東京探訪 山手線一周ぶらり旅 田端~西日暮里~日暮里編1|旅人:井門宗之
2012-01-21
アナウンサーA「山手線の駅に新駅が誕生する事になりそうです!」
アナウンサーB「新駅は田町~品川駅間に出来るようです!」
な…なんですって!?
山手線に新駅誕生ですと!!?
恐らくこのニュースをどのメディアよりも重く受け止めたのは、我々かもしれない。
何せかんせ、いまの29駅を回る旅でも2009年から足かけ3年かかってるのだ。
あ、ちょいちょいそこそこ、「遅っ!」とか言うの禁止よ。
そりゃTVに比べたらのんびりしてるけど、その分じっくり回ってるんだから。
珈琲だって出汁だってラーメンスープだって、じっくり出した方が旨いの出るでしょ?
ヤジキタはね、旨い出汁をじっくり長い時間かけて取ってるのです。
さ、言い訳はさておき…。(なに、言い訳なの!?)
いやだってね、多分新駅が出来るのって5年後とかになるでしょう?
その時に仮にYAJIKITAが存在していたら、
「山手線ぶらりZ!」とか名付けて取材しますよ!もちろん。
ただし、その時にもし番組が無くなっていたとしても、
スタッフを集めてぶらりはしたい(番組抜きで)。井門40歳、作家陣はアラフィフ…。
横山さんは…いやいや、ヤメヤメ!
とにもかくにも、今回は年明け最初のロケでございます。
山手線ぶらり旅が2012年のYAJIKITA外ロケ第1弾。
空模様はあまりご機嫌がよくないみたいですが、でも今年もここから始まる。
山手線の駅も20個め。まだまだ先はありますが、ちょっとでも進めていきたい!
今年こそ、山手線ぶらりを終了させるべく、気合いを入れて…、あれ?
何だか去年の年始でも同じ様な事を言っていた気がする…。
よし、それぢゃ去年の新年最初の外ロケとなった回の旅日記を抜粋してみよう!
『謹賀新年である。
チキンが新年なのである。
2011年最初に「なるほどっ!」と膝を叩いたのが綾瀬はるかちゃんのこのCM。
謹賀…チキンが…なるほどな、と妙に納得した33歳の新春。この程度の男なのであります。
(中略)
新春のヤジキタで宣言した【ネット局を増やす】という抱負の他に、もう一つありました。
山手線ぶらり完結!!
山手線ぶらりも年末についに【代々木】までやってきたわけです。
そもそもが山手線命名100周年、で始まったこの企画。2009年の事でした。
本当はもっと早く完結させたかったのですが、色々と地方にお邪魔する機会も増え…。
その歩みは2分に1本のダイヤがある山手線の忙しさとは別に、鈍行の歩み(笑)
リスナーの皆さんには「まだか、まだか?」「まだやってるのか?」、
きっと不安も覚えさせてしまったのではないかと思います。
2011年は気持ちも新たに、この山手線を完結、いやさ完走しようぢゃないか!
と言うわけで井門宗之が今年1発目のロケに選んだのが【山手線ぶらり旅】!
ほら、もう1発目に選ぶ辺りに気合いのほどが伺える。』
(以上2011年1月21日の旅日記冒頭より)
いやぁ、しかし俺の旅日記て…(笑)
とにもかくにも昨年果たせなかったこの野望、今年こそは完遂させたい。
きっとリスナーさんも見たいんじゃないかなぁ。
僕が激辛の物を食べて「鈴木さぁ~ん!」って言っているよりも、
山手線の新橋駅でサライを歌うスタッフに迎えられる井門Pの姿。
多分ぶらりの最終回とか、みんな泣くぜ!(いやいや、泣かんだろう)
って言うか、スタッフが泣くんぢゃないかと僕は睨んでいるわけです。
どうですか皆さん、いい歳のおっさん達が新橋駅前で録音しながら泣いてるんですよ。
その様子はまるで「水曜どうでしょう」の原付ベトナム編、
ホーチミンのホテルでのゴールシーンを彷彿とさせるのではないでしょうか?
周りのサラリーマンは訳も分からず、ただ遠巻きにおっさん達が泣くのを眺めている。
そんな事はお構いなしに号泣する井門P。
その時の脳内BGMは【1/6の夢旅人2002】な訳です、間違いなく。
あ、こういう妄想を文字起こししてるから長くなるのか…。
今回のぶらりは田端駅から西日暮里までのぶらりでございます。
前回のぶらりを聴いた方、覚えていらっしゃるでしょうか?
『田端』という発音のイントネーションについてです。
駅のホームに山手線が入ってくると、アナウンステープが2種類の発音を言う。
『たばた~、たばた~』
これ非常に気持ち悪いですね。
前回の旅の終わりも、これが気持ち悪くて「次回の旅で解決します!」と言ったくらい。
僕ら放送業界に携わる者としても、発音はどちらかに統一して欲しい。
もしくは統一しないまでも、実はこっちが正しいという答えは欲しい。
メルシー「今回のロケ待ち合わせは、田端駅のホームだから。」
ある日の軍師メルシーさんからのメールには、そんな事が書いてあった。
僕らはこうして田端駅のホームに集まったのであります。
今回の布陣は、作家:メルシー久保、D:サリー、カメラ:久保田君、そして井門P。
ホームに集まった我々が新年の挨拶もそこそこにして電車を待っていると、
不意に流れてきたアナウンスに愕然としたのです。
アナウンス「たばた~、たばた~。」
??うん? 去年来た時と違って発音が同じになっていやしないかい?
いや、きっと京浜東北線と山手線では言い方が違うんだ。今のは幻聴なんだ!
井門「サリー、もうすぐ山手線が来るから、ちゃんと録りなさいよ!」
サリー「は、はい! でも今の発音…。」
井門「お黙りっ!」
←―←―←―←―←―←――山手線入線――――――――――
アナウンス「たばた~、たばた~。」
井門「ちょ…」
サリー「ちょっ…」
久保田「ちょっっ…」
メルシー「:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。ウッホッホーイ」
全ての真相を知っていたメルシーさんは、敢えてホームを待ち合わせ場所にしたのだ。
この件について、メルシーさんは事前に、
JR東日本と北区王子区民事務所に訪ねていたのである。
すると、どちらの発音が正しいという事は無いのだが、
駅のアナウンスは利用者からの問い合わせが多数あり統一する事になったと。
前回のロケが昨年10月だったので、3ヶ月の間にここに関しては劇的な変化が!
駅のアナウンスに関してはこれで無事に解決と言う事で、
我々はそこを特に膨らませる事もなく、気持ちよくぶらりをスタートさせたとさ。
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この日の東京はこの冬一番の寒さ。
こんな日に今年初の外ロケを引き当ててしまうYAJIKITA…持っている。
サリー「今年はもっとモテたいっすね。
地方に行ってチャラチャラしたいっす!」
久保田「あぁ、わかる。モテたいですよ!」
2012年も相変わらずチャラチャラの実の能力を発揮するサリー。
今年の彼のコードネームは【サリー】ではなく、【チャリー】だ。
いずれサブコンテンツで作ってみたいものだ。
【チャリー中谷のチャラチャラオンザロード!】
サリー「あっ、ちょっとちょっと井門さん!
なんかホットプレートが落ちてます!きゃっきゃっきゃ。」
井門「おいおい、そんな馬鹿な…って本当だ! きゃっきゃっきゃ。」
そんな事を言いながら、駅前をキャッキャと進むYAJIKITA一行。
今年も「賑やかさ」と「なんかあのオジサン達、楽しそうだよね」度では負けない。
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さてこの田端という街なのだが、ここは「鉄道の街」と言っても過言ではない。
何せ駅前には列車の車庫あり、車庫の目の前には「JR東日本東京支社」のビルあり、
聞けば向かい側のホテルもJR貨物が運営しているのだとか。
歩道橋の橋脚部分にも細かく鉄道に纏わるプレートが嵌められていたりもする。
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本当はここから列車の車庫の方に向かいたい所だけど、
涙を飲んで西日暮里方面へ! ぶらりもついに下町エリアに突入なのであります!
残り3分の1にまで到達した「ぶらり旅」。今日はここから西日暮里に向かう訳ですが、
西日暮里駅は昭和に出来た山手線唯一の駅なんですってね(メルシーメモ)。
1971年の事だそうですが、冒頭にも書いた通りで今年は新駅誕生のニュースも流れました。
となると西日暮里の駅が誕生してから、40年以上経っての新駅となるわけです。
何だか感慨深いものがあるね。
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実はちょっと時間が空いたので、機関車の車庫にも行ってみたんだけどね…。 |
こうして下町エリアを散策し始めたら、いきなり気になる看板が!
なになに「お洋服のまま入れる本格温浴」とな?
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こちらは田端駅前にある【ドールストーンTABATA】というお店。
石から発生するラドンとラドン温泉水をミストにした水蒸気で身体を芯から温める、
「ホルミシス・ラドン浴」を行っているお店であります。
お店の中にはマッサージを行う施術場所の他に、このラドン温浴を楽しめる小さな部屋が2つ。
部屋の大きさは2畳ほどでしょうか。部屋の中には特に物があるわけではないので、
入るとそれほどの狭さは感じさせない。
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壁の板チョコみたいな石が【ドールストーン】との事。
丁寧に店長の諸橋里衣子さんが教えてくださった。
諸橋「部屋に貼られた素焼きのタイルは、岡山県人形峠で採取された岩石を原料にしてます。
ミストで出されるラドン温泉水は岐阜県中津川市で汲みあげられるものなんですよ♪」
井門「身体の芯から温まる感じでしょうか??」
諸橋「その通りです! 50分ほど入っていただくんですが、ポカポカしますよ!」
井門「では部屋のサイズも丁度良いので、
ヤジキタスタッフ4人全員で入っても良いですか?」
諸橋「えっ!? は…はい、男性4人ですか…? はい、…どうぞ。」
本来ならば地方ロケで大浴場で裸の付き合い、っちゅうのはよくある話。
裸だからこその「裸のむくむく会議」も行われるというもの(謎)
しかしここは都内、しかも服を着たまま入れる「ラドン温浴」ときたもんだ。
小さな扉を開けて、2畳の部屋におっさん4人が入ると…こうなる。
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しかし不思議なものでね、入ってすぐは特に暑さは感じないんですけど、
5分くらい中にいるとじわーっと温かくなってくる。
決して汗をだらだらかく感じではなく、身体の芯からじーんと温められる感じなのです。
メルシー「せっかく4人でこの2畳の中にいるんだからさ…」
チャリー「あっ、井門さん、今年のヤジキタ展望をお願いしますよ。」
井門「まずはあれだ、君達の希望を聞こうぢゃない。」
メルシー「島! 島に行きたい!」
チャリー「良いっすね、あと聴いてくださる“放送局さん”が増えれば尚更良いです…。」
ここでもしこの旅日記を局の方が見ていたら、是非読んで戴きたいです。
ヤジキタは今年も色んな場所に旅に出ます。
そしてラジオならではの【耳で感じる旅番組】を演出していきます。
勿論、被災地を応援する為の旅も昨年同様行っていきます。
旅番組の特性を活かして映像配信も行っており、
昨年からは旅の臨場感を増す為に音声だけのポッドキャストも始めました。
現状のラジオ番組でこのスケール感で放送しているFM番組も少ないと自負しています。
スタッフも音声にこだわる超一流の人間が揃っています。
こういう種類の番組は一度終わってしまうと、もう立ち上げるのは不可能でしょう。
今年で10年を迎えるこの番組、
古き良きラジオの音に徹底的にこだわった番組です。
ぜひ活用を御検討いただければ、幸いです。以上、この場を借りて。
おっさん4人で狭い空間に一緒にいると、
何だか素直な話が出来てしまう。
本来はそんなに大人数で利用する場所でもないのですが、
諸橋さんとお店の方々の御厚意でやらせて戴きました。
まぁ、真面目な話は2割ぐらいで、後はほとんどチャラい話でしたけど。
諸橋さん、有難うございました!!
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すっかり身体が温まった一行。
あ…今日はこの冬一番の寒さ。
ま、まさかメルシーさん、この事を見越して…!?
こうして心も身体も温まった我々は街歩きをスタート。
するとすぐに住宅街には似つかわしくない沢山の「鳥居」を配した神社に遭遇!
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こちらは東灌森稲荷神社と言いまして、鳥居は全て鉄パイプと銅板なんですって。
これはこの辺りが工業地帯だった事を反映しているそうなんですが、
下町の町工場がこの辺りに多いのもその名残なのかもしれませんね。
おやおや、あんな所に巨大なバーベルがあるぞ。
よぅし! この北の怪物と呼ばれた井門が、見事にこれを上げてやろうぢゃないか!
うりゃっ!!!
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はい、というわけでね。
これは見てお分かりの通り、電車の車輪です。
ここは東田端公園という小さな公園なのですが、さすが田端は鉄道の街!
この車輪の答えがすぐ先の踏切に隠されているというのです。
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単線の踏切が東北本線のガードを挟む様にして、両脇に並びます。
この場所に単線の踏切も珍しいなぁ、と思っていると…
メルシー「ここはね、田端の車庫から上野駅に向かう回送列車の為の踏切なんだ。
だから滅多に通るのを見る事は出来ないと思うよ。」
…………カンカンカンカンカン…………
なんと言う事でしょう、その滅多が来たのです(笑)
ここぞとばかりにシャッターを切るYAJIKITAきっての鉄っちゃん:メルシー。
これで今年も良いことあるね! 良かった良かった。
更に、ガードの下にもSLの壁画と車輪の壁画が!
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ぶらりしていれば、こうして何かに出会うのです。
3年もやっていると、街に対してのある程度の“勘”も働いてくる。
大きな通り「明治通り」に一旦出た我々は、
大通りに面していながらも『田端機工街』と呼ばれた名残を至る所に感じるのであった。
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久保田「あちこちに機械の町工場がありますね!」
メルシー「あの建物、入口に旋盤みたいな機械が所狭しだったよ!」
井門「あぁ、あんな場所にも“工場”の看板があるなぁ。」
チャリー「アダルト10枚で1000円か!」
………。
気を取り直して、我々は少しだけ裏道へと逸れていった。
なんとなく“匂い”を感じたからである。
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発見。
見事に嗅覚が捉えた下町の楽器製作所。
中に入るとそこは魅惑のオカリナワールドだったのであります!
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こちら田端にある「大塚楽器製作所」はなんと90年以上の歴史を持つ会社。
お話しを伺ったのは4代目の大塚太郎さん。
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元々はこちらの会社はギターの弦やギターを製作していたのだが、
2006年頃から本格的にオカリナの製作を始めたのだそうだ。
大塚「オカリナはそもそも土笛ですから、
その原型は縄文時代の頃まで遡るんです。」
井門「えぇ!? じゃあこの形に完成したのは?? オカリナはどこの国の楽器なんですか?」
大塚「ははは(笑) 実はオカリナはイタリアの楽器なんです。」
アモーレ、カンターレ、マンジャーレ、オカーリナ!!
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なんという事でしょう。
この素朴な楽器があのジローラモさんと同じ故郷だったなんて!?
大塚「でも悲しいかな、イタリアであまり人気が無いんです。」
井門「ショボン。」
ただ土で作ったこの笛の音色は、日本人の心にはまるらしく、
現在は幅広い年齢に親しまれる楽器となったのであります。
*とは言え、日本で普及し始めたのも50年程前らしいですけど…。
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大塚さんに教えて戴いて、僕もオカリナを吹かせてもらいました。
オカリナはトランペットやフルートの様に、
練習しないと吹いても音が出ない楽器ではありません。吹けば誰でも音は出ます。
ただしその吹く力の強弱や、音程の高低によって微妙に変える吹き方のニュアンスなど、
実際に吹いてみると非常にひじょ~~~に奥が深い!!
とか言ってるけど、僕が吹いたのはドレミの音階ですけどね(笑)
簡易的なオカリナは1000円くらいから売っていたので、チャレンジし易い楽器ですね。
現在はオカリナ教室も増えてきているらしく、
中高年を中心に人気が出ている楽器なのだとか。
オカリナの話は色々と驚く事も多かったのですが、
何より田端にオカリナを作っている会社がある事が驚き! 大塚さん、有難うございました!
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井門「いやぁ、まさか田端でオカリナとはねぇ。」
サリー「ホラ、井門さん。路上にフォークリフトが停めてありますよ。」
メルシー「工場の街って感じだね。」
大塚楽器製作所から歩くことすぐ。
東京で一番新しい鉄道(久保注:実際にはタイヤで走るので鉄道ではなく新交通システムだが…)
の【日暮里・舎人ライナー】の高架橋や、
【常磐貨物線】などの、いわゆる鉄っちゃんの聖地が続々登場する。
ただ僕が鉄っちゃんでは無いので、ここはメルシー氏に写真の説明でもして貰おう(笑)
(久保注:常磐線は、今は上野駅から日暮里駅を抜けて、
千葉・茨城・福島方面へと一直線に走っていますが、
昔は上野駅を出ると田端の駅でスイッチバックして、
千葉・茨城・福島方面へレールが延びていました。
その名残が、この常磐貨物線。
各方面から田端の車庫までやってきた貨物列車が、
休息したり機関車の付け替えなどをして、常磐線方面に向かう時は、
昔、常磐線だった線路を使って進みます。
なので、通常、この線路には貨物列車しか走りません。
ちなみに、この踏切の位置から右を見ると、すぐ先の高架線を京成本線が、
その先の高架線を、今の常磐線が走っています。
そして左を見ると、目の前の高架線を日暮里・舎人ライナーが、
その先の高架線を、東北本線と高崎線が、
さらにその奥に、東北・上越・長野・山形・秋田新幹線と、
山手線、京浜東北線が走っているのが見えます。
この線路で囲まれた三角地帯を【日暮里・鉄道デルタ地帯】と呼んでいます。
センター試験には出ないと思いますが、この機会に覚えておくと、
将来、誰かの役に立つかも知れません。立たねぇよって言うな!)
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うん?
とか何とか言っている間に、信号には【西日暮里】の文字。
あ~、今回は田端~西日暮里間が短かったのか。
その割には結構なインタビューも録れたし、録れ高はあるよね。
じゃあこの辺で〆コメントでも録りましょうかね。今日は早く帰れるね。
メルシー「ぢゃあさ、このまま日暮里まで行こうよ!」
一同「えーーーーーー!?」
なんだろう、この「今日はこのままオールしちゃう?」みたいなノリ。
まぁ、聞けばここから日暮里まではたった500mしか無いとの事。
なんと山手線の中で一番短いのだと言う。
『メルシーメモメモ』によると山手線11輌1編成が220mだから、
ほぼ2編成分しかないらしい。(もうこの換算が分からん)
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という事で、何や分からない内にメルシー先導で歩き出した一行。
駅の目の前には結構な険しい歩道橋があり、その先にはかの有名な開成中学と開成高校が。
さすがにすれ違う子供達も賢そうな顔をしておる。
サリー「でもウチにも賢いスタッフがいますよ!」
井門「あっ、そうだった! おい、久保田君、君の出番だよ。」
そうなのである。
今回のカメラマン久保田君。
慶吾の元でカメラマンをしているのだが、何と彼は一橋大学出身なのだ。
メルシー「でもさ、慶吾の下で働いているんだよね?」
久保田「えぇ、そうですけど…。」
サリー「だったらもうアレだ、一橋ぢゃなくて、二橋だな!」
久保田「えぇええええぇぇぇぇぇえ!!!!??」
今回のロケでめでたく久保田君は二橋になった。
これから先の旅で彼に何かミスがある度に、それは三橋になったり四橋になったりする。
久保田君、気をつけろ!
さてさて二橋はさておき、ぶらりの再スタートであります。
実は開成学園の反対側(日暮里に向う側)に小高い山がありましてね。
こちら側を「諏訪台」、開成側を「道灌山」という訳です。
諏訪台を登り切るとそこには見晴らしの良い「西日暮里公園」。
ここにはいくつか看板があり、江戸時代のこの辺りを解説してくれている。
安藤広重が描いた「道灌山」の絵も(勿論レプリカね)あって、
古くからこの辺りは行楽地だった事を窺わせるのであります。
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メルシー「日暮里って、何でこの漢字が当てられるか知ってる?」
一行「いやいや、そう言えば知らないなぁ…。」
メルシー「江戸時代からの行楽地でしょ?
日が暮れるまでいたくなる里っていう意味で、
この漢字を当てたんだって。」
一行「へ~~~!!」
何だか良いですね、その漢字の当て方。
広重の絵を見ると、江戸時代はこの高台のすぐ先は海だった。
きっとここから海を眺めたり、春は桜を愛でたりしたんでしょう。
大きな神社もすぐ近くにあり、参拝客も多かったのかもしれません。
【メルシーメモメモ】によりますと、江戸時代はこの辺が“虫聴きの名所”だったそうで、
風流好みの文人達も多く訪れた場所だとか。
久保田「あっ、ベンチで高校生カップルがいちゃついてますよ!」
チャリー「マジか!? インタビューとかしちゃう?」
久保田「あぁ、良いっすね! 同感(道灌)です!」
この瞬間、久保田君は三橋に格付が下がりました。
あっ、そうそう。この辺りに神社やお寺が多いのは、鬼門封じの意味もあるんでしょうね。
確か僕がよくいく谷中七福神詣でのルートもこの辺りだったような…。
メルシー「ねえ、井門、日暮里富士見坂って知ってる?」
井門「あっ、確か布袋様を祀った修性院の隣の坂だったんじゃない?」
メルシー「よく知っているじゃない。
今日はそこから富士山が見られるかな??」
この日、実はメルシーは僕らに内緒で、
「日暮里富士見坂を守る会」の会長:金子誠さんと待ち合わせをしていたのだ。
ちょうど高台から歩いて来ていたので、坂の上に到着した我々一行。
取材日は平日だったにも関わらず、
夕暮れ時の富士を眺められるかも? と期待してきた人達でちょっと賑わっている。
女性「あの、ここから富士山って見られるんですか?」
井門「そうみたい…なんですけど…。」
金子「今日はダメですね。点数でいったら0点です! はっはっはっ!」
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ロケ日の富士見坂から見た夕暮れ |
(久保注:本当は以下の写真の様になる予定でした!)
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(久保注:ちなみに昼間の姿は…。)
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撮影:石川正 |
(久保注:昔はこのような眺めだったそうです。)
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金子さんは御歳85というが、毎日この富士見坂を登り降りしているからだろう、
物凄く矍鑠としているし、何より健脚なのだ。
運が良ければ年に2回、綺麗なダイヤモンド富士を拝めるとの事だが…。
*ダイヤモンド富士とは、富士山の山頂部と太陽が重なる大気光学現象。
(久保注:では、日暮里富士見坂を守る会の石川さんからお借りした、
2010年1月のダイアモンド富士の写真も!)
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撮影:石川正 |
金子「ここから富士山を眺められるのも、あと少しかもしれませんね。
大久保の辺りに高層ビルが建ってしまったら、見えなくなってしまうんですよ。」
(久保注:富士見坂から6km程先の新宿区大久保の再開発地区に、
45階建て、高さ160mのビルが建つことになりました。
富士見坂のある荒川区と、新宿区の間には文京区もあり、
ビルの建設関係者は、富士見坂の景観を邪魔することを知らないまま工事を開始、
同じく、荒川区や富士見坂を守る会なども、
最近までビルが建つことは知らなかったようです。
2004年に景観法が公布されてから、
名所や有名な建物の背景保全を建設業者などは考えないといけなくなりましたが、
今回の様にその存在を知らないまま工事が進んでしまうと、
工事の中止や変更の決定、追加費用や事後収入などの損失負担などをどうするかなど、
そう簡単にはいきません。
金子さん曰く、ビルの高さを160mから120mに抑えると、
今までと同じ様に景観は守られるそうで、
現在、行政なども加わって協議中なんだとか。
将来、どうなるのか、見守って行きましょう!
では引き続き、井門の長~ぇ旅日記をお楽しみください。)
この日、僕らは富士山の姿を見る事は出来なかったが、
機会があったら一度みなさんも訪れてみても面白いかもしれない。
まだ、ここから富士山を見るチャンスは残っているのだ。
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坂を下りて、路地を行くYAJIKITA一行。
下町の路地裏も風情があって良い。普段は気にも留めない場所であり、
きっとこのロケ以外では歩く事もないのだろう。
そう思うと余計に路地裏の風景がいとおしく思えてくる。
サリー「井門さん、着物姿の御夫婦が歩いてますよ。」
井門「本当だ、粋だねぇ。東京の粋がここにはまだあるね。」
細い路地を抜け、我々が目指したのは商店街だ。
しかも都内でも最も有名な商店街:谷中銀座商店街であります。
僕はこの商店街が大好きで、七福神詣をした時は必ず寄っていく場所。
妻と共に買い食いをしたり、雑貨屋さんなんかを冷やかしたり。
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中でも「一寸亭」という中華料理屋さんが大好きでね。
1月の寒いなか、田端から1時間ほど歩いてきて、ここで五目タンメンを食べる。
冷えた身体に熱々のスープがじんわり浸み込んできて、
身体が温かくなってきた所に冷たいビールを流し込み、餃子をパクリ。
よし、またここから上野まで歩いていこう! という気にさせてくれるのです。
チャリー「なんスかその旨そうなエピソード!」
三橋「いいっすね、行きたいっすね!」
メルシー「でもほら、ゴールは日暮里駅だから。」
井門「タンメンはまた今度にして、あそこでメンチカツ食べようよ!」
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お肉屋さんのメンチカツは言わずもがなの味。
お店の人に「レポーターなんだから上手いこと言いなさいよ!」と言われたが、
旨い物を食べて旨いとストレートに伝える事が、いかに旨そうに聴こえるか。
だから僕は何度も言ったのです。「旨いっ!」って。
谷中銀座を通り抜ける頃には日も暮れてきてね、
入口にある階段の「夕やけだんだん」に着く頃には暗くなってきました。
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ここを登ってちょっと行けば、もう僕らのゴール「日暮里駅」に到着。
なんだろうなぁ、下町の夕暮れと相まって、いつもよりゴールが寂しい。
童謡「夕焼け小焼け」も日暮里で生まれた歌と聞けば、その寂しさも尚更…。
メルシー「ねぇねぇ、日暮里駅の脇に架かる橋がさ、
鉄っちゃんの聖地なんだよ!」
くっ、この期に及んでまだ言うか…。
ところが、ここはメルシーさんが興奮するのも頷ける場所でね。
「下御隠殿橋」という橋。
ここは橋の中ほどにトレインミュージアムがあって、
その下に流れる山手線:京浜東北線:新幹線:東北本線:高崎線:常磐線:京成線、
ここを行き交う1日2500本の列車が眺められるんだとか。
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興奮するメルシーさんを宥めながら、我々はようやく日暮里駅前に到着。
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日暮里駅前は非常に賑わっていて、下町を歩いてきた事を忘れてしまうほど。
だけど僕らは確かに下町を歩いてきたわけで。
その証拠に、いままでの沿線の音とは違った音が聞こえてきた気がします。
人の生活の音、歴史の音、それが徐々に人間臭くなっていった気がする。
下町だからなのか、山手線ぶらりの終わりが見えてきてセンチメンタルになっているのか、
それは分かりませんが(笑)でも音は確かに変わった。
ここから先は更にディープなエリア。
次回は鴬谷だし、その先には上野や秋葉原が待っている!
今度はどんな表情を見せてくれるんだろう?
そして果たして今年中に終える事が出来るのだろうか!?
いやいや、必ず旅には終着駅がある。
山手線に終着駅は無いが、このぶらりには終着駅が確かにあるのだ。
それが一体いつになるのか? どのスタッフが一緒にゴールテープを切るのか!?
今年のぶらりも、乞うご期待です!!
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