茨城のど真ん中を満喫!水戸・笠間のよかっぺ旅!|旅人:柴田幸子

2020-04-24

KIKI-TABI、先週に引き続き今回の旅人も、わたくしシバサチこと柴田幸子です

 

新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今後の見通しが立たない状況が続いています。日々の生活に加え、出張や旅行も中止が続き、街も心も疲弊し始めていますよね。
そんな中、この「KIKI-TABI」に触れて、疲れた心が少しでも元気になってくれたら、そして少しでも旅をしている気分になっていただけたら、、、そんな思いと、この先、落ち着いたときには、ぜひ訪れてほしい、、、そんな気持ちを込めて、今週も旅を振り返っていきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は、「茨城のど真ん中を満喫!水戸・笠間のよかっぺ旅!」

 

 

 

 

 

 

 

 

茨城県のど真ん中に位置する水戸市と、そのお隣・笠間市の王道、いわゆるど真ん中のスポットを、3月の桜が咲くころに巡ってきました。
まず水戸といえば、、、日本三名園で知られる梅の名所「偕楽園」が有名ですよね。
その「偕楽園」と共に、近世日本の教育遺産群として日本遺産に登録された「弘道館」があります。
(令和2年4月14日(火)~5月6日(水)休館予定)

 

 

 

 

 

 

 

 

水戸藩・第9代藩主の徳川斉昭が約180年前に開いたという藩校です。
国の重要文化財にも指定されている正門や正庁・至善堂があるんです。

 

早速、主任研究員の小圷のり子さんにお話を伺いながら、館内をご案内頂きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

この弘道館、当時は10.5ヘクタール、、、東京ドームの3,4倍くらいの広さで、日本最大規模の藩校だったそうです。生徒さんも1000人くらいいらしたそう!うん、マンモス校ですね(笑)

 

敷地内、まず中心となるのは正庁・至善堂という建物で、その周りに学問を学ぶ文館や武術を練習する武館、医学館、天文台などがあったりして、まさに総合大学と言えます。

 

また弘道館の一番真ん中には神聖な聖域が設けられていて、孔子廟と鹿島神社、八卦堂という「建学精神」を刻んだ石碑を収めたお堂もあり、精神性もとても重んじられていたことが伺えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さきほど生徒さんは1000人とご紹介しましたが、今と違う所があります。
それは、、、毎日毎日通うのではなく、身分によって1か月に15日来る人、12日来る人、10日来る人、8日来る人、、、と4段階に分かれていて、身分の高い人ほど日数多く通えたというシステムだったこと!
そして弘道館の特徴として挙げられるのは、三畳一間のお部屋が60個もあるということ。
数人の学生がその1つのお部屋に入って、今のゼミのような教育の方法で、小グループの自学自習システムだったそうなんです!

 

これは、、、今につながるシステムですね。面白い!!!

 

気になる生徒さんたちの入学年齢なんですが、それはずばり15歳。
まず8歳か9歳になると、藩が指定した塾があり、そこで基礎学力をつけます。そして15歳になると、その塾の先生の推薦で弘道館に入ることになります。

 

では卒業はと言いますと、、、その「卒業」という制度自体がないんですって!
15歳から40歳までは通う義務があるのですが、40歳以上でも学びたい人はずっと学べるのです。まさに生涯学習!素晴らしいシステムじゃないですか!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなお話を伺いながら、先生や役人、藩主がいたという管理棟の正庁から、今度は、廊下を渡って至善堂にやってきました。
正庁は公の場所であったのに対して、至善堂はややプライベートな場所とのこと。
こちらで藩主が休息をして、二の間三の間で藩主の子供たちが、教授からのマンツーマンの英才教育を受けていたそうなんです。

 

15代将軍であるあの徳川慶喜は、そう!斉昭の7男に当たります。
江戸で生まれ5歳から11歳までこちらのお部屋で勉強をしたと言われています。また将軍を辞した後に寛永寺で謹慎をしたあと、この弘道館にこもり、約4か月間もの間、謹慎をしていたというお部屋でもあるんですね。
そう聴くと、このお部屋に詰まった物語がなんだか様々な色に重なりました。

 

ここまでご案内頂いた小圷さんに、弘道館の1番の魅力を聴いてみました。
小圷さんのお答えは、、、「藩校としの、背筋を伸ばしたくなるような凛とした空気感」!いやぁ、、、これとても良くわかります。本当にこの何とも言えない空気感が、心地よくもありシャキッとさせられ喝を入れられるようでもあり、、、前向きな気持ちになれるのだけは確かですね!

 

四季折々、とてもきれいな場所でもありますから、思いっきり外に出られるようになったら、是非足を運んでみて下さいね。

 

また館内には、石碑や歌碑などの拓本や印鑑、吉田松陰が水戸に立ち寄ったときに書いたという漢詩、それから写真など、貴重なものが沢山展示されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中でも、徳川光圀の命によって編纂に着手してから約250年かけて完成した歴史書『大日本史』の402巻のうち、斉昭時代に出版されたという243巻(100冊)が展示されているんですって。これは、見応えありますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、この弘道館のすぐ近くに偕楽園があるのですが、斉昭は弘道館をつくった翌年に偕楽園を作っています。
これは「2つで1つの教育のセットの施設」として作られたんだとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

弘道館は学問・武術を修練する場所で、疲れたり緊張したりしがち。
それを偕楽園に行ってリラックスし、キレイな景色を眺めたりしてリフレッシュを図る、、、そうしてまた弘道館で学ぶ、という流れです。

 

つまり「緊張と弛緩の相乗効果」で、学習の成果を上げるということで作られた場所なんですね!

 

ということで、このまま「偕楽園」もご案内頂いちゃいました。
(令和2年4月14日(火)~5月6日(水)休園予定)

 

 

 

 

 

 

 

 

好文亭の表門までやってきた私たち。
小圷さんのオススメのお散歩コースがあるということで教えて頂きました。

 

斉昭は偕楽園のお庭の構造も全てご自身で設計しています。なんと~!!!
ということで、斉昭が考えた庭園構想を堪能できる「表門から入るルート」をオススメ頂きました。

 

まず一ノ木戸をくぐるのですが、ここから「陰」の世界に入っていきます。
弘道館で学ぶとちょっとした興奮状態になっています。その状態から「陰」の世界で心を静めていくという作業になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

私たちが歩いている道の両脇には、覆い茂るような竹林と大杉森。
うっそうとした暗い中を歩きながら正に心を静めていくわけですね。山の中を歩いているような感じですが、皆さん、思い出してください、、、これ庭です、、、笑

 

 

 

 

 

 

 

 

この「偕楽園」という名前なのですが、、、中国の古典の中に「民とともに楽しむ」という文言があって、そこから取られました。斉昭には「領民と一緒にこの偕楽園を楽しみたい」という思いがあったそう。
当時、江戸時代の大名庭園に庶民の領民が入れるというのは、とても画期的なことだったそう。近代公園の先駆けとも言われていますね。

 

さぁそんなお話をしながら少しくだっていくと、、、そこに姿を見せたのが「吐玉泉」!

 

 

 

 

 

 

 

 

白い岩から泉が湧き出ているじゃありませんか!眼病に聴くとも言われていた湧き水。これを斉昭は、様々な発明から「吐玉泉」という泉にしました。
好文亭の中にあるお茶室では、こちらからくんだキレイな水で自らお茶をたてて、もてなしていたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、やってきたのは好文亭の入り口!
こちらは別荘のような建物です。
「好文木」というのが梅の別名。梅というのは文を好む木なので「学問の木」でもあるんです。その学問の木である梅を、偕楽園や弘道館、水戸領内にも埋めさせたのが斉昭。それはなぜかというと、、、学問・教育が広く水戸藩内に広がるように、ということを目指していたからなんですって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

梅は冬の寒さに耐えて真っ先に咲く花。先駆けという意味もありますし、梅干しにもできます。斉昭はとても実用的な考え方をするので、食糧・保存食・お薬にもなる梅干しを、軍事の非常食として考えたのですね。1000樽もの梅干しを偕楽園の梅で作ろうという計画を立てていたそうです。
そんな学問を広める「願い」と、そして合理的な部分と、、その両方の観点から「梅」がシンボルになったのでした。面白い~!

 

偕楽園には約100品種、3000本の梅をはじめ、桜・つつじ・萩等、四季折々の花を楽しむことが出来ますので、来年は、、、是非いろんな梅を楽しみたいですね。

 

 

 

 

(左)偕楽園公園センター 和田久男さん  (右)小圷のり子さん

 

 

 

 

とうことで、次に向かった場所はこちら!
ど真ん中の名産品といえば「納豆」、、、やってきたのは偕楽園から車で10分。

 

納豆の起源や水戸納豆が全国的に有名になった理由など、様々な歴史を紹介。
家庭で作れる納豆や手頃に食べられる納豆料理など、ためになる情報もゲットできる「天狗納豆總本家・笹沼五郎商店」さんです。
(令和2年4月13日から本社売店、納豆展示館は休業しています。営業再開など詳しくは、笹沼五郎商店さんのHPをご確認くださいね)

 

 

 

 

 

 

 

 

早速、お店の2階にある納豆展示館へ。
納豆年表を見ながらお話を伺ったのは、株式会社笹沼五郎商店・代表取締役社長の笹沼寛さん

 

 

 

 

 

 

 

 

いつ頃誰が作って食べ始めたのかというのは、実は笹沼さんもお分かりにならないそう。ただ文献を見てみると、大豆自体が元々日本にはなく、その大豆が中国から入ってきたのが、多分弥生時代、、、そこから一般庶民が食べられるようになったのは、平安・鎌倉を過ぎて、江戸時代、徳川家の時代の最後の頃ではないかと。富裕層を中心に食べていたという記録が残っているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

では、水戸の名産といえば納豆!となったのはいつ頃なのでしょうか。
創業者・笹沼清左衛門さんが納豆を水戸市の観光土産として売りたいと思ったのが、明治17年。清左衛門さんは作り方も分からなかったため、納豆の先進地であった宮城県仙台で納豆の製造技術を習得。そして、明治22年、丁度栃木県の小山駅と水戸駅を結ぶSLが開通する年だったので、それに合わせて納豆を製造、販売し始めたのがスタートなんだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔は農家の方、関東より東北6県の方では親しみを持たれて「自分のうちで作って食べていたもの」。色んな作り方があるのですが、自分でせいろで大豆を蒸かしてわらで包み、穴を掘って焼いた石を乗せ温めて2日3日おいて納豆にする、、、というのが当たり前。
自然の力を使って作っていたのが昔の納豆なのです。
家庭の味がぞれぞれあったんでしょうね!
またわらには元から納豆菌自体がいて、その活性を使って納豆は出来上がるもの。なのでわらは、やはり欠かせないんですね。

 

納豆の「美味しい旬の時期」についても聴いてみました、、、。
納豆を作る大豆は秋に収穫されます。お米も秋に収穫、、、なので基本的には「冬」が旬の時期なんだとか。
俳句での納豆の季語は「冬」なんですって!

 

そして、納豆を使った「お料理コーナー」もありましたよ。
おうちで簡単にできる納豆を使った食べ方の紹介がありました。
定番の納豆ご飯は勿論、チャーハンの具材として最後に納豆を絡めて食べる納豆チャーハン。これから夏場に向けては、お蕎麦・おそうめんに納豆を入れる納豆そばなど!おつゆの方に納豆を入れて頂きます。
さっぱりしてて美味しそう!!
また天ぷらにも!海苔で巻いて小麦粉つけて磯部揚げ風にし、天つゆで頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな中でも笹沼さん1押しの納豆料理とは、、、やはり「普通にご飯」で!
好きな薬味を乗せてごはんとともに頂くんですが、中でも最近お好きな薬味は「ワサビ」なんだそう。からしを入れるのは定番ですが、、、。
からしはツーンと鼻にぬけるえぐみさがありますよね。ワサビはその辛さが「甘味」に変わるということで、これはとっても美味しそうです。
早速私もやってみたいと思います!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

2階で様々なお話伺った後、今度は1階に降りてきました。
こちらでは色んな商品を購入する事ができます。
勿論、天狗納豆もあります!
この天狗納豆の特徴といえば、、創業当時から作っている「わらに直巻きの納豆」、そして大豆は「小粒」!
水戸の納豆の特徴でもあります。

 

何と言っても「わら」でという所、、、一味も二味も違う、昔ながらの味を楽しめる一品なんだとか。
大豆自体のいらない水分がわらに吸収されるので、締まった触感とわら独特の香りが移ってとても風味深い味に仕上がっているそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

さぁ、納豆について学んだら今度は納豆専用の器が欲しい!、、、ということで、やってきたのは、水戸市のお隣!関東最古の焼きものの郷として知られる笠間市です。

 

お邪魔したのは、二百余年の伝統を守り続ける笠間焼の窯元【製陶ふくだ】さん。 

(令和2年5月6日(水)まで休業予定です。詳しくは、製陶ふくださんまでお問い合わせくださいね)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1963年、笠間で日本にさきがけて「陶芸教室」を始めた所でもあります。お話を伺ったのは、義右門を受け継ぐ六代目・陶芸家の福田勝之さん

 

 

 

 

 

 

 

 

敷地内には大きな花瓶の焼き物がありました。
なんとも目を引く5~6mほどの大きさ!!!
花瓶のお隣には人形や大仏さんのお顔もあって、、、何とも言えない世界観です(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

製陶ふくださんは、今から220年ほど前に開業。
先ほど見た大きな花瓶についても聴いてみると、、、こちら平成元年に作られたそうですね。勝之さんのおじい様が瓶やすり鉢を作っていたそうですが、高度経済成長期で売れなくなり、、、そこでやめようと考えていたおじい様の後を継がれたのが勝之さんのお父様でした。そこから30年40年やってきて、その技術でどれだけ大きなものができるかという挑戦をしてたかった、ということで、この大きな花瓶が誕生したんですね。
そもそもこの笠間焼が誕生したのは江戸時代、1770年代。信楽の陶工職人が開祖とされ、日用雑器を中心に作られてきました

 

 

 

 

 

 

 

 

笠間焼の大きな特徴は「土」。笠間周辺で採取される土は良質な材料として古くから利用されてきましたが、これは笠間でとれる「御影石」。あのリニューアルされた東京駅の前の白い石、あれですよね。何を隠そう我が家の玄関も御影石を使っています!その御影石が風化して200万年たったのが、、、笠間の土になるんだそうです。
そして鉄分が多く含まれるのも1つの特徴。なので、作ったものに白い色をかけても真っ白ではなく少し赤みがかった色になるんですって(鉄分が多く含まれている事から)。

 

 

 

 

 

 

 

 

制作する上で大切にされていることを聴いてみると、、、
「皆さんに使ってもらう器、陶器なので、使いやすさ、持ちやすさ、飲みやすさなどを気も付けて作っている」とのこと。
見た目の美しさだけではなく、使いやすさまで考えられているとは!普段使いするものは確かに大切ですね。

 

さぁ、こちらでは陶芸教室を行っているということで、、、私、一度も経験ないのですが、果敢にも納豆鉢作りに挑戦させて頂きました

 

 

 

 

 

 

 

 

勝之さんからは「厳しいですよ、ハハハ」の一言が(笑)

 

早速、お借りした白いエプロンをつけて、ろくろの前に座ります。
ろくろとはご存知の方も多いと思いますが、直径30cmほどのターンテーブル。このターンテーブルの右側についているペダルを脚で踏み込むことで、スピードを調節しながら、ろくろを回していきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは、手のひらサイズの土の塊をターンテーブルの真ん中に置き、飛ばないようにしっかりとターンテーブルにくっつけます。上から押して中華まんのような形にしていきます。ゆっくりと回しながら、上から上から、円形になるように形作っていきます。

 

早速ここで先生から「繊細に行きましょう!!!
はい、、、5分で見抜かれましたが、わたくし、ご想像の通り、、、ガサツでございます(笑)気を付けながら、、、

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の時点で「ゆがまないように」する、、この最初の作業が肝心なんですね。
同じ場所を、同じ力で、同じリズムで、これが重要なんだとか!デコボコしている所を平らにしていくイメージです。
ただ、やればやるほど縦に伸びてきちゃいまして、、、笑
むむむ、、、、、、、
ここで、、、!そう!神の見えざる手が入ります、、!(笑)
すると、あっっっという間に、まぁるくなるんですよね!本当に正に神の手!!

 

 

 

 

 

 

 

 

ここからです。両手を充てながら包み込むようにし、そして両親指で真ん中を押さえて「穴」をあけていきます。
グッと力をかけて、底から1cmのところまで穴を空けてていきます。
周りをしっかり包み込みながら、親指に力を入れていくんですね。

 

これがまた、なかなかに難しい!
無心にならないとダメです!
私のように邪念まみれの人間には、余計な力が入ってしまい、、、(笑)
まぁ難しい!!!

 

ですので、、、そうです。この間にも、何度も神の見えざる手が入っています(笑)
そうして出来上がった、神の手が半分以上作り上げた納豆鉢ですが、、、先生は言ってくれました!「あなたの作品ですよ」
そうです!これは、、、私の作品です!!!(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

いやぁ、嬉しいものですね。
出来上がりがとっても楽しみです!

 

ただ、ここから出来上がるまで、大体1か月かかるんだそう!
こうやって形ができてからの作業が、また大変なんですね。

 

ちなみに、先生に見本として作っていただきました!
並べると・・・はい、軽~く落ち込みます。。。(笑)

 

 

 

 

 (手前)柴田さん作 (奥)福田先生作

 

 

 

 

さぁ気を取り直して、この後は、手を洗って色を決めます。
散々迷った結果、、、最終的に決めたのは、黒(とっても深い緑?)と渋い抹茶色の2色入ったもの。

 

色が入るとまたガラッと印象が変わりそうですよね。

 

なんて思っていた所に、、、ピンポーン!
ナイスタイミングで完成品が届きました。
ドキドキしながら段ボールを開けてみると、、、
キャーーーーーーーーーーーー!!!!!

 

なんとも素敵な納豆鉢が!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とても深みのあるお抹茶色。味のある私の陶器作品・第一号となりました。
大切に使わせて頂きますね!毎朝納豆だな!!!

 

ちなみに、ふくださんの陶芸教室は、手でこねながら作品を作る手ひねり体験が1650円。そして、私も挑戦したろくろ体験は、3550円です。

 

この体験のあと、私たち一行はお買い物タイム!
私もふくださんの小皿やカップを山のように購入して帰ってきました(笑)

 

なかでも可愛かったのが「茨城名産物語」。
茨城の美味しい農産品を笠間焼の小皿や箸置きにしたもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

スイカやメロン、クリや梨など、、、とーってもかわいいの!
茨城の誇れる一次産業を応援したい!という思いから作られているんだそうです。

 

ハマっちゃいそうだなぁ~焼き物!

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は「茨城のど真ん中を満喫!水戸・笠間のよかっぺ旅!」と題して、
茨城県のど真ん中に位置する水戸市と、そのお隣・笠間市の王道、いわゆるど真ん中のスポットを巡ってきました。

 

元から大好きだったものばかり!本当に王道の部分を楽しんできたわけですが、やっぱり実際に見て、聴いて、学んで、そして体験して、、、さらに愛情もしましたし、今回もお世話になった茨城の皆さん、優しくて温かくて、また笑顔がとっても素晴らしかったんだよなぁ~。

 

何度来ても堪能できる、それが「王道」なのである!

 

また是非来たい!!!焼き物の腕磨いて、再度チャレンジする!
次はね、、、神の手は「NO!」と自信をもってお断りするんだからね!(笑)