東京発どこ行くツアー エンタメタウン阿佐ヶ谷|旅人:井門宗之
2015-10-15
井門P「ゴルちゃん、今はまだ午前中だよねぇ?
その割にはあまり駅前はガヤガヤしてないねぇ?」
ゴル&井門「阿佐ヶ谷(朝 がや)だけになっ!( ・`ω・´)」
SS C.I- 「ききたびぃ~とぅ~さうざんどまぁ~いるず!」
KIKI-TABIに名前が変わって最初の井門Pの旅である。
華麗に飛ばしたダジャレは五郎丸選手の蹴ったボールの様に、
阿佐ヶ谷の駅を軽々と越え、住民の誰にも気付かれないまま消えていった…。
そう、人の話を「聞く」、街の音を「聞く」をコンセプトにタイトルを変えたのに、
井門Pの話には誰も「耳を傾けない」という現象が起きたのだ!
SS C.I- 「ききたびぃ~とぅ~さうざんどまぁ~いるず!」
さっ、ステッカーを挟んで気を取り直してと…。
あ、番組のサウンドロゴやテーマは馴染んで頂けましたか?
音は新しくなったとしても、YAJIKITA時代に大切にしてきた事は、
これからもしっかりと継承していきます。むしろ根幹はYAJIKITAですから。
KIKI-TABIも少しずつ皆さんに愛して頂けるよう頑張りますので、
引き続き「ラジオの旅番組」を宜しくお願いします!
旅日記・完
……………ゴンッッッ!!!!!!!!!(何かが投げつけられた)
痛っ、痛い痛い、すみません、ホラ、旅日記のテンションもあまり変わらないでしょ?
その安心感を出したくて、書き出しをこんな風にしただけで…。
SS C.I- 「ききたびぃ~とぅさうざんどまぁ~いるず!」
さ、今回の旅は東京発どこ行くツアー!
エンタメタウン阿佐ヶ谷編です。(何事も無かったかのように)
阿佐ヶ谷は中央本線沿線にあり、駅としては高円寺と荻窪の間。
電車を使えば新宿からだと約10分、吉祥寺も約5分で行けてしまう。
若者のみならず幅広い層に愛される街、それが阿佐ヶ谷であります。
その阿佐ヶ谷に今回は「エンタメ」という言葉をくっ付けました。
どの辺りがエンタメなのかは、OAを聴いて、
この旅日記を読み進めていただければお分かりいただけるかと思います。
とにかく街全体が何やら楽しいのです(笑)
僕の知り合いで「阿佐ヶ谷内で4回引っ越しをした男」がいますが、
取材が終わった今なら言えます、「その気持ち、めっちゃ分かる!」と。
最初にお邪魔したラピュタ阿佐ヶ谷。
こちらの館主:才谷遼さんが物凄く良い事を仰った。
才谷「阿佐ヶ谷ってね、僕は東京のヘソだと思ってるの。おヘソね、おヘソ。だって、おヘソってあっても無くても良いでしょ?(笑)
でも辿っていけば、そもそも母と繋がっていた大切な器官なんだ。
阿佐ヶ谷にもそういう部分があるなぁって思うんです。」
阿佐ヶ谷を表現するのに、こんなにしっくりくる言葉があるでしょうか?
才谷さんはその阿佐ヶ谷で、
1998年に小さな映画館と劇場、そしてレストランを開業させた方。
才谷「当時はいわゆる名画座が無くなっていった時期でね、
文化都市東京でそれは寂しい。そういった想いや色んな事が重なって、
ここにラピュタ阿佐ヶ谷をオープンさせたんです。」
駅から徒歩でおよそ3分。
路地を抜けていくと緑の多い、土壁のビルが見えてくる。
3、4階はフレンチの「山猫軒」、地下に120席の劇場「ザムザ」、そして2階が映画館。
才谷「本当は劇場ではなく映画館にして、2スクリーンでも良かったんだけど、
中央線の中に芝居小屋は必要かな…と思いまして(笑)」
確かに、そう思わせてしまうのが中央線なのかもしれない。
そして阿佐ヶ谷に名画座…というのも、やはりしっくりくる。
才谷「映画人の使命感でやってますよ。儲からないんですよ!(笑)
全然儲からないんだけど、いま日本各地…一県に一つ二つは名画座があると思うんですけど、
皆さんきっと使命感でやられているんだと思いますよ。
ウチはその他に、本格的なフレンチが食べられる山猫軒もあるんだけど、
お客さんが全然回らないんだから。昼も夜も一回転しかしない(笑)」
そんな風に笑いながらも才谷さんは楽しそうだ。
阿佐ヶ谷を「おヘソ」と言いつつも、
名画ファンにとって「ラピュタ阿佐ヶ谷」は無くてはならない存在なのだろう。
取材当日、劇場の入口にはこの日が公演初日の舞台への花輪が並び、
その隣では名画座のポスターを熱心に見入るファンがいて、
“ここは何だろう?”とでも言いたげに建物を見上げる若い子の姿があった。
そう、ラピュタ阿佐ヶ谷はエンターテイメントを自然に街に溶け込ませていたのだ。
才谷「中央線って、中央線文化って言いますよね。
それって、中央線だけですよ。それぞれの街の色があると言うか…。」
阿佐ヶ谷の色彩の中にはラピュタ阿佐ヶ谷は欠かせないのだろう。
これからもどうか、阿佐ヶ谷にとって大切な色の一つであり続けてください。
続いては地域を代表する神社、阿佐ヶ谷神明宮。
こちらの神明宮は阿佐ヶ谷の街にあって、その敷地およそ三千坪だという。
御祭神は天照大神で、実はこちらの鳥居は伊勢神宮から頂いたもの。伊勢神宮との縁も深い。
宮司の齋藤博明さんは阿佐ヶ谷の街についてこんな風に仰っている。
齋藤「幅広い年齢層の方がいらっしゃいます。緑も多いですし。
文化の香りもしますね。」
そう、やはりここでも「文化の香り」の話が出てくるのだ。
そしてそういう街にあると、
歴史ある神社も文化のお手伝いを知らず知らずの内にしている。
齋藤「今日もやってますけど、毎月第一土曜日に境内で我楽多市をやってます。
骨董市なんですが、もう20年くらい経ちますね。」
神社の境内で行われている骨董市だけあって、
外国人観光客の姿も目立つ。
齋藤「私も骨董が好きで、ついつい買ってしまうんです(笑)
でも全て一点物ですから、骨董市の日は朝から行列が出来ていますよ。」
緑の多い広い境内に、月に一度の青空骨董市、
そんな阿佐ヶ谷神明宮で忘れちゃいけないのは能楽殿の存在だ。
齋藤「この能楽殿は6年前に建てたんですけど、
ここも阿佐ヶ谷ジャズストリートの舞台の一つなんですよ!
*今年もこの舞台で山下洋輔さんが演奏をするんです。」
(*2015年10月23日)
幻想的な夜の能楽殿に、山下洋輔さんの演奏。
想像しただけでも鳥肌が立ってくる。
もちろん普段は結婚式にも使えるとの事で、
この特別な雰囲気を味わいたいと全国から問い合わせがくるそうだ。
親分「釣り堀で釣りでもしようか?」
井門P「えっ、なに??唐突過ぎませんか?」
親分「へへへ。阿佐ヶ谷にねぇ、あるんだよ…。アレの釣り堀が。」
親分と言えば、どちらかと言うとアレしちゃう事で有名だが、
その親分に「アレ」と言わしめるもの…実はソレは…金魚なのだ!
世にも珍しい金魚の釣り堀、しかし創業は古く大正13年という。
現在は三代目の鈴木典明さんが看板を守るのが寿々木園。
鈴木「ここには金魚の釣り堀と鯉なんかの釣り堀の二つありますが、
金魚の方が10m四方、鯉の方で20m四方くらいですかね。」
鈴木さんのおじいさまが始められた釣り堀、
戦前は川魚が主だったようだが、戦後川魚が獲れなくなり、金魚を始めたそうだ。
鈴木「金魚の釣り堀には一万匹くらいいますよ(笑)」
さらっと仰っいましたが…そんなにいんの!?
この日は土曜日だったので、御家族連れも多かったのだが、
よく見ると若い女性が一人静かに釣り糸を垂れていたり、
御近所のおじいちゃん二人連れが並んで談笑していたり、
ここに流れる空気は果てしなくのんびりしている。
鈴木「大体そうですね…1人、2~3時間はやっていかれますよ。
初めての方で5匹くらいは釣っていかれますかね。」
そうは仰るが、どうも見渡す限りどなたも釣っている気配がない…。
鈴木「やっぱり朝と夕方!
今は(取材時は昼過ぎ)食い渋る時間帯ですから(笑)」
その話を聴いて俄然ヤル気、いやさKIKI気が出てきた井門P。
ラジオ界のハマちゃんと呼ばれた腕が鳴る。
井門P「よぉしっ!この練り餌をつまんで、針先に付けて、エイヤッ!(ぽちゃん)」
……。
…………。
…………………。
井門P「う~ん、ちょっと引き上げてみよう。ソレっ!
あっ、餌が無くなってる!
もう仕方無いなぁ…また練り餌を付けて、エイヤッ!(ぽちゃん)」
……。
…………。
…………………。
井門P「う~ん、ちょっと引き上げてみよう。ソレっ!
あっ、餌が無くなってる!
もう仕方無いなぁ…また練り餌を付けて、エイヤッ!(ぽちゃん)」
*このやり取りを繰り返します。
ゴル「あっ!僕気付いたんですけど!」
井門P「なになに!?」
ゴル「アメンボがいっぱいいるじゃないですか!?」
井門P「本当だ!かなりいっぱいいるねぇ。」
ゴル「アメンボの動きって、規則的に見えません?カクカクしてるっていうか…。」
井門P「あぁ…確かにそんな風にも見えるねぇ!発見だ!」
ゴル「発見だ!!」
井門P「発見だ!!」
橋本「人間って暇になると、どうでも良い事に気付くんですねぇ…。」
結局1匹も釣れずにタイムオーバー!
とは言え何も考えずに釣り糸を垂らす時間は貴重な訳で。
1時間600円、釣り竿から何から貸してくれる寿々木園は、
忙しい現代人にとってオアシス的なエンタメゾーンでした!
さて、気分を変えてお次は「街ぶらり」。
阿佐ヶ谷には商店街が数多く存在しているのだが、
中でも杉並区で一番大きい商店街が阿佐ヶ谷パールセンター。
なんとその長さ600m!!
KIKI-TABI一行も、右に左にお店が並ぶパールセンターをキョロキョロしながらぶらり。
古き良き商店街の風情も残しつつ、気になるお店へ。
ねじめ民芸店は作家のねじめ正一さんがオーナーを務めるお店。
取材時は奥様の香久子さんがお話しを伺ったのだが、
作家の親分が取材申請の電話を掛けた時はねじめ正一さんが出られたそうな!
香久子さん「民芸品って一言で言っても、昔と今とではその価値観が変わりました。
近年、民芸品は芸術品化してきてしまった。
ですから、少しでも親しみ易くという想いもあり、ウチは“和雑貨”の店と言ってます。」
香久子さんのお話しは全てに頷くところがあり、
思わず阿佐ヶ谷の取材を忘れ【民芸品論】に耳を傾けていました。
しかし話が商店街の話になると、少しだけ寂しそうなお顔を…。
香久子さん「昔は飲食店が表に出る事は無かったんですけど、
大手が入っているでしょう?昔ながらのお店も後継者不足でお店を畳んでしまうんです。」
それでも地元の方々は商店街を盛り上げようと、様々なアイデアを出している。
香久子さん「この商店街はよくイベントをやってますよ。
大体月に一度はイベントをやってますかねぇ…(笑)」
商店街が主体となって、阿佐ヶ谷の街にエンターテイメントを降り注いでいる。
だからこそ地元の色がちゃんと出るのだろう。
香久子さんは、阿佐ヶ谷は隣の高円寺とは雰囲気が全く違うと断言する。
中央線の駅にはそれぞれの個性があるが、阿佐ヶ谷はまた独特だと。
香久子さん「少し行くと武蔵野台地でしょ?のんびりとした雰囲気もあって、
でも武家屋敷のあった四谷辺りの雰囲気も何となく感じるんですよね。
阿佐ヶ谷はね、全てがほどほど。
交通の便も可も無く不可もなく(笑)でもそれが良いんですよね。」
ねじめ香久子さんも仰っていたが、阿佐ヶ谷では月に一度はイベントが行われる。
その中でも最も盛り上がるのが、
阿佐ヶ谷ジャズストリートであります。
事務局の髙和弘さんのお話し、面白かったなぁ。
元々は1995年に始まったのが『阿佐ヶ谷ジャズストリート』。
では何故この年だったのだろう?
髙「当時はバブルが弾けた後で、商店街に活気が無かったんです。
加えて中央快速が土日に阿佐ヶ谷を通過する様になり…、
更にオウム真理教の道場が阿佐ヶ谷にあったりとイメージも悪くて…。」
阿佐ヶ谷を元気にしよう!
シンプルな理由で立ち上がったのが『阿佐ヶ谷ジャズストリート』だった。
では何故に阿佐ヶ谷でジャズなのか??
髙「特に理由はないんです(笑)
でもジャズは若い層から御年輩の方まで楽しめるでしょう?
ですから阿佐ヶ谷との関わりは関係なく、ゼロから始めました。」
東西に中央線、南北に中杉のケヤキ通り。
この交差する場所を音楽でいっぱいにしよう!
そして阿佐ヶ谷の街をもう一度元気にしよう!
こうして始まったのが『阿佐ヶ谷ジャズストリート』だったのだ。
最初は地道な普及活動だったみたいですよ。
1回目に12~13か所でジャズのイベントをやったところ、役所には苦情が殺到。
“駅前でジャズがうるさい!”“何で阿佐ヶ谷でジャズなんだ!”などなど。
その替わり、“下駄履きでジャズが聴けるなんて最高だね!”という意見も多かったそうだ。
髙「3回目には山下洋輔さんが出演してくれました。
山下さんは学生時代に阿佐ヶ谷に住んでいたんです。それが縁になって。」
商店街でも地道なジャズの普及活動は続いた。
イベントが行われる10月に入ると、商店街の有線はジャズに替わる。
髙「当時はカセットテープだったんですが、ジャズを録音したテープを100本位作って。
商店街の店に配り歩きました。“10月に入ったら店でも流して!”ってね(笑)」
こうした活動が実を結び、阿佐ヶ谷の街でジャズが流れる風景が当たり前になった。
そしてこのイベントも今年で21回目を迎える。
普通の生活空間の中でジャズが聴けるのがこのイベントの特徴だ。
いわば阿佐ヶ谷は、毎年この日、日本のニューオーリンズになるのである。
様々な人の声を聴いて、阿佐ヶ谷がエンタメタウンだと言う事を痛感。
そしてこの街の楽しさも肌で感じる事が出来ました。
中央線文化の色濃い街、阿佐ヶ谷。
次はこの街がジャズで溢れる時に来よう。
優しいこの街の人達が、自由にスウィングする日に。