魯山人の愛した山代温泉|旅人:多嶋沙弥

2015-09-24


こんにちは!

ずいぶん秋らしい空模様に変わり、夜は肌寒い日も増えてきましたね。
皆様、いかがお過ごしですか?

今回、YAJIKITA一行が向かったのは、

石川県加賀市に位置する山代温泉。

私の両親のふるさとであり、

小さい頃から家族で何度も何度も訪れた大切な場所です。

 

 

 

 

 

 


あたたかく静かな空気の流れる古き良き温泉街、
あの北大路魯山人が愛し、多くの作品を残した場所としても知られています。

しかも今年は、魯山人が山代温泉に長逗留をしてから

100年という年でもあるんです!

さて、北大路魯山人を皆さんはご存知ですか?

 

漫画『美味しんぼ』にも登場するので、

名前だけは知っているという方も多いと思います。

 

明治16年3月23日、京都出身の北大路魯山人。

明治41年から中国に渡り、

帰国後は「福田大観」と名乗って京都などで看板を彫るなど転々とします。

 

金沢の漢学者・細野燕台と出会い山代温泉へとやって来たのが、

大正4年8月、今から100年前のことでした。

 

そこで、陶芸と出会い加賀の食材に魅了された魯山人。

晩年まで、画家、陶芸家、書道家、料理家、美食家など、

様々な顔を持っていました。

 

と、魯山人の説明をしてきましたが、

実は私、作品を見たことがありません…

金沢での旅の経験も含め、地元のことを深く知らないなんてもったいない!
と、強く感じる今日この頃。

私自身もしっかり学びながら、
美食家で陶芸家の魯山人と思い出の場所を結びつけてゆきたいと思います。

まず向かったのは「魯山人寓居跡いろは庵」

学芸員の本谷操さんに案内をしていただきました。

 

 

 

 

 

 

「いろは庵」は吉野家旅館の元別荘で、
当時、福田大観と名乗っていた北大路魯山人が、

大正4年の秋から約半年間生活した場所。

 

看板を作る仕事場としても使われていて、

現在は資料館として残されているそうです。


当時? 看板?

と、思いますが、
彼が陶芸家になったルーツはここにありました。

 

 

 

 

 

 

魯山人はここで、看板を作っていたそうです。

看板を作ることにおいても、陶芸においても、
魯山人は師を持たなかったことそうです。

自分で良いと思ったエッセンスを作品にどんどん取り入れ、
初期からその作風はどんどん変わっていきます。
いろは庵に展示されている作品を見ても、
型にはまらないバラエティに富んだ和食器が並びます。

実は、手頃なものではありますが密かに和食器を集めている私。
お話を伺いながら器の一枚に一枚に作者の心が込められているのを感じ、
より一層和食器に対する愛が深まるのでした…

 

 

 

 

 


それでは、さらに魯山人ゆかりの場所へ。

伺ったのは「あらや 滔々庵」。
私の知る限り、石川県において最も格式高いお宿のひとつなんです。
十八代・永井隆幸さんにご案内いただきました。

 

 

 

 

 

 

そして、中に入ると感じるのはまさに「静」の空気。
無駄のない、それでいてしっかりと手の行き届いた美しい空間が広がります。

さらに、正面にはこちら。
魯山人の描いたカラスの屏風。

 

 

 

 

 


なんと、こちらはもともと作品として生まれたものではなかったそう。
美食家の魯山人がここで行われた宴会で上機嫌になり、

ふすまに描いたものだったのです。

さらに、魯山人が制作した看板もかざられていました。

 

 

 

 

 

 

ひらがなで「あらや」の文字が彫られています。

 

勢いは感じますが、少しなめらかでエレガントなシルエットの文字に、
くるくると作風の変わる魯山人の人間らしさを感じました。

他にも、館内にはゆかりの芸術品がたくさんあり、

彼の初めての陶芸作品といわれる赤皿などが展示してありました。

 

 

 

 

 

 

 

そして、お話を伺ったのが、なんと朱色に塗られた「御陣の間」。

 

 

 

 

 

 

ここは、魯山人が宿泊した部屋で、

その昔は、前田家歴代藩主が利用されたそうです。

 

実は「あらや滔々庵」、

寛永16年に加賀大聖寺藩の初代藩主・前田利治公に湯番頭の命を受けて以来、

十八代の湯歴を数える老舗宿。

 

慣れ親しんだ山代温泉にある、
憧れの大人のお宿には、そう言われるだけの重みと美しい歴史があるんですね。


そして、この近くに魯山人が作った看板をまだ実際に使っている場所があると聞き、
伺うことにしました。

それが、魯山人が陶芸家を志すきっかけとなった「九谷焼窯元 須田菁華」

四代目・須田菁華さんにお話を伺いました。

 

 

 

 

 

 

須田菁華との出会いはお店の看板でした。

魯山人が作った看板は初代・須田菁華に気に入られ、

仕事場への出入りを許され絵付けなどの手伝いをしたそうです。


初代・須田菁華との出会いがあったからこそ、

陶芸家として魯山人は歴史に名を残したのです。

 

実際に魯山人は晩年、「私ハ先代菁華に教へられた」

という言葉を残しているほど…。
生涯を通じ師と呼んだのは、初代・須田菁華だけでした。


つまり、彼が陶芸を始めたのがここ山代温泉。
私も知らなかった、すごい歴史です。

 

 

 

 

 


手作りで美しく、一点一点が全く違う表情を持つのが和食器の魅力。
菁華さんは、そう語っていました。

何気ない言葉に和の心と作品に込められた想いを聞かせていただいていると、
並んでいるお皿達を連れて帰りたくなりましたが…

 

 

 

 

 


さすが、それだけの価値がある代物。
触るのさえも躊躇するお値段でした…


歴史に残る作品に触れ、感化されてしまった私。

これは、実際に体験してみたい!と、いうことで、

窯跡の遺跡と、蹴ろくろ、絵付体験ができる「九谷焼窯跡展示館」へ。

 

 

 

 

 

 


まずは、副館長の嶋田正則さんに窯跡の遺跡について

説明してもらいました。


ここでは、江戸時代後期に築いた窯の跡を発掘された状態のまま公開。

その大きさにビックリしました。

 

まるで体育館のような建物の中に、窯跡の遺跡があるんですが、

見上げなくてはいけない程の広さでした。

 

 

 

 

 

 

そしてもう一つ。

昭和15年に作られた九谷焼としては、現存最古の登り窯も展示していました。

 

こちらは、中が三層に仕切られた窯で、

昭和40年頃まで実際に使われていたそうです。

 

本焼の窯としては小規模ですが、

それでも一回の窯詰めで約1000個も入ったそうですよ。

 

 

 

 

 

 

窯跡の遺跡を見学した後は、いよいよ蹴ろくろ体験です。

 

まずは、九谷焼窯跡展示館の前田昇吾さんに、

蹴ろくろの使い方を説明してもらいます。

 

 

 

 

 

 

ワクワク。
なにを作ろう。どんな形にしよう。

魯山人も作品を作るときはこんな風に心が躍っていたのかしら…

勢いとイマジネーション。
型にはまらない魯山人に習い、
とにかくろくろを回していきましょう!!!

蹴ろくろ。必死で回しています。

 

 

 

 

 

 

楽しいんです。
ものすごく楽しいんです。

しかし、蹴ろくろ。
「蹴」=足で蹴って回す=自力で回さないと動かない、そしてなかなか重い

翌日、右の内転筋が激しい筋肉痛に襲われました。
工芸体験としてはもちろん、エクササイズとしても最適です。笑

勢い余って一度失敗しましたが、
なんとか無事にお皿を一枚仕上げることができました!

 

 

 

 

 


テーマ「茄子の揚げ浸しが美味しそうに見えるお皿」
ちなみに、焼くとお皿はひとまわり縮むそう。

おいしそうに見えるか、というか、
果たして茄子が乗るのだろうか…

焼き上がりをゆっくりと待ち、絵付も自分でさせて頂く予定。
とっても楽しみです。


しとしとと雨の止まない1日でしたが、

じっくりと魯山人の歴史や作品に触れ、話に耳を傾けられる、
かえって旅日和のような空に感じました。

最後は山代温泉の源泉足湯へ。

 

 

 



 

またひとつ、ふるさと石川県の魅力を知ることができたこと。

魯山人という歴史に名を残す人物のルーツを辿り、

思い出の場所となぞらえながら改めて巡ることができたこと。

そして、金沢の旅同様に大好きな石川県を私自身の言葉で皆様にお伝えできること。

とても幸せに思い、
身も心もほっこりと温まりながらYAJIKITAスタッフの皆様と東京へ戻ってまいりました。


次は、どこでお会いできるでしょうか。
楽しみにしています!