北海道、はじめてものがたり|旅人:井門宗之

2015-01-09

 

ん?呼んだかい?
半蔵門の裕次郎と呼ばれた、このオイラを。
おっといけない、いけないよ。それ以上オイラに近付いちゃ、火傷しちまうゼ?
え??火傷っていうか、めちゃくちゃ寒そうだって? 


………。

 

……………。

 

すっげー寒いわっ!!




 

 

 

今年最初のYAJIKITAは2週に渡って北海道!
さぁ皆もYAJIKITAを聴いて、行ったつもりで、北海道!北海道!
前回のロケは札幌だったので雪はほとんど、いや全く無かったにも関わらず、
今回のオープニングを収録した小樽運河は…雪景色!

 

靴のセレクトを間違えた親分に至っては、
オープニングの写真を撮影している最中にコケる始末。 


その姿はまるで、氷の上で戯れる海獣の如し!
それを機に慎重にそろ~りそろりと歩く親分を軽く「えいっ!」って押すゲーム誕生。

 

 

井門「えいっ!」

 

親分「うぅうわわわっっ!コラ、ヤメロッ!!」

 

井門「キャッキャッキャッ♪
ほらほら、橋本君もやってみろよぉ~!」

 

橋本「へへへ。じゃぁ、やってみるでやんす!えいっ!」

 

親分「橋本、飴あげるからこっちに来なさ(ry

 

 

ってな訳で今回もご陽気なYAJIKITA一行。 


小樽運河でオープニングを収録した後は小樽市総合博物館へ!

 

 

 

 

 

 

今回のテーマは「北海道はじめてものがたり」。
意外に知られていない北海道の“初めて”を探ろうというのだが…、
小樽には何の初めてが詰まっているのだろう?? 


早速中に入り学芸員の佐藤卓司さんにお話しを伺うことに。

 

 

佐藤「この建物は平成8年に建てられましたが、
博物館として平成19年にリニューアルして今の形になりました。」

 

 

そう仰る佐藤さん。
確かにエントランス奥にある博物館入口は明治時代の切符売り場を模した物。
その雰囲気はYAJIKITAの鉄成分を刺激する。
(YAJIKITAはそもそも3人の鉄ちゃん達が立ちあげた番組なのであります)。
しかも切符売り場の奥には本物のSLが展示されているではありませんか!?

 

 

 

 

 

 

佐藤「この機関車は“しづか号”という名前で、
明治18年にここ手宮に来ました。当時アメリカから日本に8両輸入しましたが、
現存するものは3両しかありません。
それぞれ名前を『しづか』『べんけい』『よしつね』と言うんです。」

 

井門「お~!現存する車両の名前に何か運命的なものを感じますね!」

 

佐藤「しかも名前が付けられたのは明治時代。
まだまだ男尊女卑の時代に於いて、
女性の名前が車両に付けられるのは非常に珍しいことだったと思います。」

 

 

どうしてそんな風な名前が付けられたのかは分からない。
しかし当時鉄道技師として招かれたJ.U.クローフォード含め、
北海道の開拓にはアメリカ人達が欠かせない存在である。
彼らのリベラルな雰囲気がそのまま当時の日本人にも伝わった結果の一つなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

そもそも小樽市総合博物館に何故機関車が展示されているのか? 


その理由は「ここが北海道の鉄道のはじめて」だからなのです。
博物館がある手宮という場所は港町としても栄えてましたが、
鉄道の一大ターミナルとしても非常に重要な拠点となりました。

 

 

佐藤「当時エネルギーといえば石炭でした。
北海道には炭鉱が沢山ありまして、その一つが幌内炭鉱という場所だったんです。
当然採掘した石炭は運ばねばならない。
そこで鉄道が敷かれ『幌内炭鉱⇒札幌⇒手宮』というラインが出来たのです。」

 

 

 

 

 

 

 

そうなのです。
そして手宮まで運ばれた石炭は船を使って日本全国に運ばれていった。 


まさに日本の近代化を支えたのが、 


手宮を拠点にした鉄道と言っても過言ではないのです。
展示物の中には明治44年~昭和46年まで稼働した手宮高架桟橋の模型なども有り。

 

 

 

 

 

 

 

手宮が北海道発展の要だったという訳で、これも知らなかったなぁ。
実は僕の祖父は三笠という場所で小さな病院を開業していたお医者さんでした。
この三笠も炭鉱の街で、幼い頃は常にベッドが埋まっていて。
怪我をした炭鉱夫がしょっちゅう運ばれてきていたっけ。
そう、少なくとも僕が子供の頃の北海道にはなんとも説明出来ないエネルギーがあった。
きっとそれは「石炭」という資源が少なからず関係していたのかもしれません。
博物館では他にも北海道で活躍した、
10のタイプの機関車模型を解説と共に見る事が出来たり、
現存する物で最古の機関車が博物館の機関車庫にあったり。

 

 

井門「いやぁ、鉄道の歴史をもっと知ってから来れば、
また感慨もひとしおなのでしょうね??」

 

佐藤「いえ、そんなに難しく考えずに(笑)
ここに来て、まず興味を持っていただければと思っています。」

 

 

控えめなお答えではあるが、その控えめさが道産子なのです。
でもこの博物館で実際に展示物を見てみれば、きっとその凄さに圧倒される筈。
佐藤さん、貴重なお話し有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

続いて札幌へと向かった一行。道中は井門の思い出話に花が咲く。

 

 

井門「高速使わなくても札幌まで1時間もかからないですよ!
5号線真っすぐ行って…あぁ、そうそう、この道はよく通ったなぁ。」

 

橋本「井門さん、小樽の方に何か用事でもあったんですか?」

 

井門「いや、当時お付き合いしていた彼女が銭函の大学に通っていてさ。
俺が休みで帰ってきても彼女はまだ学校があるタイミングだったりして。
だから車で送り迎えしてたんだよ。」

 

橋本「へへへ、それって足に使われてたって事でやんすな?」

 

井門「橋本君、飴あげるからこっち来(ry

 

 

そこかしこの景色が懐かしい。
夏になれば車で仲間と心霊スポットを巡ってみたり、
目的地も何も無いのに後輩誘って朝までドライブに出かけてみたり。
男子校だったからかもしれないけど、男達だけの事が多かったなぁ。
しかし男だけで朝まで何を話していたんだろう(笑)
車窓からの景色に想い出が溶けていく。温かな余韻。

 

はっ!!いかん!いかんよ。
どうも北海道ロケはセンチメンタルになってしまっていけない。 


仏の横山が運転する車に乗って、我々が向かった先は大倉山です。
この大倉山、僕が暮らしていた場所からよく見えてですね。
小学校の窓からだって見る事が出来た。
幼い頃は「ただのスキージャンプ台」くらいに思っていたんですけど、
だんだんとそれが「札幌オリンピックの舞台になった場所」って認識が生まれ…。
そうなんです、僕が生まれたのは1977年で札幌オリンピック開催の5年後。
当時の五輪の盛り上がりを全然知らない間に大人になってしまいました。

 

現在大倉山には「札幌ウィンタースポーツミュージアム」があり、
札幌オリンピックの歴史を後世に伝える役割とウィンタースポーツの普及を担っています。
我々はこちらで館長の鈴木信彦さんにお話しを伺いました。

 

 

 

 

 

 

鈴木「この施設は2000年に完成しまして、
館内ではジャンプやボブスレーなど7つの競技が体験出来るようになっています。
また1972年に開催された札幌オリンピックの歴史を辿る展示も数多くございます。」

 

 

当時高校生だった鈴木さんは、札幌オリンピックの事を鮮明に覚えていらっしゃった。
宮の森ジャンプ台で「日の丸飛行隊」と呼ばれた日本人3人が金・銀・銅メダルを独占した翌日、
ラージが行われる大倉山シャンツェには、なんと約4万5千人もの観客が集まったとか…。
当時の札幌の人口はおよそ100万人だというから、その注目度の高さが窺える。

 

 

鈴木「今の冬季オリンピックと違って6競技35種目しかありませんでした。
それでもメダルはジャンプの3つだけ。
当時世界に通用するのはジャンプだけだったんです。」

 

 

当然ラージではメダル獲得ならず。
それを考えれば今の日本選手のレベルの高さがよく分かる。
館内には当時のジャンプのウェアや板、ボブスレーなども並ぶ。

 

 

1972年2月3日~2月13日の11日間で開催された札幌オリンピック。
札幌はオリンピックの後、やはり急速な発展を遂げた。
地下鉄や高速道路の建設はその顕著な例である。
また海外からのお客さんを誘致するに当たり、いち早く下水整備も進められた。
(僕の記憶では札幌市内に限っていうと、子供の頃は水洗トイレばかりだった。)
そもそも土地が持つ雰囲気と相まって、近代都市札幌は美しく変貌を遂げたのだ。

 

 

鈴木「1972年当時100万人だった札幌の人口は、現在約195万人です。
オリンピックを契機に人や物やお金がここに集まりました。」

 

 

それではこの街の人が昔の大らかさを失ったかと言うと、決してそうではない。
自分も札幌に帰ると思うのだが、この街の人はやはり大らかで優しい。

 

 

鈴木「水と空気がなんてったって旨いのも魅力ですよね。
よその土地に行って札幌に帰ってくると、
“あ~、やっぱり空気と水が旨いなぁ…”って思いますもん。
それに食べ物も美味しいですし(笑)」

 

 

僕もそうなんですけど、札幌の人の地元自慢は止まらないですよ(笑)
鈴木さんも朗らかに笑いながら地元の自慢をしてくださる。
でもそこに“押しつけがましさ”は全くなくて。これも札幌っ子の魅力。
札幌自慢を聴いた後は鈴木さんに、
“あれもやってみて!これもやってみて!”と御案内されて体験ゾーンへ。

 

 

2026年の冬季オリンピック・パラリンピック開催地に名乗りを上げた札幌市。
是非、今度は生で地元で開催されるオリンピック・パラリンピックを見てみたいと思うのです。

 

 

「北海道はじめてものがたり」 


最後に向かった先は…サッポロビール博物館(じゅるり…)。

 

 

 

 

 

 

実際に工場として機能していた場所を、現在博物館としてリニューアルさせたこちら。
中に入ると広い空間に分かり易くサッポロビールの歴史が並んでおります! 


御案内は菱沼亜莉沙さん

 

 

 

 

 

 

1階~3階に渡って展示品が並ぶ館内はまず3階までエレベーターで昇って、
そこから展示品を見つつ降りていくというスタイル。
3階部分はサッポロビールの歴史展示になっております。

 

 

菱沼「当時開拓使の長官だった黒田清隆はいくつもの開拓事業を進めていくんですけど、
その中で唯一現代まで続いていると言えるのがビール開発事業なんです!」

 

 

当時舶来の飲み物として横浜等でビールが飲まれる様になっていた。
まさに時代の最先端の飲み物であります。
そのビール作りを産業として定着させようとしたのが、黒田清隆開拓使長官。 


ビール作りの場所として選ばれたのは“これからの土地”北海道。
この土地はビール作りに必要な全ての要素を満たしていたのです。

 

 

 

 

 

 

菱沼「ビール作りに必要な気候風土、
冷蔵する為の豊富な雪や氷、そして工場を作る為の土地や木材、
それらが北海道には全て揃っていたんです!」

 

 

もう、聞けば聞くほど必然性を感じずにはいられない(笑)


こうして1876年に開拓使麦酒醸造所が完成したのであります。

 

 

 

 

 

 

あっ、そうだ!サッポロビールのシンボルが★のマークですが、
これは開拓使のシンボルマークから来ているんです。
そう言えば先週OAした中の札幌時計台にも★のマークがついていました。
このマークには当時の人達の「ここから始めていこう!」という気概が込められているんです。
そう、この星は北極星。全てを導く、輝ける星。
未開の土地で、フロンティア達はこの星を戴いて、何を思ったのだろう。
僕の祖先も北海道に入植した開拓者の一人です。
そこから数えて僕は5代目にあたる。
生活の場は東京になっているけど、いつでも心は北海道にあるつもりです。
そして、そう思っていた方が、何故か心が安らぐんです。

 

 

 

 

 

 

3階から2階へのスロープには巨大な釜が!

 

 

 

 

 

 

350mlの缶で言うと24万本分が作れる煮沸釜。これは物凄い迫力だ(笑)
菱沼さんの紹介の仕方が可愛ければ可愛いほど、そのアンバランス感にやられる(オイ)
そして2階は「黒ラベルストーリー」と銘打たれたスペースが。

 

 

 

 

 

 

この黒ラベルストーリーを見学していたら物凄い偶然が!!
黒ラベルの元となったサッポロびん生の発売が、発売が、、、 


俺の誕生年と一緒だった!!
いやぁ、これからもより近しい存在として、黒ラベルいただきます(笑)
そうかぁ、だからいつも黒ラベルが旨く感じてたんだなあ(お前は酒なら全部旨いだろ)
よし!これからも、「丸くなるな、星になれ!」の気持ちで飲みます!

 

 

菱沼「1階の奥にはテイスティングホールがございます!」

 

井門「なるほど!歴史を学んで、黒ラベルの物語でビール飲みたい欲を刺激されたら、
物凄く素敵なタイミングでテイスティングホールに出会えるんですねぇ。」

 

 

吹き抜けのホールはビアホールの喧騒もありながら、
ウッディな設えが明治時代にタイムスリップしたかの様に錯覚してしまう。
椅子や照明に施された遊び心も楽しい。

 

 

 

 

 

 

ここで頂いたのは「黒ラベル、クラッシック、開拓使麦酒」の飲み比べセット。
しかも開拓使麦酒は飲める場所も限られた限定品!!

 

 

 

 

 

 

OA聴いたら、語ってましたねぇ…井門P。
この人、本当にお酒が好きなんでしょうねぇ。酒バカなんでしょうねぇ。
YAJIKITAのPをやってる理由の一つが「全国の酒が飲める」ですからねぇ(こらこら)。
でもやっぱりサッポロビールは札幌で飲むのが一番な気がするんです。
僕の友人の沖縄マスターがよく言ってますもん。
「オリオンビールは沖縄で飲むのが一番旨い!」って。
サッポロビールもそんな気がするんだよなぁ。
テイスティングホールの雰囲気も良くって。
ついつい、グラスを空けるペースが早くなってしまいます(笑)

 

 

 

 

 

 

クラッシックは今や東京でも見る事が出来るようになりましたが、
やっぱりあくまで北海道限定のビール。
このビール飲みたさに札幌の親に未だに電話しますもん。
黒ラベルに比べると、少しMidが利いたどっしりとした味わい。
そしてそして、まだ飲んだ経験の無い開拓使麦酒のお味は…。

 

 

井門「明かりに照らすと黒ラベルとクラッシックと色合いが全然違う。
味も深くて濃いですね~!」

 

菱沼「明治の頃の味を忠実に再現しています!」

 

 

開拓使麦酒を味わいながら、
北海道ドリームを夢見てこの地にやってきた人々に想いを馳せる。
彼らもまた、夢を語りながら、このビールを飲んだのだろうか。

 

 

菱沼「サッポロビールは札幌で誕生したビールです!
北海道民の想いが沢山込められたビールですので是非多くの方に飲んで頂きたいです!」

 

 

 

 

 

 

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多分初めて言ったと思う。
「遊びに来てください!」って。
今までも旅の最後は聴いてくださった皆さんに向けて、
「足を運んでくださいね。」とやんわりとは言っていた。
けど今回は違う。なんせ自分がよく知っている自分の地元だ。
ただ、だからこそ旅をしながら悩んでもいたのだ。

 

――旅の最後に自分がちゃんと地元の良さを見つけられるだろうか?

 

小樽、札幌を巡ってきた今回のロケ。
最後はちゃんと笑えていた、いや、取材の間もずっと笑顔だったんだけど。
そしてしっかり言えました。
「遊びに来てください!」って。

 

地元愛に拍車がかかった2015年。
本当に思います。皆さん、北海道に来て下さい、って。
あの空気の中でビールを飲んでみてください。
季節はいつでも大丈夫、僕の地元にオフシーズンはありません(笑)
そうだ、敢えて何もイベントの無い時期も良いかもしれない。
ただ、季節だけを感じに。ただ、北海道を感じに。