに対しては、、、
「かくのは背中と恥だけ」。。
はい。貴重なお話、ありがとうございました!
その後向かったのは、高野さんの生家のそばにあり、高野さんが少年時代に親しんだお寺「真宝寺」。まず真っ先に目に飛び込んできたのは大きな鐘!
唱歌「朧月夜」の二番で春の夕景に霞む様子が「蛙の鳴くねも 鐘の音も」と歌われているのは、このお寺の鐘といわれているんですって!
そしてそこから遊歩道を降りていくと、、、そこは「歩くふるさとコース」になっていました。ぐるっと回って30分位かな。
視界の殆どが緑!深い緑から鮮やかな明るい緑まで濃淡の緑で埋め尽くされる視界!超キモチーーーーーー(古)!!!!!!
そして今度はサラサラとせせらぎの音。耳にもとても気持ち良いの♪
「春の小川」の歌碑が出てきましたよ。
歌詞の中に出てくる「スミレ」。この土手には小さなスミレが今も咲くそうです。
春の時期に来たら、また風景も違うんでしょうね。
この辺りも高野さんの通学路になっていたそう。
で、今度は「朧月夜」の歌碑がでてきました。
ここでは菜の花が沢山咲いて黄色いじゅうたんのようだったそう!
うわぁ、、、その風景もまた見てみたいなぁ。
そして現れたのが、、待ってました!「ふるさと橋」!
一番奥にある山が斑尾山。ふるさとの歌詞に出てくる里山は、この辺の山のことなんですって!橋からみえる景色にはカノヤマが広がっていて、橋の下に流れているのがかの川。ここからはその両方をいっぺんに眺めることができます。
ということは、、、このふるさと橋の上から眺める風景が、まさに!「ふるさと」に出てくる「ふるさと」の原風景!あの歌詞の世界観、そのままなんですね!
それにしても絶景!!!!!
そして、とても不思議なのは、今回の旅で初めて目にした風景なのに、どこか懐かしくて、なぜかとてもホッとする。
なんかね、この風景は全ての日本人のDNAに刻み込まれているんじゃないか、、と思ってしまった位。とても落ち着く場所でした。
高野さんが歌詞で描いたふるさとの風景は、時代を超え、今も日本人の心に深く刻まれているんですね。
そして、ふるさと橋の入り口には、ふるさとの歌詞と音符が!
これ、昔懐かし、、、鉄琴ですね。
マレットケースに、先に玉が付いたバチが置いてあるのですが、
橋の欄干にメロディパネルが取り付けられていて、20mほどですかね、歩きながらそのバチで順番に叩くと「ふるさと」が奏でられるのです。
リズム感とフットワークの良さが試されますよ!
完璧に演奏してみたい!!!!う~ん!これはなんかハマっちゃう!
是非、絶景を楽しみながら、演奏にもチャレンジしてみて下さいね!
いやぁ、、、色々と小林さんと一緒に回らせて頂きましたが、四季折々に見せるふるさと・その原風景がちがって、また季節が廻ったときにきてみたいな。
「辰之はここの地を離れて東京で詩は作っているんだけれど、思いはここの地を思い浮かべながら作っていたんだろうなぁ。」と小林さん。
目に映る原風景というだけでなく、高野さんの色んな思いも乗せた歌なんですね。
是非、小林さんにガイドをお願いしたいという方は、記念館の方にお電話してみて下さいね。
中野市ふるさとガイドの会・小林雅美さん。本当にありがとうございました!
今回の旅では、丸1日、体全身で日本の原風景を味わって、心も身体もリフレッシュできました!
私たちは皆、育った場所が違うわけですから、これまで見てきたふるさとの原風景っていうのも、勿論違う訳なんですが、、、でもきっと1人1人の心の中にある「ふるさと」の存在というのは同じなんでしょうね。
いつでも戻ってこられて、ホッとできて、落ち着けて、大きな何かで優しく包み込んでくれる温かくて柔らかい雰囲気をまとった場所。
必ずみんなの心の中にあるもの。それが「ふるさと」!
そしてその「ふるさと」を見事に歌ったこの文部省唱歌「ふるさと」を、これからも「日本人の心」として歌い継いでいってもらいたいなぁ、、、。
なんか無性に地元に帰りたくなりました。
是非この地を訪れて「心のふるさと」、思い出してみませんか?