東京・山手線一周!宝探しぶらり旅・田町~浜松町編|旅人:井門宗之

2019-04-04

伝説の企画復活に寄せて、
2012年に書いた旅日記、今回はまずここから始めたいのであります。
ちょっと長いけど、熱き文章、カモン!俺、イモン!

 

 


 

 

2012年7月某日、薄暮の新橋SL広場。
こうして我々は「山手線一周ぶらり旅」を無事に完結させる事が出来た。
天候は曇り、結局最後は雨に降られない“ぶらり”だった。
メンバーには言いようもない、不思議な達成感が残る。


僕は最初の旅日記にこんな事を書いていた。


《「東京に住む我々が東京を再発見する行為
を通じて、地方に暮らすみなさんが、
もう一度地元の良さを見つめ直す機会になればとも思ったわけでございます。》


僕らは山手線の一駅、一駅を結局3年もかけて歩いてきた(笑)
ゆっくり、のんびとしたこの歩みは、
東京の速度とは一見かけ離れている様に思える。
ところが実際に回ってみると、この速度でも東京は大丈夫なのだ。
いやむしろ、この速度で良かったのだ。
きっとそれはそこで暮らしている人の顔がよく見えたから。
そしてそれまで見た事が無かった街の表情が分かったから。


東京」。

声に出して言ってしまうと、
それは殊の外「大都会」を想起させやしないか。
勿論「東京」の中には、ビルがあり、ネオンがあり、流行の最先端がある。
しかし同じ様に、下町があり、人情があり、歴史があり、何より人の生活があるのだ…。


山手線の駅をゆっくり歩いて回る事で、
自分の頭の中にあったこの町の姿に、ようやく血が通った気がした。
何よりもこの旅を通して、僕は東京が大好きになった。
ゆっくり時間をかけてその姿を見せてくれた東京。
この街は最後にしっかりその包容力を見せてくれたのだ。


結局僕は最終的にこの街に包まれた。
ただひょっとしてそれは、この街に暮らす誰もがそうなんだろう。
名前を口に出せば、イメージは浮かぶ。
でもそれはあくまでも個人的なイメージの枠を越えない。


見に行かなきゃ


自分の暮らす街を、大好きなあの子が住む街を。


会いに行かなきゃ


旨そうなコロッケを揚げる肉屋のおばちゃんに、路地裏で遊ぶ子供達に。


そうして僕らも東京の風景の一つになろう。


一番最初のぶらりで見た、世界貿易センターからの眺め。


あの美しい、東京の風景の一つに。

 

 


 

 

熱い、熱いよ、当時の俺。
そして東京って街を上手に文章に表してるよ。
フォントサイズも10.5だよ(今は11だよ)。
もうね、今回のぶらりが終わってこの文章より上手に書ける自信がないYO。
あの伝説の企画を達成してから7年。企画がスタートしたのが10年前だもの。
そりゃ文章にも熱量こもっちゃいますよって話でして。

旅人は井門P。あれから7年が経ちになる(元号は令和になる) 


だから、やっぱりKGBKY
(「山手線の旅も2回目だから、やっぱり感慨深い。」の意)
という訳で今回の旅は………きたっ!!!!


山手線一周!宝探しぶらり旅!!

ついにあの伝説の企画が帰って参りました。
かつてこの番組がYAJIKITAと呼ばれていた頃、
山手線命名100周年だから、東京の街をもう一回見直そうよ!
せっかくだから山手線の駅がある街を一駅ずつぶらりしてさ、
その街が実際どんなところなのかをゆっくり回ろうよ!
…という企画意図でスタートしたのが『山手線一周ぶらり旅シリーズ』。


えぇ、えぇ、本当は命名100周年中に終わりたかったんですけど、
YAJIKITAも合間に色んな土地にお邪魔したりしております。 


結局我々がゴールの新橋SL広場に到着するまで…3年かかりました!
当時もリスナーさんから「いつ終わるの~?」「次はいつやるの~?」のお声多数!
ちょびちょびと~、歩いて回った3年間!(3年間!)
僕たち~!(私達は~!)
そこそこおっさんになりました~!


そしてあれから7年です!(もっとおっさんになりました!) 


皆さんご存知の通り「山手線に新駅が誕生する」というニュースが飛び込み、
駅名も「高輪ゲートウェイ駅」に決定!(カタカナか!)
考えてみたら企画が始まった10年前と今とでは東京の街も随分と様変わりしました。
僕らだって番組タイトルが変わったくらいだもん。


だとすれば、改めて“今”の東京を見て回ろうじゃないの!
東京2020に向けて変わりゆく街の姿を、
『山手線』という東京の大動脈を巡りながら、見て回ろうじゃないの!
もちろんゴールは「高輪ゲートウェイ駅」だ。
「品川」と「田町」の間に出来る新駅を目指して、
10年前とは反対の「山手線内回り」で回っていこうじゃないの! 


そんでゴールする頃には僕も「井門ウェイ之」に変えてやろうじゃないの! 


ん??よく考えてみたら「ゲート=門」だ…。 


となると、ゴールの時には井ゲートウェイ之に…(ならん)

前置きが長くなりましたが、こうして山手線シリーズが復活したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

横山「ぶらり日和ですね~(ニコニコ)」


 

Dは伝説のぶらり人、仏の横山Dだ。
何と言っても前回の旅の最後を締めくくったD。
山手線ぶらりへの想いは…そこそこ強い!


 

河合「晴れましたね~♪(ニコニコ)」


 

作家は最近雨を降らさない河合さんだ。
河合さんがチームに入った時には「山手線企画」は既に終了。
フレッシュな気持ちでぶらりに臨める頼もしい存在!


 

井門「河合さん、山手線ぶらりの後に加入でしたか…。」


河合「はい…新参者ですから…。」


井門「えっ?でもこの番組何年になります??」


河合「5年になりますぅ~♪


井門・横山「十分長いわっ!

 


今日も絶好調のKIKI-TABI一行。
かくして田町駅をスタートし、慶應仲通り商店街を抜けて…。


 

横山「いやぁ、商店街に飲食店が多いねぇ。」


河合「しかもお洒落なお店も沢山ありません?」


井門「今日はまだ春休み中(ロケは3月末)だから学生さん少ないけど、
近隣がオフィスビルだから勤め人がランチに来るんでしょうね。」


横山「あ、でも慶應の学生服があるよ!」


井門「昔ながらのテーラーでしょうね。こういう風情もまだあるんだなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

気付けば商店街を抜けて、陸の王者・慶應が見える交差点へ。
どうもぶらり中に卑屈なコメントが多かったのは、
我ら3人、明大卒業生だから!(笑)

心の中で「何が陸の王者だよ!へへーん!」とか思ってごめんなさい!卑屈になってました!
そんな荒ぶる心がハッと冷静になるほどの“落ち着いた佇まい”のお店を発見。
もうお店の看板からして歴史の長さを物語っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お店の名前は『秋色庵大阪屋』さん。
中を覗くと美味しそうな上生菓子が並び、その横の床几に座る貫禄のある男性が御主人、
倉本勝敏さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「御主人、こちらのお店は何年創業なんですか?」


倉本「元禄年間になります、江戸時代ですねぇ。」


井門「えっ!となると御主人は何代目になりますか?」


倉本「えぇ、18代目になります!」


井門「じゅ・じゅうはちだいめ!?」


倉本「元は日本橋小網町で店をやってたんですが、
昭和3年にこの場所に移ったんです。そこのむかーしの地図に載ってますよ。」


井門「あぁ、かつての日本橋の地図ですね?どれどれ…?
…うん、達筆過ぎてわかんねぇや(笑)」


お店の方「そうなんですよねぇ(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

大阪屋さんは家族経営でやられている和菓子屋さん。
慶應大学の目の前にあって、この町の変化を長年見つめてきました。


 

井門「町の変化ってのはいかがですか?」


倉本「そうですねぇ、例えばそこの商店街。
昔は個人商店も沢山あったんですが、いまはチェーン店が増えちゃって。
商店会にも入らない店ばかりで、誰がやってんのかも分からなくなりました。」


井門「時代の変化ですかね…なんか寂しいですけど。
でもここは慶應大学の目の前ですから、毎年4月の時期は新入生も増えて華やぐでしょ?」


倉本「そうねぇ…いまの学生はなんか薄汚くてねぇ(笑)」


井門「いやいやいやいやいや!!!」


倉本「昔は詰襟の学生服を着てたでしょ?
今は学生だかなんだか分からなくなっちゃって。」

 


江戸っ子だね(笑)
この感じは間違いなく江戸っ子の職人さんだ。
こういう感じの職人さんのお話しは久しぶりに聴いたので、
とても楽しくて良い時間。
きっと御主人の作る和菓子だって美味しいに違いない!

 


井門「御主人、こちらの名物はなんですか?」


倉本「秋色最中ですね。三色の最中。」


井門「秋色ってのはなんでまたこうした名前を?」


倉本「もともと三色最中でやってたんだけど、
それじゃよそと同じでつまんないから、秋色にしたんです。
秋色ってのは芭蕉の孫弟子でね、うちの2代目の娘なの。
そこから名前を頂いて、秋色最中にしたんです。
ここに浮世絵があるでしょ?別嬪さんだったんだ!(笑)」


井門「本当だ!絵が描かれる程の美しさだったんですね。」


倉本「せっかくだ、食べてってください。おーい、最中用意して。」


 

こうして大阪屋さんの看板最中を頂くことに。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「この白い最中が綺麗ですね~!」


倉本「これはね黒糖。うちのは原価が凄いんだから(笑)
もうね、黒糖!!って感じのあんこですよ。」


井門「(笑)ではいただきます!(モグモグモグモグ…)
あぁ、これは美味しいですね。確かに黒糖!!って感じ(笑)」


 

頑固な職人が作る絶品の最中は、とても贅沢な味がして。
御家族がすぐに淹れてくださったお茶がまた美味しくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

倉本「作り方は変えてないんだけどね、
材料の質が昔より良くなってるから、味は今の方が断然美味しいよ!(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

出てくる言葉の一つ一つがたまらなく。
お腹も心も満たされて、ついでに最中も買い込んで(笑)お店を後にした一行。


 

井門「この辺りは田町っていうよりも三田って言った方が伝わるかもしれませんね。」


横山「慶應大学と言えば三田なイメージだもんね。」


河合「倉本さん、本当に面白かったですね(笑)」


井門「本当ですよ!慶應の学生が薄汚かったら、
我らが母校明大生なんて!!(笑)」

 


はい、明大卒業生3人が歩いているのは、陸の王者のお膝元・三田ですよっと。
そして卑屈な三人組が喋ってるのは慶應大学の目の前ですよっと(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「この中で慶應を受験した人っています?」


横山・河合「しーん。」


井門「なんでだろうねぇ、なんか学生のカラーですかね。」


横山「だいたい僕らが受けるのは早稲田の方だから!」


河合「立教の学生じゃないですか?慶應受けるの。」


井門「おっしゃれー!」


一行「キャッキャッキャッ」

 

 

 

 

 

 

 

 


はい、卑屈な3人組が話しているのは慶應大学の目の前ですよっと(笑)
言ってみたかったなぁ…慶應ボーイとか。
な、柴田くん!?(忘れらんねえよ)

 

 

 

 

 

 

 

 


河合「で、ここから歩いていくと、あの商店街なんですけど…。」


井門「あの商店街って?」


河合「KIKI-TABIでお世話になるのは今回で3回目のあの商店街です!
芝と言えばの芝辛激辛ストリートですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 


思い出した…。
始めての出会いは確か2回目の激辛ロケだっただろうか…。
芝に激辛を掲げた商店街があるというので、
鈴木さんと道場破り…もといお伺いしたのが『芝の鳥一代』さん。


 

井門「あそこは…強敵でした…。
激辛のサムゲタンを完食したら無料だったかな、一番辛いサムゲタンと対決したんです。」


横山「ひー!!(横ちゃん辛いの苦手)」


井門「見た目は白色のスープで、鶏が一羽丸ごと煮込まれていて。 


物凄く、物凄~く美味しかったんですけど…辛ぇのなんの!

 


そう、あの時に生まれた言葉が(から)いと(つら)いは紙一重』だった。


 

井門「お店を後にしてから、赤羽橋まで歩いたんだけど、
もうねお腹が痛くてずーっと『くの字』で歩いてたんですから!」


横山「ひぃぃぃぃぃ…(辛さは恐怖)」


河合「今日は始めてその商店街の会長にお会いします!」


井門「げ…激辛の番人に…!?(違う)」

 


激辛の番人は(だから違うって)商店街の入口にお店を構える。
そしてその激辛の番人のお店は…。


 

河合「はい、たい焼き屋さんです♪」


井門・横山「はい~~~???

 

 

 

 

 

 

 

 

たい焼き屋さんと激辛…その謎は番人のみぞ知る…(だから違うって)。


 

井門「(恐る恐る)あ…あのう、あなたが激辛の番人でつか…?」


金子「芝辛激辛ストリートの商店街会長、金子全宏です!

 

 

 

 

 

 

 

 

なんとも明るい、そして人当たりの良い御主人。
こちらが激辛ストリートの金子会長です。
元々は和菓子屋さんを営んでいたのですが、奥様が他界され、
一人でもやれる仕事を…と今のたい焼き屋さんになったんだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 


井門「でもたい焼きで激辛って、どうやって辿りついたんですか?」


金子「いや、私も最初はどうかなって思ってたんですよ。
そしたら商店街の連中から“会長がやらなきゃどうするの!?”って(笑)」


井門「恐るべし、激辛の輪…。」


金子「商店街の中で“じゃあ会長はたい焼きの皮を焼いてくれりゃ良いから”って、
“中の餡は俺が作るから”って言ってくれたヤツがいてね。
そこで出来上がったのが、キーマカレーの餡なんですよ。」


井門「た…ただのキーマカレーじゃないですよね?」


金子「えぇ、タバスコ200倍の辛さがある、
ブートジョロキアが入った激辛キーマカレーです!」


1個180円で注文してから作る受注販売スタイルのたい焼きは、
激辛フリーク達に愛されているらしく…。
実は僕らのインタビューの前にいたお客さんは、この激辛目当てだったりしたのだ。


金子「まぁ、私は食べられないですけどね!
はっはっはっ~~!!(笑)」


 

出た…結構な割合でいらっしゃる、
作るけど食べられないパターンの御主人(笑)
そして高確率で、こうした御主人が作る激辛メニューはリアルな辛さ。
激辛苦手の仏の横山Dが、リアルで仏になっ(ry

 


金子「では今から焼きますよー!」


井門「は…はい!(ガクガクガクガク)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして手際よく金子さんがたい焼きを焼き始めた。
餡を包んで、型で生地を挟んで焼いていきます。

 


井門「あっ、なんだろう…辛い匂いがしてきた…。」


金子「はい、出来上がりですよ~!」

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「早速、いっただっきまーす!!(モグモグモグ)
うん、あっ、うん…??
あっ、辛ぇっっ!!


金子「ははは~(笑)」


井門「なんですかね?
形はたい焼きだから、頭の中で甘い味が想像されるじゃない?
で、生地はほんのり甘いんですよ!なのに、中にいくと知らないヤツがいるの!
えっ?甘いあんこじゃない…知らない、この人、知らないっ!てなるの!
俺が知ってる人じゃない人がいるのよ~!!!」


 

と食レポがかなり混乱を極めましたが(笑)
金子さんが営むお店は明治の終わりに創業した寿堂菓子店
季節のお菓子もあったり、美味しいたい焼きがあったり、激辛があったり(笑) 


金子さんがいるから激辛ストリートはあるわけで、
取材が終わった後も芝の週お天街を盛り上げるアイデアを色々とお話し頂きました。
物凄く愛のあるアイデアマン。
地元を愛して、地元の為に何が出来るかを常に考えてらっしゃる。
そんな金子さんの焼くブートジョロキアが効いたたい焼きを食べに、
ぜひ芝辛激辛ストリートへ!

 

 

 

 

 

 

 

 

横山「ごめんね、僕もひと口って言えなくて。」


河合「私達二人とも激辛が全くダメでごめんなさい(笑)」


井門「いいんです!激辛を食べながらのぶらりも悪くないもの!」

 

 

 

 

 

 

 

 

町の風景は商店街からビル街、そして路地裏にはまた住宅街とめまぐるしく変わる。
その風景を眺めながら歩いていると、一本の橋が。

 

 

 

 

 

 

 

 


井門「ん??金杉橋ですか。
おー、川に屋形船がたくさん停泊してますね!
この風景もまた東京っぽいというか江戸の風情というか…。」


河合「この付近は老舗の船宿も沢山あるんですよ。
屋形船に乗りながら東京湾をクルーズって楽しいですよね~!」


横山「揚げたての天ぷらでビールとか良いね!」


井門「そういう楽しみ方って、実は東京っぽいですよね。」

 


江戸幕府が開府した時に、時の為政者である徳川家康がまず進めたのは治水事業だった。
江戸にはいくつもの運河が作られ、まさに水運都市として大きく発展していったのです。
実は現在もその名残があって、首都高は川の上に作られている所も多いんですよ。
これは川を作った所がいかに物流に便利かを表してもいますよね。

 


河合「そして現在、いまの東京でも船で楽しめる場所があるんです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「そうか!ぶらりして来て山手線の外側に来たけど、
そうすると目の前はもう東京湾で、という事は目の前が…。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京には水上交通である水上バスに乗れる場所がいくつかあるのですが、
その一つがここ日の出桟橋。
取材日はとんでもない数のハトバスと、とんでもない数の外国人観光客の姿が。

 


横山「随分とここに来る人も変わったのねぇ。」


河合「芝浦ってバブルの頃はお洒落なバーとかいっぱいあって、
私も夜景が素敵なバーに誘われて行った事があるんですけどぉ
全然風景に興味なくって~、えへへへ~♪

 


うん、敢えてのふ・と・も・じ♪
それはさておき(河合さん、さておかれたー)、
一行がお邪魔したのはその水上バスの東京都観光汽船(株)。
ここまで来たのでいっちょ水上バスに乗せて貰おうかと…。

お話しは東京都観光汽船(株)の石澤毅さんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「随分と外国人の方が多いですね!?」


石澤「特に今、3月~4月は桜のシーズンですので繁忙期なんです。
ここから浅草の方に向かう水上バスが隅田川沿いの桜を眺めるコースですので、
やっぱり桜の時期はそちらが人気ですね。
ただ潮位によって隅田川の橋をくぐれない日もありますので、そちらは御注意ください。」


井門「東京の風景ってのは、しかし、随分と変化していきますね。
ここから見るとビルやマンションがどんどん建ってますもんね。」

 

 

 

 

 

 

 

 


石澤「あっ、あの豊洲方面に建設中なのは選手村ですよ!」


井門「選手村ってあんなに大きいんですね!」


石澤「はい、こちらもオリンピックシーズンは水上バスの航行は出来ないエリアですが、
いまはお台場に向かう水上バスから建設中の選手村を眺める事が出来ますよ!」

 


この水上バス、実はその起源は明治時代だと言います。
隅田川にまだ橋が5本しか無かった時代、川の渡し船がその起源だとか。

 

 

 

 

 

 

 

 


井門「因みに石澤さんの好きな東京湾の風景はなんですか?」


石澤「はい、やっぱり夕暮れや夜景ですね。
ちょうど橋の向こうに太陽が沈んでいくんですけど、その瞬間がまた綺麗で。」


井門「レインボーブリッジの景色とか、ザ・トーキョーって感じですよね。
僕も車でお台場からレインボーブリッジを渡る時とか、
そこから見える東京タワーとか、東京を凄く感じますもん。
因みに今日は我々も水上バスに乗せて頂けるとか?」


石澤「はい、お台場方面の水上バスがこれからやって来ますので是非!」

 

 

 

 

 

 

 

 

水上バスとは不思議な乗り物だ。
大都会東京において、観光地と呼ばれる場所を船で移動する事が出来る。
石澤さんも仰っていたけど、
都心にこれだけ深く入り込む船の旅は、世界中探してもなかなか無いと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

こうしてお台場方面に水上バスで移動すること約15分。

 


井門「ねぇねぇ、今回の旅って“山手線ぶらり”だよね?」


河合「えぇ!(ドヤ)」


井門「僕らがいまいるのって…。」


河合「お台場ですね!(ドヤ)」

 


おかしい…かつての山手線ぶらりでもお台場に来たぞ…(笑)
しかもあの時はレインボーブリッジを歩いて渡ったっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「なんだろうね、この番組はどうしてもお台場に来たくなっちゃうんだね(笑)」


横山「そうだねぇ(笑)」


こうしてお台場に上陸した後は“ゆりかもめ”に乗って(良かったわ!)、
一路竹橋から浜松町へとぶらりを再開。
江戸時代の石垣を見たり、新島から贈られたモヤイ像を見たり。

 

 

 

 

 

 

 

 

河合「もう…脚が棒の様です…。
万歩計見たら8000歩も歩いてますもん!」


横山「山手線ぶらりはねぇ、歩くんだよぉ~。

 


そうなのです。
山手線のぶらり旅は物凄く歩くロケ。
そして何事もスピードの速い東京において、
実はこの“歩いて移動”がポイントだったりするのです。
そうして歩いて歩いて、本来の山手線とはかけ離れつつ(笑)
やっと到着した浜松町駅。
夕暮れの浜松町駅は既に沢山の勤め人達の姿も。

 


こうして東京の今を探るべく、再び始まった山手線ぶらり旅。
今回のキーワードは“宝探し”でもありました。
田町~浜松町で見つけた『宝物』は、そうだなぁ…。
“昔から大切に残る、東京の人の営み”です。
ここで暮らす人達が大切に時を重ねながら、
この風景と人情を守り続けてきた事こそ、このエリアの宝物なのかなと。

 

河合「あっ!そのフレーズ良いですねぇ!」


井門「あんた、宝物は喋り手任せかよっ!(笑)」

 


そんなこんなで次回はいつOAなのか!?
また3年かかるのか!?
いやぁ…ちゃんと来年終わらせたいなぁ。
次のぶらりもお楽しみに!!!