いとしのレイラ!

2012-02-26


layla
『伝説の名盤!“デレク・アンド・ザ・ドミノス”特集』

M
I LOOKED AWAY   

1曲目にお送りしたのは、1970年にリリースされた
デレク&ドミノスの
アルバム『いとしのレイラ』から、I LOOKED AWAY】です。

実にアメリカ的で、カラッとしたサウンド!
それまでのクリームとかブラインド・フェイスとは明らかに違いますよね。

M
BELL BOTTOM BLUES

さて、次にお送りしたのは、
1970年にリリースされたデレク&ドミノスの
アルバム『いとしのレイラ』。
原題は:“LAYLA and other assorted love songs
<レイラとその他、色とりどりのラヴ・ソング>から、
クラプトンが生涯演奏し続けている名曲“ベルボトム・ブルース”でした。

さてさて、デレク・アンド・ザ・ドミノス。
世界3大ギタリストの1人!エリック・クラプトンがブラインド・フェイス
解散後に
結成したバンドです。

ちなみに、説明もいらないほどでしょうが・・・。
ECは、1945年イギリス生まれ。
若くからギターの才能を発揮した彼は、18歳のときには、
後にジェフ・ベック、ジミー・ペイジも加入することになるロンドンの
人気バンド
ヤードバーズに参加。一躍人気ギタリストになります。

その後、よりブルース志向のバンドを望んだ彼は、
ジョン・メイオール・ブルースブレイカーズに参加。
白人である彼が演奏する、すさまじいブルースプレイに世界中が熱狂。
ロンドンの街中に、”CLAPTON IS GOD”という落書きが現れて、
彼はまだ20歳かそこらで”ギターの神”といわれるようになりました。

その後、ジンジャー・ベイカーとジャックブルースとの
ジャムセッション中心のサイケデリック・ロック・バンド【クリーム】で
伝説を作ったり、
ビートルズのアルバムに、史上初めてゲストミュージシャン
という形で
参加してジョージ・ハリソンの名曲
While my guitar gently weeps”を演奏したり、
スティーブ・ウィンウッドと結成したスーパーバンド【ブラインド・フェイス】を
結成したり・・・と大活躍しますが、バンドはどれも短命に終わってしまいます。

大抵、エゴのぶつかり、人間関係の悪化での解散でした。

そんな中で、相当な人間関係の面倒臭さを感じたんでしょうか。

クラプトンは、逃げるように新天地:アメリカに移住。

アメリカ南部出身の夫婦デュオ:デラニー&ボニーのバックバンドに参加して、
サザンロック・ブルースロックのギタリストとして地味に
活動するようになります。

その中で、改めて作曲のイロハを学び、そしてシンガーとしてのイロハも学んで、
1970年、ついに、自らが歌い、自らがギターを弾くという新たなバンド活動を
スタートします。

それが、デレク&ザ・ドミノスなんです。

M
いとしの レイラ 
 /  DEREK AND THE DOMINOS  
 

お送りしたのは、1970年にリリースされた
デレク&ドミノスの
アルバム『いとしのレイラ』から、まさしくその名曲“いとしのレイラ”でした。

とにかく、デュアンのスライドプレイが最高過ぎる!!!逆に、
実はクラプトンのソロは、メロもハッキリしないし、
チョ―キングのピッチも甘いし
いまいちなんですよねー。

さてさて、この曲。

この番組でも何度も話してますが、
当時のクラプトンの憧れの人:パティ・ボイドに捧げた曲として有名ですよね。
もちろん、このパティ・ボイドは、ECの大親友:ジョージ・ハリソンの奥様。
まぁ、それはそれは美しい人だったんですが、
その親友の妻に恋してしまっで出来たのがこの名曲”いとしのレイラ”。
そして、このラブソングばかりのアルバムだったんですね。


さてさて、さっきの話の続きですが、
1970年。遂に新たなバンド“デレク・アンド・ザ・ドミノス”を結成した
クラプトン。

アルバムレコーディングには、あの!オールマン・ブラザーズ・バンドの
ギタリスト:
デュアン・オールマンが参加して、クラプトンを差し置いての、
とんでもなく
素晴らしいリードギター、ボトルネックを使ったスライドギターの
ソロを弾いています。

<ソロ、というかメロ違いのオブリを2人同時に弾く!という、
 アレンジとしては
タブー、もっともやってはいけないような事をやってますが、
 それでも全然違和感がないのは、プロデューサーとエンジニアの力
 でしょうかね。>

<そもそも、このデュアン・オールマンが参加したのは、プロデューサーの
 トム・ダウドの
おかげ。これまでと違うアメリカ的なサウンドに、
 クラプトンがなかなか
いいギタープレイをできずにいたそうなんですが、
 デュアン・オールマンを
連れて来たら、そのプレイにクラプトンが驚愕!!
 自然にセッションはギターバトル
になって、結果、アルバムはとんでもない
 濃密なギターアルバムになったんだそうです。>


歌もいいですね。
クリーム時代も歌っていたクラプトンですが、このアルバムからは
“歌心”がある歌、
というか、本当に“シンガーとしての歌”
を聴かせてくれています。
コーラスのボビー・ホイットロックのソウルフルな歌声も、
楽曲に厚みを加えています。

さて、この2枚組の名盤『いとしのレイラ』。
番組冒頭でも話しましたが、クラプトンの本国イギリスでは全然売れません
でした!
“アメリカに魂売りやがって!”という反応ばかりで、
ちゃんと作品を評価
しなかったんですかね。

でも、アメリカでは、“ギターの神”と“アメリカ人ギタリスト”
がとんでもないギターを聞かせてくれてる!と話題になって、
結果、かなりヒットすることになります。

しかし、バンドのその後は悲惨ですね。デュアン・オールマンはクラプトンの
誘いを断って
オールマンに戻って、そして翌年事故死します。バンドは解散。
それが相当ショックだったのか、クラプトンはコカイン、ヘロイン、
酒におぼれて、
3年間もの間、音楽業界から姿を消します。

ついでに、ベーシストはドラッグで死亡。
ドラマーは殺人で終身刑・・・と、とんでもありません。
まさに、数多の悲劇前夜の奇跡の名盤、なんですね。

M
HAVE YOU EVER LOVED A WOMAN?