福島、豊穣の海に生きる人々編|旅人:井門宗之

2023-03-09

菊地「なんでこの刺身が旨いかわかる?」

 

井門「えっ!?なんでですか?」

 

菊地「生産者の顔が見えるから!わっはっはっは(笑)」

 

井門「隣にいるもんね!ははははは(笑)」

 

僕の隣で豪快に酒を飲み、豪快に笑うこの人は菊地基文さん
永尾Dをして『相馬の風景』と呼ばせる底引き網漁の漁師です。
*正式には相馬双葉漁協の沖合底引き船『清昭丸』の4代目。
相馬の海を愛し、相馬の魚を愛する海の男。
実は僕らは菊地さんにインタビューをする前の晩に、共に酒を酌み交わしていたのであります。
永尾Dとは少し前に、永尾Dの奥様も一緒にプライベートで飲んだとか(笑)
人懐っこい笑顔で誰とでも分け隔てなく話す菊地さん。
まずこの日の登場が凄かったんだもの。

 

菊地「(どーん、とトロ箱を机に置いて)これ永尾さん、持ってきたから。」

 

永尾「えっ!?何ですかこれ?なんか中から音がするけど?」

 

菊地「開けてみて(ニヤリ)。」

 

永尾「わーーーーーっ!!蟹じゃないですか!?」

 

井門・吉武「わーーーーーーっ!!!(ミニオンズか)」

 

菊地「これ今日獲ってきたやつだから。ズワイの雌ね、セイコガニ。
あ~、●●ちゃん(居酒屋の店員さんを呼ぶ)。
これさ、茹で方分かるよな?うん、そうそう、なので茹でて持ってきて。」

 

永尾「最近はこっちでもフグが獲れるってね、驚くでしょ?」

 

井門「そうなんですか?」

 

菊地「そうだよここの海でトラフグが獲れるんだから。
逆に獲れなくなってきた魚も出てきてるけどね。」

 

(そんな話をしていたら茹でられたカニがどーん)

 

 

 

 

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菊地「これをさ、こうして、こうして。(手際よく殻を外して)
この内子が最高に旨いんだよな、俺、もうこれだけで良いもん(チュルチュルチュル)。」

 

井門「では僕らも…いただきます…(チュルチュルチュル)
旨―――いっっ!!!!
小ぶりなのに濃厚で、またこの内子が最高ですね!」

 

菊地「でしょ?あっ、でも初めましての人に蟹出すのは間違いだったか。
みんな無口になっちゃうもんな、わっはっはっは!(笑)」

 

皆「確かに、はっはっはっはっ!(笑)」

 

果たして本当に初対面だったんだろうか?
そんな事を思ってしまうほどに菊地さんの豪快さに魅了された夜。
セイコガニもそうだが、他にも菊地さんが獲ってきた魚の刺身に舌鼓。
海の話から奥様のお話し、武勇伝の数々を福島の地酒で流し込んだ一夜でございました。

 

しこたま海の幸とお酒を堪能した翌朝、我々は『浜の駅 松川浦』におりました。
道の駅の様に、様々な地の物が置かれる市場はさながら食のテーマパーク。

 

 

 

 

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永尾さんに『絶対買った方が良い!』と言われるがままに買い物をしていると、
やってきたのは相馬の風景(笑)朝から男前です。

 

菊地「コロナで宿泊業も大変だからさ、
地元の旅館の主人たちにここでイベント(浜焼き)やって貰ったりするの。
朝から凄い行列してるでしょ?」

 

井門「駐車場が朝9時過ぎなのにビッシリですもんね。凄いや。」

 

この『浜の駅 松川浦』は2020年の秋に開業。
なんとここのプロデュースも菊地さんが行っているのだ。

 

菊地「中の食堂で話をしましょうか。」

 

そうして連れて行ってくれたのが市場内にある食堂『浜の台所くぁせっと』。
営業開始前だったが、既に今日のラインナップが黒板に書かれている。
「本日のお魚たち」の海鮮丼には「生マグロ、タイ、生白魚、メカジキ、サーモン、
カンパチ、〆サバ、赤エビ、釜揚げシラス、とびっこ、タコ、ネギトロ(1950円)」
地魚丼には「メダイ、サワラ、ヒラメ、生たらこ」(1250円)、
漁師のまかない丼「マグロ、サーモン、タコなどのお刺身をメカブで和えたネバネバ丼です」
(1100円)と書かれている…。写真のボリュームも含め「オモウマい店」である。

 

 

 

 

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菊地「ここの食堂にいるのが漁師の妻なんですよ。
だから魚の美味しい食べ方は間違いなく知ってる。」

 

井門「なるほどなぁ…。」

 

菊地「そもそもこの施設がそういう場所なんです。
普通だったら地の物を並べて、買っていって終わりだけど、ここには漁師がいる。
時間が合えば俺もいるからね。旬の魚の美味しい食べ方を知る人がいる訳ですよ。
道の駅みたいにしているけど、ここでしか味わえない場所にしたかったの。」

 

井門「野菜も魚もお酒なんかも全てが詰まってるんですね。」

 

菊地「全てが詰まってるプラス、この魚はどうやって食べたら旨いかまでやってる。
ここには“お魚マガジン”ってのも置いているんだけど、
それにはここで水揚げされる旬の魚と漁師がすすめる食べ方指南が書いてあって。
だって例えば俺なんか底引き網やっててさ、
漁に出たら2~3日は海の上にいるわけじゃない?
すると食事なんかも自分たちの為に魚を食べるわけですよ。
毎日魚食ってる人間が勧める食べ方が不味いわけないじゃない(笑)でしょ?」

 

井門「確かに(笑)」

 

まさにここは相馬の食のテーマパークなのだ。
案内人は海を知り尽くした漁師の皆さん。
魚好きで料理好きがここに来て楽しくないわけがないんですよ、ほんと。

 

井門「福島の海は震災後大変な時期を過ごしてきたわけじゃないですか?
菊地さんはそんな中でも前を向いてやってきたって…。」

 

菊地「よく言われんの。地域の為に尽力されて、とかさ。
地元の発展の為に努力されて、とかさ。
だけど俺は地域の為にとかそんな気はサラサラなくて。
震災後に海に出られなくなったから、陸にいる時間を好きな時間に使っていて。
面白いことやっていると、人って集まってくるから。
そうしていたらこの施設が出来てね。だからやっている事は震災前と変わらない、と言うか…。」

 

それでも菊地さんが自信をもって進んでいけるのは、
全国に名高い『常磐もの』への圧倒的な自負があるからだ。

 

菊地「やっぱり美味しい物は必ず評価されっから!(笑)」

 

原発事故の後、福島の漁業関係者の皆さんは筆舌に尽くしがたいほどのご苦労をされた。
だからこそ厳しい検査基準を設けて、完璧に安全なものしか市場に出さない。

 

菊地「毎回検体しているし、検査しているんだから。
俺達は国の基準よりも更に厳しい基準を設けていて、
それをクリアしない限りは市場に回さないんです。
でもこうして一次生産者が前に出てやっていかないと、分かって貰えない部分もあるからね。」

 

『常磐もの』への絶対的な自信。
一度でも口にすれば、でもその自信の理由は分かるんです。

 

菊地「一人の人間が一万の人間を感動させることは難しいけどさ、
一人の人間が一人の人間を感動させることなら出来ると思うの。」

 

この言葉がとても印象的でした。
だからきっと今日も菊地さんは忙しくあちこち飛び回っているのだ。
――本業は漁師だけどな――と笑いながら。

 

 

 

 

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永尾「すっかり魅了されたでしょ?
ウチの女房なんて菊地さんのファンだもの。」

 

井門「分かりますね、あっという間に人の心を掴んじゃう人だ。」

 

吉武「お土産まで沢山もらっちゃったね。」

 

そうなのだ、取材を終えた僕らに、
『持ってって!』と沢山のお土産を持たせてくれた菊地さん。
(その際に美しい奥様にもお会いする事が出来ました)
別れ際まで『惚れてまうやろー!』な方でした(笑)

 

相馬の風景の次は「実際の浪江の風景」であります。
実際の…という言い方は正しくないのかもしれませんが、
浪江に暮らす方々にとってなくてはならない風景の一つである事は間違いなく。
浪江町の請戸漁港で水揚げされた魚の出荷、加工卸、ちりめん加工問屋として、
なんと124年の歴史を誇る『柴栄水産』こそ、その浪江の風景。

 

柴「“常磐もの”の良さは地元を離れて築地で働いている時に思い知りました。
仲卸として働いていたんですけど、
常磐ものの質が良すぎてセリで買おうとしても高くて買えないんだから(笑)」

 

昔話を笑いながら話してくださったのは柴栄水産代表の柴強さんです。
全国各地から旨い魚が集まるのが当時の築地で、
そこでも全く見劣りしなかったのが“常磐もの”だったとか。

 

柴「だからなのかもしれませんが、獲る側はもちろん、
浪江の人たちは皆さん舌が肥えてるんです(笑)下手な魚は売れません。」

 

漁業関係者のみならず、そこで暮らす方々にとっても自慢の種だった“常磐もの”。
しかし震災と原発事故の影響でその当たり前が失われてしまいました。

 

柴「一生福島の魚は売れないと2013年くらいまでは思っていました。
でも漁業関係者は諦めずに浪江の魚を売るという気持ちがあった。
だから『柴栄も頑張って欲しい』と地元の関係者からは言われていたんです。」

 

――私達も水産業を浪江から無くしたくない!という気持ちがありました。――

 

ただ原発事故の影響、風評被害、震災により船の数も3分の1に減り、
水揚げの制限までがある状況。再開しても維持できるのか不安ばかりだったと仰います。

 

柴「“いずれは”がいつになるのか分からないのが辛かったんです。
再開したとしても再開して終わりじゃない、
考えていたらネガティブな方向にしかいかなくて(笑)でもやるしかなかったんです。」

 

浪江町の一部避難解除がなされたのは2017年春。
柴栄水産が事業を再開したのは、それから3年後の2020年春の事でした。
しかし当時世界中で蔓延しつつあったのが新型コロナウイルス。

 

 

 

 

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柴「マイナスからのスタートで、もう昔の実績は関係ないと思っていました。
でも事業を再開すると昔からの取引先から次々と連絡が入って。
結局皆さんに助けてもらったんです。」

 

そう話す柴さんの後ろには虎の絵が描かれた額が飾ってあります。
そこに書かれているのは『挑戦あるのみ』。まさに柴栄水産の姿そのものです。

 

井門「これまでも福島の皆さんは大変なご苦労をされてきました。
ただここから先には処理水の海洋放出の問題も出ていますよね…。」

 

柴「正直、容認は出来ません。
もし風評被害が出てしまった場合、福島県の10年の歩みはなんだったのかと思ってしまう。
でもそんな中でも何事もポジティブには考えたいです。
処理水はポジティブには考えられないけど…。
でも“挑戦あるのみ”ですから!」

 

 

 

 

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そう言えば柴さんとのインタビューが行われた応接室の壁に、
地元の新聞記事が貼ってありまして。
そこには地元の幼稚園児が給食で請戸のヒラメをフライにして頬張る姿が写っていたんです。
柴栄水産で加工されたヒラメが、地元の子供たちに美味しそうに食べられている。
なんだか素敵な写真だったなぁ、と。

 

永尾D「ヒラメと言えば前に万里恵(高橋万里恵さん)と一緒に釣ってさ、
あの子80cmくらいのヒラメ釣ったんだよ。最初はサメを引っ掛けてたけど(笑)」

 

井門「万里恵ちゃんが80cmですか!?そんなヒラメが釣れるの!?」

 

吉武「80cmってのは凄いなぁ…。」

 

永尾「いや、僕もそれくらいの釣ったんだよ、ホラ(画像を見せてもらう)。」

 

井門・吉武「うおーーーーーーーっ!!!すげーーーーーっ!」

 

 

 

 

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次の豊穣の海へ向かう途中にこんな話で車内が沸いておりました。
そう、とんでもないサイズの魚が釣れるという遊漁船へ向かう途中であります。
令和元年に富岡町に戻ってきた遊漁船『長栄丸』。

 

石井「船に乗ったのは20歳の頃ですから、もう26年は船に乗っています。」

 

そう話してくださったのは、長栄丸船長の石井宏和さんです。

 

井門「さっき永尾さんからも写真を見せて貰ったのですが、
あんなサイズのヒラメが釣れるんですか?」

 

石井「ははは(笑)いまは漁も再開していますから、
毎回必ずあのサイズが釣れるってことはないですけどね。
でも震災後に海を休ませた結果、魚が大きくなりました。
釣り人にも魅力的な海になったんですよ。」

 

井門「だからこそ厳格なルールも決められているんですよね?」

 

石井「そうですね、ヒラメは1人5までで50cm未満はリリース。
メバルは1人10kgまでというルールしています。」

 

井門「でも、でもですよ!50cmのヒラメって相当大きいと思うんです!
釣った方も50cmサイズのヒラメを釣って、でも50cm未満だからリリース…って。
悔しい~~!ってなりませんか?」

 

石井「50cmと聞くと大きい印象ですけど、以前は本当に50cmが小さく感じたんです。
70cm~80cmのサイズがザラだったんですから。
これ釣りをされる方なら分かって頂けると思うんですけど、
80cm級のヒラメって人生で1度釣れるかどうかってサイズなんですよね(笑)」

 

吉武「確かにそんなサイズ、なかなかお目にかかれませんからね!」

 

石井「当時はそのサイズが本当によく釣れたんです。
魅力的な海になったからこそ、守りながら釣っていくのは大切な事だなと思っています。」

 

石井さんが母港の富岡港に戻ってこられたのが令和元年。
遊漁船の再開を待っていたファンが大きなサイズの魚を釣り、
『この海は凄い!』をSNSで発信することでまた人が集まってくる。

 

石井「SNSを見て来る方って“なんとなく不安な気持ちを持っていた人”だと思うんです。
そういった方々がこの海にやってきて、
僕ら海に携わる人間が“この海は大丈夫ですよ”って説明する。
すると皆さん“あっ、大丈夫なんだ!”と思ってまた口コミを広げていくんです。」

 

井門「口コミの大切さですよね。」

 

石井「勿論、国や県からの情報も大切ですけどね。
でも実際に海で働いている人間のリアルな情報も大切だと思うんです。
だからと言って沢山の方々がやって来て、無制限にやり続けてしまうと持続出来なくなる。
魅力的な海を持続的なものにするのが凄く大事なんです。」

 

 

 

 

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井門「そうなるとSDG’sの観点からも今の若い世代には凄く刺さりそうですね。」

 

石井「そうですね、若い世代のお客さんは凄く感じるところがあるみたいです。
持続的なものにする事で風評に負けない海になり、
結果として次世代に残していける海にもなるんですよね。」

 

富岡の港からは福島第二原発が見える。
石井さんは処理水の海洋放出問題に関してこんな事も仰っていました。

 

石井「僕らは原発を廃炉にして欲しい。その為には処理水をどうにかしなきゃいけない。
でも処理水を海洋放出すれば風評被害が起きるかもしれない。悩ましいんですよ…。」

 

目の前の海は日の光を浴びてキラキラと輝いている。
その下には豊かな“常磐もの”の魚が沢山泳いでいるんだろう。
まさに豊穣の海を守るために、石井さんはここを訪れる人に魅力を語り続けるのだ。
魅力を風評に負けないものにするために。

 

 

 

 

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福島の海に携わる人たちの“常磐もの”への自負。
でもそれは口にすればたちどころに分かるのです。だって物凄く旨いんだもの。
その“常磐もの”に絶対的な自信を持ち、
美味しい魚を提供するお店がいわき市小名浜にありました。
それが小名浜の名物食堂『うろこいち』です。

 

永尾「ここの“親子丼”が最高に旨いんだよ。」

 

井門「親子丼??」

 

永尾「ここの親子丼はね…ふふふ。頼んでみれば分かるよ(笑)」

 

 

 

 

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なんということでしょう…イクラに鮭の親子丼とは…。
しかもお刺身の小鉢、アナゴの白焼きまで…。お魚天国か!

 

山野辺「昔はね小名浜の港でトラック一杯の魚を積んでさ、
カーブで曲がる時に魚が落っこちちゃうわけ。それを近所の人が拾いったりしてね(笑)
落ちてるものは持ってって良いことになってたの。」

 

そう笑って話すのはご主人の山野辺勝久さんです。

 

山野辺「初代はウチの婆ちゃんでね。休み無しで魚を卸してました。
食堂は平成元年からやってます。」

 

井門「小名浜の名物食堂として全国からファンも訪れるとお伺いしてますが。」

 

山野辺「ここで(この地域で)昔から食べられていたものを出そう、と。
シンプルにそれだけです。そのままが旨いんだから、こねくり回さなきゃ良いんです。」

 

 

 

 

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井門「福島の海の幸は“常磐もの”と言われますが、
その“常磐もの”の美味しさの秘密はなんだと思われますか?」

 

山野辺「暖流と寒流がちょうど合わさるところですからね。
ここだと身も厚いですし、脂もちょうど良いんです。」

 

まさに自然が織り成す奇跡の様な場所。
そこで獲れる魚が美味しくない訳がないんです。

 

山野辺「でも今は魚の値段も異常なほどに上がってしまったからね。
海鮮丼のこの値段だって高いでしょう?」

 

井門「いえいえいえ!めちゃくちゃお値打ち価格ですよ!」

 

山野辺「いやぁ…昔に比べると高いんですよ。
昔って言っても30年位前ですけど、それこそズワイガニの雌なんかここで茹でてね。
一杯50円~70円くらいで売ってましたから(笑)」

 

井門「や…安いですね!!」

 

山野辺「その頃に映画監督の山本晋也さんがいらっしゃって、
“そんな値段で出したらダメだよ!”って仰ってました。」

 

井門「安すぎますもんね。」

 

山野辺「でも当時はそんなもんだったんですよ。」

 

“常磐もの”の絶対的な味と良心的な価格で全国からファンが途切れない『うろこいち』。
ただ震災は店に壊滅的な被害をもたらしたのです。

 

山野辺「あの時はこの辺がめちゃくちゃでね。
船が家に突っ込んだりして、大変でした。この店もめちゃくちゃで…。」

 

一時は店の再建も諦めかけたと仰る山野辺さん。

 

――でもこんなところで終わるのも悔しいですし、だからやった(営業再開)。
ただ…それだけです。――

 

店内には震災から2年後に営業を再開した際にご主人が貼った貼り紙が。

 

 

 

 

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山野辺「営業を再開した時は沢山の方が差し入れを持ってきてくれてね。
色々と作って持ってきてくれたんです。それこそカレーとかね(笑)」

 

地元の方にとっても『うろこいち』の再開は一筋の光だったに違いありません。
ただ時が経つにつれ自然環境も変わり、水揚げされる魚の種類も変化していったとか。
幼い頃から小名浜の海と共に生き、“常磐もの”の味を知る山野辺さん。
かつての様に沢山の魚が揚がらないことへの悔しさが、
美味しい地の物を思うままに提供できない悔しさが、
実はインタビューの端々から覗いておりました。
とは言えやはり『うろこいち』は小名浜の名店です。
食堂の隣には売店もあって、そこにも沢山の海産物がありますので、
是非多くの方に足を運んで頂きたいです。

 

 

 

 

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『福島、豊穣の海に生きる人々』がサブタイトルの今回。
ご登場頂いた4人の皆さんの言葉からは、
いかに“常磐もの”を自慢に思っているかが心底伝わってきました。
そして、それぞれが同じ様に海に携わる人生であるにも関わらず、
その個性は驚くほどにバラバラで。
まるで数多くの魚種を有する福島の海そのものの様でした。

 

これからまた福島の海は難しい局面を迎える事になるかと思います。
でもしっかりと理解を深めて、しっかりと知っていけば、
福島の海はこれまでと変わらず、豊かな姿を見せてくれるはずです。

 

我々に出来ることは「知ること」。
震災から12年、皆さんには福島の海をもっと「知って」欲しい。
この豊かな海のことを、
そしてそこで生きる最高に魅力的な人たちのことを「知って」欲しいのです。

 

前回と今回、約1年ぶりのKIKI-TABIでしたが、
まだまだ僕らの旅に終わりはありません。
魅力的な風景、魅力的な人を追い求める僕らの旅は続きます。
再びお会い出来るその日まで、どうか皆さんもそれぞれの旅を。

 

 

 

 

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