東京発どこ行くツアー 田園調布・自由が丘編|旅人:井門宗之

2013-06-27

 

 

 

ぽっくんは歩く身代金

この言葉は名作「おぼっちゃまくん」のアニメOPテーマで歌われる歌詞の中にある。
御存じの方も多いでしょう。
「おぼっちゃまくん」と言えば、おぼっちゃまくんこと御坊茶魔の、
とんでもないスケールの金持ちっぷりをユーモアたっぷりに描いた漫画。
僕も子供の頃に夢中になって読んだものだ。 


そしてその茶魔が暮らす街こそ、今回のロケ先「田園調布」なのであります!
今回は東京発!どこ行くツアー「田園調布・自由が丘編」と題し、
超セレブな…というか超ハイソなこのエリアをヤジキタさんが巡る…という。
ね…ほら、ちょっと心配になるでしょ?
いつもはさ「渋谷の山家が俺のほっとステーション!」とか言ってる我々が、ですよ。
「やっぱり煮込みでホッピーっしょ!」とか言ってる我々が、ですよ。 


普通路上ポルシェが停まる街を巡るなんて…ねぇ。
掟ポルシェさんじゃないですよ、車のポルシェね。はい、どうでも良いですね。
ってな訳で今回はこのエリア(とは言え電車だと駅が隣同士)をぶらり。
今回のスタッフはゴルッチDとテツヤ、そしてヤジキタの紅一点、作家の池田ちゃん。
池田ちゃんと言えば所沢の回で、
「ハプニング世界遺産」に登録したいくらいの事をやってしまう女子。
*詳しくはその時の旅日記をご覧ください。
そんな彼女が今回は何をやらかしたのか…結論からいくと何も起きませんで…。
えぇ、ちょっと都心から離れた方が活きるタイプなのかもしれません。
よし、池田ちゃんは次回、どこか地方ロケでやらかしてもらいましょう!

 

はい、いつになったら本編がスタートするのか…と。
そんな声がPCの向こう側から聞こえてきますね。
…ゴニョゴニョ…井門はさ、前段が長いから…途中で読む気無くなるんだよねゴニョゴニョ…
知ってるもーん。
もう何年もヤジキタの旅日記書いてるけど、
いっつもそうだから知ってるんだもーん!
オープニングは田園調布駅前のお洒落な広場から!(唐突か)

 

 

 





 

もう駅前の広場からしてちょっと違う。
バラが植えられた上品な場所なんですもの。
思わずスタッフと交わす言葉も上品になってくる。

 

 

ゴル「ささ、井門さん。おロケおスタートでございますよ。」

 

井門「ではラジオが終わったらおカメラお撮影も、お願いします。」

 

テツヤ「かしこまりましてございましたでして。(言いなれてないから滅茶苦茶)」

 

 

 





 

田園調布を巡るのは良いが、さすがに我々だけでは心もとない。
今回は強力な助っ人として田園調布に暮らして70年以上という、 


田園調布会の吉谷和子さんにご案内して頂くことに!

 

 

 



 

 

吉谷「このバラも街の人が植えたものなんですよ。
回覧板が回ってきたりしましてね。」

 

井門「そんなに隣近所とフランクな感じなんですね。
勝手に住民同士の繋がりはあまり無いのかと思っていました。」

 

 

吉谷さん曰く、田園調布という街は「住民主導」で作られたのだと。
駅前には今も旧駅舎が残っているのだが、
昔はこの2階が洋食レストランだったそうで、
最初にここに暮らした人達はそのレストランで街作りについて議論していたらしい。

 

 

 





 

吉谷「そもそもこの街は大正時代、渋沢栄一の息子、
渋沢秀雄によって作られた街なんです。
アメリカのサンフランシスコに行った際に理想的な街の風景と出会った渋沢秀雄は、
これを日本でも作りたいとして、緑の多い田園調布を作っていったんです。」

 

井門「確かに大きな邸宅ばかりですけど、
なんと言っても緑が多いのが気持ちいですもんね。
イチョウ並木も美しいなぁ…。」

 

吉谷「このイチョウ並木も今は青々としていますけど、
紅葉シーズンになるとまた美しいですよ。」

 

 

 



 

田園調布に居を構える…まぁ、普通のサラリーマンには難しい話です。
でもここで暮らすと、その良さにここから離れられなくなるとか。
だから田園調布は代々で住み続ける人達が街の景観を守っているとも言えますね。

 

 

吉谷「うちの子供が学生の頃に“どこに住んでるの?”って聞かれて、
“えっと…田園調布!”って言うと座が白けるんですって。
だから今でも“どこに住んでるの?”って聞かれると、 


大田区”って言う様にしているらしいですよ(笑)」

 

井門「確かに“田園調布に住んでる”って、
人をビビらせるパンチ力としては相当なものがありますからね…。」

 

 

 



 

しかし大正時代の都市計画で「自動車が通れる道路」を作ったり、
街の景観を守る為に「塀は低く」「建物も低く」みたいな決まりごとを作ったり、
しかも街づくりは住民主導で色々とやっていたと聞くと、
田園調布が意外に「歴史」とそこに暮らす方々の「愛」で成り立つ街なのがよく分かる。
吉谷さんもこの街をどうしたい、ではなく、変わらずに守れれば…と仰っていた。
あぁ、あと「敷居は高いかもしれないけど、どんどん遊びにきてください」とも。
確かにこれだけ緑の多い(しかもアップダウンの激しい)街を散歩すれば、
かなり気持ち良いだろうなぁ…。そんな事を思ったのでした。
吉谷さん!有り難うございました!

 

 

 





 

長い時間ハイソな街にいると、ちょっとだけ自分もハイソな気分になってくる。
次第にテツヤの顔も上品な感じだ。
埼玉県民の池田ちゃんも、立ち居振る舞いが自然と上品に…。

 

さ、冗談はさておき。
(あぁ、出た。さておいちゃったよ、このP。) 


続いては東急東横線で移動して、お隣の自由が丘へ!
井門の自由が丘初体験は受験で上京した時だ。
行きたいショップの住所を見ると、どうやら自由が丘にあるらしい。
受験で上京しているというのに、しかも右も左も分からない東京で、
勢いだけで一人で自由が丘に降り立った井門青年。
結局道に迷いまくって、ショップは見つけられないわ、
帰り方もよく分からないわ、散々な目にあった。ちょっと泣いた。
それ以来、仕事以外でこの街に来た事がほとんど無い。いや全く無い。
むしろ東京の中では良い思い出の無い街、それが自由が丘。

 

 

――俺は当時、自由が丘で、自由を失ったのだ…。

 

 

 



 

 

ゴニョゴニョ…なんか上手い事言ったみたいなドヤ顔してるよ…ゴニョゴニョ…
いやねぇ、自分大好きな喋り手って…ゴニョゴニョ…
えぇいっ!!!ゴニョゴニョするでない!!
自由が丘の取材を始めるぞ!!! 


まずは駅前でひと際異彩を放つ「自由が丘デパート」であります。
僕はここに少しだけアメ横や秋葉原な感じも受けたのだが、
ここはれっきとした自由が丘の老舗なのだ。

 

 

 





 

その成り立ちは昭和28年。
自由が丘に全国でも珍しい大型デパート誕生、という事もあって、
当時は全国から観光客が詰めかけたという。
現在の館内はどうなっているのか??早速潜入!!

 

 

 



 

一階は文房具や佃煮屋さん、衣料品などのお店が左右にびっしり。
地下に降りると手芸屋さんや衣料品のお店がこちらも左右にびっしり。
長く地元の方々に愛されてきた、っていう雰囲気が全体から漂っています。
僕らも何軒かのお店でお話を伺う事が出来た!

 

 

 

 





 

ゴル「井門さん、あのお店…“占い”って書いてありますけど…。」

 

井門「自由が丘デパートの中に占い!?」

 

池田「ちょっと飛び込みで占ってもらいません?(笑)」

 

一同「いきましょう!!」

 

 

 





 

飛び込みで伺ったこちらのお店。
もう20年近く自由が丘デパートの中で占いを行っている老舗だった。 


お店の名前は「フェイム」さん。

 
占ってくださった上品な占い師の先生は、松谷先生と仰る。
姓名判断学や気学のエキスパートであり、本も書かれているという。
飛び込みなので井門宗之の事前情報は一切なし!
占う前にプロフィール見たりwiki見たりっていうズルっこは一切出来ない!!
これは個人と個人のガチンコ勝負なのだぁ!!!!
*落ち着け、おれ。
という訳でいきなりではあったものの、しっかり占ってもらった井門。
どうやら46歳まで登り調子、
60歳で最高、69歳が人生のピークだという。 


先、長ぇ…。
とは言え、これからの人生は良い事ばかりだと言われたので、
ちょっと楽しみだ!!! 


なんだなんだ、自由が丘、良いところじゃーん!!!
(お前、単純か!)
飛び込みにも関わらず、快く占って頂き松谷先生、有り難うございました!

 

 

 



 

池田「次が最後の取材先になります。
井門さん、モンブランって食べますか?」

 

井門「もちろん、僕は酒も飲むけど甘い物も好きだから。 


スイーツ男子だからね♪」

 

ゴル&テツ「チッ…。」



池田「実は自由が丘にそのモンブラン発祥のお店があるんですよ!」

 

 

ってな訳で向かったのが、自由が丘デパートのすぐ近くにある、 


その名も「モンブラン」さん。

 

 

 





 

このお店こそ、日本で初めてモンブランのケーキを販売した洋菓子専門店。
昭和初期、登山好きだった初代店主の迫田千万億さんが、
スイスに旅行に行った際、ヨーロッパの最高峰モンブランの美しさに感動!
お店の名前を“モンブラン”にして、看板メニューも
栗の黄色いクリームで、テイクアウトが可能な
日本オリジナルのモンブランケーキを開発した…と。
店の名前をモンブランにするのも、なんとびっくりスイス公認なんですって!?

 

店内は入口近くがケーキの並ぶショップスペース。
ガラスケースに並ぶ色とりどりのケーキが思わず足を止める。
そしてその奥が飲食が出来るカフェスペース。
東郷青児の絵が至る所に飾られているのは、初代と関係が深かったからか。
僕らはカフェスペースで旅の疲れをほぐしながら、
その発祥のモンブランを待った。そしてきたのが、こちら!

 

 






 

僕らが想像したモンブランと大きなズレは無いものの、
でも想像以上の迫力に思わずスタッフからも歓声が上がる!(笑)
だって、ねぇ、美味しそうでしょう?
いや、美味しかったんだけど…。
ここで池田ちゃんの台本に書かれていたモンブランのアピールポイントを!

 

「レモン香るふわふわのカステラの中に、カスタードクリームと甘露煮の栗。
そして全体をこんもりと覆っているのは、国産栗のクリームで、
アルプスの岩肌を表現。一番上には、氷河や万年雪をイメージしたメレンゲ。
多重構造ながら、すべてがなめらかにまじりあって一つになる…」

 

いや、かなりのボリュームなんですけど、
だからこそフォークを入れる毎にその断面の表情が違う。
甘露煮の栗が出てきた時の嬉しさったら無かったもの。
これはスタッフ全員で食べたいね~、
という事でモンブランは全員注文(笑)
自由が丘発祥のモンブランをし~っかり堪能したのでした。

 

 

 





 

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今回は都内でも超が付くハイソな街を堪能したヤジキタ一行。
まぁ、その緊張感に耐えられなくなった一行はその後、赤提灯で飲んだのですが(笑)
でもですね、街のイメージが随分変わりました。
行くまではちょっと敷居が高いイメージがあったのですが、そんな事は全く無くて。
むしろ街をそのままの雰囲気で残そうとする住民の方の努力、
そして変化の多い東京に於いてちゃんと歴史を残しているという事実が、
逆に「ぜひ見に来てください!」というウェルカム感を出している様にも感じるのです。
ちなみに田園調布には古墳なんかもあるので、
もしもこの街をぶらりする機会のある方はその辺りも楽しんで頂ければと。

 

井門青年が井門中年になり、久々に訪れた自由が丘もその表情は全然違っていて。
街を楽しめる様になっていたんだよなぁ。
ああ、でもそれを考えたらこの街は少し大人の街なのかもしれない。
そんな答えを貰った「東京発!どこ行くツアー“田園調布・自由が丘”編」。
まだまだ東京には見に行きたい場所がいっぱいです!
次回の東京どこ行くも(不定期ですが)、お楽しみに!!