東京探訪 山手線一周ぶらり旅 新大久保~高田馬場編1|旅人:井門宗之
2011-03-13
ある日の会議風景。
井門「よし、長崎の次は青森に行こう!」
久保「いいね、はやぶさ!」
吉武「電車系は久保さんにお任せかな?」
横山「長崎が僕なら、青森は…佐々木君かな?」
佐々木「あっ、僕行けますよ!行きたい!」
慶吾「冬の青森、旨いものいっぱいね!」
会議は和やかに進行していきます。
JFNの会議室、この時の湿度はカラっとしている。
ところが、テーブルの一角から何とも言えぬジメーっとした湿度でこちらを見る視線。
もし僕が鬼太郎なら『父さん!凄い妖気だ!』と言うこと請け合い。
何と言いましょうか、部屋の一角だけ【グラビデ】がかかった状態(by FFシリーズ)。
その場にいたスタッフ全員がその異変に気付き、はっ!と視線を向けると、そこには!
サリー「良いよなぁ、地方。ぼへぇ。」
リンちゃん「どうせ私たちは週末無理ですもん。ぼへぇ。」
なんと言う事でしょう!
もはやどんな白魔法を使っても元に戻らないほど、暗黒面に堕ちた二人!
一瞬にしてヤジキタのダークサイドに堕ちた、サリーとリンちゃんがそこにいたのです。
ヤジキタの新戦力は何を隠そう、かなりの美男・美女。
その美男・美女をこのままダークサイドに堕とすわけにはいきません!
久保「青森の前にさ、1本山手線やろうよ!サリーとリンちゃんで!」
久保は白魔法メルシーを唱えた!
みるみる会議室の霧が晴れていく。
吉武「ここいらで1本、2人のコンビで山手線!良いぢゃない!」
吉武は白魔法ミラクルを唱えた!
サリーの身体から毒が消えた。リンちゃんの身体から毒が消えた。
横山「そのロケって、ぶらりシリーズちょうど中間点達成だよね!」
横山は白魔法ウエイジを唱えた!
サリーのHPが完全に回復した。リンちゃんのHPが完全に回復した。
慶吾「よっ!節約部隊!」
慶吾は黒魔法ヨケイナヒトコトを唱えた!
サリーはやさぐれた。リンちゃんはやさぐれた。
はい、という冗談はこの辺にして(笑)
今回の旅は不定期シリーズ【東京探訪:山手線ぶらり旅】。
このシリーズもようやく半分の距離を進もうとしているわけです。
前回が新大久保ゴールだったので、もちろん今回は「新大久保~高田馬場」間と。
新大久保から高田馬場は今までと風景がガラっと変わっていくゾーンですね。
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これまでが繁華街東京のイメージだとすると、
ここから「高田馬場~目白」の界隈は住宅や学校が増えていくゾーン。
その先が池袋になるので、新宿―池袋間にある割と閑静な場所、と言っても良いかもしれない。
まぁ、「閑静」と言ってもそれは「山手線の駅の中でも」という枕詞は付きますよ、念の為。
何にせよ、今までのぶらりの様相とはちょいと違う旅。
そんな期待に胸膨らませ、我々は新大久保の駅前で待ち合わせ。今回もぶらりのスタートであります。
あっ、そうそう一応やっとく?メンバー紹介。
D:サリー!作家:リンちゃん!カメラ:慶吾とその一味!(笑)
大丈夫、Dと作家はやさぐれてなんかないから…。
*あとロケの日はメルシー師も参戦してくれて、賑やかにロケは進みました。
この山手線ぶらりの真骨頂はスタッフと井門の掛け合いトークにあります。
正月のYAJIKITAでも私は言いましたね?山手線のロケ時のメルシー師の前に出る感の凄さ(笑)
サリーもその辺は心得ていて(注:代々木公園で彼は体験済)、リンちゃんに指導です。
サリー「鈴木さんもがんがんキテ下さいよ!」
リンちゃん「私…前に出る系の作家さんぢゃないんだけどな…。」
OAを聴いて戴いた方なら分かるはず。リンちゃんの「結構頑張って喋ってる」感!
まぁ、それも徐々に慣れていって最後の方はちゃんと突っ込みまで自在に操ってましたけど。
そんな我々が最初に向かったのは、新大久保に工場を構える「株式会社ロッテ」さん。
もちろん御菓子やアイスクリームなど、僕らにとってとても身近な物を作っている会社です!
| いかにも工場!のダクトっぷり。 |
中でも『お口の恋人』というフレーズから、ガムをイメージされる方も多いのではないだろうか?
実はこの新大久保から数分の場所にある【ロッテ新宿工場】では、
ロッテの代名詞とも言える板ガム(チューインガム)を唯一製造しているのであります。
しかも山手線内側にこれだけの大規模工場を抱える企業はロッテしかない!
山手線ぶらりをしていて、ここは外すわけにはいきせん!
リンちゃん曰く、新宿工場は工場見学を行っていない場所。
なので僕らのご機嫌伺いが失敗すれば、工場の中は見せてくれないかもしれない…。
これは気合いを入れなければ、と全員が背筋を伸ばして会社の中へと入っていったのです。
(ちなみに工場見学出来る場所もあります。浦和工場と狭山工場はHPから御申し込みを!)
会社と工場の外観はいかにも歴史のありそうな…。
1階はすぐに大きくカーブを描く階段があったり、何やら昭和の雰囲気を醸し出している。
それもそのはず、この工場自体は1950年3月に完成した歴史ある建物。
我々はロッテの方に案内されるままに、御部屋で工場長のお話を伺う事が出来た!
僕らに貴重なお話を聞かせてくださったのは、初根紀夫さん。
全身から工場を預かる男のダンディズムを漂わせていらっしゃる。
初根さんは僕らに板ガムの歴史や、こちらでの製造について、また原材料のチクルの話をしてくれた。
何とこの新宿工場では500万個の板ガムを1日に製造しているそうな。
となると、1日500万人のお口の恋人を生んでいる計算になる。
その中心にいらっしゃる初根さんは…、まさに愛の製造工場長。
僕らもその淀みの無いお話しにすっかり魅了されてしまいました。
そもそも「株式会社ロッテ」が誕生したのは1948年。
現会長の重光武雄さんはそれまで石鹸やポマードなどを製造販売していたのだが、
嗜好品として人気が高かったチューインガムの分野にロッテとして参入。
意外なのは、最初は板ガムではなく風船ガムを中心に製造を始めたんだとか。
そのロッテが板ガムで独自の路線を進む様になるのは(一人勝ちに進むのは)、
それこそ原材料となる『天然チクル』をガムに取り入れてからなのです。
当時圧倒的にガムに使用される事の多かった合成酢酸ビニル樹脂に比べて、
南米でとれる『天然チクル』を使ったガムはその味も品質も良く、
この材料を使って板ガムの製造を確立した「ロッテ」は間もなくその地位も不動のものにしていくのです。
| こちらの工場で作っているガムの数々! |
実は我々がお話しを伺った部屋には『天然チクル』の塊が置いてありました。
興味津津のヤジキタ一行、それぞれがチクルの塊を持たせて貰いましたが…、まぁ重い!
その横には、チクルを細かくして、“これからガムにするぞ!”という、
まるで色の付いていないコーヒー豆の様な物体も小さな瓶に入れて置いてあります。
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初根「横に香料があるでしょう?それを付けたりして味や香りを付けるんです。」
確かにこちらも小瓶に「ミント」「コーヒー」などのフレーバーの名前が書かれています。
一つを手にとって香りを嗅いでみようとミントの蓋を開けてみた所…、
井門「うにょほうっ!!」
ガムの香料の原液の刺激は、井門の鼻孔をことさら刺激した。
花粉症で鼻づまりだった井門の鼻はスーっと通り、後に続いたサリーも蓋を開けて悲鳴を上げる。
初根「強烈でしょう?工場の中にいれば花粉症にならないんぢゃないかな?」
工場の中?
という事は…やりました!!晴れてヤジキタ一行は工場見学の許しを得たのであります!
ここからは兵頭さんのご案内で全員ビッチリ白衣を纏って出陣!
さぁ、お待ちかね!皆さんにも井門Pのウッフン白衣姿をどうぞ!
*リンちゃんセレクトかも~ん!
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完全防備で挑むのは板ガム製造の現場。
都内にある工場の中でもとりわけ歴史のあるこの工場。
見学中にその歴史ならではの構造に直面するのですが、それは何かと最初に言っちゃいます。
製造過程がそれぞれ敷地内にはあるのだが、それぞれ少々離れていたりする為に、
全体を見学しようとすると、その度に建物の外に出なくてはならないのであります。
そして当然ながらその都度厳重な衛生チェック(手洗いやクリーナーでの埃除去)を受け、
なんと言いましょうか、工場見学が終わる頃にはヤジキタ一行、相当綺麗に…。
でもこれは逆に言うとロッテさんの【品質への徹底した管理】が裏付けられているわけです。
歴史ある企業の製品への真摯な姿勢を目の当たりにした我々。
肝心の工場内で目の当たりにしたものと言うと…。
兵頭さんに連れられるまま入ると、まず先程のコーヒー豆の様な物体が重箱の様に重なっている。
これが“これからガムになろうとしている”物。
その横には香料やその他、味の決め手となる物質が積み上げられています。
ここはこの工場のまだまだ入り口、序の口。
奥に入るにつれて、床は何やら粉こなしてくるし、何よりもミントの香りの強烈な事!
いくつ部屋を抜けた頃だったろうか?
床が粉で滑るようになり、マスクを付けている筈なのに涙が溢れてくる。
サリー「すげー!」
リンちゃん「目が、目がシバシバするー!」
実はこの粉の量には板ガムへのあるこだわりが見えてきます。
兵頭「最近になって板ガムの改良があったんです!」
聞けば板ガムの上に載せる味覚や香りをよくする粉、
この粉の量を増量したと言うではありませんか!?
確かにベルトコンベアに載せられて成形される前の板ガムには、
まるで粉雪の様なフレーバーパウダーがさらさら~っとまぶされております。
見た目は小麦粉を沢山打ったうどんの生地…とでも言いましょうか?
出来たてですから、当然近くにいると温かさを感じるわけで、
『板ガム』が『出来たて』で『温かい』っていう感覚は生まれてから当然初めてなわけです。
兵頭「あっ、何なら出来たて、いきますか?」
(むしっとコンベアから手で千切る兵頭さん)
手袋をはめた手から、出来たての板ガムをむしり取る我々。
あまりにも唐突の出来事に、リンちゃんの手はかすかに震えて…いないか。
いやでも皆、感動でキャーキャー言っている(笑)
井門「(口に含んでむしゃむしゃむしゃ)あったけ~!!」
サリー「(むしゃむしゃむしゃ)やわらけ~!!」
リンちゃん「(むしゃむしゃむしゃ)何この食感~!!」
出来たての板ガムは当然「板の形」をしていないものの、
口に含んだあの爽快感は僕らが食べ慣れたアレであり、しかしその食感は全く別物であり…。
こうしてヤジキタ一行はまた一つ知識が増えたのです。えっ?何って?
ご飯とガムは出来たてが旨い!
僕らはこうして出来たてのガムを堪能しつつ、
そのガムが完全なオートメーションで一つ一つパッケージされ、更に箱詰めされる行程を見学。
機械と人間の見事なコラボレーションがここまで美しいとは…。
そしてエアシャワーを上手に浴びるのが、あんなに難しいとは…(笑)
だってエアシャワー(身体の埃を風で落とす装置)のボックスに入って、
身体をまずブラシで軽くブラッシングするのですが、
ブラッシングしている最中に四方から『ぶぉぉお~』って風が来るんですもの。
兵頭さんは上手にブラッシングのタイミングと、風のタイミングを測ってましたが、
井門Pの中途半端なエアシャワーったらなかったです(でもちゃんと綺麗にしましたよ、一応。)
身体の内も外もガムの爽快な香りに包まれたヤジキタ一行。
もう一度、初根さんのお話を伺いに部屋へと戻ったのであります。
すると部屋の中から何やら笑い声が聞こえるではありませんか!?
そうです、実は一人だけメルシー師が部屋に残りロッテの方とお話をしていたのです。
メルシー「いやぁ、思わず商品開発のアイデアを話しちゃったよ。」
管理部課長大澤さん「久保さんのアイデア、良いんですよ。」
何と言うことでしょう!工場見学ですっかり童心に返った我々とは打って変わって、
メルシー師の両目が「$$」になっているではありませんか!?
メルシー「($v$)うひひ。」
そんな中、工場見学を終えた我々に労いの言葉をかけてくれる初根さん。
その目には自慢の工場への愛が窺えます。
初根「これだけの生産量を誇る工場はここしかありませんから!」
ロッテの歴史を支えた板ガム、その全てがここにあると言っても過言ではありません。
板ガムの歴史は日本のある歴史にも貢献しています。それはこんなエピソード。
(以下公式HPより抜粋)
『発売から40年以上になるロングセラー商品、「クールミントガム」。
ペパーミントの爽快な刺激が「辛口、大人のガム、お口の中に南極のさわやかさ」、
というキャッチフレーズとともに、発売当時大きな話題を呼びました。
ところで、パッケージでおなじみのペンギンマーク。
このマークが使われたのには、2つの理由があります。
ひとつは昭和31年(1956年)に、ロッテが製造贈呈した南極観測隊用ガム。
観測船「宗谷」にも積み込まれたこのガムが、
昭和35年(1960年)発売の「クールミントガム」のアイデアベースになっています。
もうひとつは、ペパーミントのさわやかな爽快感が、
南極の澄んだ空気のイメージにピッタリだったということです。』
お口の恋人。
このキャッチフレーズは本当によく出来ていますよね。
戦後の復興から、徐々に人々の心に余裕が生まれていった1950年代。
心の復興に一役も二役も買ったのは、ここで生まれたお菓子だったのかもしれません。
だってお菓子は、人の心に余裕がある時にしか広がっていかないですもん。
ロッテの業績の伸びは、戦後復興の象徴の様な気もするのです。
実は創業者の現・重光会長はもともと韓国からやってきた方です。
日本にやってきた会長は、そのままロッテの前身となる会社を作り上げました。
その後のロッテの栄光の歴史は推して知るべしと言った所でしょう。
新大久保に集まる韓国人にとっては、この街はジャパニーズドリームが成し遂げられた聖地。
だからこそ新大久保には、今も沢山の韓国人の方がやってくるのかもしれません。
そしてロッテ自身もこの新大久保にしっかりと根付く為に、
それはそれは数多くの地域貢献をしてきました。
工場で地域の小学校の社会科見学を行ったり、操業当時は近所の方に手伝ってもらったり。
そんな歴史があるから、ロッテには『おもてなしの心』が強く刻まれているのです。
実は我々も工場を後するとき、初音工場長を含めたロッテの方々に山ほどお菓子を貰いました。
別れ際の皆さんの笑顔と、手渡されたお菓子の温かさ、物凄く印象的だったなぁ。
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おいおい、今回の【山手線ぶらり】、最初の方で既にクライマックスだろぅ?
旅日記の長さもこの時点でかなりの文字数いっちゃってるぞ…。
リンちゃん「(井門完全無視)はい、それではそろそろあそこです!」
サリー「ついにきますね!」
お・・・おぉぉお!!!
ついに来るのか!?
念願の、待ちに待った、2年かかってようやく来た、中間地点!
ロッテの工場を越えたすぐ近く、山手線の高架下あたりがどうも中間地点との事。
これは久保氏情報であるのですが、この企画を立ち上げた人が言うのだから間違いない!
その高架下がもう目の前に迫っているのであります。
井門「さぁ、いよいよ中間地点達成であります。」
慶吾「ようやくだなぁ…(めずらしく感慨深そう)」
井門「さぁ!きたー!!」
慶吾「おぉ~!!」
興奮するオッサン二人。
それもそうである、この企画が立ち上がったのが2009年。
本当はその年に山手線一周を成し遂げる筈だったのが、今や2011年。
ところが笑顔を見せ合うオッサン二人に対し、何とも冷静なサリー&リン。
リンちゃん「はい、ここから早稲田の方に歩きますよー。」
サリー「はいはい、いきましょうねー。」
待て待て~ぃ!君達には感慨深いとか、そんな感情は無いのかね?
2人「だって、僕達新メンバーですもーん!」
くっ…、『新メンバー』且つ『ゆとり世代』め…。(本人達注:そんな若くないです!!)
こうして我々ヤジキタ一行は、一路早稲田方面に向かって歩き出したのでありました。
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早稲田方面に行くとあるのは山手線の駅ではありません(もう破綻してる…)
ここは東京メトロ副都心線『西早稲田駅』。BGM「福笑い/高橋優」
とは言ってもこの辺り、副都心線が開通するまでは通学に『高田馬場駅』を使っていた学生も多く、
広い意味では「山手線ぶらり」からさほど外れてはいないエリア。
さらに言うと、リンちゃんの母校の女子高が近くにあり、彼女の胸キュンエリアなのです!
この辺りからは皆さんも地図を見ながらだと膨らむと思います!
是非ネットで地図を見ながらこの日記を読んでみて下さいませ。
西早稲田駅の近く諏訪町交差点から明治通りを新宿方面へ。
交通量の多い場所の近くになんと国指定重要文化財『学習院旧正門』があります。
朱色で塗られたこの洋風の鉄扉、何と日本最古の鋳鉄製の門だそうです。
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井門「中には入れないのかい?」
リンちゃん「女子高ですし、許可は取ってないので…。」
井門「ぢゃあ、サリー行って来なさいよ。そしてちょっと警備員に怒られてみなさいよ。」
サリー「いやいやいやいやいや。」
リンちゃん「行ってみなさいよ。男をみせてみなさいよ。」
古田「チャラいなぁ、サリーさんは。」
門の近くで賑々しくやっていたら、警備員さんがこちらを気にしている。
さすが名門校だけあって、警備は厳重のようだ。怒られない内に先を進もう。
しかし明治通り沿いのこんな賑やかな場所に重文があるのか。
早稲田の懐の深さというか、この街の文化度の高さが窺えるなぁ。
古田「(得意そうに)まぁ、大したこと無いっすヨ!」
いつの間にかカメラマンが慶吾から古田君&くぼた君に替わっている…。
そしてその慶吾一味の古田君が何やら水を得た魚の様に溌剌としている!
古田「まぁ、早稲田界隈は目を瞑っていても歩けますから!」
そうなのだ!
このチョンマゲカメラは早稲田大学卒業という高学歴。
なんで慶吾の所で映像をやってるのか分からない高学歴なのだ(慶吾談)
しかも、くぼた君に至っては一橋大学卒業というエリート。更に謎だ。
と言う訳でリンちゃんと彼の先導で歩きだしたヤジキタ一行。
今回の旅はかなりこのエリア(早稲田~高田馬場間)をぶらりするとの事、案内役は頼もしい。
一行は戸山公園へと進んでいった。
明治通りから一本路地を入るだけで、交通量もぐっと減り静かになってくる。
しばらく進むと小高い丘のある公園が。それが『戸山公園』。
ここは春になると『箱根山』を中心に桜が咲き乱れる、いわば桜の名所。
古田君も学生時代はこの戸山公園でよく花見をしたとか。
下から見ると結構な勾配だけど、登れるのかな?
リンちゃん「実はこの箱根山、新宿区で一番高い山なんです。」
新宿は高層・超高層ビルが立ち並ぶ日本を代表する大都市。
その新宿区で一番高い『山』ですから、これは興味が湧いてくる。
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えっちらおっちら登る我々。
何だか危なっかしい足取りで、背面歩行しながら我々をカメラに収めるくぼた君。
大丈夫かな、結構急な坂だぞ。見ろ、リンちゃんもサリーも息を切らせているぞ。
ほらほら、道がそこ、曲がっているんだぞ。曲がった先はちょっと段が上がっているぞ。
道の上の石段、踏み外さない様に気をつけ…
くぼた「ふにゃはほふっ!!」
気付いた時には既に遅し。
カメラマンくぼた君、石段を踏み外しておおコケ。
華奢な身体が崩れ落ちる様は、ジェンガで負けたみたいになってた。
一行、ようやく登り切った『箱根山』。
その標高は約44.6m。見晴らしもなかなか良い。
遠くに新宿のビル群も見渡せるここは、きっと昔は最高の眺望だったに違いない。
それもそのはず、元々「尾張徳川家」の下屋敷があった場所。
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当時は別名「戸山山荘」と言われ、あの「小石川後楽園」と並ぶ名園だったとか。
サリー「春だったら最高の場所ですね…。さみぃ。」
三月の寒さに、小高い場所はしみる。
震え始めたサリーを小脇に抱え(嘘)、ちょいと美味しい物でも食べに行きましょう!
早稲田~高田馬場界隈は都内でも有数の【ラーメン激戦区】。
“超”が付く程の有名店が軒を連ね、味のガチンコ勝負が繰り広げられているのです。
しかしそもそもここにラーメン店が増えたのは、当然ながら“ここが学生街”だから。
早稲田が【大学】となったのは1920年。
そこから様々な歴史を繰り広げながら、この学生の街は発展していきました。
街の発展はそこに集まる人の質によるでしょう。
この街に集まった人の質で共通してるのは『いつも腹ペコだ。』という事。
そうです、腹ペコな学生が数多く集まる街は、飲食店も安くて旨いのが道理なのです。
そして安くて旨い飯の代表格と言えば『ラーメン』。
リンちゃん「早稲田で一番古いラーメン屋さんは、ヤジキタに関係があります。」
井門「なんで?」
リンちゃん「行けばきっと分かって戴けるかと…。」
言われるがまま、早稲田通りを早稲田高校の方へ入って進んでいく我々。
すると右手に何とも言えないレトロな赤いテント屋根のお店が見えてくる。
あれが我々の目指す店と言うので、近付いてみると…。
【軽食&ラーメン メルシー】
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スタッフ、全員爆笑。
何故って、つい最近ですよ、久保氏にメルシーというコードネームが付いたのは(笑)
これは確かにヤジキタに関連がある!勝手な親近感を抱いて、改めて店構えを見る。
するとラーメン店というよりは、完全に喫茶店の風情。
店の扉はガラスドアだし、その横にはサンプルの並ぶガラスケース。
確かにラーメンのサンプルもあるけど、ドライカレーもあったりして。
たまらないレトロ感だけど、中を覗くとお客さんも結構入っている。
中に入るとL字型の店内はテーブル席のみ。カウンターは無く、L字の先が厨房になっている。
2代目の小林さんは気さくにお話しを聞かせてくださった。
もともとは初代が始めた喫茶店だったという【メルシー】。
そこを2代目が継ぐにあたり、ラーメンを本格的に始めたのだと言う。
小林「名残りで喫茶メニューも残してありますけどね。」
確かにメニューにはオムライス、ポークライス、ドライカレーの文字も。
すると僕らの取材を後ろで聞いてた学生2人がボソっと遠慮がちに一言。
学生「ここさ、ドライカレーも旨いんだよな!」
学生たちに本当に愛されているんだな、というのを感じた一幕。
ラーメンの値段も400円とお財布の寂しい学生には最高。
*後日談:早稲田出身の別番組のDに聞いた所、早稲田の学生でここに来ない人はいないとの事。
早速メルシー自慢のラーメンを作って戴く事に。
待つ事数分、出て来たラーメンの美味しそうなことと言ったら!
*ナイス写真をプリーズ!
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もやしとコーン、メンマにチャーシューにネギ。
それが懐かしい味わいの醤油スープ、そして400円でもたっぷりの麺に相まって…。
メルシー!!
ここのラーメンは小林さんの愛情がたっぷり詰まっているんです。
それは「学生さんにはお腹いっぱい食べて欲しい」、という真っ直ぐな愛情。
今と昔では学生の姿は少しだけ変わったけど(今の方がお洒落になったそうです)、
いつの時代も学生が腹ペコなのは間違いない。
そんな学生さんをいつでも待っているのが【メルシー】さんなんです。
何でしょう、ラーメンだけじゃなくて大切な事も教えてもらった気がします。
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美味しいラーメンを戴いたら、再びぶらりのスタート。
今度は早稲田通りをずーっと西早稲田の信号までやってきます。
その信号のすぐ近くに、高田馬場の名前にまつわる「ある場所」が…。
地図上でこの一角を見ると綺麗に四角く区切られているのが分かるのですが、
何を隠そう、ここが馬場跡なんです!【高田馬場】ってぐらいですから、馬場があったんですねー。
明治維新の頃まで幕臣の弓馬の練習場がここには存在したんです。
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西早稲田の角にあったお寿司屋さんで貰った資料によりますと、
“馬場は東西二百間、南北二十五間とあり、東から西へ追いまわしと呼ばれた中土手が築かれ、
土手の南側が馬、北側が弓の練習場となっていた。”とあります。
しかもここでは将軍のお立ち台が設置され、流鏑馬が行われていたとか。
なるほど、ここを進んでいくと【馬場口】という交差点に出るのも名残なのかもしれません。
リンちゃん「はい、続いてのラーメンは…」
!!???
おい、色情魔。いま何て言った?
ついさっき僕は【メルシー】で美味しいラーメンを食べたばかりだぞぅ。
リンちゃん「おい、P。早稲田は何の激戦区だったっけ?」
井門P「え…えぇと、そのぅ…。…ラーメンです。」
リンちゃん「でしょ?よし、二軒目いくよ!!」
井門p「はい…。」
もはや「p」の字も小さくなる井門。
せっかく【ラーメン激戦区】の早稲田に来ているのだから、取材しないと損!
実はロケの下調べ中に、ヤジキタは高田馬場にある「とある組合」の存在を知ったのであります。
その組合の名前とは【高田馬場ラーメン組合】。
現在も界隈のラーメン店が加盟して、味の向上、情報共有、共同開催イベントetc.
この辺のラーメン業界を一本芯の通った物にしよう、と日夜努力を続けているのです。
その組合の組合長の店が、明治通りと早稲田通りの交差する近くにある。
その名も【麺屋 宗】さん。
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店主の柳宗紀さんに、高田馬場ラーメン業界の抱えるお話を聞かせて貰いました。
数十軒がしのぎを削る【ラーメン激戦区・高田馬場】。
この場所で【麺屋 宗】が店を開いたのはおよそ4年前の事です。
様々な工夫をしながら、この場所でひたむきにラーメンを作ってきた柳さん。
その工夫の一つが【高田馬場ラーメン組合】だった事は言うまでもありません。
チェーン店に押されても個人のお店が負けないように。
出たり入ったりではなく、個々のお店が定着していくように。
実は高田馬場は学生の街で【人が多い様に見える】けど、
実はほとんど【学校にいったり“目的を持ってこの街に来てる人”】なんだそうです。
だから平日の昼は学食で食べたり、コンビニで買ったり。
ラーメン屋さんにとっては平日の売り上げより、土日祝の売上の方が多い。
でもはっきり言ってそれではお店の経営が厳しいのも現状。
だからこそ、横の繋がりを密にして経営を上向きにしていこうと。
柳「この界隈では4年もってるお店、かなり限られるんですよ…。」
ラーメン界の厳しさを目の当たりにし、
だからこそ【麺屋 宗】のラーメンにますます期待が高まるYAJIKITA一行。
いよいよオススメの【うま塩味玉そば】の登場です!!
*ラーメン女王リンちゃん、旨そうなのプリーズ!
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スープのあっさりと、それぞれの具材のマッチがたまりません。
細麺のツルツルした喉越しも、いくらでも入っちゃいそうです。
柳「高田馬場でアッサリ系って本当に少ないんですよ。」
学生が多いのもあるでしょう。
ガッツリ系で勝負するのではなく、敢えてアッサリで勝負し地位を確立した【麺屋 宗】。
スタッフもしっかりとここのラーメンをお腹に入れて、写真も撮ってお店をあとにしました。
*ヤジキタ取材の模様は【麺屋 宗】のBLOGに写真付きで載ってました!
二杯のラーメンを食べて、大満足の井門P。
いくら“ぶらり”しているからって、お腹も随分な33歳であります。
リンちゃん「この辺りに学生時代よく通った駄菓子屋さんがあるんだよなぁ。」
どうやらこの界隈に思い入れのあるリンちゃんのノスタルジーに火が点いたようだ。
もう井門が二杯のラーメンでお腹がいっぱいになっている事など、関係無いのである。
誰もが持っている学生時代の甘酸っぱい思い出。
リンちゃんの場合、それは通学路途中にあった駄菓子屋らしい。
すると目の前のT字路に男の子達が数人集まって遊んでいる。
リンちゃん「あっ!ここです、ここ曲がってすぐ!」
今にも走りださんばかりの勢いのリンちゃんの後をついていくと、
確かに硝子戸のお店があり、カーテンの中をのぞくと女の子達が数人テーブルを囲んでいる。
見つけた喜びそのままにドアを開け、“おばちゃんいる~?”と掛け声をかけるリンちゃん。
普段のヤジキタでは見せない表情に、僕らも微笑ましく思うわけです。
しばらくすると、“はーい”という元気な声と共に『THE・駄菓子屋』のおばちゃん登場(笑)
店の中にはプラスチックポットが並んでいて、その中には梅ジャムやらソース煎餅、
うまい棒、フーセンガム、ココアシガレット、蒲焼きさんたろう、etc.
なんとも言えない【こち亀】センスな駄菓子が所狭しと置かれているのです。
折角来たから買い物をしようと、せっせと駄菓子を選ぶ井門&リンちゃん。
女の子達はそんな我々に“ねぇねぇ、何の撮影?”(動画用にビデオカメラも回っている)
“顔とか映るのやだー!(照)”などと言ってくる。可愛らしいのです。
サリー「ねぇねぇ、俺って何歳に見える?」
出ました!チャラチャラの実を食べたチャラチャラ人間・サリー。
小学生相手に世界一どうでも良いクイズの出題です。
なるほど勘の良いリスナーさんならお分かりかと思いますが、
人がこの様なクイズを出すのは自分の見た目年齢に“そこそこ自信のある”証拠。
サリーの場合もそうで、こやつはイケメンであるが故、臆面も無くそんなクイズを出題するのです。
突然の質問に一瞬だけ考え込む少女達。
しかしそのシンキングタイムもほんの束の間、間髪いれずに返ってきたのが、
少女達「38歳!」
項垂れるサリー。爆笑する我々。
*サリーは今年28歳。
ここで止めておけば良いのだが、調子に乗る男がもう一人。
井門Pであります。
ただし私の場合は、サリーの年齢があまりにも上過ぎた事が面白くて、
それなら自分はどう見られるのだろう、という好奇心からの質問。
井門「はいはい、ぢゃあ僕は?」
少女達「40歳!」
よしっ、次行くぞ、次!
こうして井門Pとサリーは「あぁ、やっぱり髭剃ろうかな…」と同時に思ったんだとさ。
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お腹も満たされて、子供にも遊ばれた我々。
そろそろエンディングだろう、と思っていた矢先、
リンちゃん「高田馬場に向かいます!」
そうだよね、かなりテープも回ってるもんね!?
見てごらんよ、サリーの表情。“編集大変なんっすよ!”って顔に書いてある。
しかも旅日記の文字数も今回はおかしいだろぅ?
よしよし、高田馬場駅に着いたぞ。この辺で最後のコメント…って、リン!どこまで行くの!?
リンちゃん「腹ごなしにシチズンプラザに行きます!」
【シチズンプラザ】とはその名の通り、シチズンが運営する複合施設。
高田馬場駅を通り過ぎ、早稲田通りをまっすぐ歩くと屋上に見えるボウリングのピンが目印。
元々は1930年代にシチズンの工場があった場所なのだが、工場移転に伴い、
“敷地の有効活用を!”という事で、地域振興の為に70年代に作られたスポーツ施設なのです。
中にはボウリング、ゴルフ練習、アイススケートリンクなどなど。
都内で年間を通してフル稼働しているスケートリンクは、何を隠そうここだけ。
僕らは社長の中崎秀明さんにお話を伺いました。
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なるほど歴史だなぁ、と感じたお話。
ボウリングブームの時には1階と2階合わせて、80レーンのボウリング場があったそうな。
ところが空前のボウリングブームもあっという間に火が消えてしまった。
そこで考え出されたのが、1階のスペースをスケートリンクにするという案。
それから30年以上、ここはスケート練習場として多くの選手を育ててきたのです。
あの高橋大輔選手もここを使って練習する事があるとか。
高橋選手の名前が出た瞬間、リンちゃんの顔がにやけております。
また夜中から明け方にかけては、大学のホッケー部が使用するとの事で、
まさに24時間フル稼働のシチズンプラザ【スケートリンク】。
でも普通に考えたらそれだけの需要があるにも関わらず、何故都内にリンクが少ないんだろう?
中崎「単純な話で、維持費が莫大なんです。」
確かにそうだ、夏場でも氷を解かさない様にエアコンをガンガン入れる。
コースの調整にも手間と時間がかかる、人件費も相当だろう。
中崎「うちがここをやり続けるのは、スポーツで地域振興がしたいからなんです。」
高田馬場から始まったシチズンが、愛着のある街の為に地域振興をする。
その理念や想いが沢山の人々に届いているのだろう、取材した日もリンクに沢山の子供達が。
まるで未来の浅田選手を見ているかのように、リンクの上を華麗に舞っている。
井門「社長!滑っても良いですか!?」
中崎「もちろん!道産子の腕前を見せて下さいよ!」
はっ!!!!
勢いと雰囲気に感化されて「滑ります」とか言ったけど、
おれ…、滑れねぇ!!!(道産子なのに。)
というわけで、その辺りの井門の醜態は画像と動画でお楽しみ下さい(笑)
*サリーとリンちゃんが華麗に滑るんだよなぁ。(画像よろしく!)
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