松陰が託した 維新の志士達の足跡をたどる|旅人:吉村民

2014-10-10

YAJIKITA ON THE ROAD旅人の吉村民です!

 

今回は吉田松陰は、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋たちのゆかりの地、萩、そして下関中心に巡ります!

 

私が幕末好きになってから行きたい!と思い続けていたのが萩。
長州藩士で一番好きなのは萩出身の高杉晋作!
幕末で一番興味があるのは多くの偉人を輩出した吉田松蔭の松下村塾。

 

ということで、心の底からワクワクしながら向かいました!

 

まず最初に訪れたのは
高杉晋作のお墓。

 

 

 

 

 

 

 

好きな偉人の生誕地、終焉の地、お墓を巡るというのが、
私の歴史の楽しみ方。

 

特にお墓は、その方が眠っていらっしゃると思うと、その方に会えた気持ちになれるから好きなのです。

 

高杉晋作は吉田松蔭の弟子で、奇兵隊の創設者。
熱く、行動力がある所が魅力的です。
そんな高杉晋作のお墓があるのは「東行庵」
緑や小川が綺麗な、落ち着いた雰囲気です。
東行記念館の学芸員、一瀬幹さんにお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

晋作のお墓はとてもシンプルですが、大事にされ続けてきたのが伝わってきました。
東行庵の中には、晋作の妾だった、おうのが住んでいた家が残っています。
晋作が亡くなったあとに出家をして、お墓を守り続けたのです。
お妾さんがお墓を守るというのは、ロマンティックのようですが、
本妻の気持ちになると、微妙です。
おうのさんは売れっ子芸者さんで、
私が読んだ本では、本人は出家をしたくなかったのに、伊藤博文や井上馨に無理矢理出家させられた、となっていましたが、
一瀬さんた聞いたところ、おうのさんの意思で出家をしたとのことでした。
現地に行かないとわからないこともあるのですね!

 

 

続いては、長府博物館の学芸員、田中洋一さんの案内で、
下関市の長府にある坂本龍馬の親友、三吉慎蔵の旧宅跡、
そして、龍馬直筆の手紙が残る長府博物館にいきました!

 

 

 

 

 

 

三吉慎蔵は坂本龍馬が寺田屋で襲われた時に一緒に戦い、負傷した龍馬のことを薩摩藩に頼んで助けた人、つまり龍馬の命の恩人です。
その後も二人の親交は深く、龍馬が自分に何かあった時に、妻のことを託そうとしていたのも三吉慎蔵です。
そんな三吉慎蔵の家には
龍馬が来て、外部を遮断して、談義をしていたと、言い伝えられているそうです。
何を話していたかはわかっていませんが、旧宅跡で、歴史を動かすような大切な話し合いをしていたかもしれませんね!

 

 

 

 

 

 

さらに長府博物館には
龍馬の手紙が15通ほど展示されていました!これにはビックリです!

 

私は龍馬が大好きなので、今まで数々の龍馬展に足を運んできました。

 

しかし、こんなに一気に龍馬の本物の手紙を展示している展示会は行ったことがありません。
さらに、龍馬が使った茶碗や湯飲みもありました。

 

龍馬が三吉慎蔵たちをとても信頼していて、絆が深かったというのがわかりました。

 

その他、長府博物館には、
高杉晋作が心を落ち着かせるために握ったという石も展示されていました。

 

すごいぞ!長府博物館!
幕末好きの人は要チェックの博物館です。
あと二時間は龍馬の手紙を眺めていたかっです。

 

 

 

 

 

 

 

龍馬の手紙から引き剥がされるようにして向かったのは、関門橋下砲台跡 。

 

九州が目の前に見えて、泳いで渡れるのでは?!と思うほど狭い関門海峡。

 

幕末、ここに、外国船が攻めてきて、
外国の威力を知った長州藩は、
開国派に変わっていったといいます。
確かに、ここに外国船が攻めてきたら怖い!そんな所でした。
壇之浦の戦い、宮本武蔵と佐々木小次郎の戦い、幕末の幕府との戦いなど、数々の歴史の変化を見ていたこの場所は何か大きな意味のある所にも思えるような雰囲気でした。

 

 

 

 

 

 

続いては龍馬を支援した伊藤助太夫の邸宅の跡地を訪れました!
今は石碑しかありませんが、
当時はとても大きい敷地と建物があり、その中で龍馬は、妻のお龍さんと2ヶ月ほど生活をしていたそうです。
一緒にいられる時間が少なかった二人にとって、幸せな時間を過ごせた場所なのかもしれないな、と思いながら、
今はなき、広大な屋敷を想像してみました。

 

 

 

 

 

 

そして、下関、最後に訪れたのは高杉晋作の終焉地。
とても意外だったのは、町のなかのひっそりとした場所が終焉の地だったということ。
療養が必要だったことと、最後まで仲間たちと何かをしたい!という思いがあったことがわかるような場所です。
彼がもっと長生きしてくれたら、また違う日本があったのではないか、と若くして亡くなってしまったことが、とても残念に思えました。

 

 

 

 

 

 

続いて向かったのは萩。 高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅など、当時の面影を留めたものが数多く残る城下町です。
第二次世界大戦の戦火にあわなかったということで、
当時のままの家が建ち並んでいます。

 

 

 

 

 

 

まるでタイムスリップしたような街並みに、私のテンションもどんどんあがっていきます!
高杉晋作の誕生地、木戸孝允の旧宅がそのまま残っていて、そこに入れるなんて、幸せすぎます。
特に木戸孝允の家が医者であり、病室が沢山あるような家であった、とわかり、彼が斉藤道場の塾頭でありながら、生涯、人を斬ったことがなかったとう人柄の原点が見えた気がしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いては明治維新の始まりの地ともいえる「松陰神社」と 「松下村塾」へ。

 

「松陰神社」は、明治23年に吉田松陰を祀って建てられた神社で、 その境内に、「松下村塾」や「吉田松陰幽囚ノ旧宅」も隣接しています。

 

 

 

 

 

 

 

衝撃だったのは、松下村塾が開かれていたのは、わずか1年余り。その短い時間で、久坂玄端、高杉晋作、伊藤博文、山県有朋など、明治維新の原動力と なり、明治新政府に活躍した多くの逸材が育ったということ。
いったいどんな授業だったのか、とても気になり、松陰神社の宮司、上田俊成にお聞きしたところ、
松蔭先生は
生徒の要望に答えて、習いたいものを個人レッスンで教えていたのだそうです。
そして、厳しく、優しさをもって、
一人一人と向かい合ったり、
みんなで討論をしあったりしていたようです。
また、松蔭先生のご家族もとても温かく愛情たっぷりの方々だったとのこと。今後、もし、自分に子供ができたのならば松下村塾を真似して子育てしよう!と心に誓いました。
吉田松蔭先生については、
今後、もっと詳しく勉強していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

そして 最後に、毛利家の菩提寺でもある「東光寺」へ 向かいました。
ここでご案内をしてくださったのは、
若き志士たちを陰で支えたと言われる 周布政之助・兼翼扮する、 ちょんまげ姿の小池太一さん。
山口県には面白くて歴史を愛している方が沢山いるのですね!

 

 

 

 

 

 

東光寺はとても立派で、長州藩のお殿様の存在の大きさというのが伝わってきました。

 

今回は下関や萩を中心に回ってきましたが、
溢れるように出てくる幕末の偉人のゆかりの物や手紙、場所に驚きの連続でした。

 

元々、幕末が大好きだった私ですが、山口県の幕末巡りをすることによって、
改めて幕末の楽しさを感じ、さらに、幕末好きになりました。
そして、まだまだ知れることが沢山ありそうなので、
また幕末、山口巡りをしにきたいと思います。

 

YAJIKITA ON THE ROAD旅人は吉村民でした!