金剛組

2011-09-01

「これらは我々が最近建築に携わった、主な建築物の写真です」。

 

小川完二代表取締役社長が、ドバぁ~っとテーブル上に沢山の写真を広げられた。

 

それらさまざまな神社仏閣の写真を拝見していると、なかには先日ワタクシが訪れたばかりの身延山久遠寺五重塔や、毎年家族で初詣をしている成田山新勝寺の総門の写真などがあり、胸が躍った。

ほぉ~、ワタクシにとっても身近な建築物を沢山手掛けていらっしゃるのだなぁ~。

 

改めて、金剛組が手掛けられている仕事の多さに、オドロキ&カンド―∞。

 

今回、取材訪問させて頂いたのは、現存する世界最古の企業といわれる、神社仏閣建築専業の建築会社、金剛組。

金剛組

創業は西暦578年。

と聞いてもパッと想像出来ないかもしれない。なんと、聖徳太子の時代、飛鳥時代にまで遡る。

その歴代の家計図は正に圧巻だった。

家計図1家計図2


実はこの金剛組、ワタクシはいつの日かこの番組が終了する日が来たら、最後の取材先として訪れたいなと、密かに思っていたのだ。しかし、当番組のヤング代表で(言うほど若くはないか())、敏腕で(としておこう^^)、関西出身のディレクターったら、「番組として、これ以上ないサイコーの企業のアポがとれましたー!」と、ドヤ顔で報告しにきた(苦笑)>ウ~ム、ナントモ、た、たくましいのぉ~。

 

斯くして、我々は大阪に向かったのである。

 

まずは、金剛組が建築を手がけた代表作ともいえる、四天王寺へと足を運んだ。

 

四天王寺1

 

ココは、聖徳太子によって建立された日本最古の官寺だ。

我々が訪れたのは平日だったが、お盆過ぎということも手伝ってか、多くの人で賑わっていた。

大阪に住む人々にとって、ココ四天王寺は、まさにシンボル的な場所であり、憩いの場所でもあるのかもしれない。

 

早速、本殿にお参りを済ませ、上まで登れるという珍しい五重塔の階段を駆け上がった。

登れど登れど、まだまだ果てしなく上へと続く階段が見える・・・>まさにそんな感覚。

降りた頃には、ワタクシ、足がツッてしまって大変でした。

カンペキなるウンドーブソクでございます、ハイ(苦笑)

 

四天王寺の境内で、番組のオープニングトークを収録した後、いよいよ金剛組の本社を訪ねる。

 

迎えて下さったのは、代表取締役の小川完二さんと、小川社長が「金剛組の生き字引ですから」と紹介して下さった、顧問の植松襄一さん。

 

四天王寺の目と鼻の先にある本社の場所も、かつては境内だったそうだ。つまり、建立当時の四天王寺の敷地面積は実に広かったということがわかる。

 

金剛組の歴史は、578年、四天王寺建立のために百済より招かれた3人の宮大工のうちの一人、金剛重光によって始まる。

 

以降、江戸時代にいたるまで金剛組は四天王寺のお抱えの宮大工だった。

 

戦火や自然災害のため、七度の焼失と再建を繰り返した四天王寺だが、その都度、歴代の金剛組が再興に取り組んだそうだ。

 

そして、この度重なる禍こそが、金剛組の技術をより一層高めてゆくきっかけにも繋がっている。

 

1801年、雷火によって四天王寺が焼失した際に再建の役を務めた金剛喜定が、後継者に向けて残した「遺言書」が、金剛組の家訓となっているそうだ。

その貴重な原文を見せて頂いたが、桐の箱に入れられ、大事に大事に保管されていた。

遺言書

 

遺言書の主な内容だが、「世間の動きを良く見て、正直な見積もりをせ

よ」「大酒は飲むな」「分不相応な所に出入りするな」などなど。

 

まさしく、今に通じるメッセージばかり。

 

興味深いのは、棟梁はただただ建築の腕を磨くことのみならず、住職ともキチンと話が出来るように「儒教、仏教、神明の三教の考を良く考え、心得なさい」ともある。

深いなぁ~。

 

更に「なにわの女棟梁」という異名を持つ女性棟梁も1934年に誕生している。

金剛芳江という初の女性棟梁は、亡くなった夫に代わって活発に事業展開を図り、四天王寺五重塔の再建も手掛けているそうだ。

女性が働くことが当たり前の今の世の中でも、女性の棟梁になると、なかなかいない。

当時の女性棟梁って、どんな存在だったのだろう。想像がグングンと膨らむ。

 

バブル期に事業多角化の煽りを受けて経営難に陥った金剛組は、2005年に地元大阪にある高松建設の支援を受け、再建。

 

小川完二さんが代表取締役を務め、39代目の棟梁である金剛利隆さんが相談役に就いていらっしゃる。

上品且つ穏やかな小川社長のお話をお伺いしていると、職人たちを心から尊敬し、この伝統技術に真の誇りを持っていらっしゃるということが、言葉の端々から感じられる。

 

最後に”若者育成”についてお伺いすると、こんなお話をして下さった。

 

「棟梁は、あるタイミングで若い宮大工に任せるんです。しかし、決して任せっぱなしにするのではなく、それでも手を出さずにまずは本人にやらせてみる。すると若い宮大工は自分でやったんだという達成感を得て、次への力にしていくんです」。

 

度重なる危機を乗り越え、経営を続けてきた企業が、ここ日本にあるということは、なんと誇らしいことか。

 

金剛組の資料を拝見すると、最初のページにこう綴られている。

「長き歩みによって伝統は確実に築かれてゆきます。小さな一歩でも、着実に、確実に前進を続けることで軌跡は残ります。日本最古の企業として、今私達があるのは、僅かであってもその一歩を大切に重ねてきたからに他なりません」と。

 

1400年以上ものあいだ脈々と歩んできた金剛組の歴史に思いを馳せるだけで、フツフツと勇気が湧いてくるから不思議だ。

 

心の奥底で「ありがとうございます」と、なぜだか深々と頭を下げるワタクシがいた。



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