どう楽しむ?~世界遺産、百舌鳥・古市古墳群歩き~|旅人:井手窪剛

2019-09-20

日本史にもっと興味を持つ人が増えたらいいな、楽しんでもらいたいな、という思いで、
街歩きをしながら歴史スポットの楽しみ方を考察し、紹介し、その昔へ思いをはせている(妄想している)今回の旅人、歴史研究家の井手窪です。

 

そんな私のもとへ今年7月、とっても嬉しいニュースが!!

 

なんと、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」が、
世界文化遺産に登録されたというのです。
しかも、大阪府では初となる世界遺産!

 

これを機会に、ぜひ現地に行きたいっ!! 
ちょうど文化と歴史の秋にも、突入しつつあるし!?
……ということで、行ってきました「百舌鳥・古市古墳群」。

 

いやぁ、懐かしいですね、大阪。大学時代に4年間……のはずが、
なぜかオーバーランして5年間、住んでいた私ですが、気づけば、それからもうウン十年。

 

その間、ユニバーサルスタジオジャパンができ、大阪駅前も劇的に再開発され、阿倍野区には「あべのハルカス」ができ……変わったところは大きく変化しました。
けれど、不易流行。
変わらないのは、大阪ならではの独特な街の空気感、若かりし日を思い出します。

 

余談はこのくらいにして!!

 

古墳群の世界遺産登録は、非常にタイムリーだと、私こと井手窪は思っております。

 

なぜなら、奇しくもこの何年かは、日本では古代ブーム……というか、古代墳墓ブーム!
一般に古代史好きといえば、男性が中心となっているイメージですが、実は、さにあらず。
古墳をめぐるのが大好きな「古墳女子」という人種(?)も登場して、静かに古代史のシーンが盛り上がっているんです。

 

それも、
「何年に何があって、その原因は……」
といったような小難しいものではなく、
「私はやっぱり王道の前方後円墳が好き!」
「いえいえ、マニアックに四隅突出型墳丘墓でしょう!」
「それより埴輪が、かわいい!」
といったように、造形美を楽しむ傾向があるのだそうです。

 

そう考えれば、古墳群が世界遺産に登録されて、ますます古墳ファンのすそ野が広がっていく喜びがありますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今回の目的地、現在の大阪府の堺市内にある「百舌鳥古墳群」と、羽曳野(はびきの)市・藤井寺市にまたがる「古市古墳群」。

 

この広いエリアに、大小あわせて130基あまりの古墳が残されています。
分布でいうと、市街地が多い「百舌鳥古墳群」には、半壊した墳墓も含めて44基、丘陵地が多い「古市古墳群」には、87基の墳墓が現存しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

このうち「百舌鳥古墳群」では19基が、「古市古墳群」は20基が、国の史跡に指定されています。
さらにいうと、これら古墳のなかには、宮内庁によって「天皇陵」に治定された墳墓が11基もあるんです。

 

まさに、古代日本の一時期、政治と祭祀の中心であった場所といえるでしょう。
さらにこのたび、世界文化遺産に登録された古墳は、あわせて44基にのぼっているんです。

 

この日、私が訪れたのは、堺市内の「百舌鳥古墳群」にある、巨大な前方後円墳「大仙陵(だいせんりょう)古墳」と、隣接する大仙公園にある小さな帆立貝形古墳「旗塚(はたづか)古墳」、郊外にあって広々とした水濠をたたえる「土師(はぜ)ニサンザイ古墳」、JR線路のそば――スーパーマーケットの駐車場の中にある「鏡塚(かがみづか)古墳」。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして「古市古墳群」からは、羽曳野市内にある「誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳」でした。

 

「古墳」と、ひと口に言っても、シンプルな「円墳(円形の墳墓)」「方墳(方形の墳墓)」にはじまり、一般に古墳といえばコレ! というべき形の「前方後円墳」。

 

さらには「前方後円墳」の派生形ともいえる「帆立貝形古墳」から、珍しい「八角噴」など、さまざまな形があります。
形だけでなく、大きさもバラエティに富んでおり、つまりは一つひとつに個性があるわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

私がめぐった古墳も、それぞれに個性がありましたが……。
まずは、古墳の代表ともいえる、「百舌鳥古墳群」のひとつである「大仙陵古墳」。
宮内庁の定めるところの、仁徳(にんとく)天皇(第16代)の御陵(お墓)であることから、一般には「仁徳天皇陵」と呼ばれてきました。

 

この古墳は、とにかく規模がすごい!!
古墳の最大長が840メートル、最大幅が654メートル、墳丘の長さが486メートルにおよぶ、日本最大の古墳です。

 

地上からでは、全貌が掴めないほどです。
世界遺産登録の効果か、さすがに訪れる観光客も多く、昼頃の訪問だったこともあって、大勢の人でにぎわっていました。

 

ボランティアガイドをされている大学生のお嬢さんたちも、いきいきいと古墳の説明をされていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

対照的だったのが、「古市古墳群」の「誉田御廟山古墳」です。

 

この古墳は、応神(おうじん)天皇(第15代)の御陵であるとされるため、「応神天皇陵」といったほうがわかりやすいでしょう。

 

墳丘長が約425メートルにおよぶ墳墓は、「大仙陵古墳」についで、日本第2位の巨大噴。
しかし、市街地から少し離れ、古い街道筋ぞいにあるためか、あるいは訪れたのが夕暮れどきだったせいか、観光客どころか、人っ子ひとりおらず。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕闇のせまるなか、鳥居の立った拝所(はいじょ)=天皇陵に拝む場所の先には、御陵の森が黒々と盛り上がり、そのうえには伊丹空港に向かう飛行機と、宵の月がかかっています。
まさに〝神秘的〟という言葉がピッタリの景色で、まるでジブリ映画の世界へ迷い込んだようでした。

 

最後に、私たちは「誉田御廟山古墳」から生駒山地の中腹まで車を走らせ、眼下にのぞむ大和川と、遠くに小さくみえる古墳の、こんもりした森をながめながら、それぞれの古墳に思いをはせました。

 

 

 

 

 

 

 

 

個性的な形が魅力の古墳ではありますが、やはりそれは、まず太古の、どなたか高貴な人の「お墓」であること。

 

お墓であるがゆえに、神秘性をともなっていること。
そして、そのお墓が、大阪湾をのぞむ堺の港から、大和川をさかのぼって奈良盆地へとつながっていく生駒山地のふもとまで、たくさん作られていたこと。

 

こうした地勢や、古墳の存在を考えるにつけ、ここに古くから人の営みがあり、それが富を生んで、古墳まで造れるほどの大きな権力をもつにいたったことや、その人々の営みが、はるか未来の私たちまで、何らかのかたちでつながってきたこを思わずはいられませんでした。

 

少し、しんみりしてしまった井手窪ですが……。
もしかしたらそれは、ただ単に炎天下の一日、いろいろな古墳をめぐって疲れていたせいかもしれませんけれども(笑)

 

皆さん、古墳の楽しみかたは、人それぞれです。
ぜひ、機会をもうけて、世界文化遺産の「百舌鳥・古市古墳群」をたずねてみてください。