東京探訪 山手線一周ぶらり旅 日暮里~鴬谷編|旅人:井門宗之

2012-01-27

 

冬の寒さも増していく、1月中旬の日暮里駅前。
山手線ぶらりのベテラン、井門Pはコートの襟を立てながら(そんなコート着てない) 


スタッフの到着を待っていた。その姿、もはやぶらりの匠

いやさ、ぶらり刑事はぐれ刑事やさぐれ派。(はぐれてて、やさぐれてるって…)
ここ日暮里駅東口は前回のゴール地点、目の前に太田道灌像が勇ましく建っている。
ぶらりに並々ならぬ力を注ぐ井門Pをよそに、しばらくして日暮里に軽い声がこだまし始めた。

 

ミラクル「ごめんごめん~。お待たせー。(軽い)」
ゴルッチ「(マイクを向けながら)街頭アンケートでぇーす!きゃっきゃっきゃっ。」
てっちゃん「きゃっきゃっきゃっ。」

 

 

ちっ、これがラピュタだったらバルス!!と叫びたくなる…。
ミラクルあたりには「目が、目がぁ…」と言わせたい。
しかしそうも言っていられないので、今回のぶらりも寛大な気持ちでスタートさせたのでした。

 

 

 


でも、ちょっとムッとしている井門

 

 

 

今回のぶらりは【日暮里~鴬谷】という駅間を歩いていく旅です。
「日が暮れても時を忘れていられる里」日暮里から、鴬の谷。
共に何とも風流な名前であるのだが、実情はちょっとだけ違ったりする(笑) 


何と言っても鴬谷の辺りは東京でも有名な、大人のホテル街!!
しかも駅前に結構な数であるので、山手線に乗っていると車窓から見えるのです。 


この駅には思い出がある人も、ある意味多いのではないか?
かく言う井門はどうなのか?というと、
駅前のライブハウス「東京キネマ倶楽部」にはよく行ったので、思い出もあります。
何と言っても、憧れの宇野亜喜良さんと初めてお会いしたのもここ。
寺山の舞台を見に行った時だったかなぁ…あれは嬉しかった。
東京はどの街で誰に偶然会えるか分からない。
逆を考えると、偶然ある街で憧れの人に会える可能性も東京は孕んでいるとも言える。
今回のぶらりではどんな出会いがあるのか? 


そしてミラクルは再びミラクルを起こす事があるのだろうか?

 

 

 


でも徐々に笑顔が…。さすがプロ。

 

 

 

ミラクル「いやぁ、井門の旦那。自分、ぶらり旅は3回目くらいでげすよ。 


はっきり言って初心者。へっへっへ。」 


ゴルッチ「おやおや、あちきなんて、 


2回目でやんすよ。へっへっへ。」
てっちゃん「おっ、奇遇だねぇ。あたいもだよ。へっへっへ。」

 

何とも不安なぶらり旅である…。 


しかしそこは業界歴長いミラクルがセッティングしてくれた旅だ。
まずは僕らをどこに連れて行ってくれるのか、聴いてみよう。

 

 

ミラクル「この辺りに羽二重団子って老舗の団子屋さんがあるんだよ。」 


井門「知ってる!漱石小説にも出てくるんだよね!?」
ミラクル「あっ、知ってた?へぇ…知ってたんだ…。」

 

喋り手に知識の先回りをされて、意気消沈する作家:ミラクル。
心無しか肌の色もくすんで見える。

 

 

 


創業文政二年の羽二重団子

 

 

 

そんなミラクルを余所に、何とも風格のある佇まいお店の歴史が気になった井門。
HPにはこんな風に書かれておりました。

『江戸の昔より、日暮しの里・呉竹の根岸の里といえば、
音無川の清流にそうた塵外の小天地として知られました。
花に鶯、流れに河鹿、眼には遥かな荒川の風光にも恵まれて、
人々は競ってこの智に別荘を設けました。くだって明治大正の頃まで、
粋で風雅な住宅地として憧れの土地柄でありました。

文政二年、小店の初代庄五郎が、
ここ音無川のほとり芋坂の現在地に「藤の木茶屋」を開業し、
街道往来の人々に団子を供しました。この団子が、きめ細かく羽二重のようだと賞され、
それがそのまま菓名となって、いつしか商号も「羽二重団子」となりました。
こうして創業以来六代百八十年、今も江戸の風味と面影をうけ継いでいるのでございます。』

古くからこの街に根付き、愛されている団子屋さん。 


これは我々のYAJIも騒ぐというもの。早速お店の暖簾をくぐる事にした。







昭和初期の羽二重団子


江戸時代の羽二重団子

 

 

 

井門「こんにちは~!」
店内は意外にも広く、テーブル席とお座敷とがある。
入口には団子の店頭販売スペースもあり、訪れた時もお客さんで賑わっていた。

 

 

ミラ「FMラジオのYAJIKITA ON THE ROADですけど~!(ニッコリ)」

 

お店の人に愛想良く挨拶をするミラクル。
店員さんが社長に確認しに行っている間もしきりに、 


歴史を感じるね!」とか、 


お団子旨そうだなあ!」などと笑顔絶やさない

 

……………そして店員さん、戻ってくる…………

 

店員「あの…、社長出かけていて、しかも電話で聞いたら 


そんな取材の話は知らない”って言ってますけど?」

……………えっ?




またやってしまったミラクル吉武



ガ━━━━━━━━━(゚ロ゚;) ━━━━━━━━ン!!
いきなりである。
のっけから、奇跡の人:ミラクル吉武はやってくれた。
その顔に、もはや在りし日の笑顔は無い。
しかしこんな時、彼は決まってこう言うのだ。

 

 

ミラクル「(蒼ざめながら)へへ、大丈夫でげすよ
旦那方、きっと何とかなるでげすよ。へへ。」 

 

 

そしてやっぱり何とかなってしまったのであります。
社長の御厚意で、しっかりお店の名物である団子を食べさせて貰ったのだ。







 

 

 

焼きと餡の2種類の団子。
“他所が30回つく所をうちは60回つけ!”という教えを頑なに守り、
その歯触りは、とろける1歩手前の限りない柔らかさ。
しかし食感を無くし過ぎないように、もちの歯応えもしっかり残している。 


まさに絶妙の一言なのであります。
例えば谷中七福神詣での途中にここに立ち寄るも良し、
谷根千エリアの散策途中にここを加えても良し、
何にせよ1度は味わって欲しい団子である事は間違いない。
我々はすっかり団子を堪能し、お茶まで戴いて、ぶらりを再開する事にした。

 

 

ミラクル「ほら、我々はこれから歩くでげすよ。
その前に甘い物を食べて、元気を出してもらおうと思ったでげす。へへ。」

 

 

…気を取り直して。
日暮里のエリアと言うのは、先程も書いた通り「谷根千エリア」と呼ばれる。
以前番組でもお世話になった雑誌【散歩の達人】でも、頻繁に特集を組むほどだ。
確かにここはそれぐらい下町エリアの中でも見る所の多い場所なのだが、
この辺りを語る上で決して外してはならない場所という所も存在する。 


ねぎし三平堂】。







ねぎし三平堂 入口

 

 

昭和の爆笑王:初代林家三平師匠の遺した品を、沢山のエピソードと共に展示する場所。
僕も以前、ここで香葉子さんにインタビューをした事があるのだが、
芸能の端っこに籍を置く身としては、ここにある品々は大変な勉強になったものだ。
ちなみにこちらの開堂日は水曜・土曜、そして日曜。
これってどういう意味か分かります?

 

どうも(土)すい(水)ません

 

あぁ、爆笑王のお家は、どこもかしこも笑いに満ちている。
取材日は開堂日では無かったのだが、ここはミラクルの手腕を発揮!
特別に中を見せて貰える事になったのだ。

 

 

 


初代 林家三平師匠がお出迎え

 

 


三平堂の堂内

 

 

 

井門「インタビューに応えてくださるのは、広報の方かな??」 


ミラクル「ふふふ。ここは僕の仕事ぶり驚くよ!

 

ミラクルさんの自信たっぷりの笑みに、一同怪訝な表情。 


しかしその自信を裏付ける驚愕ゲストが登場したのだ!

 

ゲスト「いやいや、今日はわざわざお越し戴いて、ど~もすいません!





2代目 林家三平師匠



 



何と!現れたのは笑顔が眩しい二代目林家三平師匠!?

まさかのミラクルがプラスに発動したのであります。
*今回のロケは悲しんだり喜んだりが激しいなぁ…。
ここは「ねぎし三平堂」。
もちろん堂長は林家三平師匠なのである。

 

 

三平「ここには親父が活躍していた頃の思い出の品が沢山展示してあるんですよ! 


その書斎机なんかは当時のままでしてね(笑)」
井門「それに囲まれていて、緊張されませんか?」
三平「はい、でも小さい頃から囲まれていますからね(苦笑)」

 

 

最初に来た時もこの日も、 


初代三平師匠の「物を大切にする心」には驚かされたものだ。
初代三平師匠は自身が出演された番組の台本をほとんど捨てずに取ってあったという。
その台本の一部が展示してあるのだが、パソコンもワープロも無い時代だ。
当然その全てが手書きなのである(表紙から何からね)。
二代目の三平師匠がいらっしゃる前に、 


作家として”台本を取っておいてくれる事についてミラクル氏に聞いてみた。

 

 

ミラクル「そりゃ、嬉しいよ。嬉しい。まず間違いなく、台本は捨てられるからね。
勿論、内容のほとんどは演者が作り上げてしまうだろうけど、作家としては嬉しいな。
(台本を眺めながら)しかし当時は丁寧に作っていたんだなぁ…。」

 

井門「芸人さんの番組は特にさ、台本のオープニングトークって作家さんが仕込むじゃない?
でも大体の芸人さんはそれを読まずに、自分のフリートークでオチまでつけるんだよね。」

 

ミラクル「そうそう。それでも10回に1回くらいは読んでくれる事もある。
俺が若い頃、今や大活躍のある芸人コンビの番組を担当していてね。」

 

井門「ふんふん。」

 

ミラクル「毎回オープニングトーク部分を書くんだけど、全く読んでくれないわけ。
向こうも若くて尖がってたから、同い年位の作家の本なんか読むか!って感じだったんじゃない。 


でもね、ある日の台本で読んでくれた時があったんだ。」

 

井門「嬉しかったね。」

 

ミラクル「うん。なんかね、距離が一気に近付いた気がしたよ。 


それからは現場空気も変わっていったんだ。」

 

井門「お互いお互い認めた。」

 

ミラクル「そんな格好良いもんじゃないけど、 


でもあの瞬間が作家冥利に尽きるって事なんだと思うよ。」

 

 

ミラクル氏はいつでもどこでもミラクル氏なんだけど、 


こういう話をする時のこの人とても良い
きっと当時の三平師匠の周りにも、常にこういう顔をする放送作家さんが沢山いたんだろうな。
でもそれはお互いがお互いの力を認めて初めて成り立つ事。
本気の相手と本気で勝負するから、
昔のテレビもラジオも勢いがあったんだと思う。

 

 

三平「ここに来れば親父に会えると思います。 


是非みなさんも“ねぎし三平堂”に遊びにきて下さい!」
井門「師匠、有難うございました!!」





ど~うもすみません…。



 

なんだろう…。 


ねぎし三平堂で若干“男を上げた”感を出し始めたミラクル氏。
下町の路地先導する姿も何だか凛々しく見える。 


羽二重団子でミスった男とは、とても思えない(まだ言うか)。 


広島で取材申請日間違えた男とは、とても思えない(だから…)
そんなミス…いやミラクル氏が続いて僕らを連れていったのは、
「ねぎし三平堂」の丁度裏手の路地でありました。
ここいらの家の入口には正岡子規の俳句が書かれた紙がペタッと貼ってあるのだが、
根岸のこの辺と正岡子規に何か関係があるのだろうか?

 

子規庵







 

 

実はここ根岸にはあの正岡子規がその最期を過ごした家があるのだ。
現在は東京都指定史蹟とされている「子規庵」がそれだ。
古い日本家屋そのもので、引き戸を開けると中は小じんまりとした和室が広がっている。
正面の和室の左手には「子規終焉の間」とされる7畳ほどの部屋。
その部屋のガラス戸から向こうには糸瓜棚を手前に、庭が広がっている。
庭囲いの先の風景は子規がいた頃とは随分変わってしまっただろうけど、
それでもこの平屋の家のそこかしこに、 


正岡子規の魂が宿っている様な気にさせられるのだ。








 

 

 

こちらでお話しを伺ったのは、子規庵保存会の斎藤直子さん。

 

 

斎藤「ここは子規の作品を読む前に訪れると、 


より子規輪郭はっきりする場所だと思います。」
井門「子規がいた空間そのものを味わう事で、何かを感じて欲しいと。」
斎藤「そうですね。私なんかは早い時間にここに来ますと、
子規に見られているような…何だかその部屋に子規がいる様な気さえするんです(笑)」 


井門「確かにここは明治時代にタイムスリップした様な気になります。」

 

 

子規が愛した場所には、子規が愛用した物もある。
レプリカにはなるのだが(本物は蔵の中に保存)、
病気の為に膝を伸ばせなくなった子規が、自身の足を折り曲げても都合がいいように、
指物師に敢えて一部をくり抜かせて作った机などもその一つ。





 

 

 

正岡子規については最近もドラマなどで語られる事が多くなった。
どうでしょう、一度「子規庵」を訪れてから、
再び子規の作品に触れるとさらにその世界が広がるかもしれません。


 

 


子規庵保存会の斎藤直子さん

 

 

 

「ねぎし三平堂」といい「子規庵」といい、
この辺りは歴史に触れられる場所がいっぱいあって良いなぁ。
そんな事を思いながら、再びぶらりし始めると…、 


いつの間にか周りは…大人のホテル街!

しかも我々ヤジキタ男が4人で、

一人がカメラを、一人がマイクを、一人が台本を丸め

一人はそっちっぽい顔で喋りながら歩いている。
あぁ、違う!違うんですよ!
ほらもう、今そこから出てきたカップル! 


明らかに俺達の方を見て不審そうな顔したでしょ?
やめて、違うんだ!これはミラクル氏の陰謀なんだ!
ってか何でこんなにホテルがあるの??ねぇ、どうして?? 


ここ山手線駅に近いんだよね?

 

 

ミラクル「ほーら、もう出てきたよ。目の前鴬谷駅だ。」

 

 

こうして無事に我々は腋に変な汗をかきながら、鴬谷駅前に到着した。
下町らしい、そして鴬谷らしい【ぶらり旅】だったと思う。
古きよき大衆の文化と、その時代にあっと言う間にタイムスリップさせてくれる場所がある。
それが鴬谷。

そう考えると、駅前の下世話なネオンも、

古き良き昭和の面影が残っているという風にも捉えられる。
駅前には大衆酒場が昼間から営業し、
怪しげなネオンは酔いが回った身体を誘惑するのだろう。

そしてこの街が持つ“外れの喧騒”は、隣が上野だからでもあるのだろう。
そうなのだ、次の駅は上野駅。
回る場所もぶらりする場所も1週分では勿体ないくらいの場所である。
そしてここからぶらりの旅はディープな駅へと移動を開始する。
今年中に終わらせたい「ぶらり旅」なのだが、
どうもここから先が、また楽しい街だから困る。
でもきっと、それが東京なのだ。
忘れた頃に、魅力的な表情を見せる。だからやめられない。
次回のぶらりでは、どんな表情を街が見せてくれるのか!?
不定期ではありますが、次回もどうかお楽しみに!