江戸落語と歩く、東京下町さんぽ~神田編~|旅人:鹿鳴家春々(安田美香)

2019-01-08

わっしょーい!!!鹿鳴家春々こと、安田美香でございます!

 

 

 

 

 

 

 

 

キキタビ初の試み、"落語の旅"。
『江戸落語と歩く、東京下町さんぽ』。


「落語に出てきたあの場所は、今ではどうなっているのかしら?」
その面影が残っているのか?はたまた、全くの別の世界になっているのか?
ぶらりお散歩しながら検証する企画です。

 


初回の浅草編では、『擬宝珠』という古典落語を巡る旅をお届けしましたが…
おめでたいことに、第2弾の放送でございます!わっしょい!

 


今回は東京・神田へ。
神田を舞台にした落語は、数多くございます。

 

 


まず向かったのは、JR神田駅東口から歩いて5分の「神田紺屋町」。
ここは『紺屋高尾(こうやたかお)』という古典落語の舞台です。

 

 

 

 

 

 

 

 

~神田紺屋町の染物屋「吉兵衛」の職人・久蔵は、病にふせっている。神田・お玉が池の蘭石先生により、「恋の病いだ」と分かる。久蔵は、吉原・三浦屋の高尾太夫に一目惚れ。哀れに思った先生は「三年間みっちりと働いて十両を貯めれば、高尾に会わせてやる」と約束する。久蔵はモリモリと飯を食って、一心不乱に働き出す。

三年が過ぎ、久蔵はこつこつと貯めた十両を握りしめ三浦屋に上がり、晴れて高尾とのご対面となる。

高尾は「今度は主(ぬし)は、何時来てくんなます」とせがむが、久蔵は「実は自分は染物屋の職人で、また三年間稼がなければ、来られないんです」と泣きながら打ち明ける。久蔵の真心に惚れた高尾は「女房にして欲しい」と言い、二人は晴れて夫婦になった~




という噺です。

 

 

こちらは、キキタビのベテラン作家・ミラクル吉武氏が大好きな落語!ということで…


ミラクル吉武氏「やっぱりさ、愛だよね!男はさ、高嶺の花に恋をしてさ!諦められずについに会いに行くんだよ、純愛ですよ!泣けてくるじゃあないの」


と熱く語っておりました。
男のロマンと、切ない恋心がグッとくる人情噺でございます。

 


しかし、現在の「神田紺屋町」を行き交う人は、スーツを着たビジネスマンばかり。
染物の街だった面影はなく、オフィスビル街になっておりました。

 

 


そんな中、当時の状況を伝えてくれる看板を発見!

 

 

 

 

 

 

 

 

慶長年間(1596年~1615年)に誕生したこの町には、藍染めを手がける染物屋が軒を連ねていたそうです。
「その年の流行は、紺屋町に行けばわかる」といわれたほどの"江戸の流行の発信地"だったそう!


紺屋町で染められた手拭いや浴衣は、江戸っ子たちに大人気。
紺屋町以外で染めたものを「場違い」といって敬遠する人までいたそうです。


安田「"場違い"って、この場所から生まれた言葉なんですねえ!?」

作家:ミラクル吉武氏「安田のミドルネームにも使われている言葉だよね?」


「"安田・場違い・美香"。あ、なんか、しっくりくる♡」


「バチガイ美香。ドーキンズ英里奈。的な。国際的!」


「うるさいよ!!!」


なーんてやいのやいのと話しながら、歩きます。

 

 


「そういえば、"お玉ヶ池の蘭石先生"って出てきたけど…お玉ヶ池って本当にあるのかな?」
という話になり…


地図を見ると「お玉ヶ池跡」というスポットを発見!
10分ほど歩いて細い路地に入ると、ビルの谷間にひっそりと「お玉ヶ池跡」の碑と、「お玉稲荷」がありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

碑に書いてある説明文を読んでビックリ!
江戸の始め頃、神田のこのあたりには「お玉が池」があり、なんと上野の不忍池より大きかったそうです。
徐々に埋め立てられて姿を消し、今では池の名残は全くありません。
…まさかここに、そんな巨大な池があったとは!


お玉さんという女性が池に身を投げたことから、「お玉ヶ池」と呼ばれるようになったそうです。
このあたりに住んでいた蘭石先生が、現在の神田を見たら…
「池が無い!」とさぞかし驚くことでしょうね。

 

 

 


さて一度神田駅に戻り、今度は西口からぶらり散策。
飲食店が並び、ランチをしているビジネスマンで賑わっております。


道すがら、「三島染色補正店」という、珍しい着物のシミ抜き専門店を見つけました!

 

 

 

 

 

 

 

 

「シミ抜き一筋四代の技!」とあります。
100年前、いや200年前から商いをされているのでしょうか。

 

 

 

 


さらに5分ほど歩くと、「松本家住宅」という古い建物がありました。
昭和6年に建てられたという木造三階建ての家。
木の壁は真っ黒、雨どいは緑青(ろくしょう)が吹いて、見事な緑色に変色しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

元青果物問屋の店舗兼住宅で、国の登録有形文化財になっているんだそうです。
神田は、時々こうしてポツンと古い建物が建っているのが、おもしろいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたり内神田三丁目周辺は、落語『子別れ』の舞台となった場所です。



 

~ある日熊五郎は、別れた女房・お徳と、その息子・亀吉を思い出しながら歩いていた。
すると、亀吉にばったり遭遇する。
「元気でいるか?」と話を聞くと、お徳は針仕事をして、貧乏暮らしをしながら亀吉を育てているという。
熊五郎はこれまでのことを亀吉に詫び、鰻を食わせるから明日また会おうと約束する。
あくる日、亀吉が父親とウナギを食べていると、心配した母親が鰻屋の前を行ったり来たり。
亀吉は母親を座敷へ引き入れ、両親を再会させた。
亀吉の「元のように3人で一緒に暮らしてよ」の一言で、熊五郎はお徳に頭を下げ、元の鞘に収まる運びとなった~



という噺です。




江戸の頃は「神田竪大工町」と呼ばれ、落語に出てくる大工さん達は、皆ここに住んでいたそうです。
今では大工町だった名残は見られませんが、目を閉じて、「このあたりを熊さんが歩いていたのかな?」と想像すると…
賑やかな足音が聞こえてきそうです。

 

 


さらに「松本家住宅」から3分ほど歩くと「青果市場発祥の地」という碑を見つけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

江戸の頃には、「神田市場」という大きな青果市場があったんだとか。
そして靖国通りを越えると、その向こうは武家の町だったそうです。


このあたり、神田須田町一丁目周辺は、落語では「神田小柳町」と呼ばれまして、様々な話に登場します。
『浜野矩随(はまののりゆき)』という一席も、こちらが舞台です。



~浜野矩随の父・矩安(のりやす)は、刀の柄などに彫刻を施す「腰元彫り」の名人だった。
父の死後、矩随が腰元彫りを継ぐが、いっこうに腕が上がりません。
義理で買ってくれるのは、芝神明前の袋物屋・「若狭屋」の新兵衛だけ。

ある日新兵衛に「お前には才能が無い。お父っつあんの名を汚すくらいなら、死んじまえ」と言われます。

ガックリとして家に帰った矩随は、あの世に行って、お父っつぁんにわびとうございます」と首をくくろうとしますが、「先立つ前に、形見に、観音さまを彫っておくれ」と母に頼まれ、七日七晩飲まず食わずで彫り上げます。

母は「若狭屋のだんなに見ておもらい。と言い、矩随に碗の水を半分のませ、残りは自らのんで見送った。

観音像を見た新兵衛は「よくぞ彫り上げた」と褒めますが、家に帰ると、母は息子の代わりにこときれておりました。
これを機に矩随は名工としての道を歩む~

 


という、親子の深い絆に思わず涙が出てくる、大好きな噺です。

 



主人公の浜野矩随が住んでいたのが、こちらの神田須田町一丁目。「千両みかん」の舞台でもあります。


驚いたのが、先ほど出てきた「神田竪大工町」が見えるほどの近さだということ。
いろんな落語の登場人物が、このあたりにギュッ!と集まって暮らしていたことがわかります。

 

 

 


さらに万世橋を目指して歩いていると、細い路地に「出世稲荷神社」という神社に出会いました。
江戸の人達も、出世を願ってお参りしたんですねえ。
キキタビ一行も「出世しますように!」と、腹の底からお祈りしましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、最後のスポット「万世橋」に到着。
落語『三方一両損』に出てくる金太郎が財布を拾った柳原という場所が、現在の万世橋付近なんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

~神田白壁町に住む左官の金太郎は、柳原で書付けと印形と三両入った財布を拾う。
書付けにある、神田竪大工町の大工の吉五郎に届けてやると、「落とした金はもう自分のものではないから受け取れない」と言う。二人は受け取れ、受け取れないの言い合いを始め、ついには取っ組み合いの喧嘩に。
ついには、南町奉行の大岡越前守に、お白州の上で裁きを受けることになります。

事の仔細を聞いた越前、「二人がどうしても受け取れないという三両を預るといい、改めて両人に正直の褒美として二両づつ与える」と言う。

金太郎が届けた金を受け取れば吉五郎に三両入り、金太郎がもらえば金太郎に三両入る。そして越前がその金を預ったままでいればこれも三両だが、一両たして二人に二両づつの褒美として与えたことにより、三人とも一両づつ損をしたという勘定になる~

 


という、「三方一両損」でございます。

 



現在の万世橋のたもとには、「肉の万世」のビルが建ち、橋の向こうは秋葉原の鮮やかな電気街を望みます。
「今は賑やかな場所だけど、金さんがここで財布を拾った頃は、もっとのどかなところだったんだろうね」と話しながら江戸の頃に思いを馳せました。

 


こうして4つの噺の舞台を巡ること、2時間弱。
たったの2時間弱ですよ!
今は交通機関が発達していますから、遠出が簡単ですが…
昔は生活圏がもっと狭かったんですね。
みんなが寄り添い合うようにして暮らしていたんだなあ、と感じました。



「落語」をテーマにその舞台巡ってみると、歩いてみなければ気付けない発見がたくさんありました。


みなさんもぜひ、落語の舞台を巡りに、神田にお出かけしてみてはいかがでしょうか。
そしてぜひ、寄席に足をお運びいただき、本物の落語にふれてみてくださいね!

 


作家:ミラクル吉武氏「さあ春々さん!渾身のサゲでしめてください!」

安田「……お!? おおぉ…。えーと、"東京下町散歩とかけまして、正座をした後"と解きます」

ミラクル吉武氏「その心は?」

安田「"足をのばしたくなります"」



………(長い沈黙)。



仏のように優しい横山ディレクター「しびれるぅ~!」

 


お後がよろしいようで!
旅人は、僭越ながら鹿鳴家春々こと、安田美香でした!