熊本・阿蘇 あれから3度目の夏|旅人:井門宗之
2019-07-11
吉武「こんなに空港から近かったんだねぇ。」
井門「そうですね、前に来た時はもっとぐるっと回ってきたような…。」
橋本「確かに!山の上からブルーシートで覆われた家屋を見たのを覚えてます。」
永尾「道路も徐々に整備されて今は空港から車で10分なんだよ。」
2016年4月に発生した熊本地震から3年の月日が経ちました。
僕らが熊本に初めて向かったのは震災後1ヶ月半が経った5月末。
地震の影響で観光客が激減しているという情報を聞いて、
いても立ってもいられなくなったからです。
だって僕らに出来る事は「旅をする」事だから。
なんとか僕らの番組を聴いた方に、熊本を旅して欲しかったから。
その熊本もあの地震から3度目の夏を迎えようとしています。
まだまだ大変な場所も多くあります。
だけどそんな大変な中でいくつも芽吹いた希望の芽もある。
今回のKIKI-TABIはそんな希望の芽を訪ねる旅です。
僕らが最初にお邪魔したのが益城町です。
冒頭で「10分で云々」と話していたのは空港から益城町の距離なんですね。
震災直後の光景から随分と町の様子も変わった益城町。
至る所で道路工事や宅地の工事が行われています。
その益城町の中でも最も大きな仮設団地、テクノ仮設団地へと向かいました。
永尾「ここに美味いプリンがあってさ。
前に来た時は一人で全種類制覇しちゃったもん(笑)」
井門「いいおっさんが何をしてんのさ(笑)」
そんな風に笑っていたのですが、後で永尾Dの気持ちがよく分かることに…。
僕らがお邪魔したのは益城町で明治時代からお店を営んでいる岡本商店さん。
今も仮設店舗で営業を続けられていますが、お店の形態は昔懐かしい駄菓子屋さんです。
お店に御挨拶をした時も地元の女の子が駄菓子を買いに来ていて、
奥様が相手をしていたんだけど、その姿がとても微笑ましいの。
“あぁ、地元の子供達にとって特別なお店なんだなぁ”って。
そのやり取りを見ているだけで心がほっこりする。
ずっと、ずっと、この風景は無くしちゃいけないなよなって思ってしまう。
こちらの御主人・矢野好治さんにお話しを伺いました。。
井門「こちらは昔から駄菓子屋さんだったんですか?」
矢野「いえ、店の名前にある様に“商店”ですから昔はなんでも売ってたんですよ。」
井門「今はお店の前にも“益城プリン”の幟が立っていますね。」
矢野「はい、実はプリンは9年前からやっていて、
当時は“おやつプリン”って名前だったんです。
2016年に熊本地震が発生して、当時のお店は全壊してしまって・・。
ところがその時にお店のオーブンだけが助かったんですよ。
動くかなと思ったら動いて、それでもう一回プリンを作ってみたら出来て。
だったらこのプリンを益城プリンって名前にして、この町のシンボルにしようと。」
こうして町の名前が付いたプリンが再び出来上がりました。
阿蘇の新鮮な牛乳をふんだんに使い、毎朝必要な分だけしか作らないと矢野さんは言います。
矢野「色んな人に言われるんですよ“ネット販売はしないの?”って。
でもネット販売はやりません。顔を見て売りたいんです。
これまで岡本商店はそういう商売のやり方をしてきたから。
お父さん、じいさんがやっていたやり方で自分も売っていきたいんです。」
だからこそ店舗での販売と移動販売での形を大切にしている矢野さん。
現在の仮設店舗でのお話しも少しお伺いしました。
矢野「ここの仮設の期限も来年の6月頃です。
お店の再建もなかなか前には進まず、
他の方も土地はあっても人が足りずに工事は“待ち”の状態。
非常に厳しい状況は続いています。
でもなんとかマイナスな気持ちには蓋をして、前を向いていかなきゃいけないと。
歯を食いしばって頑張っています。」
井門「益城の名を持つプリンがお店再建という風になれば、
きっと益城町の人にとっても嬉しい話になると思います。」
矢野「そうなれば良いんですけど・・・。
地震から3年で、一歩前に進む事が本当に大変で。
当たり前の日常がいかに大切だったかが分かりました。」
地元を大切にしながら、益城の名前を大切にしながら、
一歩ずつ前に進む矢野さん。
その矢野さんが魂込めて作るプリンが美味しくないわけないんです!
井門「矢野さんの想いが込められた益城プリン、プレーンを頂きます!
あっ、スプーンを入れた途端にその滑らかさが分かる…。では(パクリ…
旨い~~~!!(笑)」
永尾「でしょ!?本当に旨いんだよ!」
井門「もうね、笑っちゃうくらいに美味しいです。」
矢野「有り難うございます(笑)」
井門「これは全種類制覇したくなるなぁ。」
フレーバーは全部で3つ。プレーンとゴマとチョコ。
僕ら「おじ散歩」の面々、矢野さんへのインタビュー後にしっかり全種類頂きました(笑)
結局4人で7個のプリンを平らげ…。
橋本「あっ、ゴマも旨い!」
吉武「チョコも良いですね~!
レシピはそれぞれ違うんですか??」
矢野「いえ、味は変えてますけどレシピ自体は変わりません。
夏場はスプーン入れて凍らせて、スプーンごと抜いてアイスプリンにしても美味しいです!」
井門「あぁ、それは絶対に美味しいやつだ(笑)」
矢野「アイスにして美味しいのはチョコですね。」
おじさんが5人で(矢野さんごめんなさい)プリンを食べながら笑い合う。
それもなんだか悪くないのです。甘いものは間違いなく人を幸せにするんだもの。
でも人を幸せにする物を作っている矢野さんにこそ、
もっともっと幸せになってもらいたい…。
地震から3年が経って、歯を食いしばらなきゃいけない場面も多いかと思います。
でもなんとかお店の再建が叶いますように、願っております。
そしてまたこの美味しいプリンを頂きにお邪魔します。
矢野さん、有り難うございました!
永尾「震災以降、熊本から全国的に有名になった食材って何だか分かる?」
井門「なんだろうなぁ…。あっ!あれだ、赤牛だ!」
永尾「そう、その赤牛をローストビーフにして、
なんとカレーに乗せて食べさせてくれる場所があるんだよ。」
井門「えぇぇぇぇええ!?それは絶対に美味しいやつ!」
という事で僕らが向かった先は久木野キャンプ場。
緑豊かなこの場所にあるのが、こちらもモスグリーンの綺麗なキッチンカー。
キッチンカーの近くにはなんとも美味しそうなローストビーフカレーの写真が!?
ここだ、ここだ!!赤牛のローストビーフをやんちゃにもカレーに乗せたお店は!
かつて阿蘇大橋のたもとにあった、
南阿蘇のランドマーク的レストランだった「まるでん」さん。
お店は残念ながら地震で営業が出来なくなってしまったのですが、
かつての味と志をキッチンカ―に乗せて、
御主人の増田一正さんは頑張っているのです!
井門「増田さんはキッチンカ―だけじゃなくて、
この久木野キャンプ場の管理もされているんですよね?」
増田「はい、アウトドアが好きなものですから。
アウトドア好きが集まった“南阿蘇knot”としてやらせてもらっています。」
増田さんは震災前に縁があって「まるでん」を継がれたオーナーシェフ。
地元でも有名店でかつてを知2人は、
昔の赤牛のステーキカレーは物凄く美味しかった!と絶賛します。
(たまたま僕らと同じタイミングで熊本のタウン誌の記者が取材に来ていたの)
その人気メニューを赤牛ローストビーフカレーとして復活させ、
キッチンカ―で販売するようになったのが2017年。
以来ここのカレーは口コミで広がり、東京のラジオDをも魅了するようになったのです(笑)
永尾「ここのカレーはフルーティーでさぁ。
俺、フルーティーなカレーが大好きなんだけど、物凄く旨いのよ!」
増田「有り難うございます!リンゴと玉葱をたっぷり使っているので、
フルーティーなキーマカレーに仕上がっています。」
井門「キーマカレーということは、そのひき肉も…?」
増田「はい、赤牛を使用したひき肉になります!」
井門「絶対に美味しいやつ!!」
永尾「だから絶対に美味しいんだって!」
井門「増田さん、せっかくですから全員お昼ご飯に頂いても良いですか?」
増田「もちろんです(笑)」
激しい雨が降る中、キャンプ場にあるデッキの軒先をお借りしカレーを待つおじさん達。
キーマカレーは500円で、その上にローストビーフを乗せるスタイルです。
看板のメニュー表を見ると3枚で大体1000円前後とか…。
この贅沢カレーが1000円前後ですと!?
こんなに美味しそうなローストビーフが乗っかって…。
でもほら、ローストビーフってたまに歯ごたえがあり過ぎて噛み切るのに苦労したり、
ねぇ、ありますよね??赤牛って上質な赤身が売りだからちょっと歯ごたえあるのかな…。
増田「お待たせ致しました!」
井門「おぉ!!こ…これは…!」
蓋がされた状態でも美味しそうなのが分かる…。
そして蓋を開けた瞬間の鮮烈な香り!!
ガーリックソースと…ん?これは燻製の香り…??
増田「はい、ローストビーフを軽く燻製してあるんです!」
井門「赤牛のキーマも良い具合だなぁ…。では早速、頂きます!
モグモグモグ…旨いっ!!
これは間違いなく旨いっ!!
本当にルーがフルーティーで、赤牛のひき肉の旨味もギュッとしていて…旨いです!」
増田「有り難うございます!」
井門「ではメインのローストビーフを…パク…
これは柔らかい!!赤身のギュッとした固さではなくて、
旨さの塊がほろほろっとほどけていく…。これは旨い!!」
あまりの旨さにスプーンが止まらず、
雨が降るなかあっと言う間に完食してしまいました(笑)
この絶品カレーはキャンプでもテイクアウトして食べる事が出来るそう。
でも実は嬉しいことに、新しい「Minaaso マルデン」の再建も決まっているようで。
増田「新しいお店は“食”と“アウトドア”を一緒に伝えられるような、
アウトドアの拠点としても楽しめるようなお店になる予定です!」
阿蘇の自然に魅せられて、阿蘇の食材に魅せられた増田さんが、
その大好きな阿蘇をたっぷり詰め込んだお店を再建される…。
それはもう楽しくて、美味しいものいっぱいのお店になるに決まっています!
新しい阿蘇を、これまでの阿蘇を知っている増田さんだからこそ広めてください!
僕もまた必ずお邪魔します!今度は大盛りにして、ローストビーフは5枚にして(笑)
美味しいカレーと優しい笑顔を本当に有り難うございました!
続いて向かったのは阿蘇を代表する観光スポット。
阿蘇草千里乗馬クラブです。
永尾「馬と言えば僕と井門君だからね。」
井門「そうですよ。あ、永尾さん、函館の5Rなんですけどね…。」
吉武「知ってる、この車中の光景は知っている。」
橋本「このおじさん達と一緒になると、大体車の中で競馬の話だからなぁ。」
永尾「何行ってるの、大事なことでしょ?」
井門「そう、僕達は開催場で季節を感じる事も出来るんだぞ!
永尾さん、函館、福島、中京だって。」
永尾・井門「夏だねぇ~!」
吉武・橋本「知るか!」
そんな馬バカ二人が乗る車は阿蘇の山をどんどん登っていきました。
そうです、標高の高い場所にあるのが草千里乗馬クラブ。
どんどん山を登っていくと…風光明媚な阿蘇の自然の景色が…。
一行「ん?」
どんどん見晴らしもよくなって…。
一行「あれ??」
もう少しなのか?草千里乗馬クラブは、もう少しなのか?
一行「いや、これは…。」
到着!
一行「霧で何も見えん!」
そうなのです。天気が良ければこんな気持ちの良い場所はない、草千里乗馬クラブ。
ところがこの日は天候不順の為に霧で何も見えないという…。
本当に10m先がやっと見えるくらいの濃霧。
本来ならここでのびのびと過ごすお馬さん達を眺めながらインタビューだったのですが、
急遽事務所をお借りして代表の末藤吉一さんにお話しを伺いました。
井門「いやぁ、霧が凄いですね…。」
末藤「こういった場所だからねぇ、仕方ないですよ(笑)」
井門「普段は何頭のお馬さんがいるんですか?」
末藤「全部で14頭です。」
震災後はここまで来る道も影響を受け、レストハウスも休業。
その後、阿蘇山の噴火などもあり客足は遠のいたそうです。
しかし現在は野焼きを再開して場所を整えたり、
更にはレストハウスの再開もあって賑わいを取り戻す準備は万全。
井門「しかし霧がなぁ…。」
末藤「今日はもうね(笑)
馬たちもどこかにいるとは思うんだけど、多分どこかで身体を休めてるんじゃないかな?」
井門「乗馬体験はお幾らで出来るんですか?」
末藤「コースによるんですけど、1500円、4000円、5000円のコースがあります。」
永尾「池をぐるーって回るコースが良いですよね。
ゆっくり回って戻ってくるんだけど、途中で音が全くしなくなるんだよ。」
井門「それは良いなぁ…景色も綺麗なんでしょうねぇ。」
永尾「ほら、これが天気が良い時の景色(スマホを見せながら)」
一行「おぉ~!!」
うん、きっと神様が“また必ず来なさいよ”って言ってくれているんだ(笑)
そういう事にしておいて、必ずまた来よう。
ちょっとびっくりしたのは、天気もアレなのに(アレって)外国人観光客が多いのです。
末藤「そう、韓国や中国の人が本当に増えたねぇ。
私もちょっとだけ練習しなきゃって思ってるの(笑)」
井門「また必ず、今度はお天気の良い日に来ますね!」
末藤「はい。ここは標高も高くて夏も涼しくて良い場所なんです。
是非また遊びにきてくださいね。」
濃霧の中、草千里乗馬クラブを後にして僕らが最後に訪れた場所は…。
井門「これまた険しい道を登っていきますね…。あっ、まだ崖崩れの痕が…。」
永尾「僕が最初に来た時は本当にまだまだの状態で、
車で登っていっても本当に怖かったんだよ。土砂崩れのすれすれの所を通る感じで。
この辺りは地震の影響で崩れたってよりは、その後の集中豪雨の影響。
とんでもない量の雨が降って、土砂崩れが起こったのがこの辺りなんだ。」
僕らが向かったのは標高800mの場所に位置する地獄温泉。
ここにある清風荘は地震とその後の土砂災害の影響で永らく営業出来ずにいました。
その地獄温泉が、開湯から200年、古くから湯治場として愛されてきた温泉が、
震災から3年の今年4月に漸く露天風呂を再開したのです!
これまでの御苦労も今のお気持ちも、いかほどか…。
今回は代表の河津誠さんにお時間を頂きました。
河津「まず再開に当たり、これまでとは違う形で湯治を届ける事を考えました。
これまで通りではなかなか次の世代に“湯治”という文化が届きにくい。
なので露天風呂も今まで女性が入りにくかった混浴というスタイルを少し変えました。」
井門「なるほど、だから水着着用なんですね!」
河津「そうです。これまでの混浴というと男性優位なイメージもありましたが、
水着や湯浴み着を着て入浴するスタイルにしたので、若い女性でも入り易くしたんです。」
井門「脱衣所から内湯を通って外の露天風呂に行く導線にも、工夫がされているんですよね?」
河津「はい(笑)あくまでも湯治の湯なので、休んでは入り、
入っては休みを繰り返し、長い時間お風呂に入ってもらわなくちゃいけません。
なので露天風呂と脱衣所の中間に休憩スペースを設けました。
冬は床暖、いまは地熱で少し床がポカポカしているでしょ?」
井門「そうか、こちらはあくまでも湯治場ですもんね。
そして肝心の露店風呂が全部で3つありますね。」
河津「温泉が2つと冷泉が1つです。
この冷泉も昔は利用していなかったんですよ。
でも外国では冷泉に入る文化もあるというので、今回新しく作りました。」
井門「そうか、どことなく外国のイメージも持ちました!」
河津「そうなんです。露天風呂再開に当たり色々な外国の温泉を調べました。
中間の休憩所のアイデアはフィンランドのサウナも参考にしているんですよ!」
僕らが取材したのは営業時間前だったのですが、
その間も露店風呂受け付けには沢山のお客さんが!
いざ営業時間となると2つの温泉露天風呂に皆さん気持ちよさそうに浸かってらっしゃる。
井門「河津さん、僕らも温泉頂いてよろしいですか?」
河津「はい、もちろんです。ゆっくり浸かってくださいね!」
2つの温泉は温度の高い湯、低い湯に分かれていて、
沈殿した成分の泥が洗面器に入れられプカプカと浮かんでいる。
利用者はこの泥を顔に塗ったり身体に塗ったりして、時に湯船の外で身体を休めながら、
心ゆくまでゆ~っくりと温泉を楽しんでいるのです。
僕ら4人のおっさんもお言葉に甘えて、裸と裸の温泉タイム。
井門「河津さん、ちょうど僕、ヘルニアになったばかりで…。」
河津「ここの温泉の効能は“痛み”ですね。
傷にもよく効きます。痛みの症状の緩和はてき面ですよ。
ヘルニアになると、少々時間はかかりますが、ゆっくり何度も入れば改善します。」
井門「あと手首が腱鞘炎っぽいんだよなぁ。
ゆっくり浸かってみよう…。」
――おっさん4人、温泉にIN――
一行「あ”あ”あ”あ”ぁぁぁぁ~~~!」
吉武「これは気持ち良いなぁ・・・。」
井門「たまりませんね、この低い温度の方もじわっと汗が出て来ます。」
河津「温泉の成分が働いて、低い温度の方も凄く汗が出ますよ。」
永尾「僕も土砂崩れの跡にこちらにお邪魔した時は、宿泊施設も温泉も被害が凄くてね。
でもこの“すずめの湯”だけは温泉がこんこんと湧き続けていたんだよ。
今にも入れそうだったから御主人に聴いたら“ダメっ!”って言われたよ(笑)」
井門「でもそんな状況でも温泉は湧き続けるんだもんなぁ。」
永尾「そうだ!おっさん4人で写真撮ろう!湯船に浸かってるやつ(笑)」
吉武「えぇ~!撮るの??」
井門「面白そうだから撮ろう!おじ散歩だ!ハッシュタグおじ散歩だ!」
地獄温泉の取材は割と時間に余裕があったので、
僕らは河津さんのお言葉に甘えて随分ゆっくりと温泉に浸からせて頂きました。
するとね、やっぱり腰と手首がラクになってるんです(笑)
凄い、この温泉はやっぱり凄い。
河津「宿泊施設の再開も来年を予定しています!
また是非、ゆっくりいらしてください!」
河津さんは取材以外の時間も色んなお話しや、
温泉を外に発信する為のアイデアを聞かせてくださいました。
凄いのは温泉だけじゃない、この温泉を守り続ける皆さんの情熱だって凄いんだ。
河津さん、またゆっくり来させてください。本当に良いお湯を有り難うございました!
あの震災から3年、3度目の夏を迎えようとしています。
一人で歯を食いしばって進むには、3年という月日は途方もなく長い。
今回お話しを伺った皆さんの言葉の端々から、3年の歩みの厳しさが滲んでいました。
それでも、そんな状況の中で皆さんは、何とか前に進もうとしていらっしゃった。
何度も何度も繰り返し旅日記で書いている事を、改めて書かせてください。
一人で頑張るには、限界がある。一人で踏ん張るには、限界がある。
それを補うのが、お手伝いするのが、それ以外の地域に住む僕らなんだと思うんです。
震災で被害を受けた地域を取材する度に想う事があります。
「笑顔を取り戻すには、人の笑顔が必要だ。
でも人の笑顔を増やすには、被災地に住む人だけでは足りない。 」
あなたの笑顔はきっと、被災地の皆さんの笑顔を取り戻す為の、大切な支援になります。
出来る範囲で構わない、続けていく事が何よりも大切なのだと思います。
皆さんの当たり前の日常が、一日も早く取り戻せますように。
そして僕らは、また必ず熊本にお邪魔します。
今度こそ、馬に乗らなくちゃ!(笑)