令和!万葉集のふるさと高岡の旅|旅人:田島悠紀子

2019-10-16

こんにちは。旅人のFMとやまパーソナリティの田島悠紀子です。

 

富山県は、今年、NBAのドラフト一巡目でワシントン・ウィザーズより指名を受け、
すでにNBA選手として活躍している八村塁選手や大相撲夏場所で初優勝した朝乃山関など
スポーツ選手の活躍が目立っていますが、他にも、注目を浴びているものがあります。

 

それは、万葉集です。

 

万葉集と言えば、新元号の「令和」が、万葉集の「梅花の宴」の
「時に、初春の令月にして、気淑く 風和ぐ」
が由来となっていることは、皆さんもご存じのことと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

その万葉集の代表的歌人で編者と言われる大伴家持が、
富山県高岡市に746年から5年間在任し、多くの歌を今に伝えたということで、
令和になってから注目されているのです。

 

そこで、今回は「令和!万葉集のふるさと高岡の旅」と題して
「万葉集」の魅力を再発見する旅をお届けします。

 

と言いつつ、私は、高岡が万葉集のふるさとであることは知っていますが、
詳しいことまではわからず…。
高岡駅前の大伴家持像も恥ずかしながら今回初めて認識したほどです。

 

 

 

 

 

 

 

 

だって、家持の奥に見えるドラえもんたちの銅像の方に
どうしても目がいってしまうのですもの。
ちなみに、高岡は、藤子・F・不二雄さんの生まれた場所ということで、
いたるところでドラえもんたちに会えます。

 

でも、ドラえもんと同じくらい、いやそれ以上に
高岡における家持の存在の大きさを今回の旅で感じることができました。

 

遠い昔、家持がここ高岡で見たものや感じたことを
私もこの旅で追体験してきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは万葉集のことを勉強しましょう!ということで向かったのは、「高岡市万葉歴史館」。

 

万葉集を中心テ-マに据えた初めての研究施設として
1990年に開館した万葉集に関する本格的な施設です。

 

 

 

 

 

 

 

 

万葉集を愛してやまない学芸課長の新谷秀夫さんから
様々な角度から万葉集について教えて頂きました。

 

昔の歌というだけで難しそう!と思ってしまいがちですが、
新谷さん曰く、万葉集は素朴で現代人に近い感覚なんだとか。
私たちがSNSに「今日は桜が綺麗だよ」とか「嫌なことがあって落ち込んでます」
などとアップするのと同じ感覚なんですって。
そう言われると、身近なものに感じられませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

新谷さんが一番好きな恋の歌は、
「恋なんてしたって仕方ない。でも、そう分かっていてもやめられない」
という意味の歌だそうです。

 

確かに、恋をすると普通ではいられなくなりますもんね。
浮かれたり落ち込んだり、時にはご飯も食べられなくなったり。
当時の人たちも同じようなことを感じていたのですね。

 

万葉集には今の私たちも共感できる「思い」が多そうなので、
Twitterに万葉集の歌を現代の言葉にしてつぶやいたら、
たくさんの「いいね」が付くかもなー、なんてことを思ってしまいました。(笑)

 

なお、万葉集を楽しむには、何度も声に出して詠むのが言いのだとか。

 

万葉歴史館では、官房長官気分を味わえるコーナーもありました。
「令和」が発表されて以来、大勢の方がここで写真を撮っているそうです。
もちろん、私も撮影しました。しかもノリノリで。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

「令和」の出展は、万葉集の歌からではなく「梅花の宴」の序文から。
つまり、この宴会をどういう趣旨で開いたかという説明部分のことです。

 

「令和」の「令」は、命令の「令」ではなく、「麗しい」の「麗」なんですって。
例えば、令夫人は命令する奥様ではなく(笑)、麗しい奥様という意味です。
それも知性も教養もある最高の美しさ、つまり最上級の誉め言葉なんだとか。
そこに平和の「和」がついて「令和」です。

 

歴史館には、「梅花の宴」を再現したジオラマがありまして
お人形さんたちを見ると、膝を近づけて宴をしているのがわかります。

 

これこそが、梅花の宴の趣旨!

 

上下の関係なく仲良くコミュニケーションを取れば、
会社も国もうまくいく、ということなんですって。

 

ただ梅の花の下でお酒を飲んでいるだけではなかったのですね。

 

令和の時代は、立場が上の人の命令に従うのではなく、
誰に対しても意見が言える平等な社会になってほしい
という願いか込められているのですね。

 

私は、「令和」の響きや漢字の美しさから
「なんとなく好きかも~」と思っていましたが、
意味を知って、ますます愛着がわきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、特別展示室では、当時の万葉衣装を着た等身大の人形を見ることができます。

 

女性の衣装がポップで華やか!
現代の感覚でも「カワイイ」と受け入れられる色使いです。
まるでアイドルみたいだなあと思っていたら、
キキタビチームの男性陣は私以上に「カワイイ~!」を繰り返していました(笑)
当時の男性たちも同じように思っていたのかもな。。。
もしかしたら万葉衣装をお手本にしたファッションが令和の時代に流行るかも!?

 

 

 

 

 

 

 

 

最後は、屋上庭園へ。
今回は残念ながら立山連峰を見ることはできませんでしたが、
ここは知る人ぞ知る立山眺望スポットなんですって。
歴史館を訪れた際には屋上庭園もお忘れなく!

 

 

 

 

 

 

 

 

しっかりと万葉集の勉強をした後は、「万葉集のゆかりの地」を巡る旅へ。

 

まずは、「放生津(ほうじょうづ)八幡宮」へ向かいました。
宮司の大伴泰史さんは、大伴家持の子孫なんですって。

 

放生津八幡宮は、家持が越中の国司として赴任した際、
この地の景色を愛し、豊前の国から宇佐八幡神を勧請して建立したことが始まりなんだとか。

 

こちらは海の近くにあり、境内はなんと砂浜で、磯の香りがしていました。

 

家持は海の無い奈良の都からやってきたので
日本海の風景を見て感動して様々な歌を詠んだようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

次に向かったところも家持のお気に入りスポット!
富山湾越しに3,000メートル級の立山連峰が見られる雨晴(あまはらし)海岸です。

 

旅をした日には山の姿を見ることはできませんでしたが、
見える日の景色は本当に素晴らしいです。
まるで海の上から山がそびえ立つように見える姿は、
観光ポスターやパンフレットにもよく使われています。

 

家持もここが好きで多くの歌を詠んだのだとか。

 

私も波の音を聞きながらぼうっと海を眺めてみましたが、
心が穏やかになっていくのがわかりました。
千年以上前に家持も同じ場所で同じことを思っていたのかもしれないと思うと
感慨深いものがありました。

 

 

 

 


晴れた日はこんな景色です

 

 

 

 

旅の最後は、ちょうど旅の日に行われていた「高岡万葉まつり」へ。

 

メインイベントは「万葉集全20巻朗唱の会」。
高岡市産業振興部観光交流課課長の長井剛志さんによると
高岡古城公園内の特設水上舞台で、万葉集全20巻、4,516首の歌のすべてを
三日三晩かけて歌い継ぐイベントで、毎年、全国から2,000人を超える方が参加するのだとか。

 

歌い方は自由で、過去にはギターを手に歌った方もいたそうです。わーお!

 

 

 

 

 

 

 

 

実際に朗唱の様子を間近で見てみましたが、
皆さん伸び伸びと気持ち良さそうに歌っていらっしゃいました。

 

参加者の男子中学生にお話を伺ったところ、
小学生の頃、万葉カルタをしたときに「語感」が好きだと思って参加したのだとか。

 

彼が歌ったのは、「この時が長く続けばいいのに」という思いが歌われた「恋の歌」。
実際に目の前で歌ってもらったのですが、あまりにも情感たっぷりだったので、
「自分の思いも込められているのかな?」と聞いたら
「秘密」と言われてしまいました。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

男子中学生の心をもつかむ万葉集を私も実際に歌ってみたい!と思い、
飛び入り参加は可能か聞いたところ、残念ながら無理でした。

 

でも、万葉衣装は着ることができました。

 

せっかくなので、特設水上舞台を模した写真撮影スポットで歌を詠んでみました。

 

「春のうちの 楽しき終へは 梅の花 手折り招きつつ 遊びにあるべし」

 

この歌は、「令和」の由来となった「梅花の宴」にかかわる歌で、
なんと家持が高岡で詠んだ歌なんだとか。

 

「春のいちばんの楽しみは、梅の花を手折って客としてお迎えして宴会を開くことだ」
という意味です。

 

家持も高岡でたくさんの宴会を開いていたのでしょうかね。

 

ちなみに、私も県外からいらした皆さまと一緒に飲んだり食べたりするのが好きです。
キキタビチームとも一緒に美味しいものを頂き楽しいひとときを過ごしました。

 

全国の皆さんも是非、家持が多くの歌を詠みたくなった美しい景色を見に、
また、美味しいものを食べに、万葉集のふるさと、高岡にお越しください。
家持が歌を詠んだように、きっとSNSにつぶやいたり写真をアップしたりしたくなるはずです。