THE RUNAWAYS特集!
2012-03-11
『元祖!ガールズロックバンド
ザ・ランナウェイズ 特集』
M. You Drive Me Wild / THE RUNAWAYS
1曲目にお送りしたのは、ザ・ランナウェイズの1976年の
デビューアルバム「THE RUNAWAYS」から
「You Drive Me Wild = あなたに夢中」です。
T-REXにも通じるようなブギサウンドがかっこいいですね。
これで16歳とかですからねー。貫禄すらかんじます。
4人の女子高生たちがゼロからバンドを組んで音楽活動をするという
「けいおん」というアニメが人気ですが、こちらは元祖女性ロックバンドともいえるでしょう。
平均年齢16歳という女の子たちが組んだロックバンドです。
今回はそんなザ・ランナウェイズの名曲をたっぷりお送りしましょう。
M. Thunder /The Runaways ( 00 / 2 ’ 36 ”)
次にお送りしたのは、ザ・ランナウェイズの1976年のデビューアルバム
「THE RUNAWAYS」から「Thunder = 恋の稲妻」でした。
ザ・ランナウェイズのストーリーの始まりは1975年。
場所はアメリカ:ロザンゼルスです。
地元のディスコやライブハウスによく出入りしていたちょっと不良な
女の子がいました。ジョーン・ジェット。当時15歳。
小さいころからロックンロールが大好きで13歳からギターを弾いていたというジョーンは、やはり同じ歳でドラムを叩いていたという
サンディ・ウェストと出会います。
そこにベースとボーカルができるミッキー・スティールが加わって
始まったのがザ・ランナウェイズの母体です。
そのうち、ギターのリタ・フォードが参加、逆にミッキー・スティール
は脱退してしまいます。
そして、そのミッキーの代わりに加入したのが地元のクラブで
歌っていたボーカルのシェリー・カーリーとベースの
ジャッキー・フォックスです。
こうしてザ・ランナウェイズとして活動を開始する5人が揃いました。
1976年当時、リタ・フォードが17歳で、ほかのメンバーは
16歳でした。
ちなみにシェリー・カーリーは、母親がハリウッドの女優だったので
小さいころより演技やダンス、歌の練習を受けていて・・・
オジサマ、オバサマなら判るかもしれませんが、「奥様は魔女」という
TVドラマのなかで、主人公サマンサの娘タバサを演じていたのが、
このシェリーなのです。
M.Is It Day Or Night? / The Runaways
M.American Nights / The Runaways
さて、お送りしたのは、ザ・ランナウェイズの1976年の
デビューアルバム「THE RUNAWAYS」から
「Is It Day Or Night ?」、そして「アメリカン・ナイツ」でした。
さて、話の続き。
ロス周辺の小さなクラブで演奏をしていたザ・ランナウェイズは、
ロスではかなりやり手のプロデューサーとして知られていた
キム・フォーリーに気に入られて、サウンドからビジュアル、
イメージの演出にいたるまで全面的にバックアップを受けます。
つまり、大人からキッチリと手を入れられちゃうんですね。
それぞれメンバーはお手本とするキャラクターイメージがありました。
カーリーはデヴィッド・ボウイ、
ジェットはスージー・クアトロ、
フォードはリッチー・ブラックモアとジェフ・ベック。
ウェストはロジャー・テイラー、
フォックスはジーン・シモンズなんだそうです。
それぞれがそんなイメージをしながら自らのキャラクターを
作り上げていったんですね。
さて、バンドはついにマーキュリーレコードとの契約も取り付けます。
そして結成からわずか1年でデビューアルバム「THE RUNAWAYS
= 邦題/悩殺爆弾~禁断のロックン・ロール・クイーン」
をリリースします。
平均年齢が当時16歳ということに加え、ボーカルのシェリーの、
コルセットとガーターベルトのほとんど下着姿という過激な衣装で
ロスではかなり注目されるようになります。
しかし、残念ながら全米的にはあまり売れ行きもよくなく、
ビルボードチャートは196位止まりでした。
なのに、なぜか日本ではその人気が急激に高まっていきます。
特に女の子たちに強い影響を与えることとなりました。
M.Cherry Bomb / The Runaways
次にお送りしたのは、ザ・ランナウェイズの1976年のデビューアルバム
「THE RUNAWAYS」から彼女たちの代表曲「チェリー・ボム 」
でした。
これ、イマのGIRLSバンドがやってもかなり受けるんじゃ?
かなりPOPだし、わかりやすいですよね。
さて、1977年あるとザ・ランナウェイズはセカンドアルバム
『クィーン・オブ・ノイズ』("Queens of Noise")を発表。
彼女たちの日本での人気もピークを迎えます。
そしてこの年、初の来日公演が実現します。
日本滞在中には、彼女たちの特集番組のほか、
多くのテレビ番組にも出演しました。また、日本公演を収録した
『ライブ・イン・ジャパン』はゴールドディスクを獲得。
女性を中心とした観客たちの熱い歓声がビンビン伝わってきます。
しかし、徐々にバンドにも暗雲が忍び寄ってくることになります。
日本公演を無事終了させたザ・ランナウェイズでしたが、
この後に予定されていた音楽祭のスケジュールをベースの
ジャッキーフォックスが勝手にぶっち切って帰国してしまったのです。
原因は精神的疲労でした。
結局、ジャッキーはそのままバンドに戻ることなく脱退してしまいます。
M.Blackmail / The Runaways
次にお送りしたのは、ザ・ランナウェイズの1976年のデビューアルバム
「THE RUNAWAYS」から「ブラックメイル」でした。
ザ・ランナウェイズにはさらにアクシデントが待っていました。
1977年、日本から帰国後、8月にはジャッキーに代わる新しいベースの
ヴィッキーブルーが加入し、次のアルバムのレコーディングが
始まっていました。
さらに、秋からのツアーも決まっていたところに、
今度はボーカルのシェリーがバンド脱退を表明したのです。
シェリーが抜けたあとのザ・ランナウェイズはジョーン・ジェットが
ボーカルを担当します。
でも、困難の連続。
1978年には、金銭問題など様々な意見の不一致が原因で、
長いつきあいだったプロデューサーのキム・フォーリーと決別、
さらにマーキュリーレコードとの契約も破棄します。
その後もメンバーの出入りが続いた中、1979年に最後のアルバム
「And Now... The Runaways」を発表。
よりパンク・ロック的なアプローチを求めるジェットと、
ハードロックを追求したいリタ・フォード、ドラムの
サンディ・ウェストとの間で意見があわず、
ついにザ・ランナウェイズは解散することとなりました。
メンバーのその後ですが、シェリーは双子の妹マリーと
<シェリー&マリー>というユニットを組んでアルバムを発表。
現在は女優として映画などに出演しています。
リタ・フォードは、へヴィメタ・ギタリストとしてヒットを連発。
そして、ジョーン・ジェットは新しいバンドを結成し、
後に「アイ・ラブ・ロックンロール」という超名曲をリリース
することになります。
M.Dead End Justice / The Runaways