熊本応援企画 阿蘇の自然を感じる旅|旅人:井門宗之

2016-06-16

 

2016年4月14日以降、熊本や大分を中心に最大震度7を観測する地震が相次いだ。

特に熊本県の益城町や西原村での被害は甚大で、現在も復旧作業は続いている。

 

この番組は前身のYAJIKITA時代から、

地震などの自然災害により大きな被害を受けた場所を訪れ、

その土地で生活する方々の声をお届けしてきた。

報道番組ではない、旅番組として出来る支援は何だろうか。

 

東日本大震災発生後、初めて東北を取材した時の旅日記で、自分はこんな事を書いている。

そしてここに、自分の想いの全てが詰まっている。一部抜粋して記します。

 

 

『東日本大震災から2カ月が過ぎた頃、YAJIKITA一行は東京駅にいた。 
5
月13日午後5時頃の事である。 
東北新幹線の改札前は少し大きな声で話さなければいけない程、混雑していた。 
あの震災後、この番組でも幾度となく被災地取材の声が上がった。 
およそ8年の放送期間を誇る長寿番組である、今回の震災で被災された地域にも何度も足を運んだ。 
(*過去のHP参照) 
我々にだって出来る事が、何かあるはずだろう。 
お世話になった方々に何かお手伝いは出来ないだろうか。 
色んな事を、色んな手段を、考えた。 
YAJIKITA
は旅番組であって、報道番組では決して無い。 
取材を終えた後に聴く人に何を残す事が出来るのか? 
残った感情が少しでも光のあるものであって欲しい。 
そして未だ震災で辛い想いをされている方がいる事実も、リスナーに忘れないで欲しい。 
考えがまとまらない中、4月のある日、こんなニュースが舞い込んだ。

 

 


日本三景の一つ、宮城県松島で観光遊覧船再開

 

 

 

そのニュースを後押しするかの様に、東北新幹線の全線開通である。 
沢山の人の想いを乗せて、新幹線が東北に向けて再び出発する事になったのだ。

 

ちょうど様々な所から【観光客の激減】【観光産業壊滅】等の言葉が聞こえてきていた。 
復興までに時間はかかるだろう、だけど人が行かない事には何も始まらない。 
観光が戻った場所には人も戻っていくべきなのだ。 
そしてその後押しとなるのは、長く日本全国を旅してきたこの番組なのだ。 
自分の気持ちが固まった。 
旅でお世話になった我々の出来る恩返し、旅をすることだ。 
そしてその場所に暮らす方々の想いを全国に伝えること。 
この番組を聞いてくれたリスナーさんに「行きたい」と思わせる旅にすること。 

(2011年当時の旅日記より抜粋)

 

 

今回我々が熊本を訪れたのは、地震発生から1ヶ月半が経った5月末だった。

やはり東日本大震災後と同じ様に、GWを挟んで観光客が激減しているという情報が流れてきた。

そうなれば我々に出来る事は一つしかない。…旅をすることだ。





 

 

 



「野の花と風薫る郷 高森町」

南阿蘇鉄道の高森駅前にはそんな看板が掲げられていた。

熊本空港でレンタカーを借りて、まず向かった阿蘇郡高森町。

まだ復旧していない道路もあるが、空港からはおよそ1時間弱の道のり。

車で移動する途中も田植えを終えた田んぼがそこかしこに広がっていて、

高森町の周辺では日本の良き里山の風景も広がっている。

 

 

井門「田んぼが多いって事は水が綺麗って事ですよね?」

 

親分「それを使って美味しいお酒を作っている所があるんだよ。」

 

井門・佐々木「東京で日本酒巡りのロケをした時に、

一番最初に飲んだお酒でしたよね!」

 

 

つい先日、東京新宿で日本全国の日本酒を飲みつくすという企画を行った際、

まず一番最初に飲んだお酒が熊本の“れいざん”だった。

取材したお店の中でも一番人気になっていた“れいざん”。

あの時も『いつか熊本に行く時は、ここの酒蔵に行きたいね』と話していた場所です。





 

 



そんな銘酒“れいざん”を醸すのは山村酒造合名会社。

創業254年になる老舗の酒蔵です。

お話しは13代目社長の山村唯夫さんに伺いました。

 

 

山村「あれ?映像も撮るの?だったらハッピ着てこなきゃね!」

 

 

老舗の酒蔵の社長は人懐こさを溢れさせながら、

地震からこれまでの道のりを聞かせてくださった。

 

 

山村「地震が起こってからすぐに蔵を見に行ってね。

大吟醸なんかは仕込みも終わった後だったので大丈夫だったんだけど、

タンクの中にこれから出荷予定のお酒が入っていて…。それはダメになってしまいました。

時期がズレてもっと早い時期に地震が起きていたら相当厳しかったけど、

でもあと少しで、野球で言うなら9回裏1アウトって所まで来てましたからね…。」

 

1860年に建てられたという「万延蔵」の中で、震災当時の事を語られる山村さん。

山村酒造の代表として、蔵を離れる事は出来なかったと言います。

 

 

山村「避難指示は出ていたんですけど…。

余震もありましたし、蔵を放っておく事は出来ませんでした。

震災から6日間は車中泊でしたよ。」

 

井門「実は僕ら、東京で“れいざん”を頂いたんです。

取材したお店でも一番人気でした!」

 

山村「それは本当に有り難いです…。

熊本と言えば米焼酎ですが、こちらは阿蘇の外輪山から湧き出る伏流水を使って

日本酒を仕込みます。

仕込み水が湧き出ている所があるんですが、ちょっと飲んでみますか?」

 

 

そう言って蔵の方へと案内してくださった山村さん。

確かにコンコンと仕込み水が湧き出ている。





 

 



このお水の美味しい事といったら!

柔らかく、清らかで、ふっくらとした口当たりは、この水で作った酒を期待せずにはいられない。

 

 

山村「いくつか持ってきましたので、是非飲んでってください!」

 

井門「有り難うございます!!(←酒バカ」





 

 

 



頂いたのは4種類の“れいざん”。

勿論、それぞれに味わいは違うのだが…そのどれもが本当に“良い酒”なのだ。

山村酒造のある高森町は、標高およそ550mの場所に位置している。

山村さん曰く、西日本では一番高い所で日本酒を作っているそうな。

神様に近い場所で、土地の人が敬ってやまない「霊山=阿蘇山」を冠したお酒を作る山村さん。

地震の後はそれこそ全国から励ましの声が届いたという。

 

 

山村「全国の仲間からも、昔の友達からも連絡がありまして…。

地震には遭いましたけど、

こうした繋がりを改めて感じる事が出来たのは…地震自体は不幸な事なんですけど…。

でもやはり地元の方々は、まだまだお酒を飲む気持ちにはなっていません。

小さな酒蔵ですから、地元で回っていかないと厳しい部分はあります。

今回の地震で改めてお酒というのは、健康・平和・安全の上に成り立っているんだと感じましたね。」

 

 

阿蘇神社の御神酒としても奉納されている“れいざん”。

現在は全国発送も再開しておりまして、

酒バカである私の飲みっぷりで感じて頂けたらと思うのですが、

間違いなく旨い酒です。これを機に興味を持って頂けた方は是非、“れいざん”で乾杯を!





 

 



お酒を共にすれば、もはや友達。

晴れて山村さんと友達になった一行(笑)が続いて訪れたのは、阿蘇神社。

皆さんは熊本地震の報道で、大きな神社の楼門が崩れた映像をご覧になったでしょうか。

あの神社こそ、全国に450社ある阿蘇神社の総本社、阿蘇神社。

その楼門は日本三大楼門にも数えられており、地元の方々にとってかけがえのない場所でした。

しかし地震の影響でその楼門は崩れ、神殿や拝殿にも大きな被害が出てしまったのです。





 

 

 



阿蘇神社の参道は神社に対して平行に伸びる、全国的にも珍しい横参道。

その参道に門前町商店街が建ち並んでいるのですが、

我々はその商店街の一軒、旧緒方屋さんにお邪魔しました。お話しは山本沙記さんです。





 

 



山本「商店街が再開したのは地震から10日が過ぎた頃でした。

GW直前だったので、各店舗がいつもより仕入れ量を増やしていて、

それが不幸中の幸いで、食材を使って炊き出しをする事が出来たんです。

 

この商店街には桜が植えられているんですけど、

春の桜が終わって、さぁ次はGWだって、皆で考えていた矢先の地震だったので…。」

 

 

地震の影響もあり、今年のGWはいつもの10分の1の客足だったという。

お店自体も梁が壊れてしまったので、現在はテイクアウトのみで営業を再開している。

 

 

山本「この建物自体、95年位前に建てられた物ですからね!

一切金具を使わないで建てられているので、逆にあの地震にも耐えられたのかもしれません。

この商店街は古い家屋が多いんですけど、人的被害は一切ありませんでした。

その代わり、阿蘇神社があんな風になって…。

だから地元の人達は言うんです。阿蘇神社の神様が身代わりになってくれたんだって…。」

 

 

こちらの商店街は「水基めぐりの道」と言って、至る所に湧水が溢れている。

商店街の各店舗も、この豊富な湧水を使って商売をしているのだ。





 

 



山本「うちはその湧水を使ってコーヒーを淹れています!」

 

そう言ってコーヒーを淹れてくれた山本さん。

“このコーヒーにはチョコがめっちゃ合うんですよ!”とチョコを添えてくれた。

築95年の建物で味わう、その土地の水を使ったコーヒー。

味わい深くて、心からホッと出来る味で、商店街の方々は温かくて。





 




山本「私は一度(阿蘇を)出たんですけど、阿蘇が好きなので戻ってきました。

阿蘇は自然が豊かで、春は桜が綺麗ですし、夏は涼しいんです!

エアコンが要らないくらいなんですよ!この店もエアコンが無いんです!(笑)」

 

 

大きな地震に遭い、地元の支えだった阿蘇神社が崩れ、

地元の方々の心にも大きな傷跡が残ったに違いない。

しかしここの皆さんは“神社に護られた”という強い気持ちで、営業を再開している。

 

 

山本「みんな頑張っているんで、是非遊びに来てください!」

 

親分「次は内牧温泉に向かおう。

地震の影響で肝心の温泉が出なくなってしまった場所もあるんだよ。」

 

 

阿蘇エリアで最大の温泉郷とも言われる内牧温泉。

その中にあって、かの夏目漱石が宿泊したのが『文豪の宿 山王閣』。

しかしこの老舗の宿も地震の影響により温泉の泉源が壊れ、

温泉が出ない状態になってしまいました。

 

2つあった温泉の両方がダメになってしまい、温泉宿としての営業が出来ないでいます。

工藤善雅さんにお話しを伺いました。





 

 



山王閣は漱石の小説『二百十日』ゆかりの宿。

館内に入ると敷地内にある日本庭園を望む大きな窓ガラスが印象的だ。

日本庭園には鯉が泳いでおり、なんとも言えないゆったりとした風情がある。

しかし現在は温泉を楽しむ観光客の姿は無い。

 

工藤「やっとシャワーが使える様になったんです。

ですから現在は作業員の方に宿泊して頂いています。

普通のお客さんにも来ていただきたい、来てくださいって言いたいんですけど…。

温泉が出ないんじゃ、いつになったらお客さんを呼べるのか…。」





 




山王閣の様に温泉が出なくなった所も含め、

共同で温泉を引いてそれを各宿にパイプを使って流す事も考えたと言う。

しかしそのパイプ自体も1mで数万円。100mも引けば数百万円になってしまう。

工藤さんの口から聞こえてきたのは、山王閣の厳しい現状でした。

 

山王閣だけではなく、内牧温泉にはこうした宿がいくつかあるのだ。

老舗の宿だけに、数多くのファンもいるだろうと思う。

これまでに何代にも渡って山王閣を定宿にしてきたお客さんもいるのではないだろうか。

もちろん、その中の一人が夏目漱石だったわけだ。

 

内牧温泉に再び温泉を取り戻すべく、クラウドファンディングで寄付は募れないだろうか…。

寄付をしてくれた方には、宿が元通りになった暁には無料で宿泊招待するなど、特典を付けて。

かつての宿を元気にすべく、そしてあの宿で味わった熊本の美味を食すべく。

何より、内牧温泉の湯に癒されるべく、である。

料理長でもある工藤さんに山王閣自慢の料理についても聞いてみた。

 

 

工藤「熊本の“あか牛”と“馬刺し”はお料理に必ず入っています!」

 

 

今回我々は“あか牛”を食べ損なってしまったのだが、

別働隊で少し前に熊本入りした永尾D曰く、丼で食べたあか牛…最高!だったそうな。

それに夏目漱石ファンにとって山王閣は素晴らしい場所だと思うのです。

なんせ漱石が実際に泊まった部屋が移築され、漱石記念館として残されているのですから。





 

 



傷跡は深く、道のりはまだまだ長いかもしれません。

でも我々もまた必ず、この場所に来ますから。それまで、工藤さん、どうかお元気で。

 

問題の根が深いと感じたのは、別の温泉ホテルにお伺いした時だ。

同じ内牧温泉にあって、山王閣とは状況が全く異なる。

こちら阿蘇ホテルは温泉も問題なく、建物の被害も全くなかったという。

しかし、数年前の水害では大きな被害を受けた。





 

 



そこからやっと立ち直り、海外からのお客さんも順調になってきた矢先の地震だったのだ。

マネージャーの山本辰也さんも現状の内牧温泉に肩を落とす。

 

山本「有り難い事にウチのホテルはほとんど被害を受けませんでした。

しかし地震の後、観光でいらっしゃるお客さんがパタっといなくなってしまったんです。

ここは6日間休んでから、通常営業を再開したのですが、

かつての様にお客さんはいらっしゃいません。」

 

営業が出来なくても、営業が出来ていても、

地震による風評被害もあって、客足が途絶えてしまった。

観光で成り立っている所にとって、こんなに厳しい事はないだろう。

いや、観光で成り立っている場所だけではない。

あの地震が起きてから、熊本にも大分にも訪れる人が少なくなっているという。

 

今回訪れた場所の皆さんは、何とか前に進もうとしていらっしゃった。

しかし一人で頑張るには限界がある。

それを補うのが、お手伝いするのが、それ以外の地域に住む我々なのだ。

震災で被害を受けた地域を取材する度に想う事がある。

 

笑顔を取り戻すには、人の笑顔が必要だ。 
人の笑顔が増えるには、被災地に住む人だけでは足りない。 

今いる場所に全てがあるわけじゃない。 
今みている場所が全てじゃない。

 

あなたの笑顔はきっと、被災地の皆さんの笑顔を取り戻す為の、大切な支援になる。 
出来る範囲で構わない、続けていく事が何よりも大切なのだ。

 

人は奪い合えば足りないが、分けあえば余る。 
被災地に、笑顔を。
当たり前の日常を、一日も早く取り戻せますように。

 

また必ず行きます。

熊本の美味しい物を食べに、美味しいお酒を飲みに。

そして熊本の皆さんにお会いする為に。