北の大地に灯る復興の光|旅人:井門宗之

2018-12-13

ある日の会議にて。

 

 

永尾「北海道の地震からそろそろ3カ月でしょ。
俺も何回か現地に取材に行ってるんだけど、頑張ってる人たちいっぱいいるの。」

 

井門「もう3カ月になるんですね…。」

 

永尾「美味しい物もあるし、井門君は地元だもんね。」

井門「被災地は馬産地でもあるし!行きましょう!」
*永尾Dと井門Pは馬愛が凄い。


 

KIKI-TABIが大切にしている「頑張っている人の話しを聴きにいく」精神。
いや何も難しいことじゃなくて、頑張っている人の話しって面白いんですよね。
そしてそんな人の頑張りを、この番組を通じて全国の方に知って欲しい。
この番組が特に東日本大震災発生後から大切にしている事です。
今回のテーマは『北の大地に灯る復興の光』というタイトルですが、 この『光』というのは『人』のこと。
光を放ちながら頑張っている人が、被災地には沢山いて。
リスナーさんにはね、その光の火だねになって欲しくて、今回僕らは北海道を訪ねました。

 

 

 

 

 

 

 

 

最大震度7を観測した北海道胆振東部地震から3カ月。
崩れて剥き出しになった山肌の映像に、多くの方がショックを受けたと思います。
北海道であんな大きな地震が起きるなんて、誰が想像出来たでしょう。
あの地震で最も被害が大きかったのは厚真町吉野地区。
大きな空とどこまでも広がる田園風景は“これぞ北海道”という風景なんです。
でも山の方に目を転じてみると、山崩れの跡は未だそのまま。
土砂にのみ込まれた家も撤去されていませんでした。
本来は穏やかな田舎の風景の中に、重機や大型トラックの数々。
震災から3カ月。もう3カ月、まだ3カ月。
僕らはこの風景を目に焼きつけながら、馬産地北海道を代表するある施設へ向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「いやぁ、大学生の時に遊びに来て以来だなぁ。」


永尾「ここには歴代の名馬たちがいるからね!
ディープのお母さんのさ…」


井門「ウインドインハーヘア!


永尾「そうそう(笑)あとアドマイヤジュピタとかヴァーミリアンとかね!」


井門「おぉぉおおおおお!!すげぇ!!


橋本「やっぱ競馬やる人にはテンション上がる名前なんスか?」


井門・永尾「アホー!!バチーン!!←頬を張られる)
歴代のスターホース達がこんなにいるのにテンション上がらないわけないやろー!!」

 

 

という訳で(笑)馬好きなら…いやさ、馬を知らなくてもテンションが上がる施設!
ノーザンホースパークへやってきました。
新千歳空港から車でおよそ15分。
公式には『旅の途中に気軽に立ち寄れる、馬と自然のテーマパークです』とあります。
先程の井門Pと永尾Dのやり取りで分かる方は分かる筈!(分かるのか?)
こちらでは現役を退いた歴代の名馬達を見る事が出来、
もちろん沢山の馬と触れ合う事も出来るのです!
そしてなんと言っても施設が広い!大きい!!


 

高宮「広さで言うと東京ドーム約11個分あるんですよ!」


井門「出た!東京ドーム換算!(笑)
しかし11個分って…とんでもない広さですね!」


 

お話しを伺ったのはノーザンホースパークの高宮望さんです。
地震の発生は午前3時7分、施設内には沢山の馬がおり馬も相当驚いたとのこと。


 

高宮「電気も3日間停電しましたし、断水もありました。」


 

幸いなことに馬たちは無事。
しかし訪れるお客さんの数は激減したと言います。

 

 

高宮「ちょうど修学旅行シーズンに入るところだったんですけど、
10月は平年の5割程度しかお客様が入りませんでした。」


井門「実際にキャンセル人数はどのくらいだったんですか?」


高宮「はい…1万人ほどのキャンセルが出てしまいました。」

 


ノーザンホースパークは世界中から観光客が訪れる場所。
それが地震の影響でこれだけのキャンセルが出てしまったのです。

 


高宮「でもこの冬は例年通りのお客様を見込んでおります!」

 


地震から3カ月、取材したこの日も朝から観光バスが停まり、
馬房には沢山の観光客の姿がありました。
施設内を移動する馬車もこの季節はクリスマス仕様に。
目の前の賑やかな風景は、取り戻しつつある日常が確かな事を教えてくれます。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「これから本格的な冬を迎えますが、
今からの時期で楽しめるアクティビティは何がオススメですか?」


高宮「はい!冬は馬ぞりやスノーモービル、スノーラフティングなどが楽しめます!」


井門「それだけでもこの施設がどれだけ広いか分かりますね(笑)」


高宮「あと、園内を馬に乗ってトレッキング出来るホーストレッキングも人気です。」


井門「それは初心者でも大丈夫ですか??」


高宮「もちろん大丈夫です!」


井門「やりたいっ!!

 


と、いう事で道産子・井門、久々の乗馬体験へ!

 

 

 

 

 

 

 

 

永尾「いいなぁ~、羨ましいなぁ~、井門くん、良いなぁ~!!」


 

馬を愛する永尾Dの羨望の眼差しを受け流しつつ(笑)、いよいよホーストレッキングへ。
指導してくれたのはインストラクターの斎藤南さん

そして今回僕が騎乗するのがバーズ(牡・26)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「可愛い目をしてるなぁ。。。
そして永尾D、あんたマイク持ちながら反対の手で撫で続けるんじゃないの!(笑)」


永尾「だって可愛いんだもん。大人しいねぇ~。」


斎藤「はい、バーズ君はとても大人しい馬です。
乗り手の気持ちが分かる馬なので、初心者でも安心して乗れますよ。」


井門「逆に考えると乗り手が不安に思ってると、それも伝わりますね…。」


斎藤「そうかもしれませんね(笑)」

 

とは言えそこは僕だって馬を愛する競馬おじさん(競馬関係ない)
斎藤さんの丁寧な指導のもと、バーズ君に跨り、いよいよ園内をトレッキングです。

 


井門「おぉ!これは気持ちいいなぁ~!
やっぱり目線が高くなると違いますね!」


斎藤「バーズ君は普通のサラブレッドよりも小さいですけど、それでも乗ると視界は2m以上のところに広がりますから、違いますよね。」


井門「基本的な操作はどうするんですか?」


斎藤「進む時に自分の股にぎゅっと力を入れるか、かかとで優しくお腹をトントンすると進んでくれます。
逆に止まる時は手綱をクッと引くと止まってくれます。
基本的には手綱で進む方向を決めるので、右に行く時は右を、左に行く時は左を引いてください。」

 

 

 

 

 

 

 

 

馬に乗って眺める北海道の冬の景色もまた格別だ。
視線が高い分、ノーザンホースパークの遠くの方まで見渡すことが出来る。

 


井門「斎藤さんは何歳から乗馬をされているんですか?」


斎藤「私は小学校4年生からです。」


井門「子供の頃から馬が身近だったんですね。
でも北海道の人って割と馬が身近な存在ですよね。
僕も札幌競馬場が近かったですし(また競馬の話し)」


斎藤「競馬がお好きな方も沢山いらっしゃいますけど、
皆さん乗馬して仰るのは“騎手の気持ちが分かった”ですね(笑)
いま体験して頂いてるのは園内のトレッキングですけど、馬を走らせる事が出来る体験もありますから、そちらだと尚更騎手の気持ちが分かるかもしれませんね!」

 

 

 

 

 

 

 

 

こうして心優しいバーズ君と心優しい斎藤さんのお陰で、無事にトレッキングを終えた井門。
ぐるっと回ってくるだけなんだけど、既にバーズ君に気持ちが入ってしまっている(笑)
26歳というと人間の年齢では随分おじいちゃん。
バーズ君、今日は有り難う。いつまでも長生きしてね…。
いや、でもこのトレッキングは馬好きには是非体験して頂きたいなぁ。

 


井門「因みにホーストレッキングを体験するには制限もあるんですか?」


高宮「はい、身長140cm以上、年齢は65歳以下の方であれば体験出来ます!」

 


勿論乗馬体験だけじゃなく、施設内にはレストラン、厩舎、チャペル、ハッピーポニーショーなど幅広い世代がまさに1日中楽しめる場所がいっぱい。

 


高宮「大きな地震はありましたけど、
私達は元気に頑張っています!

 


また来ます、今度は子供を連れて、必ず来ます!
来年の夏には上の息子も140cmになってるかな??
息子にもこの気持ちを味わって欲しい。
僕が子供の頃から身近に感じていた馬の可愛さや優しさを、息子にも感じて欲しいなぁ。
なんといっても新千歳空港から車で15分!
是非沢山の方々に足を運んで頂きたいです!
高宮さん、斎藤さん、バーズ君、本当に貴重な体験を有り難うございました!

 

 

 

 

 

 

 

 

永尾「これで今日の競馬は当たる気がするなぁ。」


井門「騎手の気持ちになれたし、間違いなく当たるって!」


 

馬券、外れました。(チーン)


さぁ、気を取り直して!(何の気だ)
続いて僕らが向かったのは絶品チーズが頂ける、
はやきたチーズ工房夢民舎。

 


永尾「ここのチーズが絶品でさ。
女房にお土産に持って行ったらあっと言う間に食べちゃって。
その後に東京のアンテナショップに出品するからって行ったら、あとちょっとのところで売り切れちゃってさ…(泣)
今日はお土産に買って帰るんだ!」


井門「なんの宣言ですか(笑)
でも食通の永尾さんが“絶品”って言うんだから間違いないね。」


ミラクル「うん、食べてみたいなぁ…。
新婚さんも食べてみたいでしょ?」


新婚「奥さんにお土産にしたいです!」


同「はいはい。」

 


ってな感じで新婚さんもソワソワするチーズとご対面…、
なんですけどレストラン併設の売り場には既に買い物のお客さんで混雑寸前。
店内に入ると冷蔵庫に品物を補充している女性の姿が。

 


永尾「吉川さん、今日は宜しくお願いします!」
(注※吉川様の「吉」の字は本来「土+口」です。ご了承下さい。)


吉川「ようこそいらっしゃいました!
すみません、すぐに準備しますからお待ちくださいね!」

 


明るい笑顔で僕らを迎えてくださったのが、副社長の吉川絵理子さんです。
夢民舎オススメの“夢民豚”のプレートと共に(笑)お話しを伺いました。

 


井門「あの地震から3カ月ですが、当時はどんな様子だったんですか?」


吉川「はい、停電は2日間、断水は12日間続きました。
チーズなどの加工品を作るのにも水は重要だったので水が出ないのは本当に大変でした。」


井門「地震の発生後には工場にいらしたんですか?」


吉川「工場には高額な機械もありましたので、地震発生後すぐに工場に行ったんです。
父が築き上げたものがダメになったらどうしようと思って…。
よくよく考えたら余震もあって危険だったんですけど、必死でした。」

 


幸いなことに工場の設備は無事。
断水が終わった2日後には工場は復活したそうです。

 


吉川「今はお陰様で沢山のご注文を頂いて…
逆にご注文に追い付かない状況も続いていまして、御迷惑をおかけしています。」

 


さて、絶品チーズの話しであります。
商品名にもなっている『はやきた』の文字。
これは合併前にあった町名の名残なんですね。
かつてここは『早来町』という町だった。
そしてその早来町こそ、
日本におけるチーズ製造発祥の地なのです!

 


吉川「昭和8年に日本初のチーズ工場が作られたのが早来町なんです。
その後、十勝の方に工場は移っていくんですが、この町が発祥なんですよ。」


井門「それで商品名に“はやきた”の文字が入ってるんですね?」


吉川「うちの父が、
早来をもう一度チーズの町にしたい!と。
それで50歳からチーズ作りを始めたんです(笑)」


井門「50歳からチーズ作り!?


吉川「イチからっていうかゼロからですよね。
丁度旧給食センターが空いていたのでそこを利用して、
チーズ作りのノウハウに関しては研究職の方に先生になって貰ってゼロから始めました。」

 


そうして作り上げたのが『はやきた』ブランドのチーズなのです。
この地でチーズを作り続けて40年近く。その味に魅了された有名人も多く、
かの高倉健さんは毎月の様に取り寄せてその味を楽しんだと言います。
そしてそんなお父様の想いと研鑽を知っているからこそ、 地震発生直後の吉川さんの行動に繋がるのでしょう。チーズと町への想いが何より強い。

 


井門「そう言えばチーズのパッケージの“はやきた”のフォントが一番大きいですもんね(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

工場再開直後は熟成の必要がないモッツァレラチーズから出荷を再開、ただ熟成に時間のかかるカマンベールチーズ、ブルーチーズは11月にようやく出荷を再開したそうです。

 


吉川「今日は是非カマンベールチーズも食べてみてください。」


井門「おぉ…これが永尾さんが絶品と太鼓判を押したカマンベール…。
良い香りがしますね…では有り難く、いただきます!(モグモグモグ)


…これは旨い!

フレッシュなんだけどコクもあってミルキーで、
しっかりと熟成香もある…。本当に美味しいです!ワイン飲みたい(笑)」


吉川「有り難うございます!ワインも良いですけど、コーヒーも合うんですよ!」


井門「確かにそうですね!いや、本当に美味しい。
そしてこちらが店舗で食べられるカマンベールチーズのコロッケですね。(モグモグ)
間違いない!
カマンベールの旨味が芋の甘味を引き立ててるもんなぁ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

実はこの取材で他にもスモークカマンベールやダブルチーズなど、美味しいチーズを色々と試食させて頂いたのですが、どれも絶品!

 


永尾「ダブルチーズも女房があっと言う間に食べちゃってさ(笑)」


井門「このダブルチーズというのは?」


吉川「はい、クリームチーズとブルーチーズのミックスです。
これは私が開発に携わったんですけど、いちどアンテナショップで試食で出したんです。
そしたら皆さん“美味しい”って言ってくださって…。
その美味しいの顔が嬉しくって、心の中で“私が開発しました”って言ってました(笑)」


井門「言いたくなりますよね(笑)」


吉川「これまでの商品が父が開発したものばかりでしたので、なんだか嬉しくなってしまって。」

 


吉川さん、本当に素敵な方です。
想いが真っすぐで、チーズ作りに対してもお客さんに対しても物凄く真摯。
実は夢民舎はチーズ作りの前にレストランをやっていて、絶品チーズを使ったメニューや“夢民豚(むーみんとん)”を使ったメニューも味わえます。

 


吉川「夢民豚は100%のホエーを飲んで育った豚なんです。
ホエーを薄めて与えている所は他にもあるんですけど、
父のこだわりで夢民豚には100%のホエーを与えています。
ホエーを飲んだ豚は肉に甘みが出て美味しい豚肉になるんですよ。」


井門「せっかくですから僕らのランチも兼ねて頂いても良いですか?」


吉川「ぜひ!何を召し上がりますか??」


吉武「この胡桃とチーズのピザが食べたいなぁ~!」


永尾「カマンベールチーズがトマトソースに添えられたポークソテー!」


新婚「夢民豚のハンバーグ、美味しそうですね!」


井門「エビフラ…いや、生姜焼きで!」


出てきた料理の全てが思い出に残る味。
カマンベールチーズも料理に使われるとまた格別の味わいで、更にデザートでフレッシュミルクのソフトクリームと、カマンベールチーズのソフトクリームも頂いたのですが…これも絶品!


まさに身動き出来ないほどに美味しいものと、吉川さんの“はやきた”への想いを頂き、僕らはお店を後にしました。
実はインタビューの後に吉川さんのお父様とお母様にもお会いする事が出来て、本当に皆さんにはお世話になりました。
リスナーの皆さんも味わいたくなったでしょう?
オンラインでも購入出来ますし、新千歳空港でも購入出来ますので、ぜひ吉川さんの想いを味わってみてください!
*インタビュー中にもありましたが、出荷までお時間を頂く事もあります。ご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いて僕らが向かったのは厚真町のランドマークとも言うべき施設、
こぶしの湯あつまです。
ラドン泉浴場や宴会場、宿泊施設にレストランなども併設したこちらは、まさに厚真町のシンボルともいうべき場所。
しかしここも当然、地震発生で大きな被害を受けました。
当時の様子はいったいどうだったのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

小川「僕が施設に到着したのが午前5時頃だったんですけど、当時いらっしゃったお客様はほとんど帰られた状況でした。」


井門「小川さんは厚真町にお住まいなんですか?」


小川「いえ、僕は隣の安平町です。通常だとここまで車で20分~30分で着くんですが、当時は地割れも酷いのと夜中の地震だったので、1時間程かかりました。」

 


お話しは小川雄大さん
施設に到着すると中のダメージに“しばらく営業出来ない…”と感じたそうです。

 


小川「水が断水で使えませんでしたし、電気も来てなかったですからね。
営業はしばらく難しいだろうなと思いました。
そんな中で水が復旧して、水道水が飲めるようになったのが9月後半だったんです。
なのでレストランの再開も9月後半になりました。」

 


9月6日に地震が発生し、勿論場所にもよりますが、水道水が飲めるようになるまで1ヶ月弱。町の人たちにとっても待ちに待った再開でした。

 


井門「こちらの施設は厚真町のシンボルでもありますから、レストランの再開は喜ばれたんじゃないですか?」


小川「はい!営業再開のチラシを配っていたら地元の方々に応援されました!」

 


実はこちらのレストランには厚真町を代表する看板メニューがあるんです。
それが…

 


小川「はい、厚真町の豚、厚真町の米を使い、
厚真町の炭で焼いた豚丼です!」

 

 

 

 

 

 

 

 

お客さんの6割から7割が注文するというここの豚丼。
まさに厚真の全てが詰まった夢の丼と言っても過言ではありません。
丼からはみでんばかりの炭火焼きの豚肉は、焦げ目も付いて肉厚で脂の乗りも抜群!
これがふっくら炊きあがった厚真の白飯と相まって…。

 


井門「旨―いっ!!!
肉の香ばしさと炭火で焼かれた香ばしさで、香ばしさと香ばしさのWパンチやー!」


小川「有り難うございます!」


井門「小川さんならこの丼、5~6杯はいけそうですね!」


小川「いやいや、2~3杯で(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

地震発生からおよそ2カ月で内風呂も再開した「こぶしの湯あつま」。
自慢の露天風呂の復旧は来年の春ごろを予定しているんだとか。
レストランも今は徐々に地元の方が増えてきているそう。
ここは厚真のランドマークとして、完全復活して欲しい!
かつての賑わいが再び取り戻されます様に、僕も強く願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

続いての復興の灯火は、厚真町が生産量全国1位を誇るハスカップ農園の御主人です。
日の入りの早い北海道、薄暮のハスカップ農園でお話しを伺いました。



井門「目の前にある土から生える木の枝がハスカップの木なんですか?」


山口「ははは(笑)そうなんです。竹箒みたいでしょ?」

 

 

 

 

 

 

 

 



井門「確かに!ハスカップの木は初めて見ました。
いや、ハスカップって道産子なら誰でも知ってる名前ですけど、どんな木に実をつけるのかも実の形もよく知らなかったです。」


山口「ハスカップの実は種類にもよりますが、大体人差し指の先くらいの大きさですかね。」


井門「道産子が知ってるハスカップのイメージって加工品ですもんね。」


山口「1950年代にお菓子の三星さんからヨイトマケが発売になって、そのイメージが強いですもんね。」


井門「分かります!ヨイトマケ!!


山口「ヨイトマケねー!
道産子は大体知ってますもんね(笑)」


一同「ポカーン(・Д・)」



薄暮のハスカップ農園で沸き立つ道産子2人(笑)
そう、この方こそこの農園の代表山口善紀さんなのです。



井門「山口さん、目の前には沢山のハスカップの木がありますが、山の方を見ると土嚢が積まれてますね。」


山口「そうなんです。あそこから向こう側が山崩れの被害を受けた場所なんです。
全体で3.3haのうち1割、500本が埋まってしまいました。」



9月6日午前3時7分。
自宅で就寝中だった山口さんを起こしたのは突き上げる様な強い揺れでした。



井門「あの地震で農園にこれだけの被害があったという事は、山崩れの音も相当大きかったんじゃないですか?」


山口「いや、あの後色々と分かってきたんですが、
この山崩れって地震発生から6秒後に起きてるんですって。
だからその当時は音にも全っく気付かなかったんです。」



未明の地震から夜が明けて、ようやく農園の状況が分かった山口さん。
丹精込めて育てたハスカップの木はその1割が土砂に埋もれていました。



山口「ハスカップ栽培は昭和53年から母が始めました。およそ40年です。」


井門「僕とほぼ同い歳ですね。どんな風に今の形になっていったんですか?」



その質問に山口さんはニコニコしながら答えてくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 



山口「ハスカップはこの勇払原野に広く自生する果実でした。
でも自生するハスカップの実って渋くて酸っぱいんですよ。
当時ウチの農園に1000本のハスカップの木を植えていたんですが、どれが中でも甘いハスカップかは分からない。」


井門「それぞれに個性もあるでしょうしね。」


山口「しかもお袋、酸っぱい物が苦手だったんです。そこでどうしたかと言うと、1000本のハスカップの木に付いてる実を僕と弟に片っ端から試食させて、苦い木を探させたんです。1本100円で(笑)アルバイトですよね。」

 


このアルバイトは中学生で1本500円に値上げするまで続き、1000本の中から甘さが際立つ木を2種類選別して育てることに成功。
その2種類は2009年に品種登録され、いまの厚真の町を支える品種となりました。

 


山口「祖父母の名前に由来する“ゆうしげ”
そして母親の名前に由来する“あつまみらい”の2種類です。」


井門「甘いハスカップを見つけたのは山口さんのアルバイトのお陰でも、
名前は“よしのり”にはならなかったんですね(笑)」


山口「確かにそうですね(笑)
でも子供の舌でハスカップを選別したのは実は物凄く良かったんですよ。」


井門「どうしてですか??」


山口「だって大人になった今選別したって、苦い物も旨いと感じてしまいます。
ビールが美味しいって思っちゃうんだから(笑)」


井門「そうか!子供のピュアな舌だからこそ、ちゃんと苦い物を選別出来たんですね!」

 


全てがきっと奇跡的に繋がって、今の厚真町のハスカップがある…。
今では厚真町にある100軒以上のハスカップ農家がこのブランドを守っています。
それはまさに先人が切り開いて作り上げた、厚真の未来の為に。

 


山口「僕は2005年にここに戻ってきたんですが、
厚真町をハスカップの日本一の産地にしたいという想いで戻ってきたんです。」

 


――だからこそ、挫けずに前に進んでいかなければならない。――
山口さんの笑顔の裏にはそんな力強さがあるように感じました。
実は厚真町のハスカップを使った銘菓、morimotoのハスカップジュエリーにもある動きが…。

 


山口「新千歳空港でもmorimotoのハスカップジュエリーが買えますが、12月から“ハスカップジュエリー 黒の贅沢~ブランデー仕立て~”が発売になりました。
これは厚真産のハスカップジャムにあのコニャックブランデー、
レミーマルタンを加えた贅沢な逸品なんです!」


一同「れ・れ・れ・れ・レミーマルタン!?


山口「はい(笑)そしてその売上の一部を、厚真産ハスカップ苗木震災義援金にして頂いています。」

 


様々な人の縁で町を、そしてハスカップを守っていく。
何故なら間違いなくハスカップも“復興の光の一つ”だから。

 


山口「折角なので冷凍してあるハスカップの果実、味見していきますか?」

 


という事で、北海道が育んだ野趣溢れるハスカップを味見することに!

 


山口「まずはこの普通のハスカップから食べてみてください。
その後に“ゆうしげ”や“あつまみらい”を食べた方が違いが分かります。」


井門「おっ、そうですか?
見た目はブドウの様な濃い紫ですが…では頂きま~す!(モグモグ)
渋っ!!酸っぺ~!!!!


一同「うっ!これは渋い…。」


山口「でしょ?(笑)これが僕らが子供の頃に食べていたハスカップです。
では“ゆうしげ”と“あつまみらい”をどうぞ!」


井門「はい…(恐る恐るモグモグ)
あっ、これは甘酸っぱくて美味しい!!

 

 

 

 

 

 

 

 

山口「そうなんです!全然違うでしょう?
この勇払原野は他の果物は全く自生しない土地です。
だけどハスカップだけは育つ。
更にハスカップはバラ科ではなくスイカズラ科なので、
アレルギーを持つ人でも気にせず食べる事が出来るんです。」


井門「あっ、僕がバラ科の果物がアレルギーでダメなんで、ハスカップなら気にせず食べられますね!」


山口「もっと言えば実はハスカップの栄養価について…ゴニョゴニョゴニョ…。」


井門「え~!!そんなことが!!」


山口「はい、アンチエイジングの観点からも…ゴニョゴニョゴニョ…。」

 


さぁ、このゴニョゴニョの部分は何を語っているのか!?(笑)
来年の今頃はひょっとしたら日本中でハスカップのムーヴメントが起こるかもしれません。
山口さんのお話しはそれ位インパクトのあるものでした。
なんにせよ、厚真町の復興はハスカップにかかっている…かもしれません。
山口さん、これから本格的な冬です。どうかお体には十分気を付けて。
日本中に厚真のハスカップを広めてください!

 

 

 

 

 

 

 

 

僕は20歳までを北海道で過ごしました。
釣り好きな親父に子供の頃から北海道のあちこち連れられ、自分で車の免許を取ってからは厚真や安平の方にドライブに来た事もあります。
幼い頃から慣れ親しんだ風景を一変させた9月の地震は、だから本当にショックでした。


「故郷の為に何か出来ないだろうか」
そんな事をずっと考えながら取材を続けてきた今回の旅。
旅日記の最初に戻るようですが、ここで踏ん張っている人達の話しが聞けて、そしてその人達の声を、皆さんに届ける事が出来て本当に良かったです。
まだまだ震災の傷跡は残っています。
しかもこれから北海道は本格的な雪のシーズン。
大がかりな作業も春が来るまでは出来なくなる所もあるでしょう。


それでもそこで頑張り続けている人達はいます。
かつての姿を取り戻そうと、
かつての賑わいを取り戻そうと、
今日も笑顔で頑張っている人達が、あそこには大勢いるんです。
そしてその全てが“復興の光”。
どうか今回の放送を聴いた方が一人でも多く、その光の火だねとなってくれます様に。
お世話になった皆さん、本当に有り難うございました!