鯖江市の三大産業にふれる旅|旅人:井門宗之

2013-09-26

車は順調に勝山から鯖江へ向けて移動中。
その車中での一コマ。

 

 

井門「テツヤ、あれかけなさいよ!

 

テツヤ「わかりました!(おもむろにCDをセット)」

 

♪かもんかもんかもんべいび~占ってよ~♪

 

一同「恋する~フォーチュンクッキー♪ キャッキャッキャッ」

 

井門「未来は~そ~んな悪くないの~♪」

 

一同「ヘヘ~イヘ~イ♪ キャッキャッキャッ」

 

 

今日もむき出しのYAJIで移動中であります。
平均年齢は30代前半!おっさん4人で歌うAKB48は格別だ。
そして旅人の井門P、鯖江に向かうにあたり何かソワソワしている…。
皆さんは「鯖江」と聞いて何か思い当たる事はないだろうか?
ふんふん。ふんふん。
その通り!!That’s right!! 


メガネ!!なのです。
なんと国内シェアの96%を占め、
なんと鯖江市の6人に1人はメガネに関する仕事に就労しているとか…。
そう、メガネと聞いてこの男がソワソワしない筈はないのである。
DJ界を代表するメガネ男子、井門Pだ!!(自分で言うな)
…いや、確かにデビューしたての頃はメガネ男子だった…
あれから10年以上が経過し、いまじゃ36歳。立派な年男。
もはやメガネ男子とは言えないのではないだろうか?
では一体俺は自分をメガネでなんと表現すればいいのだろう?

 

 

サリー「愉快なメガネおじさんで良いんじゃないっすか?」

 

妙に……しっくりきた。 


愉快なメガネおじさん
良いではないか、その親近感。なんとも言えない適当な雰囲気。
60歳になったら高田順次さんの様になりたいと考える自分にとって、
この上ない呼び方であろう!

 

 

 


「愉快なメガネおじさん」です

 

 

 

鯖江は流石に駅前にメガネのプレートがある程、
鯖江=メガネを推しているのだが、実はまだまだ隠れた産業がある。
今回の旅はメガネの取材もさることながら、鯖江自慢の産業を取材なのであります!

 

鯖江自慢の産業、その一つ目は繊維業!
鯖江ではそもそも織物が盛んな地域だったそうで、
江戸時代には石田縞織りが誕生し県下で広く使用されていたという。

 

 

 



 

 

 

 

鯖江市繊維協会の事務局長、福岡数吉さんにお話しを伺いました。

 

福岡「石田縞織りの誕生は江戸時代です。 


高島善左衛門という人が貧しい農村を救う為に、
機織りの盛んだった美濃へ行ったんです。
そこで技術を学んで村へと戻った善左衛門さん。
工場を作ったのが石田縞の始まりなんです!」

 

井門「どれくらいの期間、石田縞は使われていたんですか?」

 

福岡「昭和に入り福井が繊維王国と呼ばれる様になると、
石田縞は姿を消すようになりました。
大正時代には小学校や女学校の制服にも使われていたんですが…。」

 

井門「その石田縞はいつ頃に復活を?」

 

福岡「はい、今から約40年前になります。」

 

 

 



 

 

 

昭和初期で途絶えてしまった石田縞織りを、 


文化として残していく為、こちらで様々な活動をされているのだ。
市内12の小学校では体験学習が行われ、
子供達がこの伝統文化に触れる機会を与えられる。
自分の暮らす場所にこうした文化があり、その歴史を知る事で誇りも芽生えるだろう。
自ら伝統産業に携わる仕事をしたいと考える子供達もいるかもしれない。
いつ咲くかは分からない、けど未来の花に水をあげるのは大人の役割なのである。
その水やりの一環として、
ここで行われる学習の一つに石田縞の機織り体験がある。
体験コースの指導員でもあり、
鯖江市指定無形文化財技術保持者、 


山本かよ子さんにもお話しを伺った。
山本さんは何を隠そう、40年前に石田縞を復活させた方のお一人。
山本さんの指導のもと、ギッコンバッタンと石田縞織りを体験してみたのだが…

 

 

 

初めての機織り体験です

 

 

 

う~ん、我ながらぶきっちょだなぁ…(笑)
でもこんな作業工程も思わず夢中になってしまう。
山本さんは石田縞の事を、

 

――心の時代に必要な織物――

 

と仰っていた。
石田縞は工程が沢山あり、それはそれは手間暇のかかる物だ。
だけどそこに向き合っていく事で、先人の想いを現代に紡ぐ事が出来るのだろう。
そして紡がれた想いはバトンとなって、子供達に受け継がれていく。
ただの産業ではない。歴史そのものなのだ。
福岡さん、山本さん、貴重なお話しを有り難うございました!

 

 

サリー「山本さんのお話し、なんかすごく良かったっすね。」

 

親分「残していくってのは大切な事だからなぁ。」

 

井門「貴重な体験をさせて貰ったなぁ。」

 

テツヤ「じゃあ、あれ、いきますか!?」

 

一同「さんせ~い!!」

 

 

※旅日記の5行目から8行目を読んだらまた戻ってきてください。

 

 

お帰りなさい!
さてさて、続いては鯖江と言えば…なメガネであります!
鯖江市内に大きな「めがねミュージアム」というビルがあるのだが、
そこがまぁ面白い!!

 

 

 

 

メガのフレームで作ったオブジェです

 

 

 

こちらのメガネ男子、高宮隆祥さんにお話しを伺いました。

 

 

井門「どうして鯖江はメガネの街になったんでしょう?」

 

高宮「もともと農閑期に何か産業は出来ないだろうか?
という所から始まったんですよ。
その考案者がとても弟子を育てるのが上手だったんです。
だから廃れることなく、現代まで続く一大産業になったんだと思いますよ!」

 

井門「福井のオリジナルブランドや職人さんっていらっしゃるんですか?」

 

高宮「いま僕がかけてるのがそうですけど、 


数字で291フクイと読むブランドがオリジナルです。」

 

井門「それ、326と書いてミツルってアーティストの感じと一緒ぢゃないですか(笑)」

 

高宮「(苦笑)」

 

井門「ちなみにこちらはいつからオープンなんですか?」

 

高宮「建物自体は昔からあるんですが、
観光も含めた場所として役割を持ち始めたのは2010年からですね!」

 

井門「中にはどんなものがあるんでしょう?」

 

高宮「それこそミュージアム的な場所や、
数千本のメガネがあるショップも併設していますよ!」

 

井門「キラーンッ!!!!(早くショップに行きたい気持ちを抑えて)
で…ではまずはそのミュージアムでメガネの歴史などを見せて戴けますか?」

 

高宮「もちろんです!行きましょう!」

 

 

このミュージアムスペースが面白い。
こちらにはあの大村昆さんのコレクションが展示してあるのだが、
大村さんって共演した芸能人からメガネを貰うのが趣味だったんですって(笑)
なのでこちらには貴重な芸能人のメガネがズラリと並ぶ!
コレクションの一部をご覧ください!

 

 

 

 

様々な方のメガネが展示してありました

 

 

 

井門「何だかメガネを見ただけで、
なんとなくかけてる人が思い浮かびますね!」

 

高宮「そうなんですよね(笑)
やっぱりメガネにもその人の個性が反映されるって事でしょう。」

 

 

更に隣には江戸時代からの貴重なメガネが展示され、
奥のスペースにはかつて実際にメガネ作りに使われていた道具達が。

 

 

 



 

 

 

道具の一つ一つを眺めながら感心していると、
さらに奥の作業スペースに職人の水島實英さんが語り部としていらっしゃった!
せっかくの機会なのでお話しを伺ってみる。

 

 

 



 

 

水島「昔はメガネ職人の家にはこういった道具が並んでいたんです。
それが徐々になくなっていってねぇ…。」

 

井門「メガネ作りで大変な所はどこですか?」

 

水島「ウチは親父の代からやってるんですけど、
親父がよく言ってたのがこんな言葉なんです。 


“自分がかけると思って作りなさい”。

そう思って作ると中途半端な掛け心地の物は作れませんからね(笑)」

 

 

水島さんはこの道50年になるという。
自分は作家ではなく職人だから、常に同じものを作れないといけないと仰っていた。
その真摯な姿勢が素晴らしいメガネを作り出すのだ。

 

――ますます…職人が作ったメガネが…欲しい!!!

 

そんな邪な気持ちを抱えながら、
いよいよショップエリアへ!!

 

 

 



 

 

 

井門「高宮さん、最近の流行りってどんな感じなんですか?」

 

高宮「はい、ちょっとレトロな丸メガネが流行ってます。」

 

 

 


ん?

 

 

井門「ほんとに色んな種類のメガネがありますね~。
いや、これは本気で選ぼうかなぁ。高宮さんオススメって何かありませんか?」

 

高宮「でしたらTHE 291ブランドから…、こちらはどうですか?」

 

 

――僕はこの瞬間の事を決して忘れないだろう。
メガネをかけた井門が多少変な感じになる事を想定した悪スタッフ達は、
メガネを手にとってかけようとする井門を見て笑う準備をしていた。
僕も「あぁ、どうせかけたら皆で笑うんでしょ?」くらい思っていた。
しかし、しかしである。
フレームをおもむろに耳にかけ、メガネを装着して皆の方を向いた時…。

 

 

サリー「あっ!」

 

親分「あっ!」

 

テツヤ「あっ!」

 

高宮「おぉ~。」

 

 

まさかの全員が肯定する…という。
バラエティではあってはならない事態がっ!←バラエティだったのか。 


なんと思いのほか良かったという最悪の結末にっ!!!
という訳で収録が終わった後に、本気で新しいメガネを購入しました(笑)
えっ?公私混同ですって!?
違う違う、取材は魅力を探っていく作業。
それを実際に購入したって事はですよ、 


本気でモノが良かったって事じゃないですか! 


公私混同なんて、らね!(しぼんでいった…)

 

 

 


いいメガネに出会えて感動している

 

 

 

しかしすぐさま僕に似合うメガネをチョイスしてくれた高宮さん、凄い!
何から何までお世話になりました!有り難うございました。

 

 

親分「お次は伝統工芸品に触れよう!」

 

 

ってな訳でやって来たのは越前漆器協同組合。

 

 

 

 

 

 


こちらの事務局長、伊部孝幸さんにお話しを伺いました。

 

 

井門「越前漆器の良さってどんな所にありますか?」

 

伊部「まず丈夫って事が挙げられます。
そして分業制なので、それぞれの職人がしっかりと仕事をする。
そこが越前漆器の良さではないでしょうか?」

 

 

そうなのです。
越前漆器はそれぞれの行程が分業制。
専門の職人さんがそれぞれの匠の技を駆使して、ひとつの漆器を作っていくのです。
木工の職人さんがいらっしゃったり、漆専門の方がいらっしゃったり。
こちらには職人工房もあって、
間近で職人さんが作業しているのをお話しを伺いながら見る事が出来るのです。

 

 

 

 

 

 

井門「どうして越前で漆塗りが盛んなんですか?」

 

伊部「歴史は相当古くてですね、およそ1500年前だと言われています。
継体天皇が、こわれた冠の修理を片山集落、いまの片山町の塗師に命じたんですね。
見事な腕前で直されたのに感動した継体天皇が、
片山の集落で漆器作りをしなさいと奨めたと。これが始まりと言われています。」

 

 

それと越前には漆を取る専門の職人、
漆かきをする越前衆という腕の良い職人が数多くいた事も由来するとも言われている。
良い漆が良い漆器を作るのだ。
越前漆器は歴史と人の繋がりが長い年月をかけて作り上げた奇跡の工芸品でもある。

 

館内には様々な展示があるのだが、圧巻は漆塗りの山車。
絢爛豪華とはこの事を言うのか…という職人の技術が集結した山車です!

 

 

 



 

 

 

伊部「越前漆器も様々な発展を遂げています。
工芸品だけではなく、今では学校給食の器としても使われているんです。」

 

井門「それは贅沢な話ですね(笑)」

 

伊部「鯖江市内の半分の学校で、
木製・プラ製両方ありますけど使われているんですよ。」

 

 

聴けば現在業務用漆器のおよそ8割が越前漆器だという。
それだけ伝統や歴史にとらわれず新しい試みを模索し続けているって事だろう。
伊部さんに塗り箸のお土産もいただき、我々は会館を後にした。

 

 

 



 

 

 

親分「最後の取材先なんだけどね…。
取材の申し込みをした時に井門くんの名前を言ったら…。」

 

井門「言ったら…?」

 

親分「どうやら朝の番組のリスナーさんらしく、
物凄く喜んでいたんだよ(笑)」

 

井門「えー!!!超嬉しい!」

 

サリー「出た出た、また違う番組の宣伝するんでしょ?
ヤジキタの事も少しは言ってくださいよ。」

 

井門「わ…わかってるよぅ。」

 

 

こうして最後に我々が訪れたのは「釜めし専門店 釜蔵」さん

 

 

 

 

 

 

お話しを伺ったのは吉田安秀さんだ。
聞けば朝の仕込みをしている時に僕の番組をスタッフ皆で聴いてくれているそうな。
こうして東京を離れるとリスナーさんと巡り会えるのが有難い。
自分の番組を楽しんで聴いてくれる人がいることが、どれだけ心強いか。
そしてこちらで出会った釜めしの…なんと美味しかったことか!

 

 

井門「こちらは何種類くらいの釜めしがあるんですか?」

 

吉田「はい、20種類以上はあります。
季節限定の釜めしもあるんですよ。」

 

井門「特徴は?」

 

吉田「福井県産のコシヒカリを使い、
こだわりの越前の食材を使っていることです。
コシヒカリは福井のお米なんですよ!!」

 

 

そうなのだ。
どうしても新潟のイメージが定着してしまっているが、 


コシヒカリは福井で誕生したお米なのである!

 

 

吉田「福井というと越前ガニのイメージが強いと思いますが、 


最近広がっているのがですね。 


ウチでは鯖を発酵させたへしこの釜めし、 


あとは焼き鯖の釜めしをオススメしていますが…どうしましょうか?」

 

井門「へしこは前の晩にお酒と共に頂いたので、
焼き鯖の釜めしをお願いします!」

 

サリー「あの、メニューにある醤油かつ丼ってなんですか?」

 

吉田「最近出始めたんですけど、福井っていうとソースかつ丼なんですよ。
でも最近では醤油かつ丼も人気で…召し上がりますか?」

 

井門「じゃあ、焼き鯖の釜めしと醤油かつ丼をお願いします!」

 

 

――お店の皆さんにサインをしながら待つこと20分弱。
ついにその瞬間はやってきた!!

 

 

吉田「お待たせ致しました!」

 

 

 

美味しい釜めし、ごちそうさまでした

 

 

 

ついにきた。
蓋を閉じてる状態なのに、焼き鯖の香ばしい香りが漂ってくる。
それを開放した瞬間の香りの素晴らしさったら…もう。
釜めしの上には焼き鯖と卵が乗り、
中のご飯はベースの具が山菜なのだが、その中にも鯖がほぐされて入っている。
二重にも三重にも香り高い釜めしなのであります!
さっそくお茶碗にもりつけて…いっただっきまーす!!!
モグモグモグモグ…。

 

 

井門「うっま~~いっっ!!!!
旨すぎます!!ご飯の一粒一粒に一緒に炊き上げた焼き鯖の旨味がしみ込んでる。
しかも一度焼いてるので脂も適度に抜けていて、さっぱりしてる!」

 

吉田「有り難うございます!
醤油かつ丼の方は、オリジナルの醤油ダレをかけてお召し上がり下さい!」

 

井門「水菜が敷き詰められていて、絶対にあっさり食べられるよなぁ。
では頂きます!モグモグモグ…。 


うっま~~いっっ!!!!
もうね、醤油ダレにカツが合う合う。ビール、ビールをくだしあ…。」

 

吉田「みなさんも召し上がってみてください!」

 

親分「イモン君さ、いつまで食ってんだよ!」

 

サリー「そうですよ!こっちは腹減ってんですからね!」

 

 

コイツら…絶対におかしい…。
こっちはちゃんとレポートしてんだろぅ!?
リスナーさんにしっかりと味を伝えるべく、食レポしてんでしょう?
それをただただアンタ達が食いたいってだけで、
食レポあっさりにして早く食わせろって、おかしいでしょう?

 

 

井門「(お茶碗に皆の分の釜めしをよそいながら)はいどうぞ!(それでも優しい)」

 

一同「(人´∀`)オイシイ~♪

 

 

そんなこんなで釜蔵さんで最高の釜めしとかつ丼を堪能した我々。
皆さんと写真も撮って、賑やかにお店を後にしたのでした!
ちなみに本店と支店に井門のサインを飾って頂いているそうです!!感謝!

 

 

 



 

 

 

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鯖江で買ったメガネ。
しっかりと職人の技が詰まった漆器と、
人の愛や歴史が詰まった織物。
そして美味しい美味しいお米と地の物。
余談ですが、夜はた~っぷり福井の日本酒も堪能したんですよ♪
鯖江を隅々まで堪能出来た今回の旅は、
産業と地元の結びつきの強さを再認識した旅でもありました。

 

きっと皆さんの地域にもあるはずです。

 

歴史の流れの中でやむを得ず消えてしまったけど、
昔はその土地で煌びやかな輝きを放っていたものが。
気にかけた事は無かったけど、
探ってみると実は盛んだった意外な産業が。
そこには必ず歴史と人の繋がりがある。
そしてそれを知る事で自分の地元をもっともっと愛する事が出来ると思うのです。
さぁ、探しにいきましょう!
あなたの街を作った、いや、あなたを作った地元の何かを!
鯖江でお世話になったみなさん、有り難うございましたっ!!!