『東京発どこいくツアー』神保町編|旅人:井門宗之

2013-02-21

 

 

 

東京の気になる街をぐるりと巡り、
その街の魅力を再発見するという趣旨の「東京発!どこ行くツアー」。
もう流石にこの旅もYAJIKITA的にはお馴染になったんじゃないでしょうか?
*「最近東京駅前からのレポートが無いぞ!」とか言うの禁止。
これまで回った街をざっとおさらいすると、
本郷、神楽坂、青山界隈、下北沢、築地、柴又、中野界隈。
う~ん、なんでしょう…。
改めて行った場所を文字にすると、何とも形容しがたい統一感の無さが光ります。
例えて言うなら「コーヒーガム」みたいな?
美味しいんだけど、何とも…みたいな?
いや、別にコーヒーガムを批判しているわけじゃ無いっすよ!
俺も子供の頃に「子供でも食べられる大人味」として、
一時期コーヒーガムに凝っていた時期もあったんですから。
そもそもコーヒーガムというのはですね…あっ、もう良い??すみません。
今まで回った街のラインナップについて、でしたね? 


そもそもこのラインナップが既にヤジ魂に溢れてませんか?
メジャーに行きすぎない絶妙なラインを守っているというか…、
名バイプレイヤーというか…。
でもね、しょうがないんですよ。
行く先は会議で決まる訳で、その会議に出席しているのが、
いつものあのメンバーなんですから。 


――――ある日の会議にて――――

 

横山「次は神保町とかどうかな?」

 

井門「おぉ!横山さん母校がある街!」

 

横山「井門君、一緒に紫紺の旗を振ろうよ!」

 

井門「はい!先輩、ついて行くっス!
して、いつ行きましょうか?」

 

横山「いつ行くんですか?今でしょう?」

 

 

という訳で、いつにも増してヤジ気を出している仏の横山氏。 


ことヤジキタにおいては「やる気よりヤジ気」。 


向き不向きより、ヤジ気」なのであります。
横山氏のヤジ気の後押しを受けて、今回のどこ行くは「神保町」。
そうです、世界最大の古書街であります。

 

路地裏の洋食屋から漂うラードの香り。
通りに響くギターを試奏する音色。
書店に吸い込まれては出ていく、学生の姿。
僕の神保町のイメージは大体こんな感じ。
なんせ井門Pが大学3年・4年を過ごした街ですから、他の街とは愛着も違う。
じゃあ、井門は学生時代古本屋に入り浸りだったのか?
顔なじみの古書店の一つや二つあるのか? 


と言われると答えはNOでございます(えぇぇぇえ!?)。
だってこんな若造が簡単に入っていけない雰囲気だったんですよ!
何の知識も無く入ってしまったら「馬鹿は出ていけ!」とか言われそうで…。
なので学生時代は個人経営の古書店にほっとんど入った事がありません。
勿体無かったよなぁ…こんなに個性的なお店が多いのに。

 

 

 



 

今回はそんな個性的な古書店の中から選りすぐりのお店に潜入! 


まず一つ目は…大屋書房さん

ご主人の纐纈公夫さんは明治大学のご出身。
そう!井門Pと横山Dの大々先輩であります!

 

 

 



 

店内を見渡すと江戸時代の本もゴロゴロ並んでいて、
カメラマンの橋本君には「機材ぶつからないように気をつけろ!」と指示。
値段の高さよりは歴史的な価値、ですよね。
という訳で、いつも以上に神経質になっている器のちゃいちいなYAJIKITA一行。
そんな僕らを纐纈さんは笑顔で見守りながら、

 

 

纐纈「本は丈夫な物ですから、大丈夫ですよ。」

 

 

なんて仰る。 


そしてそして、ここでの取材では物凄い代物も登場!!

 

 

纐纈「皆さんの番組がYAJIKITA ON THE ROADと聞きまして、
こんな物もご用意しましたよ。」

 

 

 





 

皆さんはこの本が何なのか、お分かりだろうか?
我々にまつわる…そう! 


かの十返舎一九が書いた【東海道中膝栗毛】なのだ!
しかもしかも…

 

 

纐纈「初版本です。(しら~っと)」

 

一行「しょ…しょ…しょ…初版本ですって!!」

 

纐纈「はい、そうこれが初版本なんですよ。(無造作に本をぱらぱらぱら~って捲る)」

 

 

東海道中膝栗毛と言えばおよそ200年前に刊行された本。
それがこちらにある、という事はおいくらくらいで販売しているんでしょう?

 

 

纐纈「こういう物は古本屋にとっての看板みたいな物でね。
“これがこの店にある”と言う事が、ある意味で店の個性を作っているんですよ。
ですからこれは販売用では無いんです。」

 

 

なるほどなぁ。
“あのお店にはあんなに貴重な本がある。”というのが、
“それは信用出来るお店じゃないか!”に繋がる。
現代の様にネット社会では無かった時代に口コミで評判を広げる為には、
こういう貴重な看板も必要なのかもしれません。

 

 

 



 

 


神保町は世界最大の古書の街。
だからこそお店は個性を打ち出していかなければならないんですね。
確かに通りを歩いていると、本のレイアウトの仕方もそれぞれ違う。
あっ、纐纈さん曰く古書店が北側を向いているのは日に焼けるのを防ぐ為とか。
色々考えられてるんだなぁ~、と思っていたら、
纐纈さんが豪快に笑いながら、
「古本屋は金が無いからね~、南向きに店を持てなかったんだよ!ははは!」
な~んて仰っていたっけ。
あれ?古書店の店主ってもっと気難しくって、怖いイメージだったんだけど…。

 

 

池田「神保町には色んな個性のお店がありますね!」

 

横山「その個性がそれぞれの店のファンを生むんだろうね。」

 

 

個性的…と言えばもう一店、菅村書店は良かったなぁ。
クルマ、鉄道、飛行機など、エンジンがついた乗り物を専門に扱った書店。

 

 

 





 

店内には所狭しと専門書が並んでいるんですが、
Teamヤジキタ男性陣はもう目がキラキラと輝いている。
やっぱり男性にとって格好良い乗り物って、いくつになっても憧れなんだよなぁ。
お店に来るお客さんも、ふらりと入った客ではなくて、ここを目指してきたお客さん。
ご主人の菅村さんはお客さんに教わる事も多いと仰る。

 

 

菅村「そういうお客さんに教えられながらやってきましたね。
この店にいらっしゃるお客さんは、僕より詳しい方々ばかりですから(笑)」

 

 

店の質がお客さんの質を決めるのか、
それともお客さんの質が店の質を高めていくのか。
恐らくそのどちらもなんだろうけど、 


この街の古書店は切磋琢磨という言葉がとてもしっくりくるのかもしれないなぁ。

 

 

 



 

菅村書店を白山通りの方へ進み、一ツ橋方面へ進んで行くと不思議なオブジェを発見。
これが何と【野球発祥の地】碑というのだ。

 

 

井門「横山さん、ご存知でしたか?」

 

横山「いや~知らなかったけど、これはなかなか大きいね。」

 

 

 





 

僕と横山さんに馴染みが無いのもその筈。
この記念碑自体は2003年に完成した比較的新しい物。
しかもこの記念碑のすぐ近くには【日本大学発祥の碑】も!

 

 

 





 

確かに神保町~お茶ノ水界隈は大学が多いもんなぁ。
この辺を歩いているだけで、頭が良くなった気が…しないしない。
そこから再び白山通りを水道橋方面へテクテク進むヤジキタ一行。
歩きながら「この辺には天ぷら“いもや”があるよね」とか、
「半ちゃんラーメン発祥の店があって…」など思い出トークが絶えない。
学生時代を過ごした街っていうのは、人を饒舌にするのかもしれないなぁ。
特に横山Dとは時代を超えて共通の思い出があるってのが凄い。
だって通ったお店が同じなら、時代は明らかに違うのに、
味わった味は一緒って事ですもんね。
あの店のカウンターには、若かりし頃の僕と、横山Dが重なるって事もあるんです。
街の姿と思い出をリンクさせながら歩いていると、 


またまた面白いお店を発見!!それが…奥野カルタ店
道路に面したショーウィンドウには各地のカルタや玩具が並んでいる!
店内もカルタの歴史なんかが年表で飾られていて、興味深い。
会長の奥野伸夫さんに色んなお話を伺った。

 

 

 

 

 

奥野「元々カルタはポルトガルからきた外来語が元になってます。
トランプの様なカードゲームがその発祥です。」

 

 

そうなのだ、カルタは日本語の様に思えるが、そもそも「carta」。
どうやらカードの語源と同じという。
奥野カルタ店にはカルタもそうだが、新旧様々な玩具が並んでいる。
何歳になってもその楽しげな玩具達に心は躍るのだ。

 

 

 





 

そういう物に囲まれているからだろうなぁ、奥野さんもお若い。
好きな物に囲まれて、僕もかくありたいと思うのでした。
奥野さん!お忙しいところ、有り難うございました!!

 

 

 





 

井門「古書店にしてもカルタ店にしても、
神保町は玩具箱みたいな街ですね。」

 

横山「でもその面白さって、
学校に通っていた頃はなかなか気付けないんだよね。」

 

 

そうなのだろう。
例えば今の自分がタイムスリップして学生時代の井門宗之にアドバイスした所で、
いま自分が感じているこの街の面白さの半分も伝わらないと思うのだ。
20代の頃には20代の楽しみ方、
30代には30代の楽しみ方がある。
そして神保町はきっと、何歳になってもそれぞれの年代での楽しみ方が見つかるのだ。

 

 

池田「最後は井門さんが学生時代に通ったカレー屋さんですよ。」

 

 

スマトラカレー 共栄堂







 

井門「ここは学生時代によくお世話になりました。
独特のコクのあるカレーソースが本当に美味しくてね。
色もかなり濃いめの色をしているんだけど、 


何より驚くのはね、出てくるのが早いんだ(笑)」

 

 

今でも井門のカレー好きは有名だが(なんだそのいらない情報)、
その下地をしっかりつけてくれたのは間違いなく神保町だ。
何せこの街のカレー店の多さといったら、あなた…。
しかもそれぞれが名店と言われるクオリティなのだから凄い。
そして共栄堂さんも、そんな名店の一つなのであります。
歴史などをお店のHPから抜粋してみましょ。

 

『明治の末、行き詰まった日本から脱出して南方雄飛を志した長野県伊那の伊藤友治郎は、広く東南アジアに 遊び知見を広めて、南洋年鑑を著わす等、南方の風俗 を紹介、
通商貿易に大いに貢献しました。彼の地の風物 を愛した氏は、大正の末、
京橋南槇町今の東京駅近くに 「カフェ南国」という、当時としては斬新なカレー、
コーヒー の店を開きましたが、関東大震災のため瓦解しました。
氏よりスマトラ島のカレーの作り方を教わり、
私共の口に 合う様アレンジしたものが、共栄堂のカレーでございます。』(HPより抜粋)

 

ご主人の宮川泰久さんは豪快で優しい印象。
お話も上手なのだが、お店への愛情もひしひしと感じられたんだよなぁ。
上手く言えないのですが、宮川さんとお話をして、
「あぁ、この店を好きで俺は間違って無かったんだ」と思える。

 

 

宮川「何十年も通われているお客さまや、
週に一度はこの店のカレーを食べに来ていただくお客さまもいらっしゃいます。
本当にありがたい事です。」

 

井門「僕も学生の頃に随分とお世話になりました!」

 

宮川「それは有り難うございます!今日は何カレーにしましょうか?」

 

井門「ではポークカレーを!!」

 

宮川「かしこまりました。少々お待ち下さい!」

 

 

待つ事およそ2分(笑)
やっぱりあっと言う間に出てきました!

 

 

 





 

カレーソースの独特の風味は深みがあって、
最初に口に入れた瞬間から次が楽しみになる味。
それがエンドレスで続くのだから、ここのカレーがやみつきになるのも頷けます。

 

 

 



 

 

宮川「カレーの種類によってソースが違いますから、
是非ご自身のお気に入りの味を探して戴きたいですね!」

 

井門「久しぶりに食べましたけど、
やっぱりたまに物凄く食べたくなるんですよね~!」

 

宮川「井門さん、“たまに”じゃなくて、
“いつも”食べにきて下さいね(笑)」

 

 

笑顔はカレーを更に美味しくする。
神保町を散策して良い古本を見つけたら、
それを片手に共栄堂のカレーを味わいに来て下さいませ!

 

 

 



 

 


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改めて青春時代を過ごした街を散策した今回の「どこ行く」。
戻りたい場所はとても近くにあるのに、
あの頃が大切過ぎて、頻繁にその扉を開けると何かが薄まる気がして、なかなか行けない。
僕にとっての神保町はずっとそんな街で。
だから今回の旅はある意味で楽しくもあり、不安でもあったのです。
取材をしながら、何かが薄まってしまうんじゃないかって。
だけど結局そんな事はちっとも無かった。
あの頃と変わらず、神保町は僕を迎えてくれて、
夕暮れ時なんて学生時代のまんまの雰囲気だったんだよなぁ。

 

一つ一つの角を曲がると、あの頃の自分やあの頃の仲間がいる。

 

――三省堂前の交差点。
坂を登って学校行くか、すずらん通りを抜けて「さぼうる」でバナナジュースでも飲むか。
う~ん、今日は楽器屋覗いて漫画でも買って、もう帰っちゃおうか。――

 

なんて自堕落な…でもそんな学生時代の自分の背中を、35歳の自分が眺めている。
友達と笑いあう学生の姿に、昔の自分を重ねながら…。

 

って、あ~あ!!ちょっとセンチメンタルになっちゃったじゃないか!(笑)
懐古主義的な事を言うつもりはさらさら無いけど、
神保町を歩くとちょっとだけ“昔は良かった”って気持ちになっちゃうんですよね。
今の井門宗之を作った街、神保町。
*仏の横山Dもね。
もし東京に来たら、井門Pや横山Dの気持ちになってこの町を散策してみて下さい。
きっといつの間にか、頬を一筋の涙が伝っている事に気が付くでしょう(ないない)。
う~ん、たまにはこういうノスタルジックな旅も…良いでしょうか??←最後まで自信無い。

 

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