KIKITABI的“札幌のイチバン”を探せ!!|旅人:井門宗之

2018-12-20

ケプロンさん、黒田清隆さん、
僕はちゃんと花の都大東京でイチバンの称号を手にしましたよ。
ラジオDJとして「日本一になる!」なんて青臭い宣言をしたのは、
そう大学のサークルの引退式だったっけ…。
周りの同期がちょっと引くくらい泣きながら、
「日本一のDJに…、俺はなりヴぁす!!」って言ったのはもう20年近く前だ。
ははは、若かったなぁ。海賊王か。


ケプロンさん、黒田清隆さん、
僕はちゃんとイチバンの称号を2012年、2013年に頂きましたよ…。


 

ミラクル「よっ!元ナンバーワンDJ!!へへへ。」


井門「うるせー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

はいはいはいはい、そうです、私が元ナンバーワンDJです!(自暴自棄)
三才ブックスさんの企画、読者が選ぶ好きなDJランキングのFM部門で、
2年連続、はいここ大事、2年連続でナンバーワンに選ばれた井門宗之ですよ!(自暴自棄)
その井門が、故郷札幌に錦を飾りに帰って参りましたよ!(もうどうにでも…)


懐かしいなぁ。。。あっ、ナンバーワンを取ったのが懐かしいんじゃなくて、
ここ大通り公園から眺める景色が懐かしいってことですよ!
いやだ、変な言い訳したから尚更変な感じになっちゃったじゃないの、もうっ!


コホン…いやね、懐かしいんです、ここからの風景が。
僕は20歳まで札幌で暮らしてきて、住んでいた場所も大通り公園のすぐ近く。
通った小学校も『札幌市立大通小学校』ですから、筋金入りの札幌っ子です。
大通り公園にしたって1丁目から12丁目までそれぞれに思い出があるし、
この辺りの風景=青春時代ってな感じでございまして。

 


井門「テレビ塔と反対側の石造りの建物あるでしょ?
あれは札幌市資料館なんですよ。かつては裁判所(正確には控訴院)だったんだ。」


ミラクル「へぇ~。こっちはなかなか来ないから知らないもんでゲスなぁ。」


井門「そうでしょ?でもこの11丁目の大きな通りは石山通りって言って、札幌の幹線道路の一つなんですよ。」


ミラクル「へぇ~。」


井門「11丁目にある大きな塔ね、あれは姉妹都市のミュンヘンから贈られたんだよ。」


ミラクル「へぇ~。何を意味してるんでゲスか?」


井門「………。
さっ、今回はアレだ!札幌のイチバンを探す旅だ!
まずは札幌でイチバン高い建物に昇るよ!!」


ミラクル「いや、だからミュンヘンのあの塔のい…(ゴスッ!!←口封じ)

 


はい、今回の旅にもちゃんとテーマがございます。
先週は復興の光に焦点を当てましたが今回は…、


KIKITABI的“札幌のイチバン”を探せ!

硬軟併せ持つKIKITABIならではの企画が今回のテーマ(笑)
というのは半分冗談で、やっぱり胆振東部地震発生以来、観光客が減少した北海道。 


◆少しでも地元を盛り上げる為に何かしたい!
◆だったらリスナーさんが行きたくなる場所をたっぷり取材しよう!
◆よし、尚更井門の地元を掘り下げて、その魅力を伝えようじゃないか!
◆頑張れよ、元ナンバーワン!!
と言う流れが出来上がった、と(そうなのか!?)


よしっ、ここは元ナンバーワンが札幌のナンバーワンを体験しようじゃない!(開き直った)
早速向かった先は、大通公園西11丁目から歩いて約20分、JR札幌駅です。

 


井門「僕が子供の頃は駅舎も古くてさ、
駅前広場ではデビューしたての○○モ○が中継で生演奏してたりしたなぁ。
地下街は札幌駅名店街って名前でね。
懐かしいなぁ、隣はそごうデパートがあって、子供の頃はよく買い物に来たんだ。」


ミラクル「札幌と言えばテレビ塔のイメージも強いでゲスが、
イチバン高い建物はこのJRタワーなんでゲスよ。」


井門「2003年に開業だから、そうか…僕はもう社会人だったか。」


ミラクル「そうなると思い出はあまり…」


井門「そうですね、展望室には昇った事があるけど…今日は吹雪いてるしねぇ(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

6階からエレベーターに乗って38階の展望室へと向かうのですが、
この日は生憎の吹雪(もう、河合さん!←関係無い)
受付のモニターには展望室からの眺めが映し出されているんだけど、もう真っ白(笑)
“いや、きっと白い札幌も風情があるぜよ!”と、何はともあれ38階へ。

 


井門「おぉ~、雪景色だ!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

そりゃそうだよ、吹雪いてるんだもの(笑)
でも時間が経つと少しずつですが景色がクリアになってきました。
すると広大な札幌市を東西南北に見渡す事が出来るんです。


この展望室は回廊式になっていて、東西南北それぞれに大きく窓が取られています。
北は北大キャンパスや小樽に向かう札樽自動車道、東は石狩川や遠くには野幌、
西は藻岩や手稲の山々が広がり、南は大通公園やススキノなどの中心街、
時間によっても様々な表情を見せてくれる札幌の街並みがここから一望出来るのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

OAではここからの景色を眺めながら一人喋りだったかと思いますが、取材中はね、あの数倍喋ってたんだよ。
そりゃそうですよ、思い出しかねぇもん!

永尾Dもさぁ、あそこでSalleyとかかけるなよ!泣いちゃうだろ!

 

 

 

 

 

 

 

 

尺の関係上カットしましたが、展望室の男子トイレがなんとも破天荒なんだ(笑)
まるで大空から○○○してる気分になれる、素敵トイレ。
これはJRタワーの名物の一つでもありますので、昇った際はぜひ体験してね!

 

 

 

 

 

 

 

 

ミラクル「はぁ~~スッキリしたでゲス。」


井門「って、したんかい!」


ミラクル「当然でゲスよ、何事も経験は作家の基本。
さて、続いてのイチバンは皆さん大好きなススキノでゲスよ。」


永尾「大人のトリップアドバイザーの僕の出番だね。」


新婚「出た―!空前絶後の~!超絶怒涛のディレクター!!
世界の夜の街を知り尽くした男、ススキノを愛し、ススキノに愛された男ぉ!
サンシャィィィイン…な~が~(ゴスッ!!!!


井門「南3条西3丁目に来てるから、これはもうススキノのすぐ近くだね。」


永尾「なんかワクワクするね。」


新婚「オラ、ワクワクすっぞ!!
ススキノの皆、オラにちょっとずつ元気を分けてくれー!!」


井門「元気玉作る前に、現金玉をこしらえて準備してなさい。
それはさておき、ここにどんなイチバンがあるの?」


ミラクル「“はちきょう”ってお店はご存知?」

 

 

 

 

 

 

 

 

開店当時から札幌でとんでもないインパクトで知られた居酒屋、はちきょう。
僕も札幌のオススメのお店を知人のDJに聞いた時、真っ先にその名が挙がった名店。
何がイチバンかって?それは…。

 


門田「ウチはイクラの盛りが凄いんです!」

 


秘密のケン○ンショー!?(笑)
しかしこれは素晴らしいキラーワード!
イクラの盛りが凄いなんて…昨今イクラの価格も高騰している中で、
見た目にも幸せを感じること間違いなし!そうこれが“はちきょう”さんの名物、

その名も『つっこ飯』なんです!!

漁師居酒屋風の店内には威勢の良い掛け声が響き、
スタッフの皆さんもキビキビと働いていらっしゃる。
壁には著名人のサインが所狭しと並び、仕事で札幌に来た際のオススメ店なのが窺えます。
事実、取材を終えて店外に出ると、隣の姉妹店には開店前に行列が!

お話しは門田等さんにお伺いしました。

 


井門「どうしてまたイクラの盛りが凄くなったんですか?」


門田「社長がかつて羅臼に行った際にですね、
イクラ丼を頼んだところボウル一杯にイクラが出てきたそうで。
“好きなだけかけて食べなさい”と言われたそうなんです。
それを札幌で提供したらお客さんんが喜ぶんじゃないか、それが始まりだったと聞いております。」

 


確かに漁師町にある風景っちゃあ風景です。
僕も大学生の頃に道東を旅していたら、漁師さんからウニを御馳走になった事があったもの。
更に港町の知人の家に遊びに行ったら茹でた北海シマエビがボウルで出てきて、
“遠慮しないでガバガバ食え!”ってえらい勢いで言われたもんなぁ。


という事は、ここで提供される盛りの凄さは道産子の心意気でもあると…?
ただしかし、心意気を堪能するにはちゃんと決まり事もあるんです。

 


門田「つっこ飯を頼まれるお客様には2つのお願い事にご理解を頂いてます。
海、山、川などに行かれた際には目に付いたゴミは拾って持ち帰ってください。
また農家や漁師の方への感謝を忘れず、イクラとお米は一粒も残さずに食べてください。」


井門「勿論です!!

 

 

 

 

 

 

 

 

つっこ飯のルーツは羅臼の漁師飯であります。
なのでイクラを御飯にかける時は店全体が漁に出たかの様に盛り上がる!!

 


門田「エイサー!


全員「「「エイサー!」」」


門田「エイサー!


全員「「「エイサー!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

おい、マイク割れたぞ!(笑)
でもその迫力が凄い!!楽しい!!
そして表面張力から少しこぼれたイクラのなんと美味しそうなことよ…。

 


井門「うまい~~!!

 


そんなの旨いに決まってる(笑)
こぼれてるんだよ、イクラが。このアトラクション的な要素は勿論だけど、
その旨さのインパクトも相まってまさに忘れられない味。
お米もちゃんと北海道産の「きたくりん」を使用。
お店の魂も、味わいも、全てが道産子の心意気!

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてそんな道産子の心意気はラーメンにも詰まっているようで…。

 


ミラクル「実は“はちきょう”のお隣のビルの地下に、
札幌でイチバン美味しいカニ味噌ラーメンを目指したお店があるでゲスよ!」


井門「良いね!!さっぽろと言えばラーメンだもの。
でもさ、カニ味噌ラーメン…??」

 


という訳でお邪魔したのは“はちきょう”の系列店、
北海道らーめん CRAB GANG
主任の山鳥弘之さんにそのラーメンを作って頂きました!

 


山鳥「観光客相手の“ザ・カニラーメン”みたいなのあるじゃないですか?
オーナーがそういうラーメンは絶対に作りたくないって。
だから味にとことんこだわったカニ味噌ラーメンを完成させたんです。」


井門「確かにどことは言わないですけど、
ドーンと毛ガニが乗って3000円みたいなラーメンが当たり前にありますもんね。
あれ、めちゃくちゃ食べにくいですけど(笑)」


山鳥「(笑)なのでウチは鉄砲汁からヒントを貰ってラーメンにしました。
カニ汁の中にラーメンを入れるイメージですかね。
でも味は熟成味噌にカニ味噌を練り込んで、
スープには昆布出汁をベースにし濃厚なカニの味を出しています。」


井門「でもカニにこだわればこだわる程にコストがかかると思うんです。
カニ味噌ラーメンは一杯おいくらなんですか?」


山鳥「はい、一杯 890円です。」


井門「安いっ!!!

 


そんな話しをしながらも徐々に完成に近づいていくカニ味噌ラーメン。
最後に何かしらのオイルを垂らして完成です。

 


井門「そのオイルは…?」


山鳥「はい、カニの殻を油でグツグツ煮出して、
カニのエキスを抽出したカニオイルです。」

 


出来上がったラーメンのレンゲにはカニのほぐし身が乗っている…。
何から何までカニ尽くしのカニ味噌ラーメン、麺は勿論、卵麺の縮れ麺だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「あぁ…これは…旨い…。
そして麺もスープに絡んで…最高に旨いっすね…。」


山鳥「その一言を聴くために…(笑)」

 

 

 

 

 

 

 

 

美味しいラーメンの後は、美味しいラーメンです(笑)
そう、だって札幌は全国有数の“ラーメンの街”だもの。
そんなラーメン激戦区の札幌に於いて、
最も歴史のあるお店に向かいました。

 


井門「二条市場の中にあるんだよね!
僕も昔ほんとうによく行ったんだよなぁ。」


ミラクル「札幌ラーメンと言えば味噌だけど、こちらは醤油なんでゲスよね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

その店の名はだるま軒。
札幌の老舗ラーメン店として知られる市場の中の名店です。
あっさりした味わいと良心的な値段で
当時学生だった僕の胃にも心にもお財布にも優しかったお店。
開店前のお店の中に入るのも、御主人と話すのも初めてなので…実は緊張してた井門(笑)

 


井門「お店の中の雰囲気は変わらないですね…。
僕、学生の頃よく来てたんですよ。」


加納「う~ん…なんか見たことある気がするんだよな(笑)」


井門「いや、うそだうそだ!(笑)」

 


お話しは4代目ご主人の加納哲也さんです。
開店前の忙しい時間にも関わらず、笑顔で話しを聞かせてくれました。

 


井門「だるま軒さんはそもそも創業何年になるんですか?」


加納「えぇ、今年で創業71年になります。」

 


戦後間もなく開店しただるま軒。
その当時の札幌は本当に食べ物が無くて酷い時代だったそう。
そんな中で少しでも食べ物で元気を出して欲しい…、
だるま軒のラーメンのある具にはそんな想いが込められているのです。

 


加納「具は昔から変わらずに海苔、チャーシュー、メンマ、ネギ、
そして伊達巻です。」


井門「そう!だるま軒って伊達巻乗ってるんですよね!」


加納「伊達巻ってお正月に食べる物じゃないですか。
お正月のめでたい気分の時に食べる物が乗っているのを見て、少しでもお客さんに元気を出してもらおうって想いがあったみたいですよ。」

 


そう言いながら加納さんは笑う。
加納さんは2代目の大森久蔵さんがお師匠さんで、
その2代目の教えをずーっと守り続けているのだとか。

 


加納「出汁も鶏と豚、鰹節と根昆布。
2代目から教わったものを変えようともしてないし、
70年超えて変える訳にもいかないっていう意地もあるからね(笑)」

 


そうして出てきたのが8割のお客さんが頼む醤油ラーメンだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

井門「あぁ…旨いなぁ。
変わらないですね。本当に懐かしい。
僕は東京に出て20年になりますけど、この味を食べると当時を思い出します。
僕にとってはタイムマシーンのスイッチみたいな味なんです…。」


加納「前にもご高齢の方がウチのラーメンを食べて涙を流しているんです。
どんな事があったのかは分かりませんけど、当時の記憶を思い出されているんですかね。」

 


加納さん自身は店に立って31年。
きっと学生時代の僕にラーメンを作ってくれてたのは加納さんだ。
でも当然当時はラーメン食べて帰るだけ。
今の様にSNSも無かった時代だから、“美味しかった”は自分の中だけに留める。
写真だって撮らなかった。なのに…。

 


加納「土日、よく来てたでしょ?(笑)」

 


インタビューの途中なのに加納さん、言いたくて仕方ないって感じで聴いてくるのです。

 


加納「なんか黒い服きてさ、いや~見た事あるなって思ってたんだよね。
あんまり顔も変わってないっしょ?」


井門「え~!確かにあまり面変わりはしてないですけど…。」


奥様「この人ね、この前も25年前のお客さんを覚えてたのよ(笑)」


井門「凄い!でもだとすれば、覚えててくれてるんですね!」


加納「東京でてからずっとその仕事してるの?」


永尾「この人は人気ランキングで好きなDJの日本一になったんですよ!」


奥様「あら!ウチの常連さんからそんな有名人が生まれるなんて…。」

 


そんな風に自分のことの様に喜んでくださるお二人。
僕なんかのサインと写真を店内に飾ってくださるとのことで、
照れくさかったけど写真を3人で撮りました。
僕にとってはなんだか最高のご褒美みたいで、とても嬉しかったです。

 


奥様「でもね、この人が倒れたらお店は閉めなきゃいけないの。」


井門「後継ぎはいらっしゃらないんですか?」


奥様「ウチは自家製麺でしょ?体力的にもキツイ仕事だからなかなかね…。
それでもやりたいって人、ラジオで募集してくださいよ(笑)」

 


と言う訳でだるま軒の5代目大募集です!

我こそは、と思うそこのアナタ!
そしてかつてだるま軒に通ったという常連さん達!
あの味を繋ぎたいと思ったら、是非だるま軒にご連絡を!


変わらない事の凄さ、そして変わらない事の大変さ。
札幌でイチバンの歴史を持つだるま軒さんの味にその全てが凝縮しています。
でもね、その大変さはラーメンからはこれっぽっちも感じない。
むしろあっさりしたシンプルな味なんだ。
そして加納さん御夫妻は笑顔が絶えない。
だからこそ、だるま軒は続く。きっといつまでも続いていくのです。
(そう信じてます)
今度は子供を連れて食べに来ますからね!僕が大好きな味を息子にも教えてあげたいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんだろう、札幌の街にはあちこちに思い出が詰まってるから、
取材しながら色んな思い出が蘇っちまっていけねぇや(洟をすすりながら)。
しかもアレだろ?次はオイラのイチバンなんだろ?
あぁ、そうだよ、オイラのイチバンは思い出の小学校からの通学路だよ。
って、もう旅日記書きながら泣きそうだよ!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

6年間通った札幌市立大通小学校はもうなくなりましたが、
敷地には新しく高校と幼稚園が出来、なんとなく当時の面影は残ってます。
しかも敷地の入口には校門がそのまま残されていて、
これを見るとまたあっと言う間にタイムスリップするんだよなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕の住むマンションは7階建の7階で、
ベランダからは小学校のグラウンドがよく見えました。
グラウンドで遊んでいると、ベランダから手を振る母の姿も見えたっけ。
そうそう、学校裏の横断歩道の信号がなかなか変わらなくて、
サッカーボールを抱えた僕は早くグラウンドに行きたくいつもそこでソワソワしてた。
冬になると重機でグラウンドに雪山を作って、
体育ではスキーの練習をしたり、休み時間は米袋に段ボール入れて滑ったり。
友達と喧嘩して泣きながら帰ったのもこの道。
うろ覚えだけどビニールを作る平屋の工場があって、
いつも沢山の人が汗流しながら働いていた。
工場の隣には「十龍」っていうマズいラーメン屋もあって、
土曜日に学校から帰って十龍の出前だとテンション下がったなぁ(笑)
そうそう、この一帯は長屋が沢山あって、同級生の家にも遊びに行ったっけ。
僕の家の前には「ミニ大通り公園」っていう緑道があって、
よく友達とミニ四駆走らせたり木イチゴの実を取って食べたり、
カラスの死骸をびくびくしながら枝でつついたり。
秋になると枯葉を集めて、サツマイモをアルミホイルでくるんで焼き芋したなぁ。
なかなか火がつかなくてジッポーオイルで燃やして芋がオイル臭くなったり。
マンションの隣には“せいきょう”のスーパーがあって、
コロコロとかボンボンは必ずここで買ってた。
あぁ、確か会計の時に10円足りない事があったんだけど、
顔馴染のレジのおばちゃんがおまけしてくれたこともあった。
良い意味でゆるい時代だったんだと思います。


僕が住んでたマンションは、まだちゃんとありました。
なんでもない道は僕にとっては特別な道。
冬の入口の空気も、ここで吸うと特別な匂いがする。


なぁ、子供の頃の俺。
お前、結構しんどい事もあるけどさ、
ちゃんと乗り越えるからな。心配すんな。
頑張れよ、ちゃんと。頑張った先には沢山の笑顔がご褒美で待ってるからな。

 

 

 

 

 

 

 

 

ミラクル「しかし札幌って凄い街でゲスなぁ。」


井門「なんで??」


永尾「だって街の中心部に流れる川に鮭が来るんだもん、凄いよ(笑)」


井門「そう・・・かな?
僕なんかは子供の頃から当たり前だと思ってたけど?」


一同「いやいやいやいや!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなんです、札幌には鮭にまつわる科学博物館、
札幌市豊平川さけ科学館という施設があるんです!
かくいう僕も小学生の頃に社会科見学で来たことがあり、
施設の外観を見てその懐かしさでテンションが上がります。

 


井門「懐かしい!鮭の生態とか学べるんだよね!
札幌の子供にとってみれば、ホラ、あのお腹がイクラみたいになってる幼魚、
あの姿とか当たり前だからね!えっ?当たり前に知ってるでしょ?」


一同「いやいやいやいや!!」


有賀「井門さんが小さい頃はちょうど鮭を川に戻そう!って運動、
カムバックサーモン運動が盛んだった時期なんですよ(笑)」

 


そう教えてくれたのが学芸員の有賀望さんです。
かつて豊平川の水質が悪化し、鮭が帰ってこなくなった時代がありました。
それじゃイカン!川の水を綺麗にして、鮭に帰ってきてもらおう!
というのが『カムバックサーモン運動』。

 


有賀「その一環で小学生が鮭の稚魚を川に放流したり、
学校の水槽に鮭の幼魚を貸し出したりってことがありました。
授業で鮭の生態を学ぶことで、鮭を身近な生き物にしたんです。」


井門「確かに!僕も確か鮭の稚魚の放流したもん。」

 


1984年に開館した「さけ科学館」。
となると僕が小学生の時は開館ホヤホヤで、それこそ沢山の小学生が訪れたはず。

 


有賀「鮭は春になると海に下るので、ここでは鮭の仲間を1年中展示してるんですよ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

地下の水槽には鮭も含めて沢山の鮭の仲間が飼育されている。
僕意外のスタッフは鮭の生態やその姿に驚いているのだけど、
子供の頃から身近だった僕にはあまりピンとこない。

 


有賀「とは言っても鮭が豊平川を遡上しているのを見た事があるって地元の人は、
意外とそんなにいないと思うんですよね。」


井門「そうかもしれませんね。
僕は幌平橋(豊平川沿い)に住んでいたので、子供の頃みた記憶がありますが…。」


有賀「鮭は生まれた川を匂いで判断して戻ってきます。
川に戻ってから産卵するんですが、オスは川に戻ると鼻が伸びて先が曲がるんですよ。」


井門「確かに顔が変わりますけど、川に戻ってからなんだ。
それはどうしてなんですか?」


有賀「メスをオス同士で取り合うので、ケンカをするんですが、
ケンカに勝つ為に…とも言われています。」

 


ケンカと言ってもただのケンカではありません。
自らの種を残す為のメスの取り合い、生存競争といっても過言ではない。
メスの鮭は川に帰ってくると、産卵場所を探します。
適度な産卵場所を見つけるとそこに卵を産むのですが、
その卵にオスが精子を放って受精させるのです。
自分の子供を残す為に、だからオス同士でケンカが起こる。
それを想いながら面変わりした鮭のオスを眺めると、なんだか感慨深いものがあります。

 


有賀「鮭の遡上は9月~1月までで、
いまも豊平川には遡上する鮭の姿を見る事が出来ますよ!」


井門「えっ!みたいです!見ることが出来るんですか?」


有賀「昨日はいたので、多分大丈夫です!」

 


という訳で科学館から車で20分、豊平川の河川敷へやって来ました。

 


有賀「光の加減で見えにくいかもしれませんので、
このサングラスをどうぞ!」


井門「お~!鈴木雅之さんみたいだ!」


一同「いやいやいやいや!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

有賀さんに連れてきて貰ったこの一帯は、
「札幌ワイルドサーモンプロジェクト」というプロジェクトの一環として、
鮭の遡上の観測ポイントになっている場所。

 

 

有賀「産ませるところに手を加えるんです。」

 

 

そう有賀さんが仰るように、
川底の石を均したり、
鮭が産卵し易い環境を作ったり、様々な取り組みを行っているのです。

 

 

有賀「鮭は3~4年かけて海から川に帰ってきますが、
大体河口で9割がたは漁師に捕獲されてしまいます。
それでも毎年1000~2000匹の鮭が戻ってくるのですが、
私達の目的は野生の鮭を増やすことです。」

 

井門「市民のこんなに近くに鮭が遡上する川がある事も、
よく考えれば凄い事ですよね。」

 

一同「ほらほらほらほら!!」

 

有賀「はい、カムバックサーモンから40年。
市民により身近な魚にしてもらう為に、こうして見易い場所を設けたりもしているんです。
鮭が遡上する川は世界にもありますが、
繁殖する川が都市にあるのは世界的に見ても貴重なんですよ!」

 

 

有賀さんの話しを聴きながら豊平川を眺める。
ここは市民の憩いの場所で、僕も高校時代にはマラソン大会で走ったり、
夏には恋人と花火大会を見に来たりした。
そんな札幌市民にとってはイチバンポピュラーな川・豊平川で、
世界的に見ても貴重な鮭の繁殖が行われている。

 

 

有賀「あっ!そこにいますね!見えますか?」

 

一同「お~~!!本当だ!」

 

有賀「あれは尾びれが白くなっているので雌ですね。」

 

 

鮭の雌は産卵場所を見つけると、尾びれで川底の石をどかして卵を産む。
なので尾びれが傷ついて白くなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

有賀「逆にオスはケンカをするので、身体全体が傷ついて白くなります。
あ、あそこにオスもいますね。ほら、身体全体が白くなってるでしょ?」

 

井門「本当だ。
で、卵を産んだ雌や役目を終えた雄はそのまま死んでしまうんですよね?」

 

有賀「雌は卵を産んだ場所で身体が弱って死んでしまうまで動きません。
だから川岸をみると死んだ鮭の死骸があるんですよ。」

 

新婚「おー!本当だ!海鳥が食べてるのも、鮭の死骸ですよね…?」

 

有賀「はい。死んだ鮭は“ホッチャレ”と言って、
熊や海鳥たち、他の生き物の食糧となるんです。
そうして命を繋げていくんですよね。」

 

井門「鮭が遡上するのが9月から1月でしょ。
その時期は動物達が冬眠する前だったりする訳で、
そんな時に川に下りると御馳走が転がってる。
それを食べて自分の栄養にして、北海道の厳しい冬を乗り切るのか…。」

 

 

そんな物語を考える。
そこには生き物が織り成すロマンすら感じてしまう。
雄大な自然の雄大な時間の流れ。
神様が作ったとしか思えない、自然のバランス。
どれか一つが欠けても、きっとその物語は紡ぐことは出来ないのだ。

 

 

井門「札幌市民にもっと鮭のことを知って欲しいですね!」

 

有賀「その為に鮭にもっと市民の方に触れて欲しいですね。」

 

 

 

 

 

 

 

 

地元のことは地元の人が意外と知らなかったりする。
今回はそんなシーンも沢山あって、改めて故郷の良さに気付けました。
でもこれを10代、20代の時に“良い”と果たして思えただろうか…なんて思ったり。
40歳を過ぎて改めて触れたからこそ、
見えてきた故郷の良さってのはあるのかもしれない。
そしてそんな経験を、KIKI-TABIを通じてしてしまった(笑)
いやいや、プロデューサー権限じゃないからね!

 

本当に良い旅でした。
「うわ~!すげ~!」って感動じゃなくて、
「うん、いいな。いい。」っていうじわっとした感動。
(つっこ飯は“うわ~!すげ~”だったけど、笑)
そう、これも大切な旅の醍醐味。
今回は良い仲間と、良い時間を過ごせました。
旅日記の感想じゃないけど(笑)こんな〆も、たまにはいいよね?