世界遺産推薦決定! 群馬県・富岡製糸場|旅人:直井梓
2012-11-08
皆さん、こんにちは~。
旅人の直井梓です。
今回は、時空を越えて、140年前に、タイムスリップ!
「世界遺産推薦決定!群馬県・富岡製糸場」ということで、
富岡製糸場へ行ってきました!!!
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「世界遺産」という言葉の響きは、おごそかで近寄りがたいイメージ。
「静かにしておいた方がいいのかな」「気軽に触れてはいけないんだろうなぁ」
なんてイメージを抱きつつ、少し緊張しながら向かいます。
到着して、真っ先に目に飛び込んできたのは、赤レンガ。
「創業140周年」ということだったので、もっと年季の入った古風なものを想像していたのですが…
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もちろんレトロな雰囲気を感じる一方で、おしゃれで洗練されたイメージも。
そして、足を踏み入れると、人、人、人…大賑わいです!
どうやら、「世界遺産推薦決定」を受けて、遠方からわざわざいらっしゃる方、あるいは、近所に住んでいても、今まで何気なく見ていた…でも、これは行っておかねば、と駆けつける方…人気が高まっているようです。
私も、なんだか一気に親近感がわいてきました。
興味津々で、早速、見学を!!と駆け出しそうになりましたが…
いや、ひとりで飛び出しても、疑問符がいっぱいになりそう…
ということで、富岡製糸場・解説指導員の中村奈緒さんに、お話をうかがいながら、案内していただきました。
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まずは、この製糸場と、「富岡」という場所の出逢いから。
そもそも、「富岡製糸場」は、明治政府が、生糸の輸出振興と品質向上のために建設することにした製糸場。
その際、明治政府が、工場建設の指導者として雇い入れた、フランス人のポール・ブリュナが、建設地を富岡に選んだわけですが…
その理由とは…
富岡付近は生糸を作るのに必要な繭が確保できること、
工場建設に必要な広い土地が用意できること、
町民の同意が得られたこと、
製糸に必要な水が確保できること、
燃料の石炭が近くの高崎・吉井で採れること、などなど。
これだけの条件が揃っていた、ということに、なんだか運命的なものを感じますね。
そして、私も、世界遺産に推薦決定した「富岡製糸場」との出逢いに、運命を感じながら、さぁ、タイムスリップ!!
まずは、表門を入って目の前の建物…
この富岡製糸場へと続く大通りのはるか遠くからでも目を引く建物の名は、
「東繭倉庫」です。
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「建っている」というより、「そびえ立つ」という表現の方がしっくり来るかもしれません。
長さ104.4m、幅12.3m、高さ14.8m…
存在感は圧巻です!!
正面中央には、中庭に通じるアーチの通路があり、
その中心のキーストーンには「明治5年」と、建設された年が刻字されています。
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雰囲気があり、140年前の歴史の旅へといざなう入り口のよう!
そして、やはり一番目を引くのは、きれいに配列された赤レンガですね。
その名も、「フランス積み」
レンガの長手と小口が交互に積まれています。
また、建物の構造は、「木骨レンガ造」という西洋の技術。
レンガは、日本の瓦。目地は、漆喰。
日本と西洋の「いいとこ取り」というわけですね!
と、ひと通り、美しい建築を眺めて、いよいよ中へ。
開業当初は、1階は、事務所・作業所などとして使われ、2階に乾燥させた繭を貯蔵したそうですが…
入ってみると、遠くから何やらひときわ賑わっている声が!
わくわくしながら行ってみると、なんと「座繰り体験」をやっていました。
というわけで、私も、挑戦。
もちろん初体験です。
神保千代子さんが丁寧に教えてくださいました。
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神保さんに教わりながら、座繰りを体験 |
右手では、繭が入った鍋を小さなほうきでかき混ぜ、左手では、座繰り器のハンドルを回し、糸を手繰っていきます。
見ていると、簡単そうだったんですが、やってみると、これが意外と難しい!
苦戦していると、神保さんが、あの名曲を歌ってくださいました。
「糸~巻き巻き、糸~巻き巻き、引いて、引いて♪」というところまでが、この作業。
私も、口ずさみながら、楽しませていただきました。
それにしても、右手と左手で違う動きをするのが、すごく難しくて、脳の中の普段使っていない部分が鍛えられたような気がします(笑)
なるほど、機械ができるまでは、こんなに大変だったということですよね。
「東繭倉庫」を出て、中庭へ出ると、またまた同じような建物が!
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こちらは、「西繭倉庫」
「東繭倉庫」と同様に、2階は繭の保管場所として使用されていました。
外見も、アーチがないことや、窓の数が違うことを除くと、
「東繭倉庫」と全く同じに見えるのですが…
中村さんから、「何か気づきませんか?」
と、間違い探しのクイズが出題されました。
そう言われれば、何となく雰囲気は違う気はするものの、
それが何なのか分からず、結局、降参。
正解は…1階の北半分だけ、レンガの色が違う、ということでした。
ほんとだぁ~!!
当初この部分は、壁がなく、石炭置き場として使用されていたため、
現在の状態になったのは、昭和後期ということです。
レンガの色で、その年代がわかるなんて、また味わい深いですね~!
さて、ここで、最初の「東繭倉庫」の入り口まで一旦戻り、今度は「操糸場」へと向かいます…
続いての建物は、
今までの倉庫とは“がらりとイメージの違う”
おしゃれな建物の「検査人館」。
検査担当のフランス人男性技術者の住居として建てられたもので、
2階は、偉い人が来た時のための貴賓室になっていてます。
現在は、事務所として使われているそうです。
検査人館の隣に建っているのは、
フランス人女性教師の住居として建てられた「女工館」です。
どちらも、コロニアル様式という建築です。
よーく見ると、細部までこだわって造られているんですよ~。
たとえば、「女工館」の天井。板が格子状に組まれているんです。
おしゃれ!!う~ん、心憎いですね~!
なんだか、すっかり当時の気分になりきったところで、いよいよ、「操糸場」へ。
こちらのレンガも、フランス積み。
ただ、倉庫とは、大きく違う部分が!
そう!窓が、ガラス窓になっているんですね。
これは、外の光を採り入れるため。
また、屋根の上に、かわいらしく小さい屋根がおんぶされています。
これは、蒸気抜きの「越屋根」ということです。
ひとつひとつの特徴に、合理的な理由があって、
それらが決してデザインを邪魔することなく、うまく調和している!
見事です!!!
またまた外見に、うっとり見とれてしまいましたが、
こうなると、中身がますます気になるー!
ということで、さぁ、いよいよ中へ!
入った瞬間、まず圧倒されたのが、天井の、整然とした真っ白の幾何学模様。
どこまであるんだろう、というぐらい、はるか遠くまで続いています。
これは、「トラス構造」といわれるそうです。
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また、こちらは、中村さんに言われるまで気づかなかったのですが、
なんと柱が一本も無いんです。
どうりで、入った瞬間、
視線が何かにぶつかることなく、広く見渡せたわけですね。
通し柱で、建物の重量を支えているというのは、びっくりです。
広い空間を作る工夫が、あちらこちらでなされているんですね。
その広い空間を目いっぱい活かすように、操糸器がズラリと並んでいました。
操業当初はフランス式操糸器300釜が設置されていたそう。
この空間に大人数の人たちが座り、
機械を動かしている様子は、想像しただけで、圧巻です。
さて、圧巻の「操糸場」を出て、少し歩くと、
今までの建物とは、ひと味もふた味も違う、小さめの建物。
ここは、なんと「診療所」
どちらかというと、「町のお医者さん」といった、親しみやすさがにじみ出ています。
働きやすい環境が、厚生面でも、しっかりサポートされていたんですね~。
続いて、「ブリュナ館」
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その名の通り、ポール・ブリュナが、家族と暮らしていたそうです。
こちらは、「女工館」や「検査人館」と同様、コロニアル様式。
周囲には、ベランダがあり、上品な豪邸といったイメージです。
と、ここまで見たところで、タイムスリップは終了。
中村さんの丁寧で分かりやすい解説のおかげで、
思いっきり140年前へのタイムスリップを楽しむことができました。
「富岡製糸場」の建築の美しさや、
そのひとつひとつの背景にある、歴史に触れて、すっかりファンになった私。
「ぜひとも世界遺産に!!」という想いがあふれてきたところで…
富岡製糸場・世界遺産推進担当の結城雅則さんに、お話をうかがいました。
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最後に、推薦決定までの道のりや、登録までの流れについてうかがっていると、
その想いや熱意がひしひしと伝わってきました。
やはり、140年も前の建物が、
ほぼ、その当時のまま、良好な状態で保存されているというのは、
すごいことですよね!
私のイメージだと、世界遺産は、
お城や寺などといったイメージしかなかったのですが…
最近は、近代建築や産業遺産も登録されるようになったそう。
これは、「富岡製糸場」も、ぜひぜひ登録していただきたい!!
う~ん、私には、何の権限もありませんが…
とにかく応援します!!
そして、晴れて登録された暁には、みんなに自慢しちゃうだろうなぁ~。
目にしたもの、耳に届いたもの、手で触れてみたもの…
それらの全てが心の奥底にじわーっと広がっていつまでも消えない!
そんなノスタルジックな今回の旅は、
みんなに大声で自慢したいすてきな旅でした~!!
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