恋する銀座で“銀ブラ”してみよう!|旅人:井門宗之
2011-12-23
「銀座なう!」
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ついにYAJIKITAでこの言葉を言う日がきてしまった。
都内ロケの中で、意外にもYAJIKITA史上初となる銀座ロケ。
Twitterが流行り出した頃に誰かが、
「銀座にいたらtwitterでは“銀座なう”って呟くよなぁ。へへへ。」
なんて言っていたのを思い出すのだが、twitterとかそんな生易しい物では無い。
こちとら“ロケ”なのである。
果たしてこれをネット上だけではなく、リアル銀座で言えるだろうか…。
今回の旅は、もうそこから葛藤だったのであります…。
大きな声で、年の瀬も迫った銀座で「銀座なう!」。
恐らくは周りの人達も、マイクを抱えた190cmの男と、
怪しい金髪で交通整理をしている男、それに髭眼鏡の声のよく通るオッサンがいたら、
「あぁ、何かの録音かな。」と思うだろう。そう思わせながら、所謂【プロ】の人間が、
銀座のど真ん中で「銀座なう!」である。
周りからは「プロでも言うのかよ!」と三村さんばりに心の中で突っ込まれる事は必至。
初めての銀座ロケで、銀座を敵に回してしまうかもしれない…。
はい、実はそんな事ばかり考えていた今回の旅。
【恋する銀座で“銀ブラ”してみよう】編。
ところがどっこい、今ではもう自分が「銀座なう」を言っていたのかどうかも、
はっきりとは覚えてないのであります(エェェェェェエエエッッッ!!?)
だって、今回の旅を終えて見えてきた銀座に、井門Pすっかり魅了されちゃったんだもの。
終わってみれば、そこには当初の「ちょっとハイソな街を斜めから見てみる」的な感情は無く、
同行Dのサリーと一緒に「すっかり銀座が好きになったね!」とキャッキャするほど。
銀座の街を知り、銀座の人と話す内に、この街に惹かれている自分がいたのであります。
そもそもの「銀座」という地名は、銀の両替所があった事に由来すると言う。
銀の両替所を銀座、同じ様に金の両替所を金座と言ったのだが、
日本で銀座があったのは、江戸時代に伏見と駿河に2か所のみ。
その内の駿河銀座が慶長17年に今の銀座2丁目に移り、
(正式な町名は新両替町と言ったそうだが)
恐らく人々から愛称で銀座、銀座と呼ばれそれが定着して行ったのではないだろうか。
ちなみに「銀座」という名前が正式に町の名前に付いたのは明治2年というから、
意外とこの街の歴史も知らなかったなぁ…。
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ティファニーの前にこんな碑があったのも知らなかったけど、
取材した日も銀座は人の多いこと多いこと。
なんで銀座にこんなに人が集まるんだろう?
今回の旅は銀ブラをしながら、改めて銀座に人が集まるその理由も探りたいのです!
まず我々が向かったのは、この辺りの歴史を資料と一緒に見る事が出来る場所。
【中央区立郷土天文館・タイムドーム明石】
タイムドームというぐらいですから、当時の写真なんかもあるんですが、
ここでまずは銀座アレコレをその道の達人にお伺いしました。
中央区教育委員会 統括文化財調査指導員をされている、野口孝一さんです。
野口さんは文化財調査指導員という肩書きをお持ちなだけあって、
まるで立て板に水の如く色んな銀座のお話しを教えてくださいました。
人の流れの中心が銀座だったというのはなるほどですね。
新聞社がある事で情報は集まり、しかもあたらし物好きの人達を満足させるために、
新しい物を取り揃えたお店が出来ていく。
老舗と呼ばれる店も、その老舗という看板に胡坐をかく事なく(ここは後で重要なポイント)、
常に最先端を守り続けなくてはいけない。しかし言うなればそれが銀座の形。
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野口さんのお話しで驚かされたのが、銀座が今まで火災等で何度も被害を受けているという事。
遡れば江戸時代の明暦の大火。明治時代にも2度の火災で街のほとんどを焼失しているという。
そしてこの明治時代の2度目の大火で、銀座の街はその様相を変えていくのであります。
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煉瓦銀座之碑 |
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再び銀座を歩いていた我々が見つけたのが、
銀座の様相を変えたその証明ともなる碑【煉瓦銀座之碑】であります。
この碑がまた“えっ!? こんな場所に?”って所にあるんです。
銀座で言うと1丁目の方なんですが、車通りの多い高架下にそれこそポツンとある。
*当時を偲ばせるガス燈もここに一基だけあるんですよ!
書いてある事を要約すると、明治5年の大火で銀座の大半を焼失した事により、
時の東京府知事であった由利公正が「東京を燃えない街にしよう!」と宣言。
銀座に煉瓦街を造り、街の不燃性を向上させようとしたらしいのです。
結果的に煉瓦の街が新しく東京府に誕生した事で、ここで商売をしようとする人や、
新しい物事に敏感な人達が集まる街に銀座はどんどん変貌していった、と。
煉瓦=銀座の象徴というのはこういう理由があったからなんですね。
ちなみにこの【煉瓦銀座之碑】の足元には、貴重な当時の煉瓦がそのまま残されていたりもします。
銀座で煉瓦。
この2つでピンときた方はどの位いらっしゃるでしょうか?
そうです、あの老舗の洋食屋さん【煉瓦亭】でございます。
何を隠そう僕は煉瓦亭が大好きで(隠す必要は全くないんだけど)、
大学生になって上京してからというもの、節目節目に足を運んでいた気がします。
僕が敬愛してやまない池波正太郎先生のエッセイにも必ずと言って良いほど登場するこちら。
――店の扉を開けると香ばしいラードの香りが漂ってくる。
戦前の古き良き洋食屋の香り―― などと評され、僕はもう煉瓦亭の行を見つけると、
夢中になってめくるめくメニューに思いを馳せると同時に銀座の街にも憧憬を抱いたものです。
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銀座の通りを歩いていて、お昼時になると行列の絶えない名店。
学生の頃は手軽に食べられる金額じゃなかったから、常に憧れだったお店。
取材で訪れるのは初めてだったんですが、やっぱり嬉しさはひとしおです。
扉を開けると優しい笑顔を湛えた奥さまが迎えてくださいました。
僕が池波先生のファンで「煉瓦亭にはよく来たんですよ」と話すと、喜んでくださって。
何と奥さまが書かれた煉瓦亭の歴史を綴った本まで戴いたのです!
オーナーでもあるご主人が来るまで、しばし談笑。
お店はオープン前だったのですが、若いスタッフ達がキビキビと動き始めていました。
少しずつお店の血が巡っていくのが分かります。
何だか僕もそわそわしてきて、メニューを見せてもらいました。
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若い頃は「いいお値段するなぁ…。」と思っていた煉瓦亭のお値段。
いま見ると全然そんな事はなくって、むしろ銀座の超一等地にありながらこの値段は安い。
安いなぁ、安いなぁ、と感心(って言うのもおかしいけど)してると、
奥さまがしきりに恐縮なさっている。
この物腰の柔らかさも、煉瓦亭がずっと煉瓦亭であり続ける秘訣なのかもしれない。
そうこうしている内に、御主人の登場。
「煉瓦亭」のオーナー、木田明利さんです。
御歳77歳の喜寿だという木田さんだが、非常にかくしゃくとしていてお若い。
そうそう、むかし僕がお店に来た時も木田さんが笑顔でお客さんを迎えていたんだっけ。
井門「僕からすれば憧れの人、木田さんです(笑)」
木田「いやいや、そんな恐縮です。」
奥さま同様、オーナーも奥ゆかしく静かにほほ笑む。
まずは煉瓦亭のお店の歴史を伺ってみた。
木田「うちの創業は1895年、明治28年です。
だから今年でもう116年。僕で三代目で、息子が4代目を継いでますよ。」
お店が始まった頃は日清戦争の頃。ジャーナリストや大学の先生が多かったので、
世界の料理の情報が集まってきた。なので新しい料理を知ることが出来たそうな。
例えば外国のレシピが手に入っても全て外国語なので、解読出来ない。
そんな時はお客さんの大学教授や外国語の堪能なお客さんに訳して貰ったとか。
こうして訳されながら、日本人ならではの醤油等の和風テイストを加えていき、
長い年月を経て銀座の洋食が完成されていったのだ。
こちらの店から生まれた料理には、洋食ならではのお馴染みの物も沢山ある。
例えば、ポークカツレツ、エビフライ、ハヤシライス、オムライス等々…。
その中でも【オムライス】は【元祖オムライス】という名前で人気を集めている。
木田「でもね、ここのオムライスは完全に皆さんの想像と違うから(笑)
普通のオムライスはチキンライスをオムレツでくるむでしょ?
ウチのオムライスは玉子とご飯が炒め合わさった物を形にしていく物。
その上にオリジナルのトマトケチャップをかけて食べる。
驚くとは思いますけど、だから元祖なんて名前を付けちゃったんですよね。」
井門「ではそのオムライスをお願いします!!!」
にっこり笑って厨房にオーダーを取ってくださる木田さん。
実は煉瓦亭で元祖オムライスを頼むのは初めての事。
ドキドキするが、初めて頼むメニューを待つこの高揚感ってなんでしょ?
しばし大人しく待っていると、綺麗にクロスをかけられたテーブルの上に、ついに登場!
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形はちゃんとオムライスの形で、ケチャップもあの部分にかかっている。
ところが卵はくるむのではなく、ご飯と絡まっている状態。
チャーハンをオムライスの形にしてお皿に載せたようでもあるのだが、
しかしこの皿から漂ってくる芳醇なバターの香りの何とも素晴らしい事よ!
これはもうバターの主張である。
ここにいるよとバターが言っている。
どんな風に調理されたか、バターが語っている!!
渡されたスプーンで一匙、ケチャップをちょいとつけて一口。
至福!!!
初めてオムライスを口にした時の感動が、
まさか30代も半ばになってもう一度味わえるなんて思ってもみなかった!
自分にとって初めての至福を口の中に広げてくれたオムライス。
旨い、旨いと食べ進んでいくと、Dサリーとメルシー氏の視線が痛い。
分かった分かった(笑)池波先生の思い出話を聴いている間に、君達も食べたら良いよ。
木田さん曰く、池波先生は来ても静かにテーブルにつく方だったそうだ。
とても気を遣われる先生のこと、恐らく店と客に変に気を遣わせないための配慮だったのだろう。
先生のエッセイの中では「若い頃は友人とこの店の大カツレツを3枚やった事がある。」なんて、
得意げに書かれてもいたが、晩年の先生は徐々にカツの厚さも薄くなっていったんだという。
井門「カツレツの他にはいつも何を召し上がっていたんですか?」
木田「カツにはハヤシライスを必ず召し上がってましたね。」
食べる事に生涯を通して真剣に向かい合っていた池波先生。
カツレツに合わせるキャベツにしても「キャベツの美味しい季節には…」という枕詞を付けて、
美味しさの限定感の中で大切に味わっていたのだろう。
ちなみにカツにキャベツを合わせたのは煉瓦亭が最初だという説もあるが、
それはどこが始めた事でも構わないと思う。飯は美味ければ良いのだ。それが全てなのだ。
木田さんも「そうですね」と言わんばかりの笑顔で僕らを見てくれる。
サリーもメルシーさんもオムライスを食べながら、目を細めている。
美味しい物を食べた時のあの独特の幸福感が、煉瓦亭に漂う。
あぁ、そうか。
煉瓦亭が幸せな空気に包まれているように感じるのは、
ここで食事を楽しむ人がどの人も幸福感を漂わせるからなのかもしれない。
皆さん、煉瓦亭はね、ただ美味しいだけじゃないですよ。
ここには116年間、ここでご飯を食べた人達から出た幸福感が漂っている。
その空気に、歴史に包まれに煉瓦亭を訪れてみて下さい!
あっ、ちなみに行列を見て気遅れしないで下さい。
女将さん曰く「お店が小さいので、意外と回転率は良いんですよ!」との事でした。
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煉瓦亭を後にした我々は“銀ブラ”をする事にしました。
そうそう、“銀ブラ”って銀座をブラブラする事じゃないんですよ。
銀座にはカフェーパウリスタというお店があるのだが、
そこの“ブラジルコーヒー”を飲む事を“銀ブラ”と言うのであります。
珈琲を銀座で飲む事にステータスを感じた時代が確かにあった。
確かに今でも銀座で何かを食べるのは、ちょっとだけ気合いが入る。
銀座は、不思議だ。でもひょっとしたら、街が人を知らず知らず大人にする場所なのかもしれない。
大人な銀座と言えば“銀座の恋の物語”なわけですが(笑)
ちゃんとこの【銀恋の碑】っちゅうのもあるんですよ!
銀座のプランタン前の信号を渡り、銀座の柳を横目に見ながら数寄屋橋に向かった場所。
多分ここで記念撮影をする人も少なくなっているんでしょうけど、
そこはYAJI魂!! 碑の左右に腰掛けスペースがありましてね。
夜の帳が降りて良い雰囲気になった所で、僕とサリーが銀座の恋の物語でございます。
| 西銀座チャンスセンター |
【銀恋の碑】のすぐ近くにはあの宝くじで有名な【西銀座チャンスセンター】がありまして、
ちょうど年末ジャンボ宝くじの発売と重なっていたので、まぁまぁ、凄い人でした(笑)
えっとですね、実は取材時間が夜になってしまった為、あちこちの碑が暗くて読めない…という、
非常にヤジキタ的なロケになりまして…普通の旅番組ならあり得ないんですけど、
メルシーさんの画像でお楽しみ戴ければと思います!
(メルシー:なので、今回はロケハン時の昼の写真と、ロケ時の夜の写真が混在してるのです…。)
| 西銀座通りの柳の木 |
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そんな中でも今回の井門のお気に入りは石川啄木の碑。
彼は銀座滝山町の朝日新聞社に勤務していたんですね。
現在は朝日新聞のビルも移転してしまったのですが、まだビルは残っている。
そのビルの入り口付近にあるのが、石川啄木の歌碑なんです。
歌碑に刻まれている歌がまた良いんです。
「京橋の滝山町の新聞社 灯ともる頃の忙しさかな」
銀座の夜の灯りと相まって、なんとも言えない風情が漂っている。
あぁ、質は違えどこの喧騒の中で啄木も日々を過ごしていたのかと思うと、なかなかに感慨深い。
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今回の“銀ブラ”では銀座に店を構えるお二人の方にお話しを伺ってきたのですが、
どちらの方も面白いお話しを聴かせてくれました。
まずは子供服の専門店
【ギンザのサヱグサ】専務取締役:三枝亮さん。
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こちらのお店は創業が明治2年、1869年ですから。今年で142年目となる。
老舗然としているのかなぁ、と思いきや、
大通りに面した店舗の外観も、外から眺められる中の様子もお洒落。
三枝「銀座で老舗って言うと皆さん堅いイメージなんでしょうけど、
実は逆なんです。銀座で店をやり続けるには柔軟さが必要なんですよ。」
銀座という街は新しい物がどんどんと入ってくる街だ。
それは店も人も両方がそう。
古い血管に新しい血液を入れるとどこかで壊れてしまう様に、
新しい血液が十分に流れるには、その血管も新しくなくてはならない。
だからこそ、老舗がどんどんと変化していかなくてはいけないようだ。
三枝「銀座の老舗は歴史が1で変化が9ぐらいでやっていかないと…(笑)」
実は商店会もしっかりと機能しているからこそ、
老舗も新店舗もお互いが刺激し合いながら営業出来ているのだと思う。
ただし新しい物を受け入れる器の大きさはあるが、
そこで営業を続けていく難しさというのも銀座は孕んでいる。
この街を訪れる人達の審美眼や、厳しさが他の街とは違っているという事なのだろう。
銀座のお店はそういうお客さんが多い為に、どうも敷居が高い…と考える人も多いでしょう?
でも三枝さんはそれをきっぱりと否定していました。
敷居は全く高くない、その代わり店員さんと会話を楽しんで欲しい、と。
確かに三枝さんに子供服のお話しを伺っていると、
一つ一つの縫製のこだわりであったり、日本製の物がいかに質が高いかを教えてくれるので、
買い物に幅が広がるのであります。買い物が終わった後の満足感が違うのではないだろうか?
銀座に遊びにきた際は、だから臆せずに店員さんに話しかけてみよう!
僕も三枝さんの御厚意に甘え、
生まれたばかりの息子に似合う服なんかもチョイスしてもらった(笑)
| 同じく女の子セレクション |
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銀座でお店を続けていく難しさ、それを気さくに話してくださった三枝さん!
有難うございました!
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もうお一方。
こちらも僕が銀座に行くとかなりの頻度でふらりと訪れるお店。
【銀座 夏野】。
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このお店の創業は意外にも新しいのだが、
銀座でも面白いお箸と子供和食器の専門店なのであります。
1階の店舗には職人が丹精込めて作り上げた箸が所狭しと並び、
ふらりと寄っていっても結構な時間楽しむ事が出来るのだ。
もともとこちらのご主人はお箸屋さんでは無かったというのだが…。
高橋「僕は元々塾の先生をやっていて、ひょんな事からお店を持てるようになったんです。」
僕らがお話しを伺ったのは、オーナーの高橋隆介さん。
眼鏡がお洒落な何やら遊びも色々と知ってる風の素敵な紳士であります。
高橋さんはそもそも漆器に興味を持っていたそうなのだが、
商売を始めるに当たって奥さまの助言で箸のお店をやる事に決めたのだとか。
高橋「箸も橋も梯も全て語源は一緒なんですよ。知ってました?」
井門「えっ、そうなんですか!?」
高橋「全て何かを“渡す”役割として用いられている。では箸は何なのか?
神様と人間の間を渡す役割を担っているんです。
ですから、昔、箸には神様が宿ると言われた。」
神様と人間の橋渡しを担っているのが、箸。
普段は何気なく使っている物でも、そう考えるともっともっと大事にしなきゃなって思う。
そして箸を遣って食べる食べ物全て、それを大切にしなきゃと、思うわけです。
高橋さんはこうして銀座にお店を構えているが、そもそもは地元は銀座ではなく、
幼い頃は銀座に遊びに行くとなると他の街とは違ったそうで…。
高橋「やっぱり子供でも革靴でしたねぇ。
銀座に行く日は玄関に革靴が用意してあるんで、すぐに分かるんですよ(笑)
それだけ親達にとっても銀座が特別な場所だったって事でしょう。」
井門「でもここでお店をやるのは大変ぢゃないですか?」
高橋「いやいや、銀座は意外にも下町っぽいんですよ。
銀座はね、大まかに言うと4つの通りに分かれるんです。」
井門「下町ですか…? しかも4つの通り、と?」
高橋さんが仰るには銀座には、
【大通り】【中通り】【裏通り】【路地】の4つがあると。
通りが小さくなっていくにつれて、そこにはここで暮らす人々の生活感が出てくる。
一歩路地裏に入ると、隣の人と挨拶も交わすし、野良猫が闊歩してるという。
そうか、銀座に漂うアットホームな雰囲気は、ここに秘密があったのかもしれない。
井門「高橋さん、こちらには沢山お箸がありますけど、
正しいお箸の選び方なんかも教えて戴けますか?」
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1階の店舗に降りてきた我々は、高橋さんにお箸の選び方を教えて貰った。
ここがポイントですよ、皆さん!
お箸の長さは自分の人差し指と親指をL字からもうちょっと開いて、
その長さの1.5倍が丁度良い箸の長さだそうですよ!
しかし流石に場所が銀座なだけありますなぁ…。
我々が色気なく箸を見ながら感心している横で、ロングコートを見に纏った紳士が、
「あ~、君きみ、女性が喜びそうな箸はあるかな?」
って言いながら、スマートにお箸を選んでいるんですもの。
しかもどうやら若い女性にって…あぁ、ちょっと野次馬根性出ちゃったかしら??
私もいつかはこうやって、銀座でプレゼントを買って、
うら若き乙女にスマートに渡す事が出来る日が来るのかしら…。
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こうして我々3人の親父(井門・メルシー・サリー)が銀座をブラりしてきたわけだが…。
いつの時代も銀座に人が集まり、
そして人が銀座に憧れる理由が少しだけ分かった気がした。
昔は銀座に行けば新しい物と出会えて、なおかつ自分を磨く事が出来た。
「場所が人を磨いてくれた街」それが銀座なのだ。
時代が変わり、街の正確も変わった今。
それでも何故、人々は銀座に集まり、魅せられるのか?
やっぱり銀座はいつの時代も、街が人を磨いてくれる街だからなのだ。
そしてそれだけ、器の大きな街なのだ。
一歩通りを裏へと進めば、そこにはすぐに人の生活の匂いがし、
初めて来たとしても何だかホッと和ませてくれる雰囲気を持つ。
特別な場所には、今も昔も人が失いたくない何かが詰まっていた。
人が変わっても、決して街の表情が変わらない特異な街、銀座。
我々が最後の収録場所に定めたのは、銀座の象徴:銀座4丁目和光前。
さぁ、思いっきり叫ぼうじゃないか!?
銀座を堪能したいま、我々に恐れる事など何もないのである!
行き交う人々の視線も、もはや怖くなくなった今。
銀座の4丁目で我々は声高に叫んだ。
「銀座なう!!」
≪オフショット・1≫
銀座にはおもしろいビルがたくさん! そこで…、銀座ビルコレクション!
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≪オフショット・2≫
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☆写真の中には、ロケ時以外の下見時のものも含まれています。ご了承ください。