RAMONES特集!
2012-01-28
『NYのパンクヒーロー!RAMONES特集』。
M. 電撃バップ / RAMONES
1曲目にお送りしたのは、1976年にリリースされたRAMONESのデビュー作
【ラモーンズの激情】(超名盤!)からアルバムの1曲目(電撃バップ)です。
<Hey Ho Let’s GO!はRAMONESファンの合言葉!>
CMでクロマニヨンズがカバーしたりしてましたよね!
世界一簡単な名曲じゃないでしょうか?
M. BEAT ON THE BRAT / RAMONES
次にお送りしたのは、1976年にリリースされたRAMONESのデビュー作
【ラモーンズの激情】から“Beat on the brat”。
本当に簡単なのに、ベースなんてかなりのミストーン!
ドラムのリズムも酷い!特にハイアットのリズム感なんて無茶苦茶!
だけど、とてつもなくカッコいい!なんでしょう?この感覚。
さてさて、RAMONESは、1974年ニューヨークのフォレスト・ヒルズという
ユダヤ系の多い中産階級の街で結成されました。
オリジナル・メンバーは、当時23、24歳の4人。
10代ならいざ知らず、20代に入ってこの演奏技術、ですから、
なかなかのもんです。
全員がラモーンの性を名乗っていましたが、もちろん全然兄弟じゃありません。
このスタイルは今でも、R&Rバンドの定番として受け継がれていますよね!
OKAMOTO’Sなんてまさにそーですよね。
さて、そのRAMONES。
ヴォーカルがジョーイ・ラモーン、
身長が198センチもある、一回見たら忘れられないルックスのあの人!です。
元々はドラムでしたが、途中でボーカルに転向しました。
ギタリストは、モズライトがトレードマークのジョニー・ラモーン、
ベーシストがディー・ディー・ラモーン、
そしてドラムスはトミー・ラモーンでした。
ジョーイは両親が離婚して、悲しい少年時代。
ほとんど放置されて育ったみたいで、
彼の家の地下室は不良たちのたまり場だったようです。
その地下室でいけない化学物質に手を出したり女の子といちゃついたり
していたみたいですが、ある日!
その流れで仲間たちとバンドを結成することになります。
そう。それがラモーンズです。
M. PINHEAD / RAMONES
お送りしたのは、1977年にリリースされたRAMONESのセカンド
【LEAVE HOME】から“PINHEAD”です。
頭なんて、HIP HOPみたい。そして、歌のメロディーとギターリフが同じ!
という“そのまんま”のアレンジ!うーーーん。逆に凄い!
さてさて、さっきの話の続きです。
1974年にNYで結成されたRAMONES。
もちろん、当時PUNKなんて言葉はありません。
彼らは、単純に自分たちが好きなビーチ・ボーイズとかTHE WHOとか、
ビートルズとか、そういった60年代のビートロックに影響を受けた楽曲を
作りながら、へたくそな演奏でLIVEしていました。
演奏は下手だから、その粗を隠すために曲のスピードはどんどん上がって、
難しいコードは弾けないから、ほとんど3コードだけ。
ドラムなんてエイトビートすら危うい!という凄い状況でした。
が、それがPUNKのオリジナル、になるんですね。
彼らは後にニューヨーク・パンクの象徴となるクラブCBGB'sを中心に活動して、
パティ・スミスなんかと一緒に、ニューヨークのアングラシーン、
パンク・ムーブメントの主役になっていきました。
M. SHEENA IS A PUNK ROCKER / RAMONES
お送りしたのは、1977年にリリースされたRAMONESのこれまた名盤!
【ロケット・トゥ・ロシア】から“曲紹介”です。
もーー、ジョーイ・ラモーンのビーチ・ボーイズ好きが爆発!してますよね。
コーラスが、まさにビーチ・ボーイズ。
途中、クラップなんか入って!なりきってます。
さてさて、さっきの話の続きです。
ニューヨークのアングラ・ガレージシーン(パンク・シーン)の
リーダーとなったRAMONES。
ただ、音楽評論家の評価はとんでもなく酷いものでした。
当時のロックシーンは、プログレ&ハードロックなどテクニカルなものが主流。
ほとんどの評論家たちは、
「悪ガキどもによる、ただただ単純で下手くそなロックン・ロール」
と酷評していました。もちろん、そんなレコ評で売れるわけありません。
しかし、そんな彼らの音楽に、あのイギリス人:マルコム・マクラーレンが
目を付けます。
パンクロックに“体制への反抗”、
“ロックの巨大ビジネスに対するアンチテーゼ”、
“楽器が下手なやつでもバンドをやってもいいだろう!”というテーマを感じて、そのNYパンクをイギリスに持ち込むんですね!
そこで生まれたのがロンドン・パンク。
セックス・ピストルズですね。
パンクロックは、一気に音楽のメインストリームになります。
M. I WANNA BE SEDATED / RAMONES
お送りしたのは、1978年にリリースされたRAMONESの4枚目!
【ロード・トゥ・ルーイン】から“曲紹介”です。
さすがに4枚目、ともなるとバンドのグルーヴ感もバッチリ!
になってきてますね。
ドラマーが“マーキー・ラモーン”に変わったことも影響してるんでしょうね!
聴きやすくて、エッジも増してます。
さぁ、1970年代後半。一気にメインストリームになったパンク・ロック。
ロンドン・パンクと同じように、オリジナル・パンクのNY勢も
リスペクトと共に、多くの音楽ファンに迎えられることになりました。
イギリスでの人気も過熱します。
そんな中、バンドはあの!超有名プロデューサー:フィル・スペクター。
<ロネッツとかビートルズとかをプロデュース!
ウォール・オブ・サウンドの元祖!現在は収監中!>を迎えて、
1980年に5枚目『End of Century』をリリース!
ビッグセールスをあげます。
M. ROCK’N’ROLL HIGH SCHOOL / RAMONES M. CHINESE ROCK / RAMONES
お送りしたのは、1980年にリリースされたRAMONESの名盤
【End of Century】から“曲紹介”です。
フィル・スペクターのプロデュースがオーバー・プロデュースで
ポップ過ぎていやだ!というファンもいますが、もともとRAMONESは
超ポップですよね。それをうまく演出しているフィル・スペクターの手腕、
さすがだと思いますが。
ちなみに、フィルの求めるものが高度すぎて、メンバーは怒って何度もスタジオを
出て行ったらしいですが。
まぁ、その甲斐あって、アルバムはRAMONES史上最大のヒット作になりました。
<とはいえ、イギリスで14位。アメリカでは44位どまり。>
フィル・スペクター:表舞台最後の作品にもなっています。
まぁ、ここまでお話した通り、その影響力のわりに、大ヒット、
シングルヒットとは本当に無縁だったRAMONES。
でも、多くのミュージシャンに影響を与えて、常に再評価されて、
80年代、90年代と年を追うごとに、“生きる伝説”
“パンクのゴッドファーザー”としての立ち位置を確かにしました。
1996年に解散するまで、3コードのR&Rだけにこだわって、
ホールではなく、クラブ、LIVEハウスにその演奏場所を求めたRAMONES。
まさに本物のPUNKを体現したバンドでした。
残念ながらオリジナルメンバーは4人中3人が若くして死んでしまいましたが、
その事実もまさにR&R。
ちょうど10年前にはロックの殿堂入りして、
その魂はいまだに若いロックファンのココロを捉えて離しません。
M.DO YOU REMEMBER
ROCK’N’ROLL RADIO? / RAMONES