東京発どこ行くツアー ~青山界隈歴史探訪~|旅人:井門宗之
2012-11-23
南青山は俺の庭。
昔はよくこのブランドストリート(みゆき通り)を歩いたもんさ。
枯れ葉舞うこの季節には、俺の様なニヒルな男がよく似合う。
そう、俺の名前はYAJIKITAのP…井門Pさ!
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はいはい、読むのやめない。やめないよ。
そこ、ホラ、PCのタブを違うサイトに変えようとしない。
ね?長いかもしれないけど、割と読ませるから。
取り敢えず、ちょっとだけ寄ってって下さいよ。
…という訳で(だからいつもどんな訳なんだよ、俺の旅日記)、
今回も先週に引き続き「東京発どこ行くツアー」の青山界隈編!
青山界隈…としたのは、この一帯はそんなに広いエリアでは無いのと、
エリアを広げた方が様々な表情が見えてきて面白いからなのであります。
意外とね、歴史もあるのよ。
東京駅からだと東京メトロ丸の内線で「東京⇒赤坂見附」、
そこから再び東京メトロ銀座線で「赤坂見附⇒表参道」となります。
地下鉄を使えば大体20分弱で行けちゃう。
改めて東京の公共交通網の利便性を感じずにはいられないわけですが…。
そんなこんなで表参道駅からみゆき通りをずずいと六本木方面へ歩いていきます。
この界隈はブランドショップの路面店が立ち並んでましてね、
外国人の姿も多く見られるのですが、有閑マダムの姿もちらほら(表現が古い)。
こんなお洒落なエリアにおいても、普段と変わらずYAJI魂を見せる我々。
いや、我々では無いぞ!むしろミラクル一人だ!
(なんか“ミラクル一人”って売れない芸人の名前みたいね…)
こんな閑静かつシャレオツなエリアにも関わらず、
服装は見事に穴のあいたデニム…。(しかもこの穴はヴィンテージのそれとは違う)
ミラクル「なに言ってんの?これがアッシの正装でゲスよ。へへへ。」
横山「いつも通りなのが、良いんじゃない?
ここはみゆき通りだけど。ふふふ。」
まあや「そうです!それも個性!!」
…っと、いきなり横から出てきた(ように登場させたのは俺だけど…)この男性!
何を隠そう、今回の「どこ行く」の助っ人「まあや」さんなのであります。
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実は今回この青山界隈を散策するに当たりミラクルさんが見つけてきたのが、
【おもてサンド製作委員会】という団体。
こちらは青山・表参道エリアの情報を自分達の足を使って細かく仕入れ、
それを発信している地域ポータルサイトを作る精鋭達の集まりです。
実はぶらりの前に僕らもその会議にお邪魔して色々と伺ったのだが…
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ミラクル「ぜひこのメンバーの中から町の歴史に詳しいエリートを一人!
オラ達ぢゃあ、何も出来ねぇズラよ…。」
おもてサンド「町の歴史…って言ったら…ねぇ?」
まあや「僕…ですか!?はい、では宜しくお願い致します!」
随分とザックリはしたが、そんな流れでエリート「まあや」さんが助っ人として来てくれたのだ。
ぶらりの前にはそれぞれに【おもてサンド製作委員会】のマスコット、
その名も“たぬ”が描かれた団扇を渡され、これを持って晩秋のロケはスタートしたのです!
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まあや「この界隈、最初にご紹介するのはやっぱりココでしょう!」
井門「この巨大な建物は…?」
まあや「はい、根津美術館です!」
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根津美術館は南青山というエリアでは非常に珍しい、
歴史と緑を湛える巨大な美術館。
その敷地面積はおよそ2万平方メートル…。
2006年に改築の為に休館となるも、2009年10月には満を持してリニューアルオープン。
天皇陛下や美智子皇后も訪れる由緒正しき美術館なのであります。
こちらでお話を伺ったのは学芸課長の白原由起子さん。
収蔵作品、企画展、庭の魅力について色々と教えてくださいました。
白原「こちらの美術館では国宝7つ、重要文化財も87件収蔵されています。
私立の美術館の中でもこれは日本一ではないでしょうか。」
井門「私立…と言うと、ここは元々どなたの持ち物だったのですか?」
白原「東武鉄道の社長も務められた根津嘉一郎氏の私邸跡に建てられました。
こちらの日本庭園も素晴らしいんですよ。」
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我々もその見事な日本庭園に出てみたのだが、
その美しさには目を見張るばかりだった。
これから葉も落ちていき木々の隙間から六本木の高層ビル等が見えてしまうのだが、
緑の濃い夏場になると「ここは本当に南青山?」と錯覚してしまうという。
それほど自然が豊かで静かな場所なのだ。
白原「この日本庭園には茶室もありますが、
自然の傾斜を利用して作られていて、
一番底にある池に向かって降りていく造りなんです。」
井門「確かに目線が一定では無いので、
植物の高さの変化も目を楽しませてくれますね!」
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12月16日までは特別展「ZESHIN 柴田是真の漆工・漆絵・絵画」が開催されていますが、
こちらの美術館は何と言っても名品ぞろい。
いつ訪れても素晴らしい作品達を鑑賞する事が出来るでしょう。
表参道や六本木の喧騒を離れて、ここで静かに時を過ごしてみてはいかがでしょうか?
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まあや「根津美術館、良いですよね。
この場所にこれだけの緑があるのは貴重だと思います。」
井門「流石まあやさんが1番先にお勧めしてくれた場所!」
まあや「次は“みゆき通り”を表参道の交差点に向かって歩きましょうか?」
「みゆき通り」は感じで書くと「御幸通り」になるらしい。
その由来は天皇陛下が明治神宮へ御行幸される時にお通りになったからだそうで、
そう言えば同じ様な理由で銀座にも「みゆき通り」がありますな。
ミラクル「“みゆきちゃん”に纏わる色っぽい話では無かったでゲスな。へへへ。」
という訳で一行はこの「建築ストリート」とも言うべき通りを歩いていった。
実はこの通りには有名なデザイナーが建築を手がけたビルがいくつも並んでいるのだ。
まあや「プラダのビルなんかもそうですね。
ここは外国人観光客も写真を撮りにくるみたいですよ。」
井門「なんと表現したら良いのか…悩むなぁ。」
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言葉で表現すると悩んでしまうのだが、
メッシュっぽい枠の中に菱形のガラスが嵌め込まれている“巣”の様な建物。
柱が使われていない…とかで、中もちょっと気になってしまいます。
実はこの建物、あの北京オリンピックで通称「鳥の巣」を手掛けたデザイナーが担当してるとか。
そう思って外観を眺めると…なる程、と思う。
その他にもComme des Garçonsがあったり、カルティエがあったり。
錚々たるブランドショップが軒を連ねるのが「みゆき通り」なのだが…
横山「あぁ、お稲荷さんもありますね。」
まあや「こういう小さなお社がぽつんとあるのも、
この界隈の面白い所なんだと思いますよ。」
右に左にブランドショップを眺めながら歩いていると、
徐々に町の音が変わってきた。
そう、目の前にはもう青山通りが。
ここを左に行けば渋谷、真っすぐ行けば原宿(明治神宮)、右に折れれば外苑前と、
土地柄とても交通量の多い場所でもある。
まあや「この四つ角の一角に、とても歴史のある本屋さんがあるんです。」
井門「あの壁画がある…あそこですか?」
まあや「そうです!創業から100年以上は経っているんですよ。」
表参道交差点の四つ角に本屋さんがあるのは知っていた。
通りに面する様に、店の外壁に壁画があしらわれているのも気になっていた。
ただ、ただである。何となく入りづらかったので、いまだ井門未踏の地だったのだ。
ただでさえ「表参道の四つ角に本屋」は異質。
恐らく歴史がありそうな佇まいは、この店の「特別感」を変に意識させてしまい、
軽い気持ちで入るのを躊躇わせてしまうのだ…。(ごめんなさい)
そんな素直な気持ちを、真っすぐに店主に投げかけてみた。
遠山「そんな事言わないで下さい~!
もう本当に気軽に入ってきて頂いて構わないんですから!」
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そう良いながら笑顔で我々を迎えてくださったのは、
現店主の遠山秀子さん。
子供の頃からこの店で店番をし、青山界隈の事なら知り尽くしている方。
老舗の書店の方…と聞いて随分と気難しい方をイメージしていたのだが(すみません)、
物凄くチャキチャキで明るくて、色んなお話を聞かせてくれた。例えば…
遠山「ここは東京オリンピックの道路拡張の為に建物を削ったんです。
だから昔はこの店ももう少し大きかったんですよ。」
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井門「では壁画は?」
遠山「実はこの前の通りを新潮の社長さんが毎朝お通りになっていたそうなんです。
ある時に社長さんがウチの壁面を見とめてね、
“ウチの表紙を担当している六郎先生に壁画をお願いしてみてはどうか?”
なんて仰ってくれて。それで谷内六郎先生に書いて貰う事になったんです。」
これも“縁”が繋げた物語だろうなぁ。
今の壁画は2代目だそうだが、今後はこの壁画にプレートを付けるプランだとか。
確かにこのプレートの物語をここを通る人に伝えない手は無いだろう。
戦争、東京オリンピック、バブル…様々な出来事を経て、青山は変化していった。
それでも遠山さんが子供の頃は青山界隈も下町の姿を残していたとか。
遠山「よく隣の家の茶の間にずけずけとお邪魔したりね(笑)
うちの母親なんかは私を探す時は、隣近所の家から探したそうですから。」
井門「青山も下町な感じはあったんですね。」
遠山「そうなんですよ!でも北と南では随分とイメージが違いましたねぇ。」
きっと今もそれはそうなんだろう。
青山通りを隔てて、南青山と北青山では何となく空気感が違う。
それが何なのかは分からないのだけど…。
山陽堂さんもここにきて色々な試みをされている。
古くからの書店…というだけではこれからの時代は立ち行かない。
現在はもっと開けた山陽堂として、1階は書店、2階3階はギャラリーとして開放。
人の出入りを活発にする事で、老舗の歴史に血液を流しているかのようだ。
皆さんも表参道交差点で素敵な壁画を見かけたら、是非立ち寄ってみて下さい!
山陽堂さんを後にした我々は、
表参道から裏原宿をぶらり。
ここも明治神宮へ向かって左側の歩道と右側(表参道ヒルズ側)の歩道では、
なんとなく人の個性が違って見える。
まあや「左側の方がちょっと大人な感じですよね。」
井門「それが神宮前の交差点に行くと、一気に若者の姿が増える。
あれはなんでしょうね(笑)グラデーションが濃くなる地点があるんだよなぁ。」
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そんなこんなで一気に若者の色が濃くなった裏原宿へ。
そもそも【裏原宿】とはいつ頃から言われ始めたんだろう。
まあや「うーん…僕が高校生くらいの時にはもう言われてましたからね。
誰が言い始めたとかははっきりしないんじゃないですか。」
井門「確かに僕は地元が札幌ですけど、
高校生くらいの頃は裏原宿に憧れてましたね。
だから上京してきて一番最初に買い物に来たのが裏原です(笑)」
何だかここを歩いていると、それだけでお洒落になった気分になるのが裏原。
狭い路地の中に洋服屋さんや靴屋さん、アクセサリーショップが立ち並ぶ中、
僕らが目指したのは意外にも食べ物屋さん。
まあや「ここがおすすめの鯛焼き屋さんです!」
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路地を入ると通りに面した鯛焼きのお店が。
名前は「原宿の板付きたい焼き 東京ほおづき」さん。
店主の次山 嘉一さんにお勧めを戴いた!
次山「ウチは生地も餡もこだわっています。
それと金型。焼いた時にはみ出す様になっているんで、
餃子で言うところの“羽根”が出来るんです。
羽根はカリカリ、サクサクで、こだわりの生地の味を楽しんで頂けますよ♪」
井門「見るからに美味しそうですもんね…(ジュルルルル)。
ではあんこと鳴門金時を一つずつ戴けますか?」
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パクッとかじりつけば、
ふわ~っと広がる甘い香り。
そしてあんこの甘さもさっぱりしていて美味しい!!
鳴門金時もお芋の甘さが生地の甘さと相まって、ぐーっと旨味が増していく感じだ。
熱々の餡がぶらりで少し冷えた身体にしみ込んでいくのです。
あったかいスイーツって良いなぁ…。
次山「実は原宿って、片手で持ち歩きながら食べるこういうお菓子が無くて。
手軽に甘い物を色んな方に食べて貰いたいです。」
井門「どんなお客さんがいらっしゃます?」
次山「場所柄、外国人の方も多いんです。
英語を話さない日はないってくらい。
鳴門金時はスイートポテトでイメージ出来るみたいなんですが、
あんこはイメージ出来ないみたいで、恐る恐る注文されていきますよ(笑)」
それでも原宿はピークの時間が圧倒的に短いらしい。
ほんの数時間に忙しさは集中するという。
夜も人がいなくなるのが早い町だもんなぁ。
それでもここにくれば間違いなく美味しい鯛焼きが食べられるんです!
表参道~裏原宿界隈もお散歩には最適の場所。
ショッピングの一息は甘い物でいかがでしょ?
心が満たされて、良いお買い物が出来ると思いますよ~!
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今回はYAJIKITAらしからぬお洒落エリア「青山界隈」のツアー。
でもこの町の歴史は変化と共にあって、
その時代、その時代の色彩が本当に面白かった。
東京の中心、文化の発信地は、歴史の変化にも翻弄されているのだ。
そして翻弄されてはいるのだが、町の器が大きいので、
ちゃんと洗練されたものに昇華してしまう。
やっぱり一筋縄ではいかないお洒落エリアである事は間違いない!
大体がここで働く人たちの服装のお洒落なこと!
まあや「そういうモチベーションを保つために、
敢えてこの町で働く人もいますからね。」
そんな風にまあやさんも仰っていた。
やっぱり「青山界隈」は特別な場所。
でもそんな特別な場所があるからこそ、人は輝く事が出来るのだ。
そう、この町は人を輝かせる。
輝かせ方を知っている。
勿論、ただそこに行くだけでは輝きを放つ事は出来ない。
探さなくてはならない。
うーん、やっぱり「青山界隈」は奥が深い!
でも東京に来たら、一度は訪れて欲しい場所。
ゆっくり歴史の跡をたどりながら、青山の風を楽しんで欲しいなぁ。
東京発どこ行くツアー!
さぁ、次はどこ行く?
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