バカ殿作戦で加賀百万石を守った…前田利常|旅人:安田 美香

2013-02-01

 

アイ~ン!みなさん、ごきげんよう!あのぉ…もう1度言いますけど、隠れ歴女の、安田美香でございます。
↑社会科の教員免許を、一応持っております。いまだ未使用ですが…(笑)

 

 

それは、とある日の夕暮れ時のコト。
携帯電話が、「ワナワナワナ…」と不吉な音を立てた。
恐る恐る手に取ると、ヤジキタ構成作家・ミラクル吉武氏からの連絡だ。

 

ミラクル「安田ぁ~!ヤジキタ金沢ロケ、行くでゲス!安田にはバカ殿演じてもらうでゲスよ!…安田に行ってもらう意味、わかるよね?ゲスゲスゲス!」
…この人は2013年もゲスゲス言ってるのか…と思いながら、送られてきた番組企画書を読んで、私の心は小躍りした!

 

 

みなさん、「前田利常」って、知ってますか?
"加賀百万石"と呼ばれた前田藩といえば、「利家とまつ」が有名ですが…
その前田利家から始まった加賀藩の、3代藩主が「利常」。

 

加賀藩を「加賀百万石」と呼ばれる程に発展させた、立役者だそうなんですが…
またの名を通称「バカ殿」と呼ばれていたそうなんです!

 

なんと!
鼻毛を伸ばしてバカ殿を演じ、国を守った名藩主なんだとか!?

 

えーーーーーーー!!!!!!!!
そんな武士が本当にいたのー!?

 

だって、当時は武士にとって、「侮辱は死より屈辱」という世界。
それなのに、なぜ「バカ殿」?
本当にバカだったのか?はたまた、志村けんさんのご先祖様なのか…?
その真相を追うべく、チームヤジキタは金沢へ旅立つのであります。??

 

 

朝7:00。羽田空港。チームヤジキタ集合。
ここに。
なんと、安田より騒がしい男がいた!
動画撮影担当の、テツヤくんだ。
なんとテツヤくん、飛行機に乗るのは人生で2度目なんだとか。
スラッとした今どきの26歳は、「や、安田さん、飛行機楽しみですね!ヤバいっすね!」とキラキラと黒目を輝かせている。
フライト前で緊張しているのか、何度もトイレに行っていた。
安田「よっしゃー!飛行機と一緒に、みんなで写真撮ろう~!!」
…んで、テツヤくんが撮った写真が、このザマ…。カメラマンだろ、おーぃ!(笑)

 

 

 


テツヤ・ミラクル吉武・安田・佐々木D(飛行機がほとんど写ってない)

 

 

 

機内では、安田はみんなと離れた席になってしまい、テツヤくんの雄叫びっぷりを直視することはできなかったのですが、それはそれは騒がしかったそう。
普段は寡黙な男を変えてしまう。それが飛行機の旅なのです。
アイ~ン!

 

 

 

小松空港からはレンタカーで、金沢市へ向かいます。
小雨がぱらつく、どんよりとしたお天気で、いかにも「冬の日本海へ来た!」という実感が湧いてきます。

 

 

金沢駅東口で、金沢観光ボランティアガイドの高木信吉さんと待ち合わせ。
高木さん「この金沢駅は"世界の美しい駅"にも選ばれた、大変キレイな景観を誇る駅なんですよ」。

 

駅の入り口では、立派な「鼓門(つづみもん)」が旅人を歓迎してくれます。
この門、太い2本の柱で支えられているんですが…螺旋状にツイストされていて、真ん中がくびれていて、シルエットがとってもキレイ。
そう、ここ金沢は芸術の街。
能の文化も盛んで、その能に使われる楽器「鼓」を表現している柱なんだとか。

 

 

安田「うふふ。来ちゃった!冬の金沢、ロマンティックだわぁ~☆」
とひたっていたら…
ミラクル「安田、安田!コレを付けるでゲスよ!」
財布からおもむろに取り出したのは…鼻毛!!!!!(ってゆーか、海苔)

 

安田「…いーやーでーすぅーよぉー!!!!!!!!!!!!」
ミラクル「鼻毛付けなきゃ、バカ殿の気持ちはわからないでゲスよ!ゲスゲスゲス!」

 

安田「いや、これは旅番組でしょう?
旅番組に、鼻毛は必要なの?
そもそも、ラジオに鼻毛って必要なのかい?」

 

抵抗する安田・38歳 VS ゲスな構成作家ミラクル・43歳。
この対決の行方は…どうぞ旅動画をご覧ください。

 

 

 

 


バカ殿…っていうよりも~「バカボンパパ」なのだ

 

 

 

 

さて、ガイドの高木さんと最初に向かったのが、加賀藩の居城であった「金沢城」。
石川門をくぐると…広大な敷地が広がっています。
現在は都市公園として整備されていて、園内には、木造城郭建築として五十間長屋や菱櫓、橋爪門続櫓などの歴史的建造物が復元されています。

 

 

 

 

 

 

安田「あれ?天守閣は無いんですか?」
高木さん「今は無いんですよ。この金沢城は7回も全焼し、明治以後~終戦までは陸軍の基地になり、その後、平成7年までは金沢大学キャンパスとして利用されてきました。金沢大学が移転し、現在120年ぶりに様々な建造物が再建されています」
なんと!
今、私たちがこうして「金沢城」を観光できるようになったのは、ここ17年くらいのコトなんですねぇ。

 

 

 

高木さん「こちらは新しく復元された"菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓"です。明治以降に立てられた木造城郭建築物としては全国最大規模なんですよ」
戦の際に二ノ丸を守るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている外壁が、その強固さを示しています。

 

階段を上がり、中に入ると…
新しい木のイイ香りに、うっとり~。まるで、森の中にいるような気分です。
高木さん「壁に、石川県産のあすなろの木を使っているので良い香りがするんですよ。こちらでは、できたてホヤホヤの城にいるような感覚を味わっていただけます」
なるべく国もとへは帰らず、できるだけ江戸にいてバカ殿の演技をし続けたという、利常公。
たまに故郷へ帰った時に、利常公もこの香りをかいだんでしょうかねぇ……鼻毛を伸ばしながら(笑)。

 

 

 



 

 

 

高木さん「こちらは、辰巳用水の石管です。辰巳用水というのは、日本3大用水の1つで、利常公が作ったんですよ。
寛永8(1631)年に大火災が起こり、炎が金沢市内を覆い尽くし、お城も全焼してしまうんです。
この時の水が無いという苦い経験から、利常公が辰巳用水を整備しました」

 

 

 



 

 

 

辰巳用水は,お城から11kmの所に流れる"犀川(さいがわ)"上流の取水口より取り入れられ、平均勾配が230分の1という、とてもゆるやかな勾配によって、金沢城まで運ばれているそう。
…って、利常さん、スゴいじゃないですか!?

 

高木さん「そうなんです。スゴい技術で作られているんですよ。最初は木をくり抜いて作られた、木管だったんですが、200年後に替えられました。3.3kmのトンネルを経て、金沢城へ水を供給し、さらに市内へ配水していたんです。手掘りで6ヶ月から1年くらいで作ったと言われています」
実際に石管から水が出ている様子も、見るコトができます。約380年以上も前に、この技術!アイ~ン!スゴいなぁ。

 

 

 

高木さん「こちらは極楽橋です。この橋から西を見ると…昔は港まで見渡せて、港からくねくねと曲がった道が城へ続いていたんです。
利常公はこの道を直線道路にして、流通が便利になるよう、陸路を整備しました」
安田「へぇ~。現在の金沢市内の真っすぐな道は、すでに利常公の時代に整備されていたんですねぇ」

 

夜に松明を炊きながら、道が真っすぐになっているかどうか?を、確かめながら工事を進めたそう。
…これまた、スゴいじゃないですか!? 利常公ってば!

 

 

 



 

 

 

安田「あの~、利常公は本当にバカ殿だったんですか?」
高木さん「見てきてわかるとおり、本当は賢かったんです。バカなフリは、徳川幕府に対するパフォーマンスであったろうと思います。徳川幕府に大して"敵対心はありませんよ"というアピールだったんではないかと」

 

安田「演じていたってことは…じゃあむしろ、めっちゃ賢いお殿様だったんじゃないですか!?」
高木さん「名君ですよ。やはり3代目さんが重要ですからね。3代目の利常公が、加賀100万石の礎を作ったといっても過言ではないと思います」

 

 

 

 

続いて向かったのが、お隣にある「兼六園」。
兼六園は、水戸市の偕楽園、岡山市の後楽園と並ぶ日本三名園のひとつであり、日本を代表する大名庭園のひとつです。
雪積もる兼六園は、春夏秋とはまた違った風情があります。
真っ白な雪と、雪吊りを施された約240本の樹木による静かなる風景は、心癒される別世界です。

 

 

 



 

 

 

安田「ところで、なんで"兼六園"って、いうんですか?」
高木さん「すぐれた景観の条件とも言われる、「宏大(こうだい)」「幽邃(ゆうすい)」「人力(じんりょく)」「蒼古(そうこ)」「水泉(すいせん)」「眺望(ちょうぼう)」 という「六勝」を、すべてを兼ねそろえているということから、"兼六園"と名付けられました」

 

いくつもの池と掘りあげた土で築いた山、御亭から成る兼六園は、「築山・林泉・廻遊式庭園」と言われています。

 

 

 

 

 

 

高木さん「こちらが、利常公が作った辰巳用水の取水口です。兼六園の中にも、辰巳用水が流れているんですよ」
なんと!
この兼六園、市街地の中心地の高台にあるのですが、池や園内をゆるやかに流れている水の流れは、すべて辰巳用水を利用した自然水なんだそう。

 

 

 

 

 

 

 

高木さん「兼六園の南側から水が入ってきて、園内を巡り、さっき見た金沢城に運ばれていくんです」
利常公によって約370年前に施工された高度な土木技術が、今なお兼六園の豊かな水の風景を作っているんですねぇ。
…利常公、恐るべし!これはかなりの"切れ者"だったというワケですな。

 

 

続いて訪れたのは、「天徳院」。
天徳院の歴史は、元和九年(1623年)に加賀藩三代目藩主前田利常公が、24歳の若さで亡くなられた正室「珠姫(たまひめ)」菩提のために、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建したのが始まりです。

 

 

 



 

 

 

珠姫は、第二代将軍・徳川秀忠公の次女として生まれます。
慶長四年(1599年)、前田家では藩祖利家公が亡くなり、二代藩主利長公が加賀の国へ戻り藩政を治めていました。
その間には、前田家が徳川を討つという噂が流れ、将軍家康公は軍勢を集めて、前田を攻めようとしました。

 

この情勢を聞いた利長公は、すぐに国家老を派遣して、前田家が徳川幕府に刃向かう計画は一切無いことを説明、その証としてやむなく利長公の母、お松の方(芳春院)を人質として江戸に送り、代わりに珠姫を、利常の嫁として受け入れるコトになったのです。? 
慶長六年(1601年)、珠姫が3歳のとき、加賀の国(金沢)へお輿入れになり、14歳で結婚、その後10年間に3男5女を立派に育てました。
珠姫は利常公の妻として、また将軍秀忠公の娘として前田、徳川両家の融和のために心を尽くしますが、元和八年(1622年)、夏姫さま出産後に亡くなられました。御歳24歳でした。



珠姫の生涯は加賀百万石の危機を救い、その繁栄に尽くした、まさに良妻賢母、日本女性の鏡として、今も金沢市民に親しまれています。

 

天徳院では、珠姫の生涯を描いたカラクリ人形劇「珠姫・天徳院物語」が毎日上演されています。
名古屋で作られているという美しい面のカラクリ人形たちが、セリフを通して珠姫の健気さを伝えてくれます。
利常公から愛されていたんですね、珠姫は。
お寺で、こういったカラクリ人形による説明をされているのは他には無いそうで、訪れた人たちをタイムスリップさせてくれます。

 

 

 



 

 

 

ひっそりと佇む、天徳院。
安田、個人的に1番好きな場所でした。
心静かに、あの時代を生きた人々の生き様に想いをはせることができます。
女性ならぜひ足を運んでほしいスポットです。

 

 

 



 

 

 

さて、高木さんとはここでお別れというコトで…
安田「あらためて、高木さんから見た利常公とは、どんな人ですか?」
高木さん「スケールが大きくて、自分だけじゃなく、人のことを一生懸命考えた人だったと思います。両国の安泰を願って、徳川家と対峙しないように、徳川家に組み込まれながら、加賀文化を熟成させた名君だったと思います」
利常公を語る時の、高木さんの優しい表情。
利常公は、今もなお、地元の人々に敬愛されているんですね。

 

高木さんが所属する"金沢観光ボランティアガイド"。金沢市観光協会に1週間前までに申し込むと、ガイドをお願いできるそうです。
ぜひ地元の方のお話を聞きながらの金沢観光が、オススメです!アイ~ン!

 

 

 

 

 

続いてやって来たのは、「妙立寺」。
利常公が、金沢城近くから移築して建立したお寺で、またの名を、"忍者寺"と言われているそうなんです!
妙立寺の笠原彩さんに、案内していただきました。

 

 

 



 

 

 

外観は2階建て…でも中に入ると…?

 

安田「見た目は普通の古き良きお寺、というカンジなんですが…まさか忍者がいたお寺なんですか?」
笠原さん「忍者がいたワケではないんですが、複雑な造りになっていますので、忍者屋敷のようなお寺というコトで、"忍者寺"と呼ばれています」
なんと!隠し扉や落とし穴など、仕掛けがたくさんあるそうなんです!

 

笠原さん「今、本堂にまつられている仏さまの裏手に回ってきたんですが…コチラ、物置の戸を開いて、床板を外すと…階段が出てくるんです」
安田「…わ!わぁー!! なんだ、コレ!!!」
笠原さん「非常時に、この階段から外へ逃げられるようになっているんです。床板には溝が刻まれてまして、戸を閉めると鍵がかかる仕組みになっているので、外から敵が入ることはできません」
安田「えええー!なんじゃ、この寺はー!?(笑)」
笠原さん「利常公の時代には、100万石というコトで徳川幕府から狙われる立場にあったので、こういった仕掛けをしていたそうです」

 

 

 

 



 

 

 

…利常公、バカ殿とか言われてましたけど、やっぱり本当は緻密な方だったんですねぇ。いやー、参りましたっ。

 

 

笠原さん「この忍者寺、外観は2階立てですが、実は内部は4階立てになっているんです。当時は幕府の命令で3階建て以上の建築は禁止されていたんですね」
安田「はぁー。まさに迷路のような建物ですね」
忍者寺という名の通り、いたる所に「落とし穴階段」や、「隠し扉」があり…ワタクシ、見事に迷子になりました…(笑)。

 

まるで遊園地のアトラクションのようなおもしろさ!
…なのですが、コチラ、正真正銘のお寺でございますゆえ、騒ぎ過ぎてはなりませぬ。
笠原さん「堂内ではどうぞお静かにお願いします。幼児・未就学児さまの拝観は、ご遠慮頂いております」とのコト。
予約制なので、みなさん、拝観の際は電話で予約してくださいね。

 

 

 

 

 


案内してくれた笠原さん。

 

 

 

最後は、長町武家屋敷跡をぶらり。
武家屋敷が並ぶ、細い石畳の道を歩いていると…まさに利常公が生きていたあの頃に、タイムスリップできちゃいます。
屋敷を囲む土塀には、「こも」と呼ばれる藁を編んだモノが掛かっています。
雪の被害から土塀を守るために行われているもので、金沢の冬の風物詩ともなっています。
はぁ~、ロマンティック☆

 

 

 



 

 

 

…それにしても、ワタクシ、冒頭で利常公を"バカ殿"だなんて書いてしまいましたが…
全力で訂正させていただきますっ!
アイ~ン!バカ殿だなんて、とんでもない!知将ですよ、本当にキレ者です!!

 

 

外様大名の中で、ダントツの石高(勢力)を誇っていた加賀前田藩(総石高は119万石!!)。
何だかんだ理由をこじ付けて、「謀反の疑惑有り」と言う事で、何度も江戸に呼び出された利常公。
そんな利常公がとった行動、それが……「バカ殿作戦」だったんですね。

 

江戸の屋敷に閉じこもり、芸者遊び・贅沢三昧・酒に溺れる等により、藩の財政を食い潰し始めたんです。
その結果、「あいつはバカだ」「加賀藩は終わりだ」と周りから言われるようになり、謀反の嫌疑は一切無くなったのです。

 

 

周りから、「バカだあいつ」と言われても、ヘラヘラ笑える程の器量と度量を持っていたワケで。
武士にとって、「侮辱は死より屈辱」だった時代にですよ!

 

でも実際、こうして金沢を旅してみると、いかに利常公が緻密であったか?がわかるワケで。
スゴい藩主です。

 

 

安田「能ある鷹は、頭隠して、尻隠さず」って言うもんなぁ…。
あれ?頭隠さず、尻隠せ、だっけ…?」

 

そんなことを考えながらロケも終了、という時に…なんと!
「ヤジキタ、いつも聴いてます!」という、ヤジキタリスナーさんに遭遇!?ごるっち番組ディレクターが、ロケの模様を番組ツイッターでつぶやいていたのですが…その情報を見て、来てくれたんだとのコト。
ヤジキタ人気のパワーを感じた旅でもありました。

 

 

さらに、そのリスナーさんに「夕ご飯、オススメのお店はありますか?」と伺うと…
「"第7ギョーザ"は、金沢でしか食べられない味ですよ」とのコト。

 

即座に、チームヤジキタは"ギョーザ専門の店 第7ギョーザの店"へ向かいました!
コチラのお店、蒸餃子、焼餃子、水餃子など、いわゆる普通の餃子ももちろんあるんですが…
変わっているのが「ホワイト餃子」。
皮が厚くて、小龍包のような食感。
食べると、中から肉汁がとろけだして…くわぁー!美味い!!

 

 

 



 

 

 

安田「利常公といい、このホワイト餃子といい…金沢には、まだまだ知られざる魅力が、てんこ盛りなりにけりっ!
さあ、皆の者!利常公に完敗(乾杯)じゃあー!!!」

 

…最後はダジャレにまみれながら、美しい金沢の夜は更けてゆくのでありました…(笑)
旅人は、アイ~ン!安田美香でした!!