幕末の青春群像~龍馬と行く京都~|旅人:吉村民

2013-08-23

 

YAJIKITA on the road 旅人、そして歴女の吉村 民です!
今回の旅の主役は坂本龍馬!
彼は私の人生をいい方向に変えてくれた、大事な人なのです。

 

 

 

 

 

というのも、
学生時代は、なんで、過去のことなんて知らなきゃいけないんだろうと、歴史が大嫌いだった私。
世界史のテストで100点満点中、6点を取ったことだってあるんです!エヘン。
そんな私が龍馬に出会ったのは
漫画「おーい、竜馬」、小説の「竜馬がゆく」
坂本龍馬という人が何をしたかもわからなかった二十歳の私は
龍馬のとても優しい心を持ちながらも人が想像できない先進的なことを
どんどん実現していく行動力に魅了され日本の歴史の中にはこんなに素敵な人がいたんだ!と一気に歴史に魅了されていったのです。


今回は歴女 吉村民の原点ともいえる坂本龍馬の京都ゆかりの場所をご紹介していきます!


まずは、霊山歴史館


幕末について知りたければ、まずここへ!というスポットです。
私も何回も来ています。
ご案内してくださったの主任学芸員の木村武仁さん。

 

 

 


「霊山歴史観」


主任学芸員の木村武仁さんと…。

 

 

 


坂本龍馬を切ったと言われている刀、
暗殺された時の様子がわかる資料が展示されています。

 

 

 

 

 

 

この歴史館の素敵なところは、
倒幕派、佐幕派、どちらにも偏らずに
幕末全体の様子を知ることができるということです。
幕末について知りたければ、まずは霊山歴史館に行ってみてください!


続いては、霊明神社!
龍馬のお葬式が行われたという神社なのですが、
龍馬ファンでも行ったことがある方は、そんなに沢山いないかもしれない、私のオススメスポットです。


写真は霊明神社 八世神主 村上繁樹さんと。
私たちの後ろには龍馬さんの御霊が祀られています。

 

 

 


八世神主の村上繁樹さん


龍馬がココに埋葬された証拠の資料

 

 

 

村上さんに貴重なお話を聞かせていただいたり、資料を見せていただき、
心の底からワクワクしてしまいました!
日本の歴史的に貴重な資料、手紙があるというすごい神社でした。


これが龍馬が霊山護国神社に埋葬されたという証拠。
品川弥二郎からの手紙や伊藤博文からの手紙もあるとのこと。
この伊藤博文から手紙はしゅんすけ。と名乗っていた短い時間に書かれたという貴重な手紙なんです。
霊明神社の資料はこれだけではなくまだまだあるとのこと。


そして、江戸時代はお寺にお墓があるのが当たり前だった時代ですが、
龍馬をはじめとする京都の幕末の志士は霊山護国神社、、神社に眠っているのです。
これにも志し的な訳があるんですよー!
尊皇攘夷の為に戦う武士は
天皇家の所縁があり、日本人が古来から信仰していた神道でお葬式をするべきだ、という考えなんだとか。
そして、幕末の時点では、龍馬のお墓がある霊山護国神社は霊明神社が管理をされていたんだそうです。


歴史は色々と巡ってみないとわからないことがあるというのも魅力の1つですね!
新たなお話をお聞きすることでき、とても楽しかったです!
こちらの霊明神社はお参りしたり、見せていただくには
現在は予約が必要(075-525-0010)ですので、ご注意ください!


続いて、とうとうやってきました!龍馬が眠るお墓がある霊山護国神社


こちらのお墓には坂本龍馬が今でも眠っています。
隣には一緒に暗殺されてしまった中岡慎太郎、藤吉もいます。
龍馬を好きになって、龍馬に会ってみたくて私が来たのがこちらのお墓。
何回目だろう。。。10回目くらいかな(笑)

 

 

 

 

 

 

歴史が好きで、歴史を語るお仕事がしたくて、
このお墓の前で


「龍馬さんが大好きです。日本の歴史の魅力を沢山の方に伝えられるようになりたいとおもってます。応援してください!」


と、何回も手を合わせていたので
YAJIKITAで龍馬のお墓に来れたというのは、とても嬉しいこと!


きっと、龍馬さんも「よかったぜよ。」と、微笑んでくれているハズです。
ぜひみなさんも、京都の素敵な景色をみながら、龍馬さんと語ってみてくださいね。

続いては寺田屋です。

 

幕末、薩摩藩にひいきにされていた船宿なのですが、お登勢さんという名物女将さんがいたこともあり、
西郷隆盛が龍馬に紹介したと言われています。寺田屋は、かの有名な、寺田屋事件があったところ。

 

 

 

 

 

 

幕府がわの追手が
龍馬を捕まえる為にと寺田屋を囲んでいることに入浴中の龍馬の恋人おりょうさんが気付き、
裸で階段を駆け上がり、龍馬に危機を報告。

そのお陰で、龍馬は助かり、この事件がきっかけで二人は結婚したといわれています。
私がおりょうでも、、、民が幕末の寺田屋にいても龍馬を救ってた!そしたら結婚できたのに。と、
当初はよく思っていたものでした(笑)


龍馬がいたのではないかと言われているお部屋などもあり、色々と想像出来て、楽しい所です!

続いては酢屋です。
こちらは、龍馬が潜伏していたという場所。
船中八策の清書をしたといわれている所でもあります。

 

 

 

 

 

 

龍馬がいただろう場所、お店の入口などは当時の間取のままなので、
龍馬がここから出入りして、ここに座っていたんだー
と想像することができます。

 

続いては八木邸。

こちらは、同じ幕末に幕府を守る役として活躍した新選組の屯所だった所。
新選組の元組長、芹沢鴨を
新勢力の土方歳三たちが暗殺した時についた刀跡も残っています。

 

 

 

 

 


新選組は武士になりたいと思っていた農民出身の方が多く在籍していて、
壬生狼(壬生にいる狼みたいな存在)と、疎まれるような面もありましたが、
私は、彼らは彼らなりの志しがあり、かっこよく幕末を生き抜いたと思っております。


まさに、勝てば官軍、負ければ賊軍、という言葉通りだと思います。
今回は龍馬を巡る旅だったのですが、
京都の新選組もめちゃくちゃ面白いんですよ!
リクエスト、お待ちしてます(^^)v

そしてラストは
坂本龍馬 中岡慎太郎 の遭難の地
ここで龍馬が死んでしまったんだ。。。
と、切ない気持ちを抱きながら
何度も訪れた場所です。

 

 

 

 

 


今は石碑しか残っていませんが、当時は近江屋というお醤油屋さんがあり、酢屋の後に龍馬が潜伏していた所です。
龍馬は幕府を倒して新しい日本になったら、世界の海援隊になりたいと語っていたとか。
政治、権力には興味を示さないところが龍馬の魅力の1つです。

もし、明治維新後も龍馬が生きていたら。。。私は世界の貿易商人になっていると思います。
そんな想像をしてみるのも歴史の楽しみですね。

今回は
坂本龍馬ゆかりの場所を巡ってきましたが
龍馬を通して、
改めて京都の歴史の深さ、面白さ、歴史の真実の無限の可能性を感じました。
皆さんも是非
熱く生きた龍馬ゆかりの場所を
訪ねてみてください。