ローカル線もイロイロ、音で乗り継ぐ“小湊鉄道・いすみ鉄道”の旅|旅人:井門宗之
2012-05-10
ある日の事である。
Teamヤジキタの新戦力、知恵袋・コバヤシ氏からメールが届いた。
コバヤシ氏は緻密なスケジュールの組み立てもさる事ながら、
まるでヤジキタをやる為に生れて来たのではないかと思うほど、既にTeamに溶け込んでいる逸材。
そのコバヤシ氏を作家に据え、新緑が気持ちの良い季節の房総半島ロケに行く事になったのだが…
どうやら宿をどうするかで悩んでいるらしい。
なるほど、“ヤジキタの伝説は夜の宿で起こる”
という格言もあるぐらいだ(ないない)。
ここはまず旅の原動力となる「食事」を優先し宿をセレクトして下さい、と回答。
―メール―
了解しました。
僕の方で目星をつけて、予約します。
コバヤシ
短い文面の中にYAJI魂の片鱗を感じずにはいられない。
なんせメールの返信が早いのだ。
そして翌日(やっぱり早い)。
―メール―
宿の予約を取りました。
旅館で男4人1部屋です。
思い出、作りましょう。
コバヤシ
ここに新戦力のYAJI魂、極まれり!
非常に頼もしいメールから、今回の旅はスタートしたのであります。
今回の旅は、春風も気持ち良い房総半島をローカル線を使って横断しよう!というもの。
房総半島というとどうしても海の幸などのイメージがあるのだが、
半島の内陸をとても素敵なローカル線が走っているのだ。
YAJIKITAという番組は、
そもそも3人の鉄っちゃんが立ちあげた番組。(久保氏を最後に全員卒業)
鉄道とYAJIKITAは、言うなれば親子の様な関係でもある。
ここは新戦力のコバヤシ氏も加入した事だし、
YAJIKITAの原点に立ち返ろうじゃないかと。
そう、言うなれば「鉄道に特化した旅」をしようぢゃないかと!
しかもこの房総を走るローカル線の社長が、物凄く面白い人物だという噂も聴きつけた!
よ~し、これでテーマは決まった!!
『ローカル線もイロイロ、音で乗り継ぐ“小湊鉄道・いすみ鉄道”の旅』
ローカル線を乗り継いでさ、
車窓をゆったり流れる景色を眺めながら、
ガタンゴトンと揺られようよ!って企画ですな。うんうん。
メンバーは新戦力のコバヤシ氏!仏の横山氏!カメラマンは23歳のテツヤ!
旅人は全く鉄っちゃん要素の無い男、いもんPでございます!
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でもですね、結論から言うと今回の旅がきっかけで「鉄っちゃん」になってもおかしくなかった(笑)
それぐらいローカル線の旅は魅力的だったわけですよ。
何が良かったのか、旅日記でも一つ一つ紐解いていきましょう!
我々はまず新宿から「特急新宿さざなみ1号」に乗り、JR五井駅へ。
車窓は新宿の高層ビルから東京スカイツリー、
千葉に入ると東京ディズニーランド、幕張とめまぐるしく変化し、
少しずつのどかな風景に変わっていく。
何となく気持ちまでゆったりしていくようだ。
五井までは特急だと1時間程度なのだが、駅前の景色は東京のそれとは随分違っていた。
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実はこの五井駅がちょっと面白い。
駅の敷地内に3両の蒸気機関車を展示しているのである。
しかもピッカピカにしてあるので、これが物凄く格好良く見えるのだ。
旅の始まりからYAJIKITA一行もテンションが上がってくる。
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聞けばこれだけ機関車が綺麗なのも、
平成21年に5日間をかけて、
しかもボランティアの方々の手によって塗装の全面塗り替えを行ったからだという。
やっぱりローカル線は色んな人の愛で守られているんだなぁ…。
そんな事を考えていた我々を最初に案内してくれたのは鉄道部次長の池田利彦さんだったのだが、
機関車の前まで連れていかれると…
池田「車両に関しては生き字引がいますから!僕の先輩!」
そう言って紹介して戴いたのが、
ザ・現場!という雰囲気(職人な雰囲気)の男性。
車輌課の細田幸宏助役。
いぶし銀のその雰囲気は、もはや職人の風情。
そんな細田さんに僕らがピッカピカの車両のお話しを伺おうとすると、
いやぁ…俺なんか全然喋れないって…と照れながらも、
小湊鉄道への愛を全力で話してくれたのだ!
やっぱり良いぜ!ローカル線!社員までが愛で溢れているぢゃないですか!
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細田「ここに展示している車両はイギリスのベイヤーピーコック社製と、
アメリカのボールドウィン社製の2種類。昭和31年まで走っていたんですよ。」
井門「細田さんが入社された時は…」
細田「はっはっは!残念ながら走ってはいませんでした。
でもこの機関車が小湊鉄道の顔であった事は間違いありませんね!」
そんな話をしながら機関車の車体について一生懸命教えてくれる細田さん。
実はここにプレートがあって…とか、
ここに番号がふってあって手で磨くと出てくるんだ…とか、
中を見ますか?といってヘッド部分を開けてくれたりとか。
車体に触れながら、その一つ一つを本当に楽しそうに解説してくれる。
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細田「まだ時間ある?電気点けましょうか?
ちょっと待ってて下さいね!僕ね、こういうイタズラ好きなんだっ!」
もう我慢が出来ないと言う様に、ライトを点けに走り出す細田さん。
その表情はもう少年のように輝いている。
機関車のヘッドにライトが点くと、一行はその凛々しい姿に思わずため息を漏らしていた。
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井門「細田さん、今の車両と機関車の違いって何ですかね?」
細田「え?違い?いやぁ、違う違う、全然違いますよ。
そりゃ横綱と序の口くらいに違う(笑)」
井門「そんなに違うんですね…(笑)」
細田「そうね、音と力強さが全然違いますよ。」
自然の中を煙を上げて走る機関車の雄姿。
想像するとそれはとても胸が躍る光景で、
そんなに遠く無い昔に、それは当たり前の光景だったのだ。
少年たちはその雄々しい姿を眺め、その車輌での旅を想像し、
束の間の心の旅を楽しんでいたのかもしれない。
その後も実は車両基地の中で、細田さんは僕らに小湊鉄道の社歴よりも古い車両を見せてくれたり、
小湊鉄道オリジナルの車体の色についても説明してくれたり、
そしてそれを聴くヤジキタ一行の顔が完全に鉄っちゃんになってしまっていたり…。
いや、ダメだって!あんなに鉄道を愛している人の話を聞いたら、
それはこっちまで「鉄道愛」にまみれてしまうって!(笑)
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細田「この操車場のレールもね、古いんですよ!
古いけどしっかり作られている。1923年製の物があったりね。
あっ、そうそう!あそこのはね、1898年のカーネギー社製なんだ!」
細田さんの説明を受けながらも、
目の前の線路には小湊オリジナルの色を湛えたキハ200形がホームに入線してくる。
上下に色分けされたツートンカラーには、
コミナトサーモンアイボリーとコミナトファイヤーオレンジの名。
17000cc、8気筒縦型ディーゼルエンジンの車両は、今日も沢山の鉄道ファンを乗せて走るのだ。
細田「区間で速度は決まっていますが、最高速度は65km/hになります。
ゆっくりと沿線の風景の中を走っていくんですよ。」
僕らはこれからこの車両に乗って上総中野に向かうのだ。
胸躍るローカル線の旅が、ここから(最初なのに濃厚だなぁ)スタートするのだ!
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井門「ホームまで来たけど、なんか人が多いですよね。」
コバヤシ「これから乗るあれ、特別列車なんですよ。
2両編成の1両目が貸切列車で…え~と、今日は懐石列車になってるみたいですね!」
小湊鉄道では様々な企画列車の催しを行っていて、
その中の一つに懐石列車というのがある。
これは仲間で1両を貸切り、その中で豪華な懐石弁当を食べるというもの。
ローカル線に揺られながら、美味しい食事とお酒を堪能出来る。
五井~上総中野~五井の間を走り、計2時間の旅。
この日はあるカフェの10周年らしく、お店のオーナーと常連がホームで賑わっていた。
しかも事前に発注すれば電車の顔に取り付けるヘッドマークをオリジナルにする事が出来る!
この番組がもしも貸切車輌をやるとしたら、
HPのヤジキタ君のプレートを付けて走る事になるだろうか。
何にせよ実際にレールの上を走る列車に見慣れたマークが堂々と付いているのは嬉しいのだろう。
ホームに入線してきた時のお客さんのテンションの高さが半端ではない。
我々は2両目に陣取りながら、貸切列車の雰囲気も取材させて戴くことにした。
車内に乗り込むと、中はいたってシンプル。
右と左に向かい合わせのベンチ(色はちょっと褪せた茶色)、天井には扇風機が備え付けられている。
お客さんはそんなに多くないだろう…とタカをくくっていたのだが、
出発する頃には座席は綺麗に埋まっていた!!
車内アナウンスが流れ、小湊鉄道キハ200形はゆっくりとスタートする。
ディーゼルエンジンの音が心地いい。
ローカル線ならでは、カーブも多く(笑)
しかしその揺れがまた「ローカル線に乗ってる感」を増していくのだ。
その証拠にYAJIKITA一行も自然と笑顔になっているではないか!?
車内の撮り鉄の皆さんの邪魔にならないように、我々は貸切列車の方へ移動した。
1両目でお客さんにジョーク混じりに運行解説をしていたのは、
なんと鉄道部次長の池田利彦さん!
小湊鉄道の成り立ちを丁寧に説明してくださっている。
池田「もともと小湊鉄道は現在の鴨川市、旧小湊町まで伸ばそうと作られた路線でした。
ところが様々な理由からそれが叶わず…しかし名前だけは、気持ちだけは名前に残す意味もあり、
小湊鉄道とされたのです。」
池田さんの名調子がガタンゴトンというリズムに合っていて、とても心地が良い。
懐石列車を利用されているお客さんも、
最初の乾杯こそ「イエーイ!!」となっていたものの、
車窓を流れる景色ののどかさとそのゆったりした速度からか、
のんびりと楽しんでいるようだった。
僕もね、ロケの前にたっぷり寝たんだけど…欠伸が出てくるのは、これもローカル線の良さか(笑)
コバヤシ「次に停まる駅は里見って所ですけど、あれ?ホームで何か売ってるなぁ。」
小湊鉄道はそのほとんどの駅が無人駅なのだが、
里見駅のホームは何やらハッピを着た人達で盛り上がっている。
列車が駅のホームに入るとその理由が分かった。
売り子「駅弁いかがですか~?里見駅限定の菜の花弁当です!」
コバヤシ「それっていくらなんですか?」
売り子「はい、地元の菜の花を使っていて1個300円です!」
YAJIKITA「安っ!!」
こうして里見駅で菜の花弁当を購入したのだが、
何のことはない、鳥そぼろとひじき鮭、そぼろ卵、
その上に湯がいた菜の花をあしらっているシンプルな手造り駅弁。
なのだが、車窓から見える沿線の菜の花畑と相まって、弁当がとても美しく見えるのだ!
コバヤシ「菜の花を沿線に植えたのも、この菜の花弁当を作っているのも、
全て地元の人達なんですって。」
井門「小湊鉄道に人を呼ぶ為の、皆さんの努力と、もちろん小湊鉄道への愛情ですね。」
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――車内アナウンス
「つぎは~、養老渓谷~養老渓谷~」
コバヤシ「養老渓谷の駅に面白い施設があるので、途中下車しましょうか!」
井門「面白いものなら何だって行ってみましょう!」
五井駅から数えて16駅目。
終点の上総中野駅の一つ手前の駅が「養老渓谷駅」。
この駅の中に(って言うかホームの隣に)、平成20年4月から足湯が出来たのだ!
しかも鉄道利用者は無料という事もあって、この日も先客が3人ほど。
この辺りの水の成分から少し茶っぽい色合いのお湯で、入ると温度も丁度良い感じ。
ロケをした日は4月とは言えまだまだ肌寒く、足湯が芯からポカポカにしてくれた。
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その後、YAJIKITA一行は昼食を挟みいよいよ小湊鉄道終点の上総中野駅へ。
ちょうど菜の花のシーズンで、それはそれは見事な菜の花がローカル線の雰囲気を際立たせている。
上総中野駅は1988年、今から24年前に無人駅となった駅だ。
駅の横にはポストと電話ボックス。駅舎の風情も「ローカル線の味わい」がして、何とも言えずに良い。
そしてこの駅がローカル線を乗り継ぐ上で、とても重要な場所になるのだ。
そう、ここは小湊鉄道・下りの終着駅であり、
いすみ鉄道・下りの始発駅でもある場所。
駅では大勢の「乗り鉄」「撮り鉄」が今や遅しと列車同士が出合う瞬間を待っている。
横山「あっ、小湊鉄道が入ってきたね!」
コバヤシ「本当だ!ツートンカラーが良い味出してるなぁ。」
ツートンカラーの「小湊鉄道」の車両がゆっくり上総中野駅に入線してきて、
一方のホームいる「いすみ鉄道」のムーミン列車と出会う。
無人駅のこのホームが鉄道ファンでにわかに沸く時間だ。
ムーミン列車は菜の花の様な鮮やかな黄色を基調に、グリーンのラインが映える。
この夢のある車体こそ、赤字路線のいすみ鉄道を何とかしようと、
アイデア社長が考えた秘策の内の一つなのだ!!
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実はこのいすみ鉄道、2009年に社長が公募で選ばれたという特殊な経緯を持っている。
それまでの経営も厳しい状況が続き、地域にとっては必要不可欠な筈の鉄道も存続の危機になったのだ。
そこで起死回生の策としていすみ鉄道が打ち出したのが、
「広く社長となる人材を公募する!」という方法。
恐らくはいすみ鉄道側も当初はどの程度の応募があるか、半信半疑だっただろう。
しかし蓋を開けてみれば、個性豊かな人材がなんと100人以上集まったのだ。
そして、そこで選ばれたのが鳥塚亮さん。
元は英国航空で部長職を務め、それと兼務する形で、
鉄道DVDの会社を経営するという異例の肩書を持っていた人物だ。
そしてこの方、何よりも鉄道マニア…。
鳥塚社長は今この瞬間もそれまで培ってきた様々なノウハウの全てを振り絞り、
「いすみ鉄道再生の為」に力を注ぎ続けているのだ!
井門「鳥塚社長の自伝、面白かったですよね」
コバヤシ「そうだね、1から立て直しをするその姿は、
鉄道の事を良く知らなくても心が躍るよね」
(ちなみに気になった方は、
『いすみ鉄道公募社長 危機を乗り越える夢と戦略(講談社刊)』を読んでみて下さい)
アイデアマンの社長は就任後、様々な企画を出し続けたのだが、
その中でも驚きのアイデアが先程の「ムーミン列車」と、
「訓練費用自己負担運転士募集」だろう。
通常運転士はJRや私鉄等に新卒で入社し、そこで運転士の訓練を受ける。
もちろん訓練費は自己負担ではなく会社がもってくれる。
ところがこの「新卒」というのがポイントで、
どれだけ運転士や鉄道への情熱があったとしても「新卒採用」されなければ、
一生この仕事に携わる事は無いに等しいのだ。
実は鳥塚社長も幼い頃から鉄道が好きで好きでたまらなかった。
ヒマさえあれば遠くの車両を見に、遠くの路線に乗りに出かけたという。
当然就職も旧国鉄の試験を受けて、の筈だったのだが…。
ちょうど時代が国鉄赤字、民営化への流れが出来始めてきた頃。
やめる人間はいても新卒採用などある訳も無かった。時代がそれを許さなかった。
鳥塚社長がいすみ鉄道の社長に応募した理由の一つに、
少なからずこういう経緯は加味されているのだろう。
そしてそんな鳥塚社長だからこそ、本当に情熱を持った人に広く運転士になる機会を与えたい、
ひいては訓練費の負担分はいすみ鉄道の再生へと充てたい、と考えたのだ。
問題は、訓練費用である。
いったい幾らかかるのか、皆さんは想像出来ますか?
その額、700万円。
訓練費用700万円を自己負担すれば、運転士の養成訓練が受けられ、
難関と呼ばれる試験に合格したあかつきには「いすみ鉄道」の運転士として働く事が出来るのだ。
社長に自ら応募した鳥塚社長も「いったいどれぐらい応募があるのか」見当もつかなかっただろう。
しかしこちらも蓋を開けてみれば、情熱の塊のような人材が数多く集まった。
そしてその応募者から選ばれたのが40代~50代の男性4名。
この人達がいわゆる1期生として今、運転士の職に就いているという。
コバヤシ「会いたいよね?会って話を聴きたいよね?」
井門「当然でしょ!」
我々は夢を叶えた運転士に会うべく、いすみ鉄道「デンタルサポート大多喜駅」へ向かった。
そしてそこで我々を迎えてくれたのは、割と小柄で真面目そうな男性。
いすみ鉄道・運転士:武石和行さんである。
せっかくなので武石さんが日ごろ運転する車輌の中(車庫で停車中)でお話しを伺った。
井門「武石さんは前職にはどれぐらい就かれていたんですか?」
武石「えーっとそうですね、業態は変わりながらも24年ぐらいでしょうか。」
井門「24年!?それでその職を辞めて、ここで働く事に不安は無かったんですか?」
武石「辞めた事もここを受ける事も実は周りに相談しなかったんです。
きっと何とかなると思ったんでしょうね。」
これ、この考え方は鳥塚社長も同じなのであります。
英国航空を辞めていすみ鉄道の社長になる時も、
年収が400万くらい下がるにも関わらず「何とかなると思った」と仰っている(笑)
きっと社長がこんな感じだから、集まる人も思い切りの良い人ばかりなのだろう。
井門「武石さんは鉄道会社に就職しようとは思わなかったんですか?」
武石「勿論思ったんですけど、時代が時代で、新卒採用が無かったんです。
この辺りも社長に似ている所ではありますね(笑)」
井門「訓練費自己負担で公募…と聞いた時、どんな風に感じましたか?」
武石「はい、決して安くはありませんが、
目の前に来たチャンスだと思い、そこに飛び込んでみました。」
井門「チャンス…ですか?」
武石「そうです。もしこのチャンスを逃してしまったら、
明日はもう無いかもしれない。そう思ったら、自然と飛び込んでいたんです。」
これが前職を24年務めても、飛び出せる男の台詞である。
鉄道の事を語る武石さんの顔がね、物凄く満足そうなんだ。
愚問だとは思ったが、今が楽しいか聴いてみた。
武石「楽しいです!(笑)」
井門「一緒に訓練を受けた仲間とも絆は強いんですか?」
武石「そうですね、辛い時期は互いに励まし合ってきたので、
仲間意識は本当に強いですよ。今は3期生が猛勉強中ですが、頑張って欲しいです。」
そうそう、実は収録が終わった後に
「映像的に欲しいので、運転席に座って戴けますか?」とお願いしてみた。
すると二つ返事でOKを貰ったのだが、
僕は武石さんの事が益々好きになったなぁ…。
だって運転席に座った瞬間、
ポッケから真っ白な真新しい手袋を出し、
指差し確認をしながら「出発進行!」って言ってくれるんだもの。
熱い男の熱い想いは、
きっと誰にも負けない力強さで走り出しているに違いない。
武石さん、ありがとうございました |
「風そよぐ谷国吉(くによし)駅」
この名前もれっきとした、いすみ鉄道の駅名の一つである。
いたる所にムーミンがいるこの駅(笑)
ここで我々は先程から名前が出ている【いすみ鉄道代表取締役社長・鳥塚亮】さんを待った。
この駅とムーミンとの関係も、鳥塚社長のアイデアの一つ。
実はこのいすみ鉄道は本家ムーミンから権利を得て、
ムーミンの公式ショップやムーミン列車等を走らせているのだ!
この日も駅の中に店を構えるムーミンショップがオープンするかどうかのタイミングで、
既に地元のお客さんが集まり始めているではないですか!?
と言うかですね、この駅のアットホーム感がたまらないのですよ。
駅のドア(引き戸)を開けると暖かな照明の下に、
ポップコーンの甘い香りと、そこに並ぶお弁当たち。
販売しているのは、み~んな地元の方々。
梅干しなんかも売っているんだけど、これは全て地元の人達の手作りなんです!
まだ駅に列車が入ってくる前だったので、皆さん準備に余念が無いのだけど、
笑いは絶えないし、皆さん明るいし、物凄く雰囲気が良いのだ。
そこに現れたのが、こちらも元気の塊の様な男性。
鳥塚「よっ!みんな元気!?」
地元の方々「おぉ!社長~おはよう!」
鳥塚「○○さん、お腹のお肉、マズいんじゃないの~?(お腹をぷにぷにしながら)」
地元の方々「さいきんもうダメさ~(笑)」
皆「はっはっは~!!(笑)」
一瞬にしてこの場所の明るさを何倍にもした男性。
この方こそ、鳥塚亮社長その人なのだ!
我々はこの太陽の様な社長にさっそくお話しを伺った。
井門「ムーミンショップ、さすがにムーミングッズが多いですね(笑)」
鳥塚「多いんぢゃなくて、それしかないんですよ(笑)
ここに来れば“買うか買わないか”の2択ではなくて、どれを買おうか?の話になる。
だからオフシャルなショップを作る事に意義があるんです。」
勿論物販はムーミンだけでは無い。
社長のアイデアでオリジナルの饅頭やお菓子なんかもここに並んでいる。
しかもそのどれもが旨いのだ。
入口で販売していた梅干しや里山弁当しかり、
この土地ならではの魅力的な物が、実はこのいすみ鉄道を中心に集まっている気がしてならない。
鳥塚「どうです?ここに来て、良いなぁ~って思いませんでしたか?」
井門「思いました!のんびりしてて、最高じゃないですか!?」
鳥塚「そうでしょ?都会から来た人達は間違いなくそう言うんです。
ところがこっちの人達はその良さに気付いていない事が多い。」
井門「そういうもんなんですかね。」
鳥塚「僕はこの田舎の良さを、地元の人にも分かって欲しいんです!」
その為に駅で地元の食材を使ったお弁当を販売し、
地元の人が外から来た人と触れ合いをもつ機会を作っているのだ。
そしてその為には何よりも、
「いすみ鉄道が元気である事」が絶対となる。
訓練費用自己負担運転士に関しても、鳥塚社長はこんな考えを持っている。
鳥塚「医者になるにも裁判官になるにも、みんなお金を払うじゃないですか?
運転士は乗客の命を預かる大切な仕事です。
その運転士の訓練費用に700万の自己負担は僕は驚く金額では無いと思うんです。」
ともすれば突飛とも取れてしまう社長のアイデア。
でもそのどれもが、地元に必要不可欠な鉄道を残す為の策なのだ。
想いを語る鳥塚社長の目は、どこまでも真っ直ぐだった。
と、その時…。
井門「社長、ちょうどキハ52が入線してきましたね!行きましょうか?」
鳥塚「あっ、そうですね!目の前で話した方が良いですね!」
宝物を観るような視線を送る鳥塚社長 |
雨は降っていたのだが、ホームに出るとキハ52の雄姿。
それを見つめる鳥塚社長の表情が綻んでいる。
井門「社長から見て、このキハ52の良さって何ですか?」
鳥塚「うーん、あり過ぎて困るんですけど(笑)
正面から見た時にカラーの部分が少しカーブしているんです。それがたまらない!
あとはホラ、あれですよ!【日本国有鉄道】ってプレートが見えるでしょ?これも良い!」
井門「社長…さすがの鉄っちゃんぶりです(笑)」
鳥塚社長は言う。
何の変哲もない風景なんです、と。
でもだからこそ、この牧歌的な雰囲気がムーミン谷のイメージとも合った。
鳥塚「ここにはね、“何にも無い”があるんです!」
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鳥塚社長とのインタビュー中に、
国吉駅からキハ52形が出発していった。
その時、ホームには地元の方々が出てきて、列車に向けて手を振り始めたではないか!?
社長も僕らもそれに促される様に手を振ると、
全くの見ず知らずの乗客も僕らに向けて手を振ってくれる。
これが最高に気持ち良いのだ!
名も知らぬ誰かの旅の始まりを、気持ちよく送りだす。
あぁ、手を振るってこんなに清々しいものだったのか。
“行ってらっしゃい”“行ってきます”
旅の始まりには送る側と送られる側がいて、
YAJIKITAの旅がいつも気持良いのは、きっと毎回この気持ちよさを味わえてるからかもしれない。
今回のYAJIKITAは旅番組の原点に立ち返る事が出来た。
ローカル線を乗り継いで、初めて見る風景の中で、景色と音にどっぷり浸る事が出来た。
それもきっとこの旅がローカル線の旅だったからだろう。
ガタンゴトンと揺られながら、いすみ鉄道の終着駅「大原」に向かう中で、
僕はあまりの心地良さにねむってしまったほどだ。
普段は手段でしか無かった鉄道が、しっかりと目的になった今回の旅。
そうなのだ、今度はこの鉄道に乗りに、旅に来ようと思うのだ。
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