フォリナー “4”特集!

2011-12-18


foreigner

『産業ロックと呼ばないで・・・。Foreigner「4」特集』

 

M Night Life   / Foreigner  

1曲目お送りしたのは、フォリナーが1981年にリリースしたアルバム
「4(フォー)」からアルバムのトップをかざる「Night Life」です。

このハードさとポップさのブレンド具合がまさに絶妙!
このナイトライフ!とシングアロングするベタな感じが、『いまいち!』
と思う人もいるかもしれません。が、、、このベタな感じを作り出した
パイオニアの1つが、このフォリナーなわけです。
定番を作り出す、というのはすごいですよ!やっぱり。

M
  Juke Box Hero  / Foreigner  

さて、フォリナーの結成は1976年です。
オリジナルメンバーは、ミック・ジョーンズ、イアン・マクドナルド、
デニス・エリオット、アル・グリーンウッド、エド・ガリアルディ、
そして、ボーカルのルー・グラムの6人。

バンドのリーダーでギタリストのミック・ジョーンズはイギリス出身。
イギリスで音楽活動をしていましたが、元々やっていたバンドをやめて
アメリカに渡ります。そこで、イアン・マクドナルドと出会い、
新バンドのためのオーディションを行って、
ミュージシャンを選び6人組として結成されました。

このミック・ジョーンズとイアン・マクドナルドはイギリス人、
他はアメリカ人。。。だから外国人(フォリナー)
というアーティスト名になりました。

ちなみに、このミック・ジョーンズ。THEクラッシュのミック・ジョーンズ
とはもちろん別人。ギタリストとしてのみならず、ソングライティング、
プロデュースの才能もあって、
エリック・クラプトンの「BAD LOVE
に曲作りで関わったり、
ヴァンヘイレンの「5150」やビリー・ジョエルの
「ストームフロント」の
プロデュースにも関わっていたり・・・っと、
本当に才能豊かな人。

そして、イアン・マクドナルドの方は、はキング・クリムゾンの
オリジナルメンバーで、
あの名盤「クリムゾンキングの宮殿」では
サックスやフルート、
メロトロンを担当していたマルチプレイヤー。

さて、こうして英米6人のミュージシャンによって結成された「フォリナー」は
1977年に、ファーストアルバム『栄光の旅立ち』をリリース。

シングル「COLD AS ICE」もヒット、アルバムも300万枚以上売り上げて、
いちやく、トップアーティストの仲間入りを果たします。

M
URGENT  /  Foreigner                             


1977年にデビューを果たしたフォリナー、デビューからビッグヒット!
1978年には 2ndアルバム『ダブル・ヴィジョン』が500万枚を売り上げる
ヒット!
シングル「ダブル・ヴィジョン」が全米2位を記録!っと、
まさにアメリカンドリーム!大成功していきます!

しかし、1979年。音楽性の違いからベースのエドが脱退し、
かわってリック・ウィルスが加入。でも、そんなメンバーチェンジにもめげず、
その年にリリースした3rdアルバム『ヘッド・ゲームス』は300万枚を
売り上げたんです。

ところで、このフォリナーのように出せばヒット!
つまり、商業的に大成功するPOPなロックのことは「産業ロック」、
なんて呼ばれました。
<または、商業ロック、なんて言われ方もしますよね。>

この名付け親は日本のとある大物音楽評論家です。

フォリナーやTOTO、ジャーニー、カンサスといったグループが
そのように呼ばれました。
かなり槍玉にあげて、叩きまくっていたらしいんですが。

まぁ、プロとして活動する以上、その全てが“商業”ロック、
ではあるんですけどね。

M
Waiting For Girl Like You  /  Foreigner  

お送りしたのは、1981年のアルバム「4」から、
Waiting For A Girl Like You」です。

これは、有名な悲運のビックヒットナンバーですね。

10週間もシングルチャート2位!
オリヴィア・ニュートン・ジョンの「フィジカル」に阻まれて、
その後も、ホール&オーツに阻まれて・・・という悲しいナンバー2!

                           

まぁ、とはいえフォリナーは、リリースするたびに大ヒットですから、
向かうところ、敵なし!といった快進撃です。

1980年。いよいよ今日特集しているアルバム「4」の制作に
取り掛かることになります。が、問題勃発!オリジナルメンバーの
イアン・マクドナルドとアル・グリーンウッドが
グループを脱退してしまうのです。

レコーディングが進む中、イアンとアルだけがまずスタジオで作業をし、
2人が帰ると他の4人がやって来てレコーディングをするという事態に
なったようです。
そのうちイアンとアルはスタジオに来なくなり、そのまま脱退と。

フォリナー4枚目のアルバム「4」は、メンバーが4人になってしまったという
覚悟のアルバムでもあったのです。

このアルバムのプロデュースは、ミック・ジョーンズとあの
ジョン・マット・ランジ。
デフレパードやブライアンアダムスのヒットに関わったプロデューサーですね。


そうやって聞くと、まさにデフレパ節のオンパレード!
本当に、ジョン・マット・ランジは、様々なバラバラなメロディーの要素を
1つにするのが得意ですよね。だから、POPだけど、ちょっと不思議な
ヒットナンバーが出来上がるわけですね。

結局、アルバム「4」は、1500万枚を売り上げる記録的な大ヒット。

アルバムチャートで10週連続No.1を記録、
翌年のアルバム年間チャートでは第3位を記録した。

その中からシングル・カットされた「ガール・ライク・ユー」や
URGENT」も大ヒット!という結果となりました。

このように、売れる、ということは、計算や策略だけではうまくいかないと
思うのですが、
いかがでしょう?
やはり、曲がいいこと、
そして、プロデュース能力があった勝利だと思います。

1つ、間違いないのは、
確実に、多くのリスナーの心をつかんだ、ということでしょう。

M
I’M  GONNA  WIN   /  Foreigner