東京・山手線一周!宝探しぶらり旅・神田から御徒町編|旅人:井門宗之

2019-09-05

 

井門「そうそう、10年前のぶらりではこのエリアが親分デビューだったね!」

 

佐々木「覚えてるなぁ…。」

 

親分「自分の地元で取材先を考えるのって一番大変なんだよ!(笑)」

 

 

 

かつてこの番組がYAJIKITAと呼ばれていた頃…。
山手線命名100周年ぶらり旅の途中に作家の親分がチーム入りを果たしました。
あれからだってもう10年…。
そう思って過去の旅日記を読み返すと書いてあります、今回のぶらりでも旅した場所が。
東京は新陳代謝がとにかく激しい街で、でもその中でも確かに残っている場所もある。
今回のぶらりは当たり前の事なんだけど、そんな大切な事に気付かされた旅でもあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

佐々木「神田駅周辺って、どこを通ると大通りに出るのか、一瞬迷いますよね。」

 

親分「この高架が山手線かなって思うと中央線だったりするからね。」

 

井門「あと、駅前は狭い区画の中に建物が密集してるでしょ。
昔神田で飲んで酔っ払ってさ、駅までの道が分からなくて泣きそうになったことある(笑)」

 

 

 

神田という町は江戸時代から職人の町として栄えてきたエリアで、
地図を見てみるとその職人に因んだ町名が細かく付けられている事がよく分かります。

 

 

 

親分「あとさ、神田ってカレーの町とか言われるけど、あれだって“神田神保町”でしょ?
知らないで神田駅で降りてカレー屋さんを探して歩くと神保町までかなりあるんだよね。」

 

井門「そうか、神保町も“神田神保町”ですもんね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

“鍛冶町”、“須田町”、“岩本町”、“多町”、“神保町”などなど。
神田を冠する町名が多いのは、かつてこのエリアが麹町区と神田区に分かれており、
それが千代田区に編成された時の名残とも言われております。
“神田”という名前にはこの辺りに住む方々の誇りも込められているのかもしれません。

 

 

 

親分「だいたい“外神田”なんてのは随分後に出来た言葉なんだよ!
昔から住んでいる人はそんな風には呼ばないの。
だから神田祭の時はかつての町名で○○会って呼んだりするんだよ。」

 

 

 

そう言えば“江戸っ子だってねぇ?”“神田の生まれよ!”って、あの有名なセリフ。
この“地元を誇らしげに言う”あたりも、神田っ子の神田愛そのものなんだろうなぁ。

 

 

 

親分「神田で俺達が鰻って言ったらあの“きくかわ”かな。
昔から建物自体は変わってないよ。」

 

 

 

さすが親分、神田の生まれよ(笑)
地元を取材するのは嫌だとか言いながら、実は今回一番楽しそうにしているのです。
そんな話をしながらてくてく歩いていくと、
かつてのぶらりでも登場した万世橋に到着しました!
でも…うん??どうやらかつてとは何かが違うようで…。
実は駅の遺構をリノベーションした商業施設が2013年に誕生、
お洒落なお店が軒を連ね、沢山の観光客で賑わう場所になったのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

万世橋には、中央線の始終点の駅『万世橋駅』があり、
1912年から1943年までの約30年間営業を続けていました。
その後は交通博物館として2006年まで営業を続け、
2013年『mAAch ecute 神田万世橋』として新しく生まれ変わりました。

 

 

 

井門「中に入るとかつての万世橋駅前のジオラマがありますね!」

 

親分「この辺りは昔、銀座と並ぶくらい賑わっていたらしいよ。
この場所も真上は中央線の線路だからね。電車が通ると音がするよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「そう言えば万世橋駅の設計って辰野金吾なんですよね。
東京駅の丸の内駅舎とおんなじで。」

 

親分「そうそう、でも万世橋駅の方が完成は早いんだよね。
先にこの駅が出来てから中央線は延伸していくから。」

 

 

 

かつてのこの辺りの賑わいに想いを馳せる。1912年、時代は明治から大正へ。
大正ロマンやモボ・モガなどの言葉が生まれ、文化は加速度的に花開いていった時代。
その時代に銀座よりも賑わったエリアがこの万世橋駅周辺なのです。
そして今、令和になってその当時の煉瓦造りの遺構の中にいるという不思議。
今はお洒落なお店が軒を連ねる商業施設へと変貌を遂げた万世橋駅。
実は当時を偲ぶ場所があるというので、一行はそちらへ。

 

 

 

井門「ん?1935階段?
昭和10年の鉄道博物館開業に合わせて作られた階段ですって!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

70年ぶりに一般公開されたというこちらの階段と、もう一つの1912階段
1912階段の方は万世橋駅開業当時に作られた階段です。
この階段を登ると屋上庭園の様なウッドデッキが現れました。

 

 

 

井門「おおっ!まるで当時のホームの様な作りじゃないですか!」

 

 

 

 

 

 

 

 

とはしゃいでいると、そのデッキの横を中央線が通過していく。

 

 

 

井門「まさに当時の万世橋駅の雰囲気を味わえる場所なんですね…。凄いなぁ。」

 

 

 

舞台装置のお陰であっという間に明治・大正時代にタイムスリップした井門P。
帰りは1912階段を下りて、令和の時代に戻ります。

 

 

 

井門「昭和の階段を登って開業当時の万世橋駅の雰囲気を味わって、
明治の階段を下りて令和に戻る…か。何だろう、すごく楽しかった。
ただ階段を上ったり下りたりしただけなのに、一気にタイムスリップ出来て。」

 

佐々木「前にぶらりした時もこの辺りを歩いて、交通博物館の話しとかしましたね。」

 

井門「覚えてる!肉の万世を横目にね(笑)」

 

親分「昔はさ、肉の万世で食事をすると交通博物館の入場券が貰えてね。
俺なんかぁもう何百万回と行ったよ!」

 

全員「言い過ぎだよっ!(笑)」

 

 

 

僕らは再びその『肉の万世』を横目に秋葉原へと歩を進めていく。
現在は電気から電子、そしてサブカルチャーの町へと変貌を遂げた秋葉原。
でも昔から外国人が多い街のイメージは変わらない。

 

 

 

親分「ここに輸入盤のレコードを売ってるお店があってさ。
当時物凄く安く輸入盤が手に入ったんだよなぁ。」

 

井門「僕が上京して家電を買いそろえたのが秋葉原の石丸電気でね。
それは前に山手線ぶらりをした時にも話したっけなぁ。」

 

ゴル「もうちょっとアレはアレでアレなんで、
メルシー久保ちゃんのコメントとか流せませんけど(笑)」

 

 

 

10年経てば、町の様子もコンプライアンスも変わる。
そんな事を思いながら秋葉原の町をてくてくしてると、
なんだかとてもファンシーな雰囲気のお店が!

 

 

 

 

 

 

 

 

ここはあの有名なチロルチョコのフラッグショップ。
昨年オープンした店内には地域限定のチョコやコラボグッズなどが所狭しと並びます。
勿論、元祖チロルチョコやチロルチョコのカレーなんかも置いてある。

 

 

 

井門「今日は何だか蒸し暑いですから、冷たい物が食べたく…、
おーっ!!入口の横にはチロルチョコのアイスがあるじゃないですか!
おーっっ!!“かもめの玉子”とのコラボチョコもあるよ、ゴルちゃん!」

 

ゴル「お邪魔しましたねぇ…でも売り切れです!」

 

 

 

店内はチロルチョコファンにはたまらない商品が並びます。
中にはアウトレット品が500円で購入出来る棚も!

 

 

 

井門「こんなのウチの子に見せたら大変だ(笑)
それとチロルチョコとコラボした文房具なんかもあって、楽しいなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

普段は20円のチョコを一つか二つ買って満足してしまうチロルチョコですが、
この専門店に来たら目移りしちゃって、ついついあれこれ買いたくなること必至!
秋葉原の駅からは徒歩5分くらいですから、東京に来た際はぜひ!

 

さてさて、チロルチョコ三昧に続いてはメイド三昧です(笑)
だって町の至る所にメイドさんや忍者のコスプレ、
何かの戦闘員のコスプレをした女の子たちが大勢立っているではありませんか。

 

 

 

井門「この風景も変わらないけど、やっぱり不思議だよなぁ。」

 

ゴル「前にお邪魔したスーパーポテトもこの辺ですね。」

 

親分「あっ!この“箸勝本店”も同級生の家なんだよ!」

 

井門「宮内庁御用達って書いてあるじゃないですか!」

 

ゴル「おっ、高級オーディオ機器で有名なダイナミックオーディオさんですね。」

 

井門「もう秋葉原はあんた達二人いればロケ出来ちゃうね(笑)」

 

親分「出来なかないけどさぁ。」

 

ゴル「えぇ…。」

 

親分&ゴル「偏っちゃう!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

親分「おぉ、綺麗になっちゃって。」

 

井門「どうしたんですか?」

 

親分「この昌平小学校、僕の母校なんだよ。」

 

井門「マジっすか!」

 

親分「僕が通ってた頃は芳林小学校って言ってたんだけどね。」

 

 

 

親分が懐かしい目をして今の昌平小学校を眺めているから、
旅日記を書きながらちょっと調べました。
芳林小学校の歴史は江戸時代まで遡るようですよ。
千代田区立芳林小学校と改称したのは昭和22年のことで、
淡路小学校と統合して昌平小学校となったのが平成5年のことの様です。

 

 

 

――雪の中にも 咲きにおう
清き梅おばしるしにて
名も芳林のまなびやに
通う我等たのしさよ  ――

 

 

 

きっと僕らとは違う景色が親分の目には広がっているんだろうなぁ。
そんな事を考えていたら、続いての場所もこの人の思い出の場所でした(笑)

 

――脳内BGM『Summer(映画「菊次郎の夏」より)』C.I -

 

親分「この施設はね、元々中学校だった建物をリノベーションして作られたんだけど、
ここも実は僕の母校なんだよ(笑)」

 

 

 

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

 

 

 

公園と繋がる建物はかつての旧練成中学校。
公園がある場所は昔、プールがあったそうです(親分談)。
エントランスで迎えてくださったのは、
こちら3331 Arts Chiyodaの稲葉智子さん
地域で暮らす方々とアートの距離を縮める役割がこの施設にはあるとか。

 

 

 

稲葉「小林さんはお分かりかと思いますが、エントランスのこの部分、
かつての職員室だった場所なんですよ。」

 

井門「あーっ!だから壁には行事予定を書き込む黒板が掛けられているんですね。」

 

親分「職員室、よく来たなぁ…。
あっ、そうそう。だから正面玄関は反対側にあったんだよ。」

 

稲葉「そうです、1階の反対側がかつての正面玄関になっています。」

 

井門「だとすると館内もかなり手を加えたんですか?」

 

稲葉「はい、かつての教室などは残しながらも、
このエントランスの奥にあるメインギャラリーのスペースはかつての食堂で。
全校生徒がここに集まって給食を食べていたみたいですよ。」

 

井門「えーっ、全校生徒が集まって給食を食べるの!?」

 

稲葉「都会の学校らしく、体育館は校舎の中ですしね。」

 

佐々木&橋本「体育館って、渡り廊下を進んで別の建物のイメージだよね。」

 

親分「ほら、東京だから。」

 

井門「僕は札幌だけど、僕の中学校も体育館は建物の中だったよ!」

 

佐々木&橋本「へー(興味無さそうに)」

 

 

 

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

 

 

 

井門「因みにどうして“3331 Arts Chiyoda”という名前なんですか?」

 

稲葉「江戸一本締めというのがあって、
それがシャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、シャン!
というリズムなんです。3回シャシャシャンを打ってから最後に一回打つ。
でも3回×3回だと“苦しむ”の9を連想させるので、
最後にゲン担ぎで一回足して“九”の字を“丸”の字にしたと。
そこからヒントを貰って“3331”を名前に付けたんです。」

 

井門「なるほど!」

 

稲葉「因みにロゴもそこから取ってるんですよ!」

 

 

 

江戸の文化を今に受け継ぎ、それをアートという形に昇華する。
『江戸の粋』が『令和のアート』になるって、なんだか凄い。

 

 

 

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

 

 

 

さてさて親分の言葉を受けて、稲葉さんは僕らをその屋内体育館に案内してくれました。

 

 

 

親分「あーっ!この扉の丸は覚えてる!」

 

稲葉「この体育館は昔のまま残してあるので、変わらないと思いますよ(笑)」

 

 

 

屋内体育館とは言え、サイズはちゃんとした体育館。
バスケットコートがあって、ステージもあって。
その横には旧練成中学校の校歌が掛けられているのです。

 

 

 

親分「ここはすぐ隣が民家だからね、窓を開けて使う事が出来ないんだよ。」

 

稲葉「バスケットボールの音なども響きますからね。
なので窓は開けられず、更にはエアコンが付いてません。」

 

井門「だからか…じとじとと暑いのは…(笑)」

 

稲葉「夏は暑くて、冬は寒いのがこの体育館です。
いまは地域の方々に利用して頂いたり、TV番組の収録で使用したり様々です。」

 

 

 

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

 

 

 

他のフロアにも様々なギャラリーやオフィスが入っていて、
これだけのギャラリーが隣合わせで並んでいる(まさに学校の教室)のは珍しい。
稲葉さんも「全国的にも珍しいと思います」とのこと。
3331 Arts Chiyodaは地下1階、地上3階で展開しているのだけど、
実は屋上にも“あるもの”があるとか。

 

 

 

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

 

 

 

稲葉「屋上の一部に屋上菜園があるんです。
ここをリノベーションする時に地域の方が“屋上緑化”を望まれたんですけど、
全面を土にしてしまうと重みの関係で厳しくて。
なので一部を屋上菜園にして利用者の方には様々な野菜やハーブを植えて貰っています。」

 

親分「そうそう、このグリーンの屋上。懐かしいなぁ。」

 

校舎を一通り巡った感想は、親分の笑顔が印象的だったって事(笑)
確かに僕ももし母校を改めて巡ったとしたら、懐かしさで絶対嬉しくなるもんな。

 

 

 

稲葉「小林さんの様にかつての姿を知る方が、
“懐かしい”と喜んでくださるのはとても嬉しいです!
今回は小林さんの“思い出散歩”になりましたね(笑)」

 

小林「いやぁ、懐かしかったです。
僕が暮らしていた頃は町会があぁでこうで、
その時の祭りなんかもあぁで、こうでさ。
それで僕なんかはあぁでこうで、こうであぁだったりして。
そんなこんなで、あぁでこうで、こうであぁだったんですよ。」

 

井門「親分?」

 

親分「??」

 

井門「もう行くよ!(笑)

 

親分「あっ、そうだね(笑)」

 

 

 

 

(c) 3331 Arts Chiyoda

 

 

 

 

しかし地元がこれだけ変貌を遂げるってのも凄い話で。
老舗と新しいお店が建ち並ぶのも東京の個性なのかもしれません。

 

 

 

親分「神田明神の下の鰻の名店“明神下 神田本店”ね。
この裏がまさに神田明神だから。」

 

井門「そう言えば秋葉原って神田明神の氏子なんだよね。
だからか萌え系の御守りなんかも置いてあったりするんだよなぁ。」

 

 

 

かつては江戸の総鎮守として庶民を守ってきた神田明神。
秋葉原のみならず丸の内や大手町などの東京を代表する町を氏子とする、
東京を代表する神社の一つですが、実はアニメ“ラブライブ!”の舞台にもなったりして。
境内は見所満載な神社なのですが…今回は敢えて行かず。

 

 

 

親分「今回は3つの駅を進むからテンポよく行くよ!」

 

井門「確かに今は9月で、御徒町まで行ってもまだ7つ目…。」

 

 

 

こりゃ本当に高輪ゲートウェイ駅開業までに間に合わないかも…(笑)
いやいや、それじゃダメだ!しっかり進まねば!
という事で、続いて向かったのは住所で言うと既に『上野』のエリア。
都内でも有名な和菓子の老舗「うさぎや」が本店の近くにcaféをオープンさせたとの事。
僕らは店内で4代目の谷口拓也さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

和菓子の老舗の4代目…。
僕はすっかり白衣に身を包んだ職人さんをイメージしていたんですが、
颯爽と現れた4代目は物凄くお洒落で爽やか!
とにかくハワイへの愛が強く、
Caféのメニューとハワイの天然水『ハワイウォーター』をコラボしてしまう程。

 

 

 

 

 

 

 

 

谷口「いつかハワイで暮らすのが僕の夢なんです。
でも向こうで商売するのは本当に大変。
アラモアナショッピングセンターに限定出店した時も、
最初は餡を向こうで作っていたんだけど、2回目からは日本から持っていきました(笑)」

 

 

 

Caféの看板メニューは『うさ氷』と『うさどらフレンチ焼き』。
このうさ氷に魔法のトッピングがあるとかで…。

 

 

 

谷口「うさ氷の氷はハワイウォーターで出来ているんですけど、
このうさ氷に日本酒をかけて食べるんですよ。
はじめ上野の知り合いの酒屋さんと、うさ氷に合う日本酒を探してね。
その時に凄い日本酒と出会ってしまって。
もうそのお酒は無いんですけど、あれは本当に衝撃的な旨さだったの。
それが無くなって、繋ぎのトッピングでコニャックを出したんです。
このコニャックも美味しい。
まるでマロングラッセの様な味わいが広がるんですよ。」

 

 

 

美味しいもの、愛しているものへの谷口さんのトークは止まらない(笑)
でも本当に美味しそうにお話しされるんです。
そして話しはうさ氷の食べ方に…。

 

 

 

谷口「うさ氷に入っている餡はウチの餡です。
これウチの職人の凄い技術なんですけど、普通は餡って温度が下がれば固くなる。
でもうさ氷に入っている餡は粒が柔らかいままなんです。
ハワイウォーターは軟水で、それで作った氷も口当たりが優しい。
そこに柔らかな餡が合わさって、とても食感が良いんです。」

 

井門「そこに日本酒をかけるなんて…贅沢ですね。」

 

谷口「これもかけるタイミングがあるんですけど、
最初はそのままのうさ氷を食べて貰いたいんです。
氷の山の中に餡が入っているので、まずは餡と氷の味わいを楽しんで頂く。
ちょっと食べ進めたくらいで、匙に餡と氷を乗せてそこに日本酒をひと垂らし。
それを一気に口の中に放り込むんです。
すると口の中で日本酒と餡と氷が全て一緒になって、
なんとも言えない美味しさになるんです!」

 

井門「では早速、そのうさ氷を頂きます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

谷口「器のサイズにもこだわっていて。
普通かき氷の器って少し小さいじゃないですか。
器の端っこから氷がこぼれちゃう…みたいな。
ウチの氷はハワイウォーターで作っているので、
最後のひと口まで味わって頂く為に器も大きくしています。」

 

 

 

丼の様な器に白雪の様なハワイウォーターで出来た氷。
それを掘っていくと中から現れるのが老舗の餡。
これだけ食べても物凄く美味しいの。そりゃ美味しいんですよ!

 

 

 

谷口「ではそれくらいで匙に日本酒をかけましょうか。
僕、ここにお酒をかける役が好きで(笑)では、どうぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「旨いなぁ…旨いっす!

 

谷口「そして最後に丼に残ったうさ氷に、日本酒をお好みでかけちゃう。
それは匙で掬って食べるんじゃないんです。
まるでラーメンのスープを飲むかの様に丼を持って飲んでください。
そうした方が美味しいんです!」

 

井門「丼をズズッといっちゃうわけですね?
分かりました…ではやってみましょう!(ズズズっ…)
あぁ、これはこうすると本当に美味しいですね(笑)」

 

 

 

ここは照れずに思い切りやって欲しい。
日本酒をかけ回したうさ氷の、なんと芳醇な味わいよ!旨さよ!

 

 

 

谷口「そしてこちらがうさどらフレンチ焼きです。
ウチのどら焼きをフレンチトーストの様に焼きあげたメニューですね。
ハワイの人にフレンチトーストの作り方を聞いたんですけど、
コツはとにかく“バター!バター!”って言うんですよ(笑)
それで美味しいフレンチトーストの作り方を聞いていたら、
“なんでお前の所にはどら焼きがあるのに、それを焼かないんだ!?”って言われて。
それでフレンチトーストを作る要領で、どら焼きを使ってやってみたんです。」

 

 

 

こうして出来上がったのが、バターをたっぷり使って焼きあげたこちら。

 

 

 

 

 

 

 

 

これがもう濃厚なバターの風味と餡の甘味が無茶苦茶合うんです!
老舗の味と洋の手法が見事にマッチングしたメニュー!
ゆくゆくはハワイでオープンする(であろう)うさぎやcaféで出されるのかな??
夢を追いかける谷口さん、とても美味しいスイーツを御馳走様でした!

 

 

 

陽も暮れた上野の町をてくてく、御徒町方面へ。
あっ、そうそう!御徒町と上野ってめちゃくちゃ近いんですよ。
この辺りは賑やかで面白いお店も多いので、ぶらりするには楽しい場所。
僕らは“これから夜の顔”になる御徒町の喧騒の中、今回のゴールの御徒町駅前へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の宝探しは間違いなく、親分の良い笑顔だった気がします(笑)
って言うか、もうそれしか浮かばない。
新しいお店が乱立し新陳代謝を繰り返す東京の町にあって、
今回ぶらりしたエリアは“旧き良き東京”を残すエリアでもありました。
ちゃんと昔からの物を残していけば、それがいつか誰かの宝物になる。
今回は僕じゃなくてさ、親分がその宝物を見つけた旅だったんだろうな。
そんな風に思えたぶらり旅。
次回はこの御徒町から目と鼻の先、上野!!
いや、上野だけで終わるはずはない!その先の山手線の駅へ更に向かいます。
どうか次回のぶらりもお楽しみに!!
このシリーズを聴けば、きっとアナタも東京が好きになる…はず!